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砂場  作者: 本宮愁
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天の川の滸にて

 高層タワーの展望室から見下ろす夜景は、澄んだ冬の空気をまとって輝いていた。車列が光の奔流のように流れていく大通り沿いに、無数に散らばる街の灯り。あの一粒一粒の下に、誰かの物語があるのだろう。



 十五年前、私は君と出会った。


 人懐っこく話し上手な男の子は、身の回りにはいなかったタイプで、ほとんど初対面の集まりに打ち解けていく速さに驚かされた。


 外向きの仮面を被らなければ他人と話せない、根が人見知りの私にはあまりに眩しい、太陽のような少年の滞在期間はわずか三日間。


 生まれ育った土地も、普段の生活圏も、本来なら重なるはずがなかった時間。


 こんな弟が欲しかったと思った。


 毎日くだらないことをして遊べたら、成長をそばで見守れたら、きっと楽しかっただろうなと、ありもしない可能性を夢に描きたくなるような、利発で可愛らしい少年だった。



 社交辞令のように交換した連絡先に、近況を送るのは年に一度。


 話そうと思えばいつでも話せるこの時代に、わざわざ話す理由も会いに行くモチベーションもないくらい、私たちは遠く隔たれた他人だった。


 それでも、一年分の言葉を交換する数分間が、私は好きだった。



 五年前、ひさしぶりに会った君は、見上げるほどに背が高い、爽やかな好青年になっていた。


 歳下とは思えない落ち着いた立ち振る舞いを見て、憧れの弟のような少年はもういないのだなと寂しく思った。


 たまたま近くを通りがかったから寄ってみただけ。会って話そうと決めていたことなんて何一つなかった。


 それが忘れられない特別な夜になるなんて、思いもしていなかった。



 今まで、なにをしてきたか。なにを思ったか。アルコールを傾けながら、何十年分もの言葉を重ねるうちに気づいた。君は私だった。


 半身を見つけたような気がした。


 違う土地で、違う人に囲まれ、違う道を歩んできた、もう一人の自分。


 この世界に一人きりではないことを、同じような体験をして、同じように悩む人がいることを、初めて実感を伴って知った。


 君の痛みは私の痛みだった。


 言葉を交わすたびに、漠然と抱えていた孤独が解けて消えていった。


 私は存在していいのだと許されたような気がした。



 別れ際、どちらからともなく提案した。最後に夜景を観に行こう。駅の近くの高層タワーへと、ゆっくりとした足取りで、とりとめもない話をしながら横に並んで歩いていた。


 言葉が尽きるのが惜しかった。

 この夜がまだ終わってほしくなかった。


 しかし、たどりついたタワーの入り口は施錠され、展望室の営業時間はとっくに過ぎていた。



 私たちはゆっくりしすぎたのだ。


 十五年前も、五年前も。


 抱え込んだすべてを投げ出して足早に駆けつける情熱も、次はいつ会えるか尋ねる勇気もないまま、時間だけが流れていった。


 私たちは、私は、いつも一足遅かった。



 聖夜を特別な思い出に残そうと張り切る恋人や家族連れの横をすり抜けながら、想いを馳せる。


 初めからずっと惹かれていた。

 最後まで恋にしてしまうことができなかった。


 あの夜、二人でタワーを登っていたら、まったく違う今があったのかもしれない。


 仕方ないねと笑って別れて、それっきり。

 恋人にも友人にもなり損ねた、遠方の知人。



 理想の弟であった君の、人しれず抱えた恐怖と孤独に触れた時。


 あの瞬間の君は、あの瞬間の私にとって、かけがえのない半身だった。


 私にはあの夜の時間が必要だった。

 君にとっても、そうだったのかな。



 メリークリスマス。この街を彩る無数の灯り、どれか一つの窓の向こうで、君はどう過ごしているだろうか。


 新年の挨拶さえも交わさなくなって何年も経つ。私がここに来たのは一人で感傷に浸るため。五年ぶりに送りつけた不審なメッセージに返信は来るはずがないと思っていた。


 ――いまどこにいますか。


 鞄の底にしまいっぱなしにしていたスマホの通知に気づいたのは、ほんの数分前。



 展望室へと登るエレベーターの到着口まで引き返すと、コートの前を開けて、ゼェゼェと息を吐く、私の記憶よりもいくらか歳を取った可愛らしい男性がいた。


「どうして来たの?」


 天野くんだよね、と確認することもなく、私は尋ねていた。


 ずっと顔を見ていないのに。写真すらも持っていないのに。視界に入った瞬間に確信してしまうなんて、自分で思っている以上に私は君のことを深く記憶していたのだろう。



「……苗字が変わってなかったから」

「え?」


 俯いたまま、聞こえるか聞こえないかの声で呟き、呼吸を整えた君は、ガバッと勢いよく上半身を起こして、笑った。


「おひさしぶりですね! 瀬川さんが瀬川さんのままで驚きました」

「天野くんも変わらないね」


 なにも聞かなかったふりをして、私も笑う。



 人当たりのいい仮面の奥に本音を隠す、私たちは似たもの同士の嘘つきだと、五年前から知っている。


 臆病なままの私は、君の左手を見ることができないけれど。


 ――あの夜の続きを始めてもいいのだろうか。


 すくなくともまだ、展望室の営業時間は残されていた。

つじ みやびさま主催の匿名短編企画『第一回 #匿名ライターズ杯(#つじみやびライターズ杯)』に寄稿した短編

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