アホの子
「……ごめんね、理乃ちゃん、もういちど云ってくれる?」
携帯電話ごしに桃瀬と会話する石和は、口もとに片手を添え、いくらか当惑した。というのも、二十歳の恋人から、「しばらく逢えない」と告げられた。不安材料をあたえているのは承知していたが、前置きもなく距離感がつかめなくなる。石和は、冷静に対処した。
「ずいぶん唐突に遠ざけるね。なにかあったのかい? 理由をおしえてくれないかな」
石和にしてはめずらしく、やや早口になってしまったが、桃瀬は『はい。あの、実は……』と、質問に答えた。
『わたし、生理のとき痛みがひどくて……、きょうから一週間、石和さんには逢えません』
性成熟した女性は、周期的に生理的出血が起こる。思春期にはじまり閉経するまで、約1ヵ月間隔で生じる現象で、石和とエッチな雰囲気になってもベッドインできない桃瀬は、交流を控えようとした。いっぽう、男性側としては、女性特有の症状への配慮は当然の義務であり、彼女の「逢えない」という意見は尊重したいところだが、石和の交際目的は、性交渉が前提ではない。
「……そう、女の子はえらいね。つらいときは無理しないように。ぼくでよければ生活費の援助もできるよ。遠慮なく頼っておくれ」
『援助だなんて、そんなこと、石和さんにしてもらうなんてできません……。お気持ちだけで、うれしいです……』
石和としては、桃瀬の将来を支える存在を名乗りでたつもりだが、見事にスルーされた。……この子は、わかっているのかな。ぼくは、きみとセックスしたいからつきあっているわけではないよ(誤解を正すべきか悩ましい)。……ああ、でも、かわいいな。
「逢えない理由はわかったよ。おしえてくれてありがとう。ぼくの配慮が足りなかったようだ。……申しわけない」
『い、いえ、わたしのほうこそ、いろいろすみません……』
「体調がよくなったらまた電話して。おいしいものでも食べに行こう」
『はい、わかりました。……おやすみなさい』
「おやすみ」
先に回線を切った桃瀬は、ベッドのなかでホッと息を吐いた。まだアパートの駐車場にいて着信に応じた石和は、二階にある桃瀬の部屋を見あげた。
「理乃ちゃん……」
この状況を圷にしれたら、腹をかかえて吹きだすかもしれない。「生理中は逢えないって、なんすか、それ! ウケる!」そんな幻聴に「ふっ」と笑みがこぼれる石和は、「理乃ちゃんは本物の乙女だね」と、桃瀬の性格をかわいらしく思った。これまで知りあった女性とは異なる部類につき、ベッドインを急ぎすぎたかもしれないと、石和のほうで自重した。
桃瀬が合鍵を使わない理由は、イコール、性的な流れを敬遠しているからではないかと考えた石和は、もうしばらく辛抱が必要だと解釈した。書類かばんをテーブルに置き、スーツの上着を脱いでハンガーに吊るすと、ハイスツールへ腰かける。無意識に「これでは不可ないな」そうつぶやくと、浅ましい感情を打ち消した。
石和に諦念をもたらした桃瀬だが、下半身がゾワゾワしてくると、携帯電話を枕もとにおいて眠りについた。
……次こそはしっかりしなくちゃ、いいかげん呆れられちゃうかもしれない。……でも、男のひとのアソコって、びっくりするくらい大きくなるんだ。う〜っ、やっぱりこわいよ、お姉ちゃん〜。
恋人とのエッチに興味はあるが、桃瀬にかぎらず誰でも最初は緊張するもので、痛みを感じるのは当然である。さらに、より高い快感を得るため(フィニッシュまで)の負荷は、男性しだいで持続する。イケおじの石和にテクニックが下手なイメージは微塵もないが、桃瀬の不安は尽きなかった。結局、石和に逢わないまま鬱々とした気分で、一週間を過ごした。
✦つづく




