ウィルバートとリディアナの別名
「私がアイルバーン王国の王女であるリディアナ様の護衛騎士兼、近衛騎士団の団長である『ルーカス・ファ・ジョグジュール』です。この度は、姫様の為のお迎え非常に感謝します。」
私の目の前で喋るこの男は、アイルバーン王国の騎士団長らしい。言葉は柔らかいのに、その目付きは鋭く、全身から殺気が漏れていた。
(殺気で人を殺せそうな程、凄まじい殺気だ。)
アイルバーン王国からしたら、我が国からの婚約を断る訳にもいかないだろう。きっと、姫様を無理矢理奪われたとでも思っているのかもしれない。こう、怒るのも無理はないな。
それから、軽く引き継ぎを終えると「では、リディアナ様の元へ案内致します」という男の言葉に従って歩を進めた。
確かに、騎士団長というだけあって、私の行動にいち早く動けるよう気を張っているようだった。それはこの男に限らず、アイルバーン王国の騎士全員が神経を研ぎ澄ませ、私達グランバルト帝国の動きを見ていた。
周りの部下達の様子を見ながら歩いて行けば、一際豪華な三台の馬車が見えてきた。姫様が乗っているのは、三台あるうちの真ん中にある馬車なようで、まあ真ん中の馬車に乗っているんだろうな。とは想像していたが、やはりそうだった。他の馬車には荷物やら食物やらが色々乗っているのだろう。俺の部下達がせっせと荷物を我が国の馬車へ運んでいるのが見えた。
そして、相手の団長は、私に一言告げると馬車の中へ入って行った。
馬車の中では、姫様と親しい間柄なのか時折、笑い声が聞こえるのを聞きながら、二人の最後のやりとりを聞いていた。「ありがとう」と感謝を言葉にしている二人の会話もなんだか馬鹿らしく聞こえてしまった。
一体、どんな女性なのだろうか。『リディアナ・フォ・アイルバーン』と言えば、アイルバーン王国の王女ながら、あまり社交界に出る事は少なく、グランバルト帝国で顔を知る者は居なかったのだ。
それは、意図して知られずに居たのか分からなかったが、噂によると女神の様な容姿で、誰もが羨む美姫だそうだ。だが、そんな容姿は俺にとってはどうでもよかった事だし、騎士団長として俺はもう一つの別名にこそとても興味があった。
暫くして向こうの騎士団長から手を取られ、馬車から出てきた彼女には思わず目を奪われてしまった。
太陽の光に照らされた髪は、まるで透き通るような綺麗な銀髪で、私を見る瞳は濃いピンクと薄い紫が混じった様な綺麗な紫色をしていた。
肌は真っ白なのだが、少しだけ色づいた頬がピンク色でそれが彼女の可愛らしさを引き出していたし、小さい鼻は形も良く、その下にある唇はイチゴのように赤くみずみずしく輝いて見えた。
色んな女性を見てきた俺だが、ここまで綺麗で可愛らしい女性は初めてだった。
それからすぐにアイルバーン王国の騎士と別れ、一緒に馬車に乗った。普段なら女性と乗る馬車なんて嫌々乗るのだが、
リシャール様より任務を下されていた為、初めは渋々、同じ馬車に乗った。
私が一緒の馬車に乗ったので驚いたのだろう、リディアナ様の緊張した気配が伝わって来た。
確かに、初対面の男と密室に二人きりは怖いのかもしれないと気付き、すぐに皇太子殿下であるリシャール様からの指示だと伝えればすぐに納得してくれた。
そして、それからも私の容姿を見て目の色を変える他の令嬢達とは違い、リディアナ様は一切、私の容姿を見て媚びる事は無かった。
それからは、グランバルト帝国の事を話したり、この辺りの街の話をしながら馬車は進んで行った。
そんな彼女は目を輝かしながら、馬車の外を見ては、少しはしゃいでいた。そんな彼女の様子は可愛らしくて好感が持てたのだが、ふとした瞬間に見せる、俺の心を見透かそうとする視線や観察するような眼差しには違和感を覚えたのだった。
***
もうそろそろ、奴らとの打ち合わせ場所だ。
