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第一章


   プロローグ

 

 最期に配信をした日のことを今でもたまに思い出す。

 どうせもう終わりだからと、後先考えずに喋ったのがまずかった。

 いつもより多い視聴者数と、何を言っても肯定的に捉えてもらえる空気感から、いつの間にか気が大きくなってしまったのだろう。

『どうしてやめちゃうんですか?』

 リスナーの一人から来たその質問が引き金になった。

「ご存知のように僕はこれまでゲーム配信をやってきたわけですが、今月『フォースナイト』のサービスが終了することが決まって、不意に虚しくなってしまったんです。今までやってきたのは何だったのか、って。僕はこの数ヶ月で500時間近くを『フォースナイト』に費やしてきました。病める時も健やかなる時も欠かさず努力してきました。でも、その全部がゼロになってしまうのです。こんなことなら別のことに時間を当てていた方が有意義だったのではないでしょうか。幻滅です。これからまた新しくゲームを始めたって、それもまたいつか無駄に終わるかもしれない。それならもう何やりたくない。だから見限ったんです。これにてゲームは引退です!」

 それまでよどみなく流れていたコメント欄が滞った。

 言い過ぎたかな、と思ったけれどもライブ配信だから消しようがない。 

『まあ、そういう考え方もあるにはあるよね』

『それも選択の一つだと思う』

『戻りたいと思った時に戻ればいいよ』

 そつのないコメントが流れただけで終わるかのように思われた。

 俺も次の話題に移ろうとしていた時、そのコメントはやってきた。

『なんでそんなこと言うんですか?』

『今のは看過できかねます』

『撤回してください!』

 それはすべて同じリスナーからの連投コメントだった。

 コメント主はハバネロメロン。いかにも辛口そうな名前だ。

 普段だったら俺もまともに対処していただろう。

 配信で絡まれた場合、やれることは謝るか、追い出すか、のどちらか一方だ。

 ただ、これは最期の配信だ。

 今日くらい好き勝手に喋らせてほしい。

 俺は自分が謝るでも相手を追い出すでもなく、売り言葉を買った。

「僕が時間の無駄だってって思っただけなんだから、別にそれでいいじゃないか。それとも配信者には個人の意見を言う権利がないってことなのか?」

 俺とハバネロメロンのやりとりはあっという間に加熱していった。

 途中までは他のリスナーが「まあまあ」「喧嘩しないで」「みんな違ってみんな良い」などと仲裁しようとしてくれていた。

 しかし一向に収まらないせいで次々と人は抜けていってしまった。

 最終的に俺とハバネロメロンだけが残った。

 夜9時から始めた配信はもう11時を回っていた。

 最期にいい気持ちで配信を引退しようとしただけのに、まったくとんだ災難だ。

「付き合い切れないのでもう配信は終了させてもらうから」

『話は終わっていません。逃げるんですか?』

「逃げるってなんだよ。これは僕の配信だ。いつ終わらせたっていいんだよ」

『今日が最期の配信って言ってたじゃないですか。ということは逃げるってことですよね?』

「それって配信をやめないでほしい、って意味? 何? 俺、もしかして引き止められてる?」

『ちゃんと失言の理由を理解して謝ってほしいだけです』

 何を言ったところで平行線だ。

 そもそもたった一人のリスナーに付き合う義理もない。

 ハバネロメロンのコメントは続いていたけれども、僕は配信を終了させた。

 強制的にやりとりは途切れて静かになった。

 俺は動画のアーカイブを次々に消していった。

 7ヶ月ほど続けたコンテンツに思い入れがないわけではなかった。

 でも頭に血が上っていたせいで速やかに処理を進めることができた。

 高校1年生の10月のことだった。

 それから半年後。

 まさかあの時のリスナーと再会することになるとは、この時の俺は知るよしもなかった。

 

   1―1

 

