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砂場  作者: 本宮愁
3/17

アルストロメリアの百夜通い(2)

Spring:2


 今日の私は、運が悪い。


 テレビでやってたお天気お姉さんの占いから始まって、パンは焦がすわ、電車は寝過ごすわ、散々だ。


 水たまりを踏んで靴下が汚れたかと思えば、すれ違いざまのクラスメイトに背中を叩かれて転びかける。


 なんとか遅刻をまぬがれようと階段を駆けのぼっていたら、最上段を踏みはずした。


 その途端にチャイムが響きわたって、結局、一時限目には間にあわず。今日に限って嫌味な数学教師の授業だし。課題は追加で出されるし。


 憂鬱な気分で迎えた昼放課には、弁当を忘れたことに気づいた。

 ……ほんと、踏んだり蹴ったり。



「最悪だ……」



 せれなが分けてくれたおにぎりをほおばりながら、ぐったりと机に伏せる。行儀悪いけど知ったこっちゃない。



「大丈夫? 凛」

「もうやだ。帰りたい!」



 ゔあー。とうなって足をばたつかせる私に、せれなは苦笑した。


 今朝からの災難についてはひと通り愚痴り終わって、もうなにか話す気力さえない。



「たしか、一昨日もそんなこと言ってたよね」



 せれなが、人差し指をあごに添えて、うーん、と考えるそぶりを見せる。一歩間違えなくてもぶりっ子だけど、この子は嫌味なく自然にそういう仕草をする。


 一昨日。考えなくたってわかる。忘れようもない。



「あれは、せれなが――」

「そうそう! シキ先輩に会いにいったんだよね! ……会えなかったけど」



 せれなは、しょんぼり、と肩を落とす。非難の言葉を投げる気になれなくて、ため息とともに飲みこんだ。


 なんていうか、憎めない。この子を前にすると、ムキになるほうが馬鹿らしく思えてくるのだ。ある種の才能だと思う。


 よっぽどファンなんだな――と思いながら身を起こして、ちらりと、窓の外の桜木を眺める。


 たった二日で、最後にしがみついていた花片は、ほとんど落ちきってしまっていた。いまは、新たな季節の幕開けを告げる新緑が、老木を飾っている。


 瑞々しい立ち姿。パッと目を引く可憐さは失われても、やはりこの木は美しい。のびやかな枝ぶり。内側からにじみ出るような高潔さは、人々に愛されるにふさわしい。


 輝く若葉に、綺麗なアーモンド型の猫目が重なって見えた。


 会えなかった。せれなはそう言うけど、彼はいた。私は、シキ先輩の姿をたしかに見た。近藤先輩と並び立つ、すらりとした長身を。



「ねえ、せれな。シキ先輩の名前ってどんなの?」

「シキ先輩のフルネーム?」



 せれなが、きょとんと首を傾げる。本当に、ふわふわっとした、お菓子のような女の子だ。見た目だけは。


 柔らかいウェーブのかかった髪が揺れるしぐさが、よく似合っていた。自分が同じことをしたら、と想像して、ぞぞっと悪寒が走った。無理。絶対。


 かといって、この友人がおしとやかかっていったら、もちろん違う。思いのほか、お転婆だってことが、よくわかってきた。


 いまだって、せれなは、椅子に逆向きに腰かけて私の机に肘をついている。遠慮なく。


 授業中ですら、ほとんど船をこいでいるか、つっぷしているような彼女だ。放課だって、姿勢よく座っているはずがなかった。


 せれなの視線が、つい、と持ちあがる。



「前も言わなかったけ? サクラ、シキ。ちなみに妹ちゃんがアカネ、それから弟くんがジョウハ」

「いや、えっと、そうじゃなくて……」



 案の定、リサーチが細かい。兄弟の名前まで暗記してるとか、……そういうものなの? 常識?


