初デート
木曜日の早朝、アパートのゴミ置き場で石和と顔をあわせた桃瀬は、前髪を留めていたピンをはずし、いつもの癖で顔を隠した。
「お、おはようございます」
「やあ、おはよう」
誰かに行きあうとは思わなかった桃瀬はブラジャーをつけておらず、とっさに一歩退いた。アパートの屋根に朝陽が反射して、思わず目を細めると、石和の腕がのびてきて、右胸のバストトップを、きゅっと、指でつまんだ。
石和に躰をさわられても不快ではないが、Tシャツ越しに胸もとを刺激された桃瀬は、「きゃ!?」と驚いた。ドサッとゴミ袋が落下すると、それを石和が拾って、「そんな恰好で部屋の外にでちゃだめだよ。ぼく以外の誰かに見られたら、たまらないな」と、苦笑いした。
「……き、気をつけます」
素直に聞き入れると、「よろしい」と頭を撫でられた。こうしたボディタッチは、石和なりの愛情表現ではないかと解釈する桃瀬は、気恥ずかしくて顔をあげられなかったが、わずかな変化を見のがさないイケおじは、「理乃ちゃん、前よりきれいになったね」と、日ごろの努力をねぎらった。
額には治りかけのニキビがあるし、生まれながらの特徴をカバーするにも限界はあるが、石和のほめことばにドキッと心臓が過剰反応する。そのとき、桃瀬は躰の異変に気づいた。……あれ? なんだか下半身がムズムズする……?
「理乃ちゃん、次の日曜日、なにか用事あるかな?」
「……と、とくにありません」
「それじゃ、ぼくとデートしよう」
「え? でも、どこに……」
「行きたいところがなければ、まかせてもらっていいよ。そうだな……、たとえば、水族館とかどうだろう。お魚はきらい?」
「い、いいえ! 全然きらいじゃないです。水族館なら、わたしも行きたいです(いま、わたし、ならって云わなかった?)」
「じゃあ、きまりだね。朝九時に駐車場へおりてきてくれる? ぼくの車に乗るところをアパートのひとに見られたくなければ、少し先の路肩で待っていて」
「はい、わかりました。よろしくお願いします!」
石和にゴミ袋を持たせたまま、猛ダッシュで部屋にひき返す桃瀬は、ひとりで盛りあがった。
「石和さんから、デートに誘われた(申しこまれた場所がゴミ置き場だったけど気にしない)。どうしよう、めちゃくちゃうれしい……。デートのあとは、や、やっぱ、エッチな雰囲気になっちゃう感じ!?」
ついに、恋人として石和のとなりを歩ける桃瀬は、初デートが水族館というチョイスにも感動した。同年代の彼氏ならば、遊園地やショッピングモールといった、にぎやかな場所を忙しなく移動するイメージを持っていた。おちついた空間で静かに恋人の時間を過ごせると思ったが、最終的にどこかのホテルでベッドインする可能性も捨て切れない。桃瀬は、あさってまで予備知識の学習に没頭した。
「水族館なんて、さすがに露骨すぎたけど、理乃ちゃんが初心で助かったよ。……純粋によろこばれたら、たまらないな」
石和は、桃瀬のゴミ袋を回収カゴへいれながら、小さく息を吐いた。照明が薄暗くて水気のある屋内施設は、官能的な情緒をあおりやすい。桃瀬との関係を進展させるきっかけづくりは成功といえたが、ホテルの予約は控えることにした。
「ぼくは、こんなにも余裕をなくしていたのか……」
合鍵を使わない理由をききだせなかった石和は、かわいらしい胸に触れた指を見つめ、「まいったな」と、つぶやいた。三十代後半の中年とはいえ、圷のような若者に負けない自信がある。身体の基礎能力だけでなく、みなぎる精力は、十代のころからまったく衰えていなかった。
それぞれの思いが交叉したまま、当日を迎えた桃瀬は、レッドサンズへ招待されたときに買ったウエストリボン付きのワンピースを身につけて部屋をでた。駐車場の石和は、階段をおりてくる恋人を愛おしそうにみつめた。
「お待たせしました」と、
薄化粧であらわれた桃瀬は、助手席のドアをあけようとして、「こらこら、だめだよ。積極的な女の子だな。こういうときは、男性のエスコートにまかせなさい」と制された。「す、すみません……」恥ずかしそうに身をちぢめる姿は、石和の目にかわいく映る。
「さあどうぞ、お嬢さん。足もとに気をつけて」
紳士の手をとる桃瀬の指は、微かにふるえていた。
✦つづく