1-01 最凶魔王の弟子になりまして
――世界の半分をお前にやろう。
最凶と呼ばれた魔王ノブナガは、勇者ライトにそう言い放った。
終わりの見えない不毛な戦争に決着をつけるため、世界を二つに分ける巨大な壁を構築し、長い年月をかけて人々の恨みを薄れさせよう――というのが、魔王の提案だったのだ。
二人が力を合わせて儀式魔法を発動すると、世界は分割され、一時の平穏が訪れる。
時は流れて、魔王暦九九〇年。
魔王大陸に暮らす魔族の小学四年生サルマン・ベイローレルは、身体能力測定でとんでもない魔力量を叩き出し、年老いた魔王から城に呼び出された。
「十年後、壁の崩壊までに。お主には儂の指導の下で、魔王大陸最強になってもらいたい」
サルマンは魔王の弟子になる。
そして厳しい修行を重ねつつ、魔王大陸の各地を巡って仲間を集めることになった。やがて襲い来るであろう勇者の軍勢から、人々を守るために。
「サルマン・ベイローレル。貴方の魔力量は、小学四年生にしては……いえ、大人と比較しても異常なほど多いわ」
真昼の職員室にて。担任のアイリス先生は、何やら深刻そうにそう言った。どうしたんだろう。
身体能力測定は年に一度、魔王大陸にある全小学校で必ず行われている。そして僕は、この一年で魔力量の数値をぐんと伸ばしていたんだけど。
「数値が高いのは、僕が魔族だからでは?」
「いえ、他の魔族の子と比べても突出しているわ。そもそも、人族にだって魔力の多い子はいるもの」
「まぁ、それはそうですけど」
アイリス先生は人族のエルフ種。肌は褐色で耳が長く、魔力も多めだ。一方の僕は魔族の角魔種。肌は青みがかっていて、頭に小さな角が生えている。
種族性質の違いは色々とあるけど、先生によると魔力量については種族差より個人差の方が大きいらしい。へぇ。
「僕としては魔力が多い分には困りませんけど」
なにせ母さんは女手一つで僕を育てているから、将来は楽をさせてあげたいんだよね。良い仕事に就くために、これまで魔力鍛錬も勉強も頑張ってきたわけだし。なんて考えていると。
「実はね。貴方は魔王城に呼び出されているの」
「魔王城?」
「えぇ。魔王様ご本人からお声がかかって」
えー、魔王様って、あの魔王様?
この魔王大陸を約千年に渡り支配している、あの魔王様だよね。とりあえず行くしかないんだろうけど、一体何の用事だろう。
◆
――世界の半分をお前にやろう。
千年ほど前、魔王ノブナガ様は勇者ライトにそう提案した。
魔族も人族も、姿形が少し異なるだけなのに、過去の遺恨から相手勢力を許すことができないでいる。不毛な争いを決着させるには、世界を半分にするしかない……というのが、魔王様の主張だ。
「住むところを物理的に切り離し、勇者と魔王がそれぞれ民を率いる。先祖代々の恨みを忘れるくらい長い時間――千年ほどになるか。我らは別々に暮らすのだ」
「そんなことが可能なのか?」
「可能だ。我とお前が力を合わせればな」
魔王様は空間に惑星儀を浮かべながら、勇者に対して説明をする。
「二つの大陸を分割する長大な壁を構築する。そのための儀式魔法陣はもう開発した。ただ、これの起動には……女神と魔神の加護を捧げる必要がある」
「俺に加護を捨てろと?」
「あぁ、もちろん我も一緒にな。とはいえ、影響はせいぜい神と交信できなくなるくらいだろう。お前に付与された超身体能力や、我に付与された超魔力はそのまま残る」
実は魔王様と勇者は、共に異世界から召喚された存在なんだという。
二人はかつて幼馴染だった。しかし世界を渡る時にそれぞれ別の神から加護を授かり、強靭な肉体を得て、この世界で戦うことになったのだ。
「勇者よ。お前は嘘を見破る魔装具を所持していたはずだ。今も身につけているか?」
「……あぁ」
「それは好都合だ。これから魔法陣の機能を説明するが、お前は我の説明に嘘偽りがないか確認してくれ。人族と魔族の未来のため、協力してくれると嬉しい」
そうして、魔王様は空を飛び、勇者は海の上を駆けて。常人には目視できないほどの速度で、二人は荒海に浮かぶ孤島へと向かっていった。
儀式魔法陣は非常に複雑で、巨大なものだ。
魔王様はため息混じりに呟く。
「懐かしいな……前の世界でも、お前は昔から陽キャだった。いつもみんなの中心にいたな、来斗」
「はは。陰キャのお前と違ってな。信長」
「くくく。あの頃は、こんな会話にいちいち苛立っていたが。今は不思議と穏やかな気持ちなんだ」
魔王様はそうして、魔法陣の説明を始める。
「さて。ここではお前の管理する側を勇者大陸、我の管理する側を魔王大陸と呼び分けようか」
「ふむ」
「そして、この世界の生き物を二種類にふるい分ける。陽の性質が強い生き物は勇者大陸へ。陰の性質が強い生き物は魔王大陸へ。かなり複雑な魔法陣だが、この部分が判定術式になっていてな、自動で仕分けを行ってくれるわけだ。そして、転送の後すぐに壁を起動する」
次いで、壁を構築するための術式を説明し始める。
「便宜上、壁という言葉を使っているが、これは世界を分割する結界だ」
「世界を分割?」