 でも、聞きたい情報とは違う。どう言えばいいんだろう。しどろもどろになりながら、考える。



「字は、どう書くのかな、って」



 せれなは、丸い瞳をぱちぱちとまたたかせた。



「めずらしー。凛、興味なさそうだったのに」

「うん、まあ……。せれな、知ってる?」

「もちろん! ちょっと待ってね」



 語尾に星でもついてそうな口調だった。せれなは、すばやく身体をおこし、自分の机に向きなおる。


 そのままゴソゴソと机のなかをさばくって、ルーズリーフを一枚取りだした。転がっていたシャーペンをつかんで、紙の上をなめらかに踊らせていく。


 楽しそうな背中を、私はあぜんとして見守っていた。



「はい!」



 目の前に差しだされたルーズリーフを、見下ろす。

 ――三倉志葵。

 可愛らしい丸文字が、四つ。綺麗に並んでいる。



三倉志葵さくらしき……先輩」



 音と、文字が、ようやく結びつく。

 やっぱり、あのときの先輩は。



「――で、凛」

「へ?」



 せれなのキラキラスマイルが、視界一面に広がる。

 嫌な予感に、背筋が凍った。



「志葵先輩に、興味あるんだ?」



 反論しようとして口を開けて、でも、なにも言葉が出てこない。

 じわじわと上る熱が、首を侵して、顔に届く。



「わ、真っ赤! ……ね、凛。どういうこと? この前まであんなに興味薄そうだったのに。ねえ?」

「だ、……違……そうじゃ」

「りーん!」



 身を乗りだしてくるせれなから、のけぞって必死に距離をとる。


 だけど、せれなはどこまでも追ってきて、にへにへと――言っちゃ悪いがきみの悪い笑顔を浮かべている。



「話すまで逃がさないよ?」



 蘭々と輝くせれなの瞳に、私は完敗を悟った。聞くんじゃなかった。

 ほら、やっぱり……今日の私は、ついてない。



*****



「へえー。入試のときに? すっごいじゃん、それ! 運命感じちゃうよね? 惚れた? ね、凛。志葵先輩のこと、好きでしょ?」

「どうしてそうなんの……」



 ひとりでテンションを上げるせれなに、疲れはてた声で突っこんだ。


 もちろん聞く耳なんてもたずに、せれなは、きゃあきゃあと盛りあがっている。どうして女の子って、こうなんだろう。


 ひとたび恋愛話となると、本人の都合なんてそっちのけで大騒ぎだ。真偽のほどはどうでもよくて、勝手な想像で話が進む。


 毎度のことだけど、とてもついていけない。まして、自分が矢面に立たされるなんて。たまらなかった。



「そっかあ、生徒会だもんねえ。手伝いに駆り出されてたのかなあ」

「生徒会?」



 ぽけー、と口を開けた私に、せれながピタリと動きを止めた。



「凛……まさか、知らない?」



 信じられない! とせれなは両手で口をおおうけど、こっちこそ意味がわからない。


 だって、私は、サクラシキという名前すら知らなかったのだ。学内の噂話に極端にうといのは自覚してるけど、せれなだってわかってるはず。今更だ。



「志葵先輩っていったら、信任投票で九割以上の得票した伝説の役員だよ! 一年生で補佐、二年生で書記。で、今年が副会長! 三年連続で役員についてるのなんて志葵先輩くらいだし、対立候補が出馬諦めるくらい圧倒的な支持を集めて――」

「わかった! わかったからちょっとストップ!」



 とんでもないスピードで回転をはじめたせれなの口を、慌てて手のひらでふさいだ。


 早口すぎて、半分以上聞き取れない。なにを言われてるのか全然わからなかった。


 むすっとふくれっ面をするせれなに、なんとか拾えた情報の一つをたしかめる。



「志葵先輩が、副会長ってこと?」



 伝説がどーのとか、支持がー、とか聞こえたけど、正直よくわからない。


 今期の役員が選出されたのは、私たちの入学前のことであって、生徒会と関わる行事なんて、まだなにも行われてない。


 だから当然、役員の顔なんて知らないし。そもそも、生徒会ってなにやる組織? ってレベル。裏方とか?



「そう! 入学式のとき、在校生代表であいさつしてたじゃん」

「うそ……寝てた……」



 式の記憶がまったくない。来賓の話にあきあきして、たぶん、そのまんま。最後まで目覚めなかったんだろう。


 せれなの話では、うちの学校の伝統で、学年首席の志葵先輩は壇上に立ったらしいんだけど……なんのことだか、さっぱり。


 一年生のなかで志葵先輩の知名度が高いのは、その影響が大きいらしい。てっきり、部活かなにかで目立っているのかと思ってた。


 そのぐらいしか、上級生との接点が思いつかなかったのだ。



「はあー。名前覚えてないだけだと思ってたのに」



 あきれたように息をつくせれなは、そのままグーっと背筋を伸ばした。組んだ手を高くあげて、胸をそらす。


 ……意外に、大きい。


 なにがとはあえて言わないけど。細っこくて華奢なわりには。


 ブレザーの胸元をつい凝視してしまった私は、ハッと我にかえって視線をはずした。待て待て待て。なにを考えた、私は。


 だめだ今日。頭が沸いてる。

 べしり、と額を叩いて、会話の内容に意識を戻す。



「生徒会役員なんて、ぜんぜん知らなかった」

「うーん、ほんとは私もよく知らないんだよね。志葵先輩が副会長で、近藤先輩が会長ってことくらいしか」



 おどけて肩をすくめるせれなには悪いけど、私はそこでもう一度固まった。



「近藤先輩って……一昨日の……?」



 パクパクと口を開け閉めしながら、ちょっと強面で、でも笑顔が爽やかな先輩を思いだす。フレンドリーで、人気のありそうなひとだとは、思ってたけど。


 ――生徒会長のイメージかって言われたら、違う。


 私の勝手な想像だけど、生徒会ってもっと、固っ苦しいというか、生真面目というか。


 学校運営に力を注ぐっていう時点で、なんかもう、教員の言うことをハイハイって聞いてる優等生なイメージが浮かぶ。


 眼鏡とかかけてたりとか。きっちり制服着てたりとか。いやもう、ほんと偏見だけど。成績優秀な人の内申点稼ぎじゃないの? って、どっかで思ってた。


 ひねくれた見方だけど、私の中学では、少なくともそんな感じの組織だったのだ。たぶん。



「うん、近藤瑛二先輩。あの二人ね、生徒会関連でよく一緒にいるの」

「おなじクラスってだけじゃなくて?」

「そうだね。二人とも、他にすごく親しい相手は決まってないみたいだから……親友? なのかなあ」



 親密そうに話していた様子を思いだす。

 整った容姿で、しかも背の高い二人だから、並んでいるとかなり迫力があった。


 あのときは余裕がなくて、周りなんかわからなかったけど、たぶん注目の的だったはずだ。割りこんでいこうとは思えない空気感。


 孤立しているわけじゃないけど、まるで。



「……人気、あるんだね」



 簡単には近づけないような、世界の溝を感じた。

 どうしてだろう。近寄りがたさがあるわけじゃない。なのに、二人が揃うと、途端に遠くなる。


 入試の日には感じなかった隔たり。三倉志葵。副会長で、首席で、かっこよくて。……とても、親切な先輩。


 知れば知るほど、できすぎた存在に戦慄する。


 そして、近藤先輩は、彼の隣にいても見劣りしないだけの魅力を持った人だ。太陽と月のように、違う種類の輝きをまとう人たち。


 ――遠い。


 だって、私は、どうやっても志葵先輩のそばにいる自分を想像できない。


 がやの一員として眺めることはできても。あるいは、ひとりの後輩として話しかけることはできても。


 近藤先輩とおなじ位置に、自分が存在する状況なんて、考えられない。



「志葵先輩は……みんな、騒いではいるけど、本気で恋してるわけじゃないと思うよ? なんていうか、理想の王子様? みたいな」



 せれなが、めずらしく言葉を選びながら、黙りこんだ私を心配そうに見つめている。



「ねえ、凛。……会いにいこう?」



 無言のまま首をふって、否定する。

 あの空間にもう一度近づくなんて、無理だ。



「でも!」

「私のことなんて、忘れてるよ」

「そんなことないってば」

「覚えてない。絶対」

「わかんないじゃん、会ってみなきゃ!」



 がたり、と立ちあがったせれなが、私の手首をつかむ。

 そのまま勢いよく引っぱられて、椅子から腰が浮く。机に手をついて、なんとかバランスをとった。



「せれな!」

「それに」



 せれなのパッチリとした二重の目が、間近に迫った。

 目尻が心なしかつり上がっていて、その迫力にすこしひるむ。



「名前は覚えてくれてるよ。近藤先輩が言ってたもん。覚えさせとくって」

「そんなの……」

「あのね、凛。志葵先輩って、人の名前すぐ忘れちゃうの。顔は覚えてるらしいんだけど、クラスメイトの名前聞いたってわからないんだって」



 予想外のセリフに、思わず目を丸くした。


 名前を……忘れる? 首席なのに? 生徒の代表、役員なのに?


 あのとき、近藤先輩はたしか、「俺からのサービス」といってウインクをした。あの一言が、そんな意味を持つものだなんて思わなかった。



「わかる? これ、すっごいチャンスなんだよ」



 せれなが、真剣な顔をして言うもんだから、とっさに言葉につまった。


 だけど。

 私はもう一度、首を左右に振った。



「行きたくない」



 だって、遠いんだ。すごく、高くて、遠い。

 見てほしいって、思うけど、そばにいきたいわけじゃない。覚えていてほしい? 名前を? 私を? そんなことない。忘れられてたって構わない。


 見ていたいけど、会いたくない。


 わがままな感情。


 本音と建前がぐちゃぐちゃに混ざって、もうなんだかよくわからない。

 ……怖いんだ。たぶん。


 臆病な私には、志葵先輩に忘れられていることも、覚えられていることも、同じくらいに怖い。

 彼のなかの自分を、知りたくない。



「凛……」

「ごめん、せれな。私……無理だよ」



 力なく笑った私に、せれなは泣きそうに顔を歪めた。



「ほんとにいいの?」



 瞳を潤ませながら、より一層強く、私の手首を握る。


 私はそれには答えずに、そっと、せれなの指をはずした。握力の弱いせれなの手から、簡単に手首は解放される。


 行き場をなくしてさまよっていた白い小さな手は、やがて、ぐしゃりと私の髪をかき回した。



「……凛の馬鹿。嘘つき」



 ごめん。声に出さないまま呟いて、しばらくせれなの好きにさせていた。



*****



 そういえば、今日の放課後には、新入生歓迎会が予定されていることを思いだしたのは、五時限目が終わる間際だった。


 退屈な時代背景を書き連ねていた国語教師が、チョークを置く。



「今日はここまでにするから、早めに移動してね。来週、課題忘れないように」



 パンパンと両手の粉を落としながら言った彼女は、手早く教材をまとめて去っていく。


 なんのことだか、一瞬わからなかった。おとなしく席についたまま、春色のカーディガンを羽織った背中を見送る。


 ……移動、するの?



「凛! 早く荷物まとめなきゃ、新歓はじまっちゃうよ?」

「あ、そうか」



 せれなに急かされて、今朝の連絡事項を思いだす。


 放課後、第一体育館、新入生歓迎会。

 断片的な記憶だけど、とりあえずは十分な情報がよみがえる。


 なんで忘れてたんだろう、と思い返して、そういえば遅刻したことを思いだした。……そっか。後からせれなに聞いたんだ。


 机の中身を適当に放りこんで、鞄を閉じる。

 私が立ちあがるタイミングに合わせて、せれなは絶妙なスタートダッシュを切った。



「早く、凛!」

「ちょっと、なんでそんなに急ぐの?」



 わけがわからないまま教室を飛びだして、必死でせれなの背中を追う。


 廊下を全力疾走。階段を駆けおりて、コーナーを曲がって、昇降口を抜けて。校門わきの第一体育館までの最短ルートを、駆けぬけていく。



「せれな!」



 チェックのプリーツスカートが、膝上の丈で揺れている。油断するとめくり上がりそうで怖い。……どうせ下、履いてるけど。


 ニーハイソックスを履いた細い足が、驚くべきスピードで前後している。


 足にはそこそこ自身あったんだけど、なかなか追いつけない。せれなの運動神経はお世辞でも良いとは言えないから、かなり必死に走ってるんだろう。


 重くなってきた足に鞭をうって、ようやくせれなに並んだ。



「っはあ……なん、……走……」



 息がきれてうまく話せない。



「凛。新歓って、生徒会の行事なんだよ」

「それが……なに……」



 あきれた。この子、ぜんぜん息切れしてない。

 スポーツテストさぼってるのか、疲れさえ飛んでるのか、知らないけどどっちにしろすごい。



「――役員なら絶対、先に行って会場の準備してる!」

「なっ……」



 まさか。せれなの言葉に、度肝をぬかれて足が止まる。もつれかけたところを、またまた引っぱられて、強引に前へ。


 見た目お嬢さまなくせに、横暴だ。



「私、会いたくないって――」

「なにが? 私たちは、善意で、自主的に、お手伝い、しに行くだけだよ?」

「せれなあ!」



 半泣きになりながら必死で踏んばっていると、もめ事に気づいたのか、体育館のなかから人がでてくる。

 まずい。もう逃げれない――。


 そのとき。



「どうしたの?」

「っふわあぁ!」



 後ろから、ぽん、と肩を叩かれて、せれなは大げさに飛びあがった。不意打ちにあげる声まで女の子らしいとは、さすがお嬢。


 そのすきに、素早くせれなの手を振りほどいて、距離をとる。


 それからようやく、せれなの後ろに立つ人物を確認した私は、運命の女神の気まぐれさを恨んだ。さりげなく空を仰いで、真白い雲を睨めつける。



「三井先輩……」



 ぼうぜんと呟くせれなの横で、赤縁の眼鏡をかけた三年生が、きょとんと目を丸くした。


 セミロングの髪を、右耳の後ろでゆるくまとめた美人。こざっぱりとした雰囲気を持つ、あの時の先輩だった。



「あれ、私のこと――って、ああ! このあいだの。……ええっと、凛ちゃんとせれなちゃん?」

「知ってるんですか?」



 思わず口をはさんだ私に、三井先輩はニイッと口角をあげた。イタズラっぽい笑顔。すこしだけ、近藤先輩の笑い方にも似てる。



「そりゃあ、瑛二がところかまわず口をすっぱくして言い聞かせてたからね。あれだけ言われれば、三倉じゃなくても覚えるよ。あんまりしつこいもんだから、挙句のはてに、三倉が『男にストーカーして楽しいか』って! あの瞬間の瑛二の顔は傑作――」



 つらつらと言い連ねていた三井先輩は、そこで置いてけぼりの私たちに気づいた。



「と。ごめんごめん」



 広げた手のひらで口を押さえて、一言。



「生徒会会計の三井縁です。今日は、楽しんでいってね」



 爽やかな笑顔とともに頭を下げた先輩に、私とせれなは固まった。


 それもそうだ。落ちついて考えてみれば、この場にいる時点でその可能性は高かった。


 ほとんどの三年生は、新歓に参加しない。例外は、部活動の勧誘と――主催側の役員だけ。まして、開始前となれば、答えは明白だ。


 でも、まさか、たて続けに生徒会関係者と接触するなんて。



「先輩、役員だったんですね」

「そう。ピンチヒッターだけどね。昨年度の会計が、春から留学行っちゃってさ」



 三井先輩が、やれやれと肩をすくめる。



「瑛二に頼まれたから、仕方なく。そのくせ、あいつ仕事しないし……っあー、今のなしね。忘れて!」



 言葉は不満げでも、先輩の表情は柔らかい。ただのクラスメイトと呼ぶには、どこか親密な気配がただよっていた。


 せれなは、めずらしく浮かない顔。そのまま、ふいに視線をそらしてうつむいた。


 視界の端に映った友人の様子に、ぐっと喉がつまる。

 そうだ。せれなは、やっぱり近藤先輩のこと……。



「まだ開始まで時間あるけど、なか入ってる?」



 三井先輩は、腕時計を確認しながら言った。

 そのしぐさを見て、ここに連れてこられた原因を思いだす。


 ぴったりと閉じられた体育館の扉の奥で、新歓の準備は進められているのだろう。予定時刻はわからないけど、かなり早めに着いてしまったようだ。


 ……たぶん、せれなの目論みどおりに。



「あ、いえ、準備の邪魔になっちゃいますから」

「いいよー。ちょうど、予定より早く終わっちゃって、前倒ししようか迷ってたところだから」

「でも」

「たしか、このあいだ三倉いなかったんだよね? おいで」



 いまなら繋いであげれるから。そう言って、三井先輩が踵を返す。


 ――志葵先輩。


 適当な理由をつけて断ろうと思っていたのに、その名前を聞いただけで、言葉がでてこなくなる。


 会いたくないと駄々をこねても、姿を見たいという誘惑は、消えてくれなくて。


 ためらいなく、体育館の戸に手をかけた三井先輩を、呼びとめることができなかった。



「――行こう、凛」



 バシン、とせれなに背中を叩かれて、よろけるように足を踏みだす。


 せれなは、泣いてはいなかった。強い光をたたえた瞳で、まっすぐ、三井先輩を見ている。

 それは、敵意とも違う、毅然としたまなざしだった。


 そうだった。見た目は気弱そうなお嬢さまでも、中身は苛烈な行動派。沈んでいるヒマがあったら突撃するのがせれなだ。


 にっこりと、いつもどおりの可憐なほほ笑みを咲かせて、せれなは走っていった。


 春の日差しが、目を焼く。

 まぶたを絞って、あわててせれなの背中を追いかけた。


 ――まぶしい。


 それは、立ちどまって考えこんでいるのが馬鹿らしくなるような、暖かい輝きだった。

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