1-18 キャンディー・キャンディー
好きな人と目が合うだけで、心は有頂天。
ときには悲しかったり、寂しかったり、胸がしめつけられたり。
そんな切なさも恋にはあったりする。
けど私は甘くて切ない恋より、キャンディーのような『甘くて甘い』恋がしたい。
私、天音 小春は晴れて聖女学院に入学できた。当初から憧れていた純白の制服に桜色のスカーフをつけて、最初の一歩を踏み出す。
いや、正確には三度目である。
三度目?
どういうことだろうか。三度目の一歩ということだろうか。何ともおかしな表現である。
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ここ聖女学院は今年から共学となり、近々学校名も変わるそうだ。初めての男子生徒は入学者の一割にも満たない程度。その数少ない男子生徒のひとりに、私は恋をした。
竜宮院 風磨の髪は綺麗に染まった銀色。風が吹くと煌びやかになびき、すらっとした身長と小さな整った顔を見て、モデルをしているに違いないと思った。案の定、風磨は人気雑誌の読者モデルと俳優業をしていた。
そんな風磨に思いを寄せる私であったが、クラスが同じになることもなく、体育祭や文化祭といったイベントを通して距離が近づくわけでもなければ、話しかけることもなく三年になる四月を迎えた。
「やった!今年も一組だね、小春」
友達の藍空 香恋は私の肩を掴みながらぴょんぴょん跳ねている。
「またよろしくね、香恋」
聖女学院では特進科と普通科で分かれており、特進科は一組と二組が設けられ、その中でも一組に成績優秀者が集まっている。
私は横で跳ねている香恋に笑みを向けながら横目で風磨の名前を確認した。
(…あっ!)
心の中で歓喜する。初めて風磨と同じクラスになれたことを。とはいえ、いきなり仲良くなることもなければ、会話もほぼない。理由は至極簡単。席が五十音だから。悲しくも私と風磨の席は対角線上に位置している。
「それではディスカッションに移ります。前後左右で四人グループを作ってください」
気兼ねなく会話ができる機会のディスカッション。英語の授業は先生が時事ネタを用意し、それに対して英語で意見を言う場が多く設けられている。そんな絶好のチャンスでも、対角線上の恋には無意味なのであった。
私は後ろを向き、クラスメイトと時事ネタについて意見を述べているときでも、自然と目線は風磨に行ってしまう。
「What do you think,Amane?(天音はどう?)」
私の心ここにあらず。慌てながら置かれている資料を確認した。
「Well…I have yet to eat a loach.(えっと…まだドジョウを食べたことがないわ)」
納得したようにクラスメイトが頷くと、またディスカッションは進んでいく。そして私は再び風磨を見つめていた。
(……えっ?)
風磨と目が合った瞬間、私は思わず目を反らしてしまった。たしかに私を見ていた。それを確認するようにもう一度風磨の方に目線を向けると、メンバーと楽しそうに会話をしている風磨。
クラスで一番可愛いと言われている夕凪 莉帆が風磨の肩に触れながら嬉しそうにしているのを見て、私は胸の奥が何だか痛く感じた。風磨も笑っていたが、どこかぎこちなく見える。けど、それは私の感情が複雑だったからかもしれない。
「Um…Amane? What is it?(天音?大丈夫?)」
「Oh…Sorry. I'd like to try Yanagawa nabe too.(あ…ごめん。私も柳川鍋を食べたい)」
そんな感じの日常だ。席替えもなければ奥手の私が周りの目を気にしないで風磨に話し掛けることもできなく、イベントも席の近いメンバー同士で楽しむだけ。
「風磨くんと莉帆ちゃんって付き合ってるのかな?」
お昼休みに香恋は唐突に言った。
自然と席が近いという理由で、私たちは机をくっつけながらお昼ご飯を食べている。いわゆる、イツメンとやつ。
飯倉 文美と井ノ元 恵里衣も同調し、頷きながら言う。
「だよね!私も思った!」
「距離近いよねー!」
このときの私はその会話に入ることができなかった。ただ下手な作り笑いを浮かべながら聞くだけ。胸はずきずきと痛みながら。
結局同じクラスになれたからといって、何かが変わることはなかった。遠くから風磨と莉帆の楽しそうな風景を見るという、ただ切ない思いをしただけ。
この高校三年間で私の恋は実るわけもなく、風磨とはたまに目が合う程度といった結末で卒業を迎えた。
みんなで校歌を唄い、卒業証書が授与されたら、最後に校長からの式辞が行われる。
(あっ…本当に終わっちゃうんだ…高校生活)
私は自然と風磨を見てしまった。もう会えないと思った瞬間、涙がこぼれそうになる。私はそれを必死で我慢しようとしたが、風磨と目線が会った途端に泣いてしまった。
「だ、大丈夫?」
香恋はそっとハンカチを差し出してくれた。
「ありがとう…」
我慢しようとすればするほど涙は溢れてしまう。
卒業式を終え、最後に友達と記念写真を撮る。そしてこの門から出てしまえば、高校生活も終わってしまう。
私は門の前で立ち止まると、校舎の方を振り返った。最後に写真だけでも撮りたい。そう思った矢先、風磨がこちらに向かって歩いてきた。
(ど、どうしよう…言おう…言え…私!……)
時間は待ってくれない。けど、私は最後の最後まで臆病であった。風磨は去って行き、私は自分自身の不甲斐なさに落胆していた。
(これで本当に……)
高校最後の一歩。私が門を出た途端、風磨は振り返り、私の方を見ていた。
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(……えっ?)
私は状況が呑み込めなかった。一体何が起きたのか。後ろにあったはずの校舎が私の前にある。正面に見える卒業生たちも、なぜか校舎へと向かっていく。
(さっきまで卒業式だったはず…門を出て…そうだ…!)
私は振り返り、風磨を探したがどこにもいない。そして門の横に立て掛けられている看板に目が止まる。
『令和六年度 聖女学院 入学式』
私の思考は一瞬だけ止まり、また動き出したものの追い付こうとはしない。なぜ三年前の看板が掲示されているのか。思わず後ろにバランスを崩すと、誰かにぶつかってしまった。
「きゃっ…!」
「ご、ごめんなさい…」
振り返るとそこには香恋が。ただいつもと雰囲気が違う。化粧を変えたのか。
「ねぇ、香恋。みんなが校舎に入っていくんだけど…?」
「…えっ?えっと…入学式ですよ?…その、あなたも早く急いだほうがいいですよ」
態度も違った。壁のようなものを感じながらも、私は香恋に言われた通り、校舎へと向かう。入学式と言っていたが、どういうことなのだろうか。
新入生のクラス分けが貼られている掲示板。そこにはたしかに私の名前もある。私は持っていたスマートフォンのカレンダーを開き、今日の日付を確認した。
『2024年4月9日』
またしても思考が一瞬止まってしまう。
(…えっ?えっ?どういうこと?)
ベタに頬っぺたをつねったところで痛みは感じる。つまり時間が戻ったということ。私、天音 小春は二度目の入学式を迎えたのであった。
とりあえずこれは夢ではなく、紛れもない現実であると三日程度悩んだ末に受け入れることにした。私は二度目の高校生活をどう過ごすべきか…どうすれば風磨と距離が近くなるのかと。
風磨は帰宅部のため、部活動で接近するのは無理な話。クラスも一年目は別々。
(確か二年生は…)
私が一組で、普通科の風磨は四組である。そもそも風磨が特進科に移ったのは三年目のこと。
(何で急に勉強ができるようになったんだろう…?)
風磨が俳優業とモデル業の活動を一旦休むといった噂を、二年の冬ごろに聞いた記憶がある。その間に必死に勉強したのかも。
私は頭を振り、考えが逸れていることに気づいた。
(やっぱり、三学期のクラスが同じになってから話しかけるしかないのかな…)
時間が戻ったとはいえ、奥手な私に変わりはない。ただ変えるところは変えていく。このまま同じように二年間を過ごすのではなく、さっそく買ってきた雑誌を読み漁った。
三年生のクラス分けが掲示板に貼られる。それを見ながら、香恋は私の肩を掴みながらぴょんぴょん跳ねていた。
「やった!今年も一組だね、小春」
「だねっ!」
一度目と同じように風磨も同じ一組であることを確認すると、私は安堵した。二度目とはいっても、前回と違っていたことが多々あったから。
「あの人が小春さん?顔小っさ」
「莉帆派?小春派?」
私のことを見て、男子生徒がそんな会話をしていた。一度目では地味だった私が、二度目では美意識を追求し、今では莉帆と並ぶぐらいの美人扱い。自信は付いた。あとは行動だ。
それでも机の距離は対角線上。けどチャンスはあった。それは文化祭だ。私たちの出し物はベタにおばけ屋敷。一度目では風磨がチラシ配りを担当していた。
これは立候補制であるが、特に希望のない人はくじによって決定する。
「じゃあセット係、おばけ役、チラシ配りでやりたい人」
担任が生徒たちに各々がやりたい役割を確認する。人気なのはセット係。これは準備をするだけで当日は自由行動のため。次におばけ役。最も人気がないのはつまらないチラシ配り。だけど…
「私はチラシを配ります」
あとは風磨がくじでチラシ配りになるだけ。そう思った矢先。
「私たちも!」
なぜか手を挙げるイツメンたち。そして…
「俺もいいっすよ。チラシで」
一度目ではおばけ役だった赤司 蓮。
(…えっ?)
そしてこれが、大きな分岐点になるとは…このときはまだ、思いもしなかった。