 高校2年生の春になったらやり直す。

 前々からそう心に決めていた俺は放課後の中庭に立った。

 私立七ツ森高校に限った話ではないが、この時期の学校は騒がしい。

 ほぼすべての部活動が新入部員獲得のために奔走する。

 メインとなるのが西校舎と東校舎の間にある中庭だった。

 勧誘する者、される者。入り混じった状態でビラ配りが行われている。

 俺は意を決して人混みの中に飛び込んだ。

 激しい海流に呑まれたように四方八方からもみくちゃにされる。

 声をかけられ、チラシを渡され、声をかけられ、チラシをねじこまれ、声をかけられる。

 前後不覚になりつつも、ほうほうの体で人混みから抜け出した。

 満身創痍で戻ってきた俺に、クラスメイトの相沢硝子(あいざわしょうこ)さんは優しく声をかけてくれた。

「お疲れさま。これまたたくさんもらったね。濡れ手に泡だ」

「泡じゃなくて紙だけど」

 チラシの量を見せようとしたら山が崩れてハラハラと手から抜け落ちた。

 あわてていると相沢さんは拾うのを手伝ってくれた。

「ありがとう。助かったよ」

 また落とさないように俺はチラシの角を揃えて持ち直す。

「どこか入ってみたいところはあった?」

 相沢さんに訊かれて俺は「うーん」とうなった。

「ないわけじゃないんだけど、やっぱり2年生から入るのは二の足を踏んでしまうね」

「二の足を踏むって、こんな感じ?」

 相沢さんは自分の左足の上に右足を重ねる動きをした。

 それが二の足を踏む正しいジェスチャーなのか俺にはよくわからない。でも相沢さんの仕草がキュートだったので「たぶんそんな感じ」と答えておいた。

「でも、あまり気にしなくてもいいんじゃないかな。やりたいことはいつ始めたっていいし、遅すぎることもないんだよ」

 相沢さんは俺を元気づけるように両手でガッツポーズを作った。

「がんばる」

 俺ははにかみながら右手で拳を作った。

 とはいえ、そう簡単に決められないので苦労している。

 俺はもらってきたチラシを上から一枚ずつめくった。

 柔道部。バレーボール部。卓球部。ハンドボール部。吹奏楽部。

 どれもいまいちピンと来ない。それをやっている自分をイメージできない。

 悩んでいるうちに構内放送がかかり、第一体育館でデモンストレーションが行われることがアナウンスされた。

「あ、ごめん。あたしも出るんだった」

「軽音楽部だったっけ?」

「うん。良かったら奏汰くんも聴きに来てね」

 相沢さんは俺に手を振ると、第一体育館へ向かって駆けていった。

 俺と違って忙しいはずなのに、彼女には感謝しかない。

 俺はいったん校舎に入って教室に戻ることにした。チラシを抱えたままデモンストレーションを見に行くのは難しいからだ。

 自分の教室である2ーCは誰もいなくてガランとしていた。

 喧騒の直後に静かな場所に来たせいか、急にメランコリックな気持ちになった。

 みんな部活紹介に携わっていて忙しいのだろう。

 そう考えると自分だけが取り残されているような感覚になった。

 

 ――こんなことならゲーム配信なんてしていないで、1年生の時から部活に入っておけばよかった。

 

 ハッと我に返って頭を左右に振った。

 せっかく2年生に上がったのをきっかけに新しいことを始める気になったのだ。

 無駄にした時間を悔いるよりも、どんどん前に進まなければならない。

 俺は自分の席に行って大量のチラシを鞄に入れていった。

 早く第一体育館に行こう。そして相沢さんのデモンストレーションを見るのだ。

 軽音楽部というからにはバンドの演奏だろうか。

 入部するかどうかは別として、何らかのモチベーションは得られる気がする。

 顔を上げて席を立とうとした時だった。

 教室の出入り口に一人の女子生徒が立っていた。

 まだ顔と名前を覚えていないクラスメイトかと思ったが、教室に入らずに廊下に立っているところを見ると、別のクラスの人間なのだろうか。

 見ると上履きのラインが緑だった。

 うちの高校は学年ごとにカラーが指定されており、3年生が赤、2年生が青だった。つまり相手は今年の4月に入学したばかりの1年生ということになる。

 何の用だろうと思って眺めていたら、向こうから声をかけられた。

「ここは2年C組の教室ですか?」

 丁寧で落ち着いた話し方だった。

「そうだけど」

「あなたは2年C組の生徒ですか?」

「うん」

 ずいぶんと慎重に確かめてくるな、と思った。

「ここのクラスにミナトソウタさんという方はいらっしゃいますか?」

 ここで俺は少し驚いた。

 誰かを探しに来たとは思っていたけれど、まさか自分だとは思わなかった。

「いないんですか? それともわからないんですか?」

 一見、大人しそうな見た目をしているが意外とアクティブなようだ。

「いや、知ってはいるんだけど」

「もしかしてもう帰られましたか?」

「俺が湊奏汰(みなみそうた)なんだけど」

 名乗りはしたがバツが悪かった。たぶん人違いだろうから。

「やっぱりそうですか」

 相手は納得したようにうなずいた。

「え? いや、違くない?」

「大丈夫です。違くはありません」

「だって俺は君のことを知らないんだけど?」

 相手は俺を見ながらゆっくりと首をかしげた。まるで角度を変えて観察するかのようだった。

ぼく(・・)のことを覚えていないんですか?」

 俺は懸命に記憶を探った。一つ年下で、自分のことをぼくと呼ぶ女子。今どきぼくっ娘は珍しくはない。ただ多いわけでもない。髪型はボブカットで、規律を重んじるように口を真一文字に結んでいる。特徴は出揃っているのに俺は思い出すことができなかった。

「わからない。やっぱり君の勘違いなんじゃないかな」

「そうですか。覚えられていないのは残念です」

 言葉とは裏腹に、相手はほとんど表情を変えずに言った。

「――でも」

 彼女は教室と廊下のの境界を軽々と踏み越えて俺の方へ歩いてきた。

「大丈夫です。これからぼくが思い出させてあげますから。ね、イルミナイト先輩?」

 ガタン、と教室に音が鳴り響いた。

 驚いて後ろを見ると自分が椅子にぶつかったせいだった。

「だ、誰のことを言っているのかよくわからないな」

 目の前の女子は今度は逆方向に首をかしげた。

「誰? おかしいですね。どうして今の言葉が人を指しているってわかったんですか? 本当に身に覚えがないのなら『何』になりませんか?」

 ぐっ、と変な声が出た。確かにその通りで返す言葉もない。

 熱くもないのに汗が伝い、心臓のBPMが跳ね上がる。

 この焦りには覚えがある。嫌が応にも半年前のことを思い出した。

 イルミナイト・チャンネルの最後の配信。そこであった忌まわしいやりとり。

「……おまえはもしかして、ハバネロメロン?」

「あ、もう思い出してくれました? 記憶力、全然良いじゃないですか」

 目の前の女子はニヤリと笑った。小さな八重歯がわずかに覗いた。

 俺はもっと後ろに下がろうとしたが、椅子と机にはばまれて動けなくなった。

「さあ、あの日の続きを始めましょう」

 ハバネロメロンは心底嬉しそうに言った。

「ぼくがゲームの楽しさを思い知らせてあげますよ」

 

   1-2

 

 次の日も放課後は大盛況。勧誘は来週いっぱいまで行われることになっていて、多くの生徒が勧誘したり、されたりを繰り広げていた。

 そんな中、相沢さんが俺の隣にやってきて声をかけてきた。

「今日も部活探しはする? あと、自分探しも」

「部活は探しはしたいけど、自分探しはしてないよ。ここにあるし」

「そういえば昨日のデモンストレーション、来てなかったよね? 聴いてくれると思って演奏をがんばったのになあ」

「ああ、ごめん。昨日は……」

「湊!」

 クラスメイトの一人から声をかけられた。

「おまえのことを呼んでる1年生の女子がいるぜ」

 教室の出入り口に目をやると、昨日の放課後に来た女子生徒が立っていた。

 目が合うと礼儀正しく会釈をしてきた。それだけ見ると品行方正な優等生に見える。

「あの子は?」

 相沢さんに訊かれて俺はしばし考えた。

 ハバネロメロン、と正直に答えるわけにはいかない。

 何それ、と詮索されることになるし、その先には俺の黒歴史が紐づいている。

「……ええと、その」

 言葉に窮していたら、廊下の方から声がかかった。

「ミナト先輩。今日、部活の話し合いをする約束でしたよね? もしかして忘れてるんじゃないかと思って呼びにきたんです」

 そんな約束はしていない。が、隣で聞いていた相沢さんは真に受けた。

「え、もしかしてもう入る部活を見つけたの?」

「そういうことじゃないんだけど、ええと、その……」

 とっさのことで何て言えばいいかわからなかった。

 俺はハバネロメロンに向けて口パクで「ちょっと待ってろ」と伝えた。

 すると向こうも口パクで返事をしてきた。

 口の動きから推測すると「イ」「ル」「ミ」「ナ」「イ」「ト」だった。

 イルミナイト。俺がかつてやっていたゲーム配信のチャンネル名だ。

 早く来い。さもなくばこれを教室で口に出すぞ、と警告したいのだろう。

「ごめん。詳しいことはまた今度説明するから」

 俺は相沢さんに謝ると、足早に教室を抜けて廊下へ出た。

「お待たせ」

 言いたいことはいろいろとあったが、わざとフランクなあいさつをしておいた。

「全然大丈夫です」

 それなら圧をかけてくるな、と心の中でつぶやいた。

「それでは向かいましょう」

「どこに?」

「放課後にすることは二つに一つですよ。家に帰るか、部活に行くか」

「いや、でも、部活ってどこで?」

「部活といったら部室に決まっているじゃないですか」

 意味がわからないし、いちいち訊いて確かめてもいられない。

「あいにく今日はクラスの掃除当番になっててさ」

 ハバネロメロンの眉間にしわが寄った。

「なんだかご託ばかりですね。今、自分が置かれている状況をわかっています?」

 ハバネロメロンはゆっくりと息を吸い込んだかと思うと、「イ」「ル」「ミ」と声に出し始めた。しかも一文字ずつ声が大きくなっていく。

「今すぐに行こう!」

 俺は足早に教室の前から離れた。

 まさか本当に言い出すとは思っていなかった。

 どうやら俺の見積もりは甘かった。放っておいたら最後まで言われていたかもしれない。

「ミナト先輩」

 後ろから声をかけられたが、俺は歩みを止めなかった。少しでも被害の少ない場所に移動しなければならない。

「イルミナイト先輩」

 俺は急停止して後ろを振り返った。

「だから学校でそれはやめてくれ!」 

「大丈夫です。今はもう人がいませんでしたから」

 彼女の言う通り確かに近くには誰もいなかった。だからといって軽々しく口に出されたくはない。

「それよりも場所を伝えてもいないのに勝手に一人で進まないでください。方向が完全に逆です。余計な動きをすると敵に見つかりやすくなるんですよ」

「敵って何だよ」

「よく言ってたじゃないですか。ゲームだろうとリアルだろうと、余計な動きをすると厄介事に遭遇するから最短で行動しろって」

「………………」

 確かにそれは俺がゲーム配信をしながらよく口にしていた言葉だった。

 しかもそれを知っているということは、最期以外にも俺の配信を見ていたということになる。

 一瞬気を良くしそうになったが、今の状況ではハバネロメロン自体が厄介事だ。

「それなら先を歩いてくれ」

「了解です」

 ハバネロメロンは方向転換して歩き出した。

 2ーCの教室まで戻るかと思いきや、途中で折れて西校舎へと向かった。

 七ツ森高校は古い東校舎と新しい西校舎が並び、渡り廊下でつながっている。東はもっぱら学生たちの教室で、西は職員室や特別教室がある。

 ハバネロメロンは迷いのない歩みで渡り廊下を進み切ると、パソコンルームの隣で足を止めた。標識には機材準備室と記されている。

「ここが部室です」

「何の?」

「七ツ森高校ゲーム部の、です」

「そんな部活はうちの高校には存在していない」

 俺は即答した。部活紹介の冊子にも載っていなかったし、昨日もらったチラシの中にもそんなものはなかった。仮にあったら俺が必ず見つけているはずだ。

「確かに昨日まではそうでした」

「昨日?」

「今日は昨日の続きじゃないし、明日は今日の続きでもない。誰の言葉かわかりますか?」

「……俺、だっけ?」

 覚えがなかったが、状況的には俺なのだろう。

「違います。ぼくが今、適当にそれっぽく言っただけです」

「……………………」

 俺が押し黙っているとハバネロメロンはポケットから鍵を取り出してドアを開けた。

 俺はしばらく呆然と廊下に立っていた。

 ゲーム部なんてものが実在するわけがない。強くそう思うからこそ、中がどうなっているのか気になった。

「入らないんですか?」

「……お樹魔します」

 好奇心に抗えず、俺は中へ入った。

 奥に向かって細長い部屋だった。せいぜい4人ほどが入れるくらいだろうか。

 真ん中に置かれたテーブルがスペースの半分ほどを埋めており、残った隙間にパイプ椅子が並べられている。目を引いたのは窓際に置かれた25型くらいのモニタだったが、入出力はどこにも繋げられていなかった。

「ゲーム部なのにゲーム機はないのか」

「備品はこれから順次そろていきます。隣のパソコンルームの無線を利用させてもらえることになっているので、ゲーム機を持ってくればオンラインプレイも可能です。もちろんコンセントだってありますよ」

 ハバネロメロンは得意げに説明していった。

 俺は黙って聞いていたが、どうしても気になることがあって質問した。

「……君がゲーム部を作った、ってこと?」

「はい」

「一人で?」

「手続きを進めるだけなら一人でも十分でした。机の運び込みとかは多少人の手を借りましたが。ちなみに部員がそろっていないのでまだ仮扱いではあります」

「どうしてわざわざ? ゲームなんて家でやればいいじゃないか」

 至極当然のことを言ったつもりなのに、ハバネロメロンは肩をすくめて見せた。

「昨日も言ったじゃないですか。ミナト先輩にゲームの楽しさを思い出させるためですよ。そのための環境構築です」

「そんなことのために?」

「ぼくにとっては重要なことです。そのために志望校も途中で変更したくらいですからね」

 流石に話を盛っているだろうと思った。が、俺が最期にゲーム配信をしたのは10月。高校の願書締切は1月頃だった気がするから、時期的にはありえなくはない。

「俺がここの生徒だってことはどうやって調べ上げたんだ?」

「配信の動画で七ツ森高校の制服が映ってる回があったんですよ」

「………………」

 調べられたというよりも、自分から情報をさらけ出していただけだったのか。

「ところでいつまで立ったままでいるんですか。いい加減にドアを閉めて座ってくださいよ」

 いつの間にかハバネロメロンは椅子の一つに座っていた。

 俺は言われるがままにドアを閉めようとしたが、寸でのところで手を止めた。

「いや、そもそも俺はここに入るつもりはないんだけど」

 ドアを閉めたらこのまま入部させられてしまいそうな気がしたのだ。

「何故ですか?」

「わざと訊いてるだろう。最期の配信の時に言ったよな。俺はゲームはもうやらないって。ゲームをやらない奴がゲーム部に入るのは本末転倒じゃないか」

「本当に全然やってないんですか?」

「やってないし、今後もやるつもりはない」

「スマホのアプリやネットのミニゲームとかも一切やってないんですか?」

「そんなのはやらな……いや、スマホのアプリはたまにちょっとやるかも」

「いきなり公約違反じゃないですか」

「公約ってなんだよ。俺は政治家じゃないぞ」

「最期のゲーム配信で大言壮語を吐いていたじゃないですか」

「と、とにかく暇つぶしやスキマ時間にちょっとやってみるくらいは誰だってあるだろ。ただ、本格的に腰を据えてやるようなゲームは一切やってないんだ。だから入らない。俺はゲームを卒業したんだ」

「大丈夫です。どれだけ強い決心も環境次第であっという間に鈍りますよ」

 そうなりたくないから断ろうとしているのだ。

 このままでは埒があかなさそうだったので、俺は角度を変えて断ることにした。

「そもそも俺は別の部活に入るつもりでいるんだよ」

「そういえば昨日、2年生なのに大量の勧誘チラシを抱えていましたよね。去年は部活に入っていなかったんですか?」

「まあ、そうだな」

「ゲームの配信をやっていたからですよね?」

「ああ。だけど失敗だったと思ってる。時間の無駄だった。だから今年は新しく部活に入るんだよ。有意義な時間を過ごすために。だから二つも部活に入っている暇はないんだ」

「ずいぶんと本格的な部活に入るつもりでいるんですね。野球部? サッカー部? バレーボール部? バスケ部? ラグビー部? テニス部? 陸上部? 水泳部? ざっと挙げてみましたがどれも大変そうですね。で、どれですか?」

「……いや、運動系は、ちょっと」

「それでは文化部ですか? 文芸部? 吹奏楽部? 軽音楽部? 合唱部? 美術部? 演劇部? 落研? 写真部? 書道部? 弁論部? オカ研? 漫研?」

「ものすごい勢いで列挙するじゃないか」

「今言った中には候補はありますか?」

「……いや、ないかも」

 耳で聞いてピンと来るものはなかった。

「その調子だと未だに入るところを決めていませんね?」

「だ、だったらなんだっていうんだ。俺が部活に入ろうが入るまいが、おまえには関係ないじゃないか。どっちみちゲーム部には入る気はないって言ってるんだから」

「自分から他の部活に入るから入れないって言ってきたんですが?」

「………………」

 どうやら俺はハバネロメロンと相性が悪いらしい。やたらと言い負かされている気がするし、なんだか自分が馬鹿に見えてくる。

「だ、たいたいどうしてそんなに俺をゲーム部に入れようとするんだよ?」

「前にも言いましたけど、端的に言ってミナト先輩のことが許せないんですよね。ゲームなんてやるだけ無駄なんて言うんですから。ぼくの中であの日の議論はまだ終わってないんですよ。でもミナト先輩との会話は平行線だから、言葉じゃなくてゲームでわからせてやるんです」

「俺の中ではもう終わってるんだけどな。とにかく俺は入らない!」

「そうですか。わかりました」

 ハバネロメロンは意外とあっさり引き下がった。

「今日のところはあきらめます。部活勧誘期間は来週までありますからね。まだ慌てる時間ではないのです。部室の備品もまだそろっていなかったですし。ある程度整ったら後日また改めて勧誘に行きます。その時は覚悟しておいてください」

「何度来たって無理なものは無理だから」

波鳥凛(はとりりん)

「え、何が?」

「ぼくのハンドルネームじゃない方の名前です。海の波に、鶏じゃない方の鳥。凜はニスイがつくやつです。覚えておいてくださいね」

 俺は頭の中で彼女の名前を漢字で思い描いた。

 教えてもらった以上、自分も名前を説明した方がいいのだろうか。

「俺の名前は知ってるんだったっけ?」

「はい。漢字まで完璧に把握しています。半年前から執拗に調べておいたので」

「気持ち悪いことを自慢気に言うなって」

 

   1-3

 

 波鳥が再び現れたのは3日後の昼休みのことだった。

「湊。1年生の女の子が呼んでるぜ」

 クラスメイトの一人に呼ばれて教室の入り口を見る。前と同じように廊下に波鳥が立っていた。

 前回と違って今回はしっかり心の準備ができている。

「悪いけど応じられないって伝えてくれないかな」

 俺は呼びに来たクラスメイトの男子に言った。

「いいのかよ。けっこうかわいい子みたいだけど?」

「いい。問題ない」

 クラスメイトは釈然としない顔をしていたが、俺が言った通りにしてくれた。廊下に出て波鳥と話をしている。

 やりとりを見ていた相沢さんが俺に近寄ってきて訊ねた。

「奏汰くん。あれって何日か前にも来た子じゃなかったっけ? 行ってあげなくていいの?」

 俺は口元に指を立てて「シーッ」と言った。今はできるだけ動きを見せたくなかった。

 視界の端で様子を伺っていると、波鳥はしばらくこちらを眺めてきていた。

 しかし5分もすると彼女の姿はなくなっていた。

 俺はゆっくりとため息をついた。

 粘着してくる相手には反応してはならない、というのがネットで見つけた対処法だった。半信半疑ではあったが、どうやら成功したようだ。

 安堵した俺は相沢さんに声をかけた。

「ごめん。急に黙って。とりあえず問題は去ったからもう大丈夫」

「事情はよくわからないけど、1年生を無視してよかったの?」

「うん。まあ、ちょっと込み入っていてさ……」

 確かに傍目にはよくない行動だった。でもみんなの前で黒歴史を掘り起こされるかもしれなかったし、これが一番安全だったはずだ。

 ふと耳をかすめるものがあって、俺は周囲をキョロキョロと見回した。

「どうかしたの?」

「相沢さんは何か聞こえない?」

「何かって?」

「どこからともなく懐かしいメロディーが聞こえてくるような……」

 校内放送にしては音が小さい。

 人間にはカクテルパーティー効果という、気になった音を聞き分ける力があるらしい。

 俺は出どころをたどって教室の中を進んだ。

 結果、さっき波鳥からの呼び出しを断ってくれた男子のところに行き着いた。

 スマホで何かを再生させている。

「それって何?」

「ん? ああ、オレもよくわかんないんだけど、さっきおまえを呼んでた女の子から送られてきたんだよ。昔のゲーム配信者なのかな。あんまり面白くないんだけど」

 スマホの画面を見せられた俺は、その場で卒倒しそうになった。

 それは昔の俺の配信動画だった。聞こえていたのはチャンネルのテーマ曲として利用していたフリーのBGMだった。

 配信時の俺は常にマスクをしていたし、声もボイスチェンジャーで変えてあった。

 幸いクラスメイトは配信主が俺であることに全然気づいていないようだった。

 俺はゆっくりとその場から離れて廊下に出た。

 徐々に歩みを早め、廊下の突き当りでスマホを手にたたずんでいる波鳥を見つけた。

「な、な、なんだよ、あれ」

 普通に話しかけたつもりなのに声が震えていた。自分で思っている以上に動揺していたらしい。

「ミナト先輩の動画ですね。ご存知かと思いますが」

「なんでそんなものをおまえが持っているんだ? 俺のアーカイブは全部消したはずなのに」

「デジタルタトゥーというやつです。一度ネットに上げられたものは永久にネットの中で巡り巡って消えないものなんですよ」

「いや、ネットがどうこうじゃなくて、俺が動画を消す前におまえが保存してたってだけのことじゃないのか?」

「さあ、どうでしょうね」

 はぐらかされたがそれ以外に考えられない。俺の配信は良い時でも500再生くらいだったから、わざわざ保存している人間が何人もいるはずがない。

「呼び出しに応じなかったからって、流石に酷すぎないか? 寿命が10年は縮んだよ」

「その点は大丈夫です。ミナト先輩がこうして来てくれたので、既にさっきの人に送ったリンクは動画の方を削除しました。今はもう見れなくなっているはずです。安心してください」

 動画を所持されたままである以上、何も解決していない。もっとも頼んで消去してくれるとも思えないが。

「で、用件は何だよ? 呼び出したからには何か言いたいことがあるんだろ?」

「放課後に部室に来てもらいたいです」

「だったら放課後に来て言えばよかったじゃないか」

「それだと逃げられる可能性がありましたので」

「そんな卑怯なことはしない」

「現に昨日と一昨日、教室にいなかったじゃないですか」

「だ、だから部活選びをしていたんだよ。見学とか」

「じゃあ部活選びは順調なんですか?」

「………………」

 ここですぐに答えられないのが悲しいところだった。

 いっそのこと部活の方から俺を勧誘しに来てくれればいいのに。

 

   1-4

 

 放課後、ゲーム部の部室にやってくると前よりも備品が充実していた。

 一番変わっていたのはナンテンドースナッチがモニタにつながっていることだった。

 俺のスナッチは半年前に配信用の機材と一緒に押入れに封印してあった。ゲーム機を見るのはそれ以来だった。

 あまりじっと見ていると波鳥に何か言われそうだったので、部屋の端にあるカラーボックスに目をやった。中にはノートパソコンとケーブル類があった。

 案の定、波鳥が俺の視線に目ざとく気づいて言った。

「ああ、それですか? ゆくゆくはプレイ動画を編集して配信したいと思っています。まだ機材もそろってないし、やり方もよくわかってないんですけどね」

「ゲーム配信なんて俺は絶対にやらないからな!」

 波鳥は口元を押さえて目を細めた。

「気が早いじゃないですか、ミナト先輩。全然そんなこと言ってないのに。これは自分でやるつもりで用意してただけですよ。あ、でも先輩がどうしてもと言うのなら貸してもいいですけど?」

 見え透いた煽りだ。まともにやりあってはならない。

 俺はパイプ椅子に音を立てて座った。

「で、今日は何を俺にさせようってんだ?」

 振り回され続けていると、声も自ずとやさぐれてしまうというものだ。

「順番通りに進めていきましょう」

 波鳥は鞄から一枚の書類を取り出し、テーブルの上に置いた。

 ゲーム部入部届け、と記されていた。

「やることはシンプルです。それに名前を書いてください」

「はいそうですか、って俺が普通に書くとでも?」

「思ってはいませんが、そうしてくれた方が望ましいとは考えています。ぼくだって好んで無理強いしたいわけではないんですよ」

「てっきり楽しんでるのかと思ってた」

「訂正します。部分的に楽しんでるところもありますね」

「あるのかよ!」

「最期の配信ではぼくも相当に腹に据えかねましたからね。多少は溜飲を下げておきたいんですよ」

「こっちのライフはもうゼロだよ」

「いい気味です。もっとも先輩を困らせるのがぼくの目的ではないということは言っておきたいです。あくまで手段に過ぎません。だからそろそろ入ってくれた方がお互いのためじゃないでしょうか」

 気遣いがあるのかないのかよくわからない言い方だった。

 もっとも俺もこれ以上の抵抗はあまり意味がないような気がしていた。

 昼休みの件から、波鳥が簡単に引く相手でないことはわかっていた。

 今後の高校生活に支障をきたす前に、懐柔されたフリをした方が良さそうだ。

「……わかった。入るよ」

 うなずくと速やかにペンを渡された。用意が周到すぎる。

「ただし条件がある」

 俺は入部届に記入する前に波鳥に言った。

「何ですか?」

「俺がこれを書く代わりに、教室にはもう来ないことを約束してほしい」

「クラスメイトに干渉されたくはないってことですね」

「放課後に部活をやるのはまだいいとして、クラスでの日常を脅かされるのは困るんだ。俺だって平穏に暮らしたい」

 波鳥はしばらく考えてから答えた。

「わかりました。今後、ぼくは2ーCには近づきません」

 俺は心の中でガッツポーズをつくった。何かを手放す代わりに何かを得る。これこそが交渉というものだ。

「ただ、それだと部活内での連絡が取れませんよね。なのでライン(LINNE)を交換しませんか?」

「うん? まあ、いいか」

 少し迷ったものの、教室に来られるより連絡先を交換する方がマシだと判断した。その気になればラインは見なければいいだけだし。

「交渉成立ですね」

 ラインのQRコードを読み込み適当なスタンプを送り合った。

 波鳥のユーザーネームを見て俺はあきれて言った。

「ハバネロメロンで登録してあるのかよ」

「ミナト先輩はイルミナイトではないんですね。残念です」

「だからその名前を口にするなっての!」

 ちなみに俺のラインのユーザー名はそのまんま「湊」だ。現実での連絡用なのでこれでいい。

 次に俺は入部届の用紙に名前を書くことになった。

 一方、波鳥には念書を書いてもらった。俺の入部と引き換えに教室には来ないという誓約だ。

 お互いに書き終えたところで、俺は念書をスマホで撮影した。これで原本をなくしても心配いらない。思わずニヤついていたら波鳥にその様子を見られていた。

「なあんだ。あんなに嫌がっていたくせに入部できて嬉しいんじゃないですか。まったく、素直じゃないですね」

「今笑ってたのはそういうことじゃないんだ」

「いいんですよ。入部したんですから素直になったって。早速ゲームをしてみますか? 先輩が好きそうなのをそろえてありますよ。ほら、コントローラーを手に取ってみてください」

「いや、いいから」

「ミナト先輩が昔使ってたような安物コントローラーではなく、公式のプロコンですよ。驚くほど手に馴染むので触ってみてください」

「触らない。無理やりに持たせようとしてくるな」

「この前まで入部しないとか豪語しておきながらこの体たらくですからね。どうせ後でやることになるなら今やったっていいじゃないですか」

「だからやらないって言ってるだろ!」

 まったく、先が思いやられる部活動だ。

 

   1-5

 

「それでその1年生の子が新しく作った部活に入ることになったんだ?」

「まあ、付き合いというか、流されたっていうか」

 相沢さんに根掘り葉掘り聞かれているうちに俺はある程度のことを喋っていた。

 部活選びを手伝ってくれた彼女は聞く権利があるし、俺としても誰かに聞いてもらいたかった。

 ちなみに波鳥については中学の後輩ということにしておいた。あまり語りすぎると俺の黒歴史まで露呈しかねない。

「ということは奏汰くんの部活探し&自分探しも、これにて一件落着ってこと?」

「いや、そういうわけじゃない」

 そこはキッパリと否定しておいた。

「成り行きで入部はしたけど、どうせ籍だけ置いてるようなものだし、部活探しはまだ続けるつもりだよ。俺がまだ見つけられていないだけで、自分に合う部活があるかもしれないから」

「ってことはかけ持ちするんだ。浮気性~」

「部活でそういうこと言う?」

 そんな愚にもつかない会話を楽しんでいる時だった。

 教室のスピーカーがオンになって校内放送が流れた。

『2ーCの湊奏汰くん。田島先生が職員室でお呼びです。繰り返します』

「今、タジーに呼ばれたのって奏汰くんだよね? 何かしでかしたの?」

「いや、身に覚えがない」

 田島先生というのは俺たち2ーCの担任だ。ちなみに1年生の時も同じだった。

 本名は田島守(たじままもる)。世界史の授業を担当していることから、当初のあだ名はタージマハルだったが、いつの間にか短縮されてタジーになった。

 七ツ森高校の教師の中では若い方だが、教育スタイルは熱血でも冷血でもなく平熱。基本的にあまり生徒に関わってこない。だから呼ばれた理由がよくわからなかった。

「奏汰くんが1年生の女の子と新しい部活を作って楽しもうとしているからだよ。きっと教育的指導だね」

 楽しんでいるわけではない。俺としては相沢さんと話している方がリラックスできる。とは思ったものの口にしはしなかった。

「ササッと済ませてくるよ」

 俺は席を立って西校舎の職員室に向かった。

 タジーの席は窓際だった。近づいていくと「お、来たな」と言って、隣の椅子を引き寄せて俺を座らせた。

「最近調子はどうだ?」

「可もなく不可もなく、ですかね」

「相変わらず覇気がないな、湊は。でも意外とアクティブな面もあったんだな。感心したよ」

「え? あ、はい」

「部活勧誘期間が終わるまでにいれられそうか?」

「ええ。どうにかそうしようとは思っていますけど……」

 自分が部活に入ろうとしていることは言ってなかったはずだ。それにどことなく話も噛み合っていない気がする。

「それはよかった。ああ、ただし次からは直接オレのところに来てもらった方がいいな。人に頼むんじゃなくて。それも1年生に」

「……すみませんが、先生は何の話をしていますか?」

 俺が訊ねるとタジーは成績の悪い生徒を心配するような顔で言った。

「そりゃあおまえ、ゲーム部の立ち上げについてに決まっているじゃないか」

「どうして先生がゲーム部のことを知っているんですか?」

「何でって、おまえ、オレが顧問だからじゃないか」

「……先生が、コモン?」

 とっさに頭の中で再生されたのはレアリティを表す方の言葉だった。コモン、アンコモン、レア。スーパーレア。なんだ、一番低いじゃないか。

「湊。おまえ、部長がそんなんで大丈夫か?」

「……俺が、ブチョー?」

 ブチョー。カチョー。カカリチョー。一番高い。いや、そういうことじゃない。

 俺はふとタジーの机の上に自分がサインした紙があることに気がついた。

 筆跡は確かに俺のものだったが、部室で書いた時にはなかった部長という肩書が追加されていた。

 ……あいつ!

 状況を察した俺はひとまずタジーに話を合わせてその場を乗り切った。

 放課後になるのを待って、俺は部室に直行した。

「波鳥! 勝手に俺を部長に――」

 勢い込んで中に入ったものの、俺の言葉は途中でフェードアウトした。

 波鳥は背を向けて一人でスナッチをプレイしていた。

 本当は不満をぶつけるつもりだったのに、俺の目はモニタに吸い込まれて離せなくなった。

 波鳥がプレイしているゲームは、かつて俺がドはまりしていたバトルロイヤルゲーム『フォースナイト』にそっくりだった。

 ちょうど新しいマッチが始まったところで、多数のプレイヤーが一斉