1-12 桜が舞う日
中学生の佐伯美琴は、双子の姉、父親、居候の春樹や雪乃と共に穏やかな日々を過ごしていた。
ある日、美琴は父親の運営する研究所に忘れ物を届けに行く。そこで美琴は、フリースクールに通う男子生徒の刺殺遺体を発見した。
そして、警察も懸命に事件の捜査をする中、第二の事件が起こる。
研究所に併設されているフリースクールの実態。春樹や雪乃の能力。美琴の姉である真琴の秘密。事件を通して、様々な事実が明らかになる。
目覚まし時計の音が聞こえる。私、佐伯美琴は、ベッドに仰向けになったまま手探りで目覚まし時計を止めると、ゆっくりと目を開けた。目の前には、私の顔を覗き込む少女の顔。その顔は、私と全く同じものだった。
「うおっ」
「おはよう、美琴」
「びっくりした……。人の顔を覗き込まないでよ、真琴ちゃん」
「スヌーズ機能が働くまで起きない方が悪いのよ。ご飯できたって。早く降りて来な」
そう言って、双子の姉である真琴ちゃんは部屋を出て行った。真琴ちゃんは既に制服に着替えている。どうやら、私よりずっと前に起きて、身支度を済ませていたようだ。同じ部屋で寝ているのに、全然気付かなかった。私は学校に行く準備をして一階に降りていった。
「おはよう、美琴」
リビング兼ダイニングで最初に声をかけたのはお父さんの葉一さん。眼鏡の奥からいつもと同じ優しい目が覗いている。
「おはよう、お父さん」
私は、ご飯をよそって朝食を食べ始めた。真琴ちゃんはお味噌汁を飲んでいて、その側にいる佐伯春樹君と広田雪乃ちゃんはもう朝食を終えるところだ。
春樹君と雪乃ちゃんは正確に言えば家族ではないが、すっかりこの家になじんでいる。
「ごちそうさま」
真琴ちゃんが椅子から立ち上がった。私も慌てて立ち上がる。
「いってきます」
「いってきます」
私と真琴ちゃんの声が見事に重なった。
「いってらっしゃい、美琴、真琴」
お父さんの声を背にリビングを出ようとして、私は近くの棚にある写真立てを見た。中には、仲のよさそうな一組の男女の写真。
「…いってきます、パパ、ママ」
お父さんが、春樹君と雪乃ちゃんに声を掛ける。
「私達も、行きましょうか」
声を掛けられた二人が立ち上がった。
私と真琴ちゃんは、それぞれ自転車に乗って通学路を走っていた。私達は、近くの中学校に通っている。
「ねえ、美琴」
「何?」
「春樹に告白しないの?」
私は思わず咳き込んだ。薄々気付いていたけれど、やっぱり真琴ちゃんは私の恋心に気付いていたのだ。
「……春樹君の事情が事情でしょ? 告白したとしても、春樹君、返事に困る気がする」
「……そっか……」
春樹君は現在十四歳だが、三年前、ある公園で倒れていたのが発見された。その日は、桜の花びらがひらひらと舞っていて、倒れている春樹君の姿は美しさを感じさせたらしい。
外傷はほとんど無かったが、春樹君は記憶を失っていた。佐伯春樹と名乗りフリースクールに通っているが、未だに春樹君の身元はわからない。
◆◆ ◆
翌日、私はお父さんが所長を務める佐伯研究所に来ていた。佐伯研究所はお父さんの父親が立ち上げた民間の研究所で、かなりの敷地面積を有している。
主に生物学の研究をしている佐伯研究所だが、フリースクールも併設していて、十四歳の春樹君も、十一歳の雪乃ちゃんもそのフリースクールに通っている。
私は研究所の入り口の自動ドアを通り、受付に行く。
「こんにちは。……美琴さん……よね?」
「はい、そうです。こんにちは、小宮さん」
私は何度も研究所に来た事があるので、受付の小宮紗江子さんとは、すっかり顔なじみだ。
「今日はどうしたの?」
「父に忘れ物を届けに来ました」
「そう。所長ならもうすぐ所長室に戻るはずよ。どうぞ入って」
「ありがとうございます」
私は、受付表に自分の名前を書き、受付を後にした。時計を見ると、十時半。
今日は土曜日なので私は休みだけれど、研究所では、今日も研究員達が働いている。
所長室に向かい、私は人通りの少ない廊下を歩いた。所長室は一階の一番奥にある。
何気なく廊下の窓から庭を見ると、遠くのベンチに人が座っているのが目に入った。こんなところで何をしてるんだろうと思った直後、私は目を見開いた。
座っている人は白いパーカーを着ていたが、胸の辺りが赤く染まっているように見えるのだ。
まさかと思い、非常口を飛び出してベンチに向かう。ベンチに座っていたのは、まだ十代に見える男の人。中性的で綺麗な顔をしているが、目は瞑ったまま。胸に広がっているのは、やはり血にように思える。手首を触って、私は呟いた。
「……死んでる……」
受付で通報してもらってから何分経っただろう。私は、駆け付けた警官に事情を聞かれていた。
会議室にいるので周りの様子はよくわからないけれど、事情を聞かれている間にも続々と警察関係者が到着しているようで、たくさんの物音が聞こえる。
「失礼します」
声がして顔をドアに向けると、刑事さんらしき人が会議室のドアを開けて入ってきた。三十代くらいの男性だ。
「警視庁捜査一課の牧野です」
私に見せた身分証からは、確かに「牧野大輔」の文字が読み取れた。
「君が第一発見者?」
「はい」
「さっきも警官に事情を聞かれたかもしれないけど、もう一度聞いていいかな。君の名前は?」
「佐伯美琴です」
「……佐伯美琴……?」
刑事さんのメモを取る手が止まった。
「もしかして、君は……」
「私の娘です」
声がした方を見ると、お父さんが会議室の中に入ってきていた。
「お父さん!」
私は思わずお父さんの方に駆け寄って行った。
「美琴、大丈夫ですか」
「……うん」
「佐伯博士の娘さんでしたか……」
刑事さんが呟いた。お父さんと刑事さんは知り合いのようだ。
亡くなっていたのは、フリースクールに通う柴田逸樹さん。年齢は十八歳。亡くなってから私が発見するまで四時間も経っていないだろうとの事だった。
フリースクールは今日休みのはずだが、何故逸樹さんが研究所にいたのかわかっていない。
「お二人共、ありがとうございました」
刑事さんが事情聴取を終えた。
「美琴。こんな事があったばかりですし、家まで送ります。先に私の車に乗っていて下さい」
「……わかった。お父さん、無理しないでね」
私は、そう言って会議室を出ていった。
美琴が部屋を出て、会議室には葉一と大輔だけになった。
「……もっと別の形で再会したかったですね」
「ええ。……十年ぶりですか」
「あの時の事は、今でも覚えています。力になれず、申し訳なく思っていました」
「牧野さんが謝る事はないですよ」
「そう言って頂けると」
大輔は静かに笑みを浮かべた。
「相模夫妻には、確か二人のお子さんがいましたよね。あの美琴という子は……」
「ええ。あの二人の娘です。二人が亡くなった後、姉の真琴と一緒に私が引き取りました」
「そうでしたか……。今回の事件、逸樹君の能力と関係あるんでしょうか」
「さあ……わかりません。ただ……これ以上犠牲者は出て欲しくないですね」
「同感です」
◆ ◆ ◆
葉一は会議室を後にした。車のキーを所長室に置いてきた事を思い出し、所長室に戻る。車のキーが入った財布をジャケットのポケットに入れた時、ふいに声を掛けられた。
「大変な事になってるみたいね」
葉一は、目を瞠った
「……真琴。どうしてここに?」
「美琴が研究所に行ったきりなかなか戻って来ないから、私も来てみたのよ。そしたら何? 研究所の中が大騒ぎじゃない。殺人事件があったんだって?」
「ええ。……第一発見者は美琴です」
「はあ? 噓でしょ」
「本当です。気丈に振舞っていましたよ。今は、車で待機しています」
「そう……」
ふと、真琴の顔が曇った。
「研究所の人が噂してるのを聞いたんだけどさ……亡くなったのがSCの生徒だっていうのは、本当なの?」
「……ええ」
「面倒な事になる予感しかしないわね」
「……そう言えば、君は知っているんでしたね。SCの事を……」
SCとは、フリースクールに通う子供達の中でも、優秀な子供達が所属する「スペシャルクラス」の事だ。SCに所属する子供達は、研究所で研究の手伝いをして過ごす。
しかし、それは表向きの姿。SCの実態は、ごく少数の人間しか知らない。
真琴達の両親である相模翔と相模琴子も、十八歳までSCに所属していた。二人はSC卒業後大学の医学部に進み、医師になった後は結婚し二人の子供が生まれた。しかし、幸せな時間は長く続かなかった。
今から十年前、翔と琴子の遺体が発見された。発見されたのは、人気のない廃工場の中で、死因は火災による一酸化中毒と思われる。現場の様子から、放火の可能性が大きいと考えられた。
しかし、そこから捜査が進まなかった。実は、廃工場の中で、相模夫妻と一緒にもう一人女性の遺体が発見されている。相模夫妻と同じくらいの年齢のようだが、女性の身元はわからず、火をつけたのがその女性なのかどうか、相模夫妻と関係があったのかどうかもわからなかった。
事件が解決しないまま、捜査は打ち切りになった。相模夫妻と大学生の頃から同級生で親友だった葉一は、美琴と真琴を引き取った。
「……真琴も美琴と一緒に家まで送りますよ。行きましょう」
「……うん」
真琴は、頷いてショルダーバッグを肩にかけ直した。