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1-10 光なる皇帝の愛した娘

 ――力が欲しい、彼女を守るために。

 黄金の血を引く皇帝は、ただ一人の少女が大切だった。


 光の皇太子であったオリウァは幼い頃に命を狙われ、逃れた先の村で平民として生きていた。ところがあるとき宮廷の使者が迎えに来る。「皇帝が病に斃れたため、新たな皇帝となってほしい」と。

 帝位も国もどうでもよかったが、愛する少女の暮らしを守るためだけに、オリウァは皇帝となることを決める。


 少女を妃として伴ったオリウァは、統治者としての力をつけ、反対勢力を権威で抑えつけていく。

 しかし、その姿に疑問を抱いた妃との間には、いつしか溝が生まれていて――

「あなたが望んだ力というのは、本当にこれなの?」


 宮中の謀略、諸外国の思惑、帝国を抱く大精霊の本質……

 若き光の皇帝と、その皇帝に愛された少女の、愛と葛藤の物語。


☆“リウィ”と“アンゼ”は愛称です(リウィ=オリウァ、アンゼ=アンゼリカ)。



 地平線に光が満ちてゆく。

 のぼりはじめた太陽を背負う地表は黒く、空は紺藍。その境界をしらせる光の帯が徐々に幅をひろげ、暗い地表を黄金に変える。空を明るい青に染める。


 続く耕作地と向こうに連なる木々が輝いて見えるのは、朝日のせいだけではない。光の大精霊より加護を受けたこの国では、植物は皆微かに発光しているのだ。


「そんなに綺麗なものじゃないって、リウィは言うけど」


 農村の一隅に立つ少女は、明けの景色に目をやったまま片手を隣へと伸ばした。

 上半身を起こして行儀よく座っていた黒い獣が、頭をひょい、ともたげて彼女の手のひらを受けとめる。撫でられて瞳を細める姿は一見猫のようであるが、その(からだ)は牧畜犬ほどに大きい。


「私は綺麗だと思うけどな。どうしてって聞かれても、理由はないの」

「――アンゼ」


 聞き慣れた声に、少女は振り返る。

 灰がかった麻布の衣服を着た青年が、ゆっくり歩いてくる。彼の色素の薄い金髪は、草木と同様に光を纏って見えた。


「リウィ、今日は早起きね」

「なんだか目が覚めてしまった」

「農作業まではまだ少し時間があるでしょう。たまには一緒に朝日を見ない?」

「ああ、そうだな……」



   ☆



 若き皇帝は思索に耽っていた。昼間に到着したばかりの宮殿、寝所にて。寝台に入り片膝を立てて座った体勢で、彼は何を見るともなしに瞳をすがめる。こまごまと世話を焼こうとしてくる臣や使用人たちが鬱陶しく、やっと追い払って一息ついたところだった。


 整頓された室内には豪奢な調度品が並ぶ。笠木や肘掛けに精巧な彫刻がなされた椅子、額縁に飾られた絵画や置物としての磁器、絨毯には富の象徴とされる異国の織物。皇帝を迎えるに相応しい支度である。


「……とはいえ、歓迎はされていないだろうな。当然か」


“皇帝”といっても正式な戴冠式はこれからだ。そればかりか、つい先日まで彼は一介の農民として生きていた。



 運命が動いたのはひと月前。朝が苦手である彼が、めずらしく早くに目を覚ました日のこと。


『光の加護が消えかけています。オリウァ殿下、いえ、皇帝陛下。どうかわたくしどもとおいでください』


 忍びの旅ゆえ質素な衣装で現れた一行は、しかし田舎の農村にあってはその異質さを隠しきれていなかった。

 装飾のない地味な外観でありながら、一目で上等な作りだとわかる馬車。降りてきた使者の男はやけに背筋が伸びていて、手入れの行き届いた肌や髪は、この人物がふだん庶民的な労働とは無縁であることを示していた。


 一行の目的こそが、彼――村で暮らしていた一人の青年、オリウァだった。使者の男は挨拶もそこそこに本題を切り出した。


『黄金の血を引くお方が王として立たれなければ、我が国の光の加護は消えてしまいます。さらに、これを諸国に悟られればとても危険です。早急に王宮へお越しください』

『……よく、簡単にそんなことが言えたものだな』


 オリウァの実父はこの国の王であり、かつ諸国を束ねる帝国の皇帝だ。否、()()()。かの人が没したがために、血を引くオリウァが必要になったという。

 しかし、当のオリウァからすれば勝手この上ない話だ。彼が皇太子の立場を捨て王宮を去ったのは、もう十年前になる。しかもこの出奔は彼自身が望んでのことではなく、王家の権力闘争より命からがら逃れてのことだったのだから。


 身勝手きわまりない要請には、怒りすら湧かない。検討してやる余地もない。


『俺にとってはこの国など――』


 どうなろうと知ったことではない、そう一蹴しようとした彼は、けれども続く言葉を呑み込んだ。

 もしも国が滅び、その被害が末端の民にまで及ぶことになったら。光の加護を失った土地が、不毛な地へと変貌してしまったら。


 国なんてどうでもいい。己の身とて、いつどうなろうと構わない。だが――



 小さく三回、寝所の扉が叩かれる。木の葉が戸を掠めたかのように遠慮がちな音だったが、オリウァの思考は中断された。入室許可を出しながら、彼は咄嗟に神経を尖らせる。


 が、この警戒はすぐに解かれた。開いた扉から現れたのは、彼がよく見知った顔だったから。


「失礼いたします、リ……オリウァ様」

「アンゼ、随分と他人行儀だな」

「だって……。リウィはもう、王様なんでしょう?」

「それを言うならアンゼは妃だ」

「きさき……」


 もじもじとして扉の前から動かない少女を、オリウァは手招きで呼び寄せた。

 彼女は裾の長い寝衣を捌くのにいくらか苦労しながら、オリウァの手を借りて寝台へと上がる。すとんと腰を下ろした瞬間、その髪からは香油の甘さがふわりと漂った。


 差し出された手を取るのも、並んで寝台に入るのにも躊躇ない様子であったが。少女は俯いて、どこか居心地がよくなさそうに見える。


「俺の妃になるのは嫌だったか?」

「そうじゃなくて……、だって私、お妃様なんてどうすればいいのかわからないよ」

「今までと何も変わらない。俺と一緒にいてくれればいい」

「本当に? 何も変わらない?」

「ああ、変わらない。何も」



 王都に行くから一緒に来てほしいと言うオリウァに、二つ返事でついてきてくれた幼馴染み、アンゼリカ。ただ、それが「妃」としてだとは考えてもみなかったようで。「下働きとか、王宮で何かお仕事をもらえるのかと思ってた」と、目を丸くされたのはつい数時間前の話。

 村ではいつでも隣にいたが、言わば兄妹のように過ごしていた。けれどもオリウァにとって、伴侶を選ぶなら彼女以外にはあり得なかった。親愛か情愛かの区別など要らぬほどに、ただ彼女が大切だった。


 一方のアンゼリカが、男女の機微についてどの程度理解しているかはあやしい。それでも、生まれ育った村を離れ、驚きつつも妃の立場を受け入れてくれるくらいには。かけがえのない存在として慕われている実感が、オリウァにはある。

 十年前、王宮を追われて村に流れ着いたオリウァと、実親に疎まれながら生活していたアンゼリカ。二人が互いを必要とし合うのは必然だった。



「……なんだか、頭が重そうだな」

「侍女の人たちが用意してくれたの。崩れないようにしなくちゃって、ここまで歩いてくるのも緊張して。それに、着替えもお風呂も私なんかより綺麗な人たちにお世話されるから、そわそわしちゃった」


 アンゼリカの頭には、草花を編んで作った冠がのっていた。何種類もの生花を贅沢にあしらった大ぶりのものだ。

 冠の下の黒髪は丁寧にとかれ、ビロードのガウンを纏った肩先へ滑らかに流れている。就寝前だというのに唇には淡く紅が差してある。皇帝と寝所を共にする妃のため、侍女たちが念入りに飾り立てたのだろう。


「寝所でも着飾ってくれるのが俺のためだというのなら嬉しい。だがそれよりも、アンゼには気を楽に寛いでいてほしい」


 オリウァは妃の冠をそっと外し、寝台脇の小棚に置いた。そして再び彼女に向き直ると、何を取り繕うこともない、ありのまま素直な愛情を視線に込める。


「それから――アンゼがいちばん綺麗だ」


 夜色(よるいろ)の両瞳を大きく見張ったあと、それらをはにかむように伏す彼女を眺めながら。少しは伝わっただろうか、とオリウァは思う。

 子供時代を共有した相手に対し、家族へ抱くような愛情もある。だがそれ以上に。唯一の存在として、自分がどれだけ彼女を想っているか。


 混じり気のない本音。この世界で美しいと思うものは、彼女以外にない。



 だがアンゼリカに言わせれば、「リウィのほうが綺麗」らしい。農村では珍しいオリウァの金髪は、光そのものみたい、と彼女によく褒められた。


 金の中でも明度が高く、陽に透けて見える淡金色――村へやって来た使者によれば、これは「黄金の血」を引くことの表れだという。

 太古の昔、この地の王は痩せた土地を救うため、光の大精霊と誓約を交わした。精霊の加護は大地を通じて植物に力を与え、人々には豊穣が約束された。以来、代々の王たちは精霊の力を借りて国の安寧を保っている。


 なお、大精霊と誓約できる者は限られている。初代王の血を引く者、それも誰でもいいというわけではなく、精霊と対話する才を得た者。曰く、「黄金の血」。オリウァの父親(先代皇帝)が没した今、この才を持つのはオリウァだけ、と。


 ――今さらそんなことを言われても、あずかり知るところではない。権力闘争のすえ一度は亡き者にしようとした自分(皇太子)を、宮廷の面々が揃って歓迎しているとは思えない。


 オリウァは気づいていた。先ほど小棚へとよけたアンゼリカの花冠に、毒花が紛れ込んでいたことに。

 毒とはいえ致命的なものではなく、茎や葉の切断面に触れると肌がかぶれるくらいで、その部分に直接触れなければ害はない。しかし新たな皇帝と妃に対してさり気なく悪意を示すのには、十分だろう。


 皇帝として立つと決めたのは、国のためではない。自分自身のためでもない。ただ、彼女が無事に暮らせる世界を守りたかっただけだ。

 一度は平民に堕ちた新参の皇帝を疎む者がいるなら、力で捻じ伏せるまで。目下の急務は、宮廷内外の情勢を探り、君主としての立場を固めること。


 何も変わらない、変えやしない。力をつけなければ――彼女を守るために。



 胸の内に燃え上がらせた念は、すべてを灼き尽くす勢いで。だが、裏腹に。若き皇帝はその端正な顔の上に、ごく穏やかな微笑みをたたえる。

 彼は妃の身体を抱き寄せると、漆黒の髪へ唇を寄せ、溢れるほどの慈しみをもって自らの腕の中に閉じ込めた。ただずっと、次の朝日が満ちるまで。


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