ゆれる心
いつもどおりウエストリボン付きのワンピース姿でセブンスターへやってきた桃瀬は、わずか数十分で満席となったバーカウンターのすみっこで、イケおじカクテルマイスターの石和が優雅に接客するようすを見つめた。しなやかな指で、あざやかなオリジナルカクテルを作りあげてゆく。……あのきれいで長い指が、わたしのなかに……。
体内領域を押しひろげられる感触は、それなりに痛かったが、石和の中指は半分もはいっていなかった。たったそれだけで恐怖した桃瀬は、石和と性交渉できるのかどうか、不安になった。もとより、快経験がないため、すべてをまかせたとき、細胞がどうはたらきかけるのか、じぶんの身体作用さえ不明のままだ。
「お嬢さん、退屈ではありませんか」
ぼんやりしていると、石和は桃瀬の正面へ移動してきた。おひとりさまへのコミュニケーションとして、「こちらはサービスです」と、シナモンのスパイスクッキーを小皿に添えた。
「い、いただきます」「はい、どうぞ」ピリッとしてサクサクおいしいシナモンクッキーは、大人の味がした。おとなしく口へ運ぶ桃瀬に、石和は目もとをゆるめて微笑えむと、カサッと、メモ用紙を伏せておいた。コツコツと沙由里のハイヒール音が階段からきこてくると、「いらっしゃいませ、こんばんは。こちらへどうぞ」と、空いた席をすすめる。……わっ、すごい美人さん!
沙由里が注文するまえにカクテルを作りはじめる石和を見た桃瀬は、きっと常連客なのだろうと思った。メモを裏返してみると、「金曜の夜、部屋においで」と、達筆でつづられていた。しかも、帰りのタクシー代も折りたたまれている。さりげない気づかいと、週末のお誘いだ。……これって、つまり、夜更かしコース? きっとまた、エッチな雰囲気になるやつだぁ。
狼狽する桃瀬は、オレンジとブランデーが香るカクテルをのみほして、レッドサンズの会計窓口へ向かった。石和は沙由里と雑談中である。ちらッと、視線だけ送った。
伝票と桃瀬の顔を交互に見くらべる圷は、「お代なら結構」といって、店の固定電話でタクシーを呼んだ。「あの、そんなわけにはいきません。いくらですか?」大学生におごってもらうほど、お子さまではない。ムキになってショルダーバッグから財布を取りだす桃瀬に、圷は眉間に皺を寄せた。
「あのさ、石和さんから会計をまわすように云われてるんだよ。女に酒代を払わせる男なんて、この世にいねぇと思うし。いたとしたらダサすぎる」
「そ、そうなんだ……。ご、ごちそうさまでした……」
「理乃ちゃんって、本当に社会人? すげぇガキっぽく見えるよな」(背も低いし、おっぱいもぺちゃんこだし……。初めて見たときよりは、なんかきれいになってるけど……)
圷が顔をのぞきこんでくる。じろじろと無遠慮な視線は不愉快だったが、グイグイと肩を押され、店の外へ追いはらわれた。沙由里にフられた圷は、石和の恋人として見栄えがいまいちの桃瀬に、ちょっぴりいじわるをしたくなった。タクシーを待つあいだ、ランタンの明かりで桃瀬の首筋にあるホクロが目にとまる。肩にかかる黒髪が風にゆれた瞬間を見のがさず、指先で触れた。
「きゃっ! なに?」
「ホクロだよ。ってか、まるで過剰反応だな。そんな乙女みたいな性格で、石和さんとセックスできてんの? もしかして、ベッドの上だと豹変するタイプ?」
「な……なにを……」
「ふだんおとなしい子にかぎって、夜は激しいってギャップ、おれなら大歓迎だけどさ。理乃ちゃんと石和さん、つきあってンだろ? いまどき歳の差カップルとかめずらしくねぇし、まあ、参考までにきくけど、どうやって歳上を誘惑したンだよ」
「ゆ、誘惑なんて、そんなのしてません。変なこと云わないで……。それに、わたしたちは、まだ……」
「まだ? おいおい冗談だろ」
いろいろ指摘されて青ざめる桃瀬は、到着したタクシーに急いで乗りこんだ。性的な事柄において石和がどれほどがまんしているか、相手の立場を考えていなかった桃瀬は、無神経な圷に腹を立てることはできなかった。
✦つづく