リシャール様の思惑で仕組まれたこの馬車の襲撃。それは、近衛騎士団全員にも周知の任務であったが、その理由は明かされていない為か、騎士団の中でも困惑する奴が多かった。
(他国の姫様を襲わせるんだ。そりゃ、私の部下も戸惑うよな。)
皇太子殿下からの任務には決して逆らえないので、きっと、リディアナ様には、怖くて辛い思いをさせてしまうだろう事に罪悪感が生まれた。
襲わせるといっても、リディアナ様の別名を真意を確かめるだけであるので危険な目に合わせるつもりはない。何かあればすぐに助けに入るつもりだ。
だが、女好きな奴等の事だ。リディアナ様の容姿を見て奴が、変な気を起こしたりしないか、それが気が気では無かった。そんな私の心の心情が分かったのであろう。
彼女は、怪訝な表情をして私を見ている。その彼女の洞察力も一体どこから養ったのか謎であった。他の女性なら決して分からないであろう、私の表情を彼女は感じ取っているらしかった。
(あぁ、気配がして来た。)
奴らとの打ち合わせ通り、向こうは近衛騎士団の倍の人数いるらしいのが、馬車の中からでも感じ取れた。
リディアナ様は他国の姫君だ。彼らだって、彼女に危害を加えたらグランバルト帝国の評判を下げる事だって、理解しているであろう。
という事は、必然的にリシャール様を敵に回すという事で、彼らだって、愚かではないはず。決してリシャール様の損になる事はしないはず。そうでないと、こちらだって出る所出ないといけなくなる。
(頼むから打ち合わせ通り動いてくれよ。)
そう、考え目の前に座る彼女を見遣ると、自分と同じタイミングであっただろう、何かを察知し、顔を引き締め、体に力を入れるような素振りを見せた。
(もしかして、気配を読んでいるのか?奴らはまだまだ先だが、しかも、俺と同じタイミングで?)
そして、大きな音と共に揺れる馬車、彼女が倒れそうなら支えてやろうと体を踏ん張っていれば、彼女は倒れる事は無かった。
(あぁ、やっぱり分かっていたんだ。彼女は本当に姫なのか?)
そんな疑問を抱きながら、彼女に対し演技をし、馬車を降りた。
***
(おいおい、どうなってんだよ。)
私の目の前には、さっきまでリディアナ様を後ろから羽交い締めにしていた男が地面に横たわり白目を剥いて気絶している。
賊の男と共にリディアナ様が出て来たと思ったら、あっという間に後ろから抱き着かれるかのように人質のような構図になっていた。
「おい!お前らが護衛している姫様はこちらが預かった。こりゃー噂に聞いていたよりも上玉だ!そのまま一日、貸してくんねぇー?明日には返すからよー。」
奴が気味の悪い顔と下品な声で言ったかと、思えばリディアナ様を拘束していない方の手でリディアナ様の体を這うような動きを見せた。
それには、私も到底我慢できなかった。予定が狂おうとも、知らない。奴らが悪いんだ。そう思い、足を一歩踏み出した所で、リディアナ様の姿が消えた。かと思ったら、素早く後ろに回り込み、彼女がドレスの裾を持ち上げ、脚を露わにすると、強烈な回し蹴りを奴に喰らわせたのであった。
そのまま数メートル先まで飛んでいく奴。起き上がらない事を見ると、そのまま気絶してしまったのであろう。
両者、共にまさに、ポカン、そんな言葉が似合うだろう。彼女の周りにいた賊や騎士達は戦うのをやめ、今何が起こったのかと彼女の方を凝視していた。
それは私も例外では無く一体、今何が起こったかを頭で理解するのに必死だった。いや、理解はできている。私も一国の帝国の騎士団長だ。
今の彼女の動きが見えていなかった訳ではないのだが、あまりにも彼女の可愛らしい顔からは想像ができない的確で重みのある蹴りだったからだ。
(アイルバーン王国の女性は、人質にされた時の対処法を学ぶのだろうか?)
でも、学んだからと言って普通は、恐怖で何もできないのがオチであるし、実践してみようなんて決して思わないだろう。
グランバルト帝国では、女性が騎士になる事は殆どないし、女性が戦う事もまず無い。だから、女性が回し蹴りをするという衝撃的な光景に暫く固まってしまった。
そんな彼女は、今回し蹴りを喰らわした男には目もくれず、辺りをキョロキョロしたかと思えば、小走りでタタタタと走り、怪我をしている者の誰かの剣なのであろう。落ちていた誰かの剣を拾い上げた。
(剣なんて握ってどうするんだよ。まさか、戦うつもりでいたりするんじゃないよな?)
ふと、そんな事を想っていると彼女の纏う雰囲気がガラリと変わった。
それは、剣を構えたからであるのだが、まるで、一国の騎士のようないや、あれはもっと他の何か、そんな事を考えていると、彼女が次々と賊を倒していくのが見える。剣を使ったり、肘や脚を使ったりしながら色々な方法で男達を沈めていく。ドレスを裂いたのには声が出る程、驚いてしまったのだが、ドレスを裂いた事により体が動かしやすくなったのだろう。
脚を使って戦う姿は先程よりも身軽に戦っているのが、よく分かるようになっていた。
時には剣の柄を使い、手刀をし、確実に一人ひとりを沈めていくのには騎士団長の俺からしても「見事!」と褒められるような戦い方であり、むしろ手合わせをお願いしたい程であった。戦い方自体がとても独特で、騎士とは全く違う動きに女性らしいしなやかさがあり、綺麗な戦いぶりに思わず息が漏れてしまった。
ーーーーこれが、【剣姫】と呼ばれる由来なのだろう。
これが、リディアナ様の別名。先程までの可愛らしくも美しい表情は時折、賊と戦うのが楽しい、と言っているようなワクワクした表情をしていた。でもそれも、すぐに顔付きが変わり、凛々しい、逞しい表情に変わっていた。
それにしても剣姫と考えた奴は、見事な別名をつけたものだな。まさしく、剣の姫そのものであった。あまりにも戦う姿が美しいから剣から出てきた精霊か何かではないのかと思う程、気高く、強かった。
私だけでは無く、部下の騎士達も彼女の戦いぶりに目を奪われているようで、誰も彼女に加勢する事無く、戦いをやめていた。
そして、彼女が動くたびに破れたドレスからチラチラと見える脚に顔を赤くする騎士が殆どだった。女性は脚を出す事をはしたないと考えているし、それは騎士である俺達も例外ではなく、婚約者や交際相手の女性、そういう肉体的な関係がある女性以外の脚などそうそう見られる物でもない。
それに、リディアナ様はドレスの上の方、つまり太腿まで破いてしまったようで、彼女が脚を振り上げたり、動くたびにけっこう際どい場所まで見えてしまいそうでヒヤヒヤしていた。
(いや、さすがに裂きすぎだよ!リディアナ様!こんな、一国の姫様が……)
と、心の中で思わずリディアナ様を叱っていた。
騎士の中には、あまり女性慣れしていない奴も多いからそんな奴なんかは顔を真っ赤にしていて、グランバルトには居ないであろう美姫なリディアナ様の生脚なんて目の毒であろう。まだ十代の若い騎士達が少し気の毒にさえ思えてしまった。
そして、あっという間に周りは静まり返り、気付けば賊は全員地面に横たわっていた。だが、ここから見ていても誰も死んでいないのが分かる。
それは、彼女が死なないように斬っているのが分かっていたし、確実に気絶するような方法を選んでいたからだ。そして、賊が沈む真ん中で一人、所々、真っ赤に染まった髪に血がついた頬、紅く染まったドレスを着たリディアナ様が美しい表情をして立っていた。
綺麗だな。思わずそんな彼女の姿に見惚れてしまい、俺は無意識に自分の主の事を想っていた。彼女は主とは全く違うのに、今のあの表情や光景がリシャール様と被ってしまった。
無意識なのだろう。彼女がホッと息を吐くのが分かる。その瞬間、彼女からの殺気が消え、表情が変わるのが分かる。彼女が息を吐く動作ですら何故か色っぽく感じてしまい、慌ててリディアナ様に駆け寄った。