準備期間
うるわしのイケおじ石和と、正式な交際へと発展した桃瀬は、部屋の合鍵を渡されて以降、まいにちのスキンケアは欠かさず、肌はつるつるとして、腫れぼったいまぶたも、以前よりはまともに見られるようになってきた。
「恋のパワーってすごい……」
フェイスパックでヒアルロン酸を注入中の桃瀬は、リビングで足の爪を切った。石和に告白したあと、携帯電話の番号を交換したが、同じアパートに住んでいるため、電話をかける必要性はあまりなく、朝と夜、顔をあわせたときなどに、ちょっとした会話が発生した。
「おかえり、理乃ちゃん」「こんばんは、理乃ちゃん」と、下の名前を呼ぶ石和の声は、これまで以上に耳に心地よくひびいてくる。恋人としてあつかってもらうほど容姿や能力に自信はないが、これから少しずつ、できる努力をしようと思った。
シャワーを浴びるさい、除毛クリームによる手入れは日課となり、とくに下半身の清潔感は常に維持していた。
成熟した女性の自浄作用は、生殖行為の基本形式が身に備わっている証拠だが、いわゆる性的活動によって生成される興奮液で内奥がぬれるといった経験をもたない桃瀬は、石和から男性器を挿入されたとき、どれほど痛みをともなうのか、刺激と苦痛ばかり気になった。また、快感によってぬれやすい体質なのか、それさえもわからないため、じぶんの指で確かめようとしたが、怖くてできなかった。
「みんな、どんなふうにエッチしてるのかなぁ」
ネットを検索すると、彼氏との性行為を愉しむ経験談や、恋人の時間を充実させるためのテクニックなどが、これでもかというバリエーションで載っていたが、どれも桃瀬にはハードルが高すぎて参考にならなかった。処女を石和に捧げることになる桃瀬は、セックスを要求されたとき、ほとんど身をゆだねることしかできないだろう。
「もし、つまらない女だと思われたら、どうしよう……」
異性とつきあったことがないため、こんなとき、相談できる人物がいない桃瀬は、既婚者の姉に電話をかけようとして、とちゅうでやめた。携帯電話の連絡先をながめ、石和の名前に目をとめた。
「……貴之さんって云うんだ。……カッコいい名前だな」
石和貴之、それが、イケおじのフルネームだった。相手から「理乃ちゃん」と呼ばれても、こちらが「貴之さん」などと気軽に呼べるはずもない。もうしばらくのあいだ「石和さん」と呼ぶことにした桃瀬は、Aカップの胸をじぶんの指でつかんでみた。むにゅっとした手応えはあるが、石和の長い指では、あまるほど小さい。
「せめてあと1センチ、大きかったらよかったのに……」
経験不足による思考回路の未熟さは否めない。桃瀬と石和は、未知なる経験の連続となってゆく。受け身の不安を解消して、健康的な躰のつながりを持続していく責任がある石和は、過去に女性との交際経験をもつため、ベッドインは初めてではない。しかし、桃瀬は正真正銘の処女である。それは男としてうれしい反面、無理強いは禁物だ。
水曜日の夜、沙由里の熱視線を営業スマイルでかわす石和は、部屋の合鍵を渡してあるのに、彼女がやってこない理由を考えた。男の誘いを無下にして焦らすといった嗜好は、おそらく論外だ。大事にすると約束した以上、辛抱を要されるとはいえ、事前準備は不可欠である。
バーの仕事を終えてアパートへ帰宅した石和は、鍵付きのひきだしをあけ、スキンの使用期限を確かめた。水系ポリウレタン製で透明感があり、ぬくもりが伝わりやすい極薄タイプのゴムである。念のため、ドラッグストアで潤滑ジェルも購入しておいた。
✦つづく