表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/50

理想と現実


「なぁに、調子でないの?」


「どこがです? ぼくはいつもどおりですよ」


 水曜日にかぎり、バーの常連である沙由里(さゆり)は、石和(いさわ)目当ての客である。桃瀬(ももせ)とは真逆の見た目と性格の持ち主だが、気の強い女を飼い()らすのは、石和の嗜好でもあった。バーテンダーを副業とする理由は、こういった女性と一線を引くためでもある。うっかり深入りした場合、持ち出しばかり多くなる(必要経費として水に流すのならば、相手を選びたいのが本音だ)。


 今夜の石和は、アパートの部屋に残してきた桃瀬のようすが気がかりだった。意図(いと)して、彼女の肌に触れた結果、(おび)えさせた挙句(あげく)、泣かせてしまった。男として、汚名は返上(へんじょう)しなくてはならない。


 おもむろに身をのりだす沙由里は、メルディーのホロ入りマネキュアをぬった爪で、カウンター越しに石和の胸を突いた。


わたしの(、、、、)マイスターにそんな暗い顔をさせるなんて、よほどのことがあったのね。……どんな()なの。知りたいわ」


「……沙由里さん」


「ふふっ、動揺した? 図星ね」


 石和を困惑させて笑う沙由里は、カクテルグラスを口へもってゆき、(かす)かに目を細めた。



 そのころ、アパートの桃瀬は、信じられない状況に途惑(とまど)っていた。異性から「かわいい」などと云われた記憶は、いちどもない(幼少期のお世辞はべつの話)。自他ともに認める中の下といった容貌(かお)なのに、イケおじから「求愛」されてしまった。


「ぜったい、なにかのまちがえだ……。こんなこと、あるわけない……!」


 じかに触れられた胸が、いまさらのようにドキドキと高鳴った。驚きのあまり硬直してしまい、すっかりAカップの大きさを指でなぞられたが、石和の表情はおだやかで、とくに不満げな態度はしめさなかった。


「なんで、わたしなの……。あり得ないよ……。だって、あんなにステキなひとが、本気でわたしを好きになるなんて、ぜったいない……」


 もしかしたら、桃瀬が二十歳(はたち)の誕生日を迎えた事実を知り、成人女性と見做(みな)して、遊ばれているのかもしれない。


「……そうにきまってる。……きっと、そうに……」


 石和を軽蔑したくても、心がそれを(のぞ)まない。「こんばんは、理乃ちゃん」そういって、いますぐ、玄関のチャイムを鳴らしてほしい。あの日、石和を部屋に泊めたときから、桃瀬は恋する乙女(おとめ)と化していた。とはいえ、初恋の相手が歳上すぎて、気持ちの整理が追いつかない。ふたりで町を歩けば、パパ活とまちがわれそうな予感がした。



「これから、どうしたらいいの……」



 さいわい、石和とは生活習慣が少し異なっている。顔さえあわせなければ、階下の住人とはいえ、これまでどおりに過ごせばいい。交際をはじめるならば、じぶん磨きは必須である。長い指にやさしくもまれた胸が、心地よい鼓動に変わってゆく。「わたしなんかで……、だいじょうぶ……?」桃瀬にとって、石和との関係は、なにもかも初めての経験となるだろう。たとえ傷つく結果になっても、好きになった相手と心が通うかぎり、甘えたり、たよってみたいという欲が生まれた。


「石和さん……」


 雨のふる窓の外を見つめ、ゾクッと寒気がした桃瀬は、玄関の鍵を掛けて寝室のベッドにもぐりこんだ。


「わたしも、石和さんのことが……」


 好きだと伝えたい。桃瀬はゆるゆると微睡(まどろ)み、朝になって雨がやんでいたら、石和の部屋を(たず)ねようと思った。──しかし、雨はふりつづけていた。肌寒い朝につき、シャツブラウスにカーディガンをはおって出勤した。



✦つづく

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