朝の出来事
昨夜から初体験つづきの桃瀬は、ぼんやりと目を覚ました。先に起床した石和は、すでに身装を整えており、食パンにスクランブルエッグ、グリーンサラダにコーンスープなどがテーブルにセットされている。
「おはようございます……」
「おはよう。モーニングをたのんでおいたから、いっしょに食べよう」
「ありがとうございます」
ベッドを軋ませて起きあがり、ペチコートやワンピースを胸に抱えてバスルームに向かう桃瀬は、顔を洗って着がえをすませた。外泊するとは思わず、化粧直しができない。腫れぼったい寝起きの顔面が恥ずかしくて、前髪をできるだけ垂らしておく。石和いわく「きれいになった」とほめてくれるが、素直によろこべなかった。
「世の中には、きれいなひとがたくさんいるのに……、わたしのどこが……」
鏡に映るじぶんの印象は暗い。華やかさは感じない。目立たないことで自尊心を保ってきた桃瀬に口紅を贈る石和は、まぶしくて明るい世界に生きる人間である。近づきすぎて目が眩むのは当然の結果で、置かれた状況に慣れるまで時間が必要だ。
シティホテルで朝を迎えた桃瀬は、石和とテーブルをはさんで椅子に坐り、朝食をとる。ソーセージにフォークを刺したとき、よく焼かれた表面がパリッと音をたて、なんとなくドキッとした。……石和さんの大きくて太くて……、すごく立派だった……。
ソーセージをかじりながら石和の下半身へ視線を向けた桃瀬は、未だに直視できない局部のかたちを想像して、ゾクッと身ぶるいした。ホテルで外泊した現実が急に恥ずかしくなり、ひとりで困惑する。個人差はあるが、処女だった桃瀬には激痛が走った。初めての性交渉は、やはり、こわかったが、好きなひとに処女膜を破られて後悔はしていないし、不快ではなかった。
……本当に血がでるんだ。……すぐに止まったけど、わたしはもう、大人になった……のかな……。バージンが子どもって意味じゃなくて……、うまく考えがまとまらないや……。
「理乃ちゃん」
「……は、はい?」
「朝から熱心に見つめられたぼくは、どう応えるべきかな」
「ひえっ? す、すみません!」
カチャンッと、桃瀬の手からフォークがすべり落ちる。つい、石和の下半身を(じっくり)ながめてしまった桃瀬は、あたふたとフォークを拾って、コップの水を飲んだ。……ばかぁ、なにやってるの、わたし! 恥ずかしい!
耳まで赤く火照る桃瀬の動揺ぶりに石和の情欲もあおられたが、珈琲カップを口へ運び、はぐらかした。衣服の下に隠された肌を細部まで知り尽くす石和だが、まだ充分な快楽を恋人へ享受できない段階が惜しまれた。桃瀬の躰はあまりにも未開で、自助努力もせずに身をゆだねている。石和としても、これほど繊細な女性との交際は初めての経験だった。
「まいったなぁ」
「な、なにがですか?」
恋人が天然記念物に見えてきた石和は、あつかいには注意が必要なわけだと納得した。ふたりきりの状況になるたび、気負わずにはいられない桃瀬を、どうすれば自然体の状態へもどせるのか、何事も冷静に対処してきた石和の最重要課題である。
「ねえ、理乃ちゃん」
「はい」
「ぼくたち、もっと気楽につきあおうか」
「どういう意味ですか?」
「たとえば、きょうみたいな外泊はなし。デートは月にいちど、連絡を取りあうのも控えよう」
「な、なんで」
「きみの笑顔が見たいからだよ。朝からぼくがそばにいては、肩がこるだろう?」
「そんなことないです。わ、わたしは……」
好きなひとのまえで緊張しないほうがおかしい。だが、ぎこちない態度が距離を置く口実となってしまう。……だめ、きらわれちゃう!
気持ちに余裕がないまま、桃瀬はガタッと椅子を立ち、「いや!」と首をふった。虚を突かれた石和は、「いや?」と復唱した。
「わたしは、もっと石和さんといっしょにいたいです。肩なんて、こりません。だいじょうぶです」
せっかく躰をつなげることができたのに、交際が停滞しては意味がない。桃瀬の成長は石和なしでは考えられないため、心づかいによる提案をきっぱり否定した。
✦つづく