「あぁ。物理的に近づこうとしても、無限の時間がかかる。地の底に潜っても、宇宙から回り込んでも、決して到達することができない。そんな結界だ」
そして、魔王様はまっすぐに勇者を見る。
「人族にも、戦争で利益を得ている者がいるだろう。兵器を開発したり、それを売ったりする……死の商人と呼ばれる者どもだ。奴らは戦争の継続を願い、種族の対立を煽る。そして残念なことに、政治的な発言力も強い」
「……そうだな」
「魔族にも同様の者がおる。だからこそ、この件は我々が独断で進めねばならないのだ……頼む。我はこの戦争を止めたい。今ここで決断してくれ、来斗」
すると勇者は、しばらく黙り込む。
二人は立場が違う。互いに奪った命も数え切れないし、恨みも深いだろう。それでも……勇者は決意の篭った目で、魔王様を見返した。
「壁が解除されるのは……千年後か」
「あぁ。その頃には、人族も魔族も何世代もかけて全員入れ替わっているだろう」
「……良いだろう。お前の提案に乗ってやる」
そうして、魔王様と勇者は、協力して儀式魔法を起動することになった。
魔王様は魔神の加護を捧げ、勇者は女神の加護を捧げる。そしてその膨大なエネルギーが、この惑星の生き物を二つの大陸に振り分ける。魔王様の構築した魔法陣に隙はなく、こうして世界は壁で切り離されたわけだ。
◆
「――と、映像で見てもらった通りでな。儂は千年前、勇者ライトを上手いこと出し抜いて、世界を分割することに成功したんじゃよ」
「はい。魔王様の偉業は小学校でも習いました」
僕は魔王様の前に跪き、頭を垂れる。
魔王様の作りあげた生物転送の術式は、全ての生き物を陽と陰の性質で仕分ける……つまり、オスとメスを仕分けるものだった。魔族、人族、動植物、魔物。そういった全てが仕分け対象となる。それはつまり。
――オスは勇者大陸へ、メスは魔王大陸へ。
とはいえ、雌雄同体の植物などは転送対象外となったし、胎児は母体と一緒に移動することになるけど。そういった例外を除けば、この世界の全てのメスは魔王大陸の住人になったわけだ。勇者大陸の方は悲惨だっただろうね。
「魔王様は僕ら全ての父です」
「うむ。分身魔法と変身魔法を駆使して、かなり頑張ったからのう……儂も若かった。魔族と人族の女性だけでも一億以上おったし、動物や魔物は数え切れぬ。哺乳動物はまだ良かったが、魚や昆虫のことはあまり思い出したくないのう」
来るもの拒まず、去るもの追わず。
魔王様は嫌がる女性に無理やりに子を産ませることはなかったが、それでもかなり多くの女性と関係を持ち、膨大な数の子孫を作った。そして、その子たちが健全に育つよう色々と考えて、社会の仕組みをしっかりと作り上げてくれたのだ。なんでも、召喚前の世界を参考にしたらしいんだよね。
それから約千年が過ぎた今、魔王大陸の人口は二十億にまで膨れ上がっている。たしか男性が五億に対して、女性が十五億だったかな。このあたりは、魔王様が理想とする割合になるよう遺伝子を弄ったらしい。
魔王様の差配のおかげで、今は人族も魔族も垣根なく仲良く暮らしている。かつての戦争など御伽噺くらいの感覚だ。みんな魔王様には本当に感謝しているんだよ。
「あの……魔王様。それで、僕を呼び出した用件とは何なのでしょうか?」
そう問いかければ、魔王様はニコリと微笑む。
「うむ。現在は魔王暦九九〇年。つまりあと十年ほどで、勇者大陸との間を隔てている壁が崩壊する」
「はい。でも、あちら側には誰も生き残ってませんよね。メスがいなくなって千年……勇者大陸の生き物は死に絶えているのでは」
「儂もそう思っておったのじゃがな」
魔王様は腕を振って、空間に映像を投影する。
「実は少し前に、結界の一部に綻びが生じてのう。儂の魔力で修復も終わっておるが……せっかくの機会じゃから、あちら側の様子を伺うために撮影ドローンを送り込んだのじゃ」
「これは……」
映像の勇者大陸では、カエルが繁殖していた。魔王様によると、あれは環境条件でメス化する種類らしい。
そして、そのカエルを焼いて食っている軍勢が。
「これは皆、勇者の分裂体じゃよ……奴は切り刻んでも再生する特異な身体を持っておるからのう」
分裂勇者は、声を揃えて『女、女、もうすぐ女』と荒々しく歌い、丸太を振って鍛錬をしていた。壁が崩壊したら、こいつらが魔王大陸になだれ込んでくるのか。うへぇ。
「じゃが、儂は千年前と比べてずいぶんと衰えてしまった。勇者には到底太刀打ちできん」
「そんな……」
「そこでじゃ、サルマン。十年後、壁の崩壊までに。お主には儂の指導の下で、魔王大陸最強になってもらいたい。そして勇者の襲撃を弾き返す英雄になるのじゃ」
魔王様はパチリと指を鳴らす。
すると背後から、魔族の女の子が一人現れた。コウモリのような羽を持つ、羽魔種の子だ。無表情ながら、ものすごく美人だけど。
「ほれ。美人の嫁も用意してやったぞ」
「こんにちは。美人の嫁です」
「えぇぇ……これ、もしかして断れないやつ?」
女の子はペコリと頭を下げ、魔王様は高笑いする。
そんな風にして、僕の人生はこの日から大きく変わっていくことになった。どうしてこうなったんだろう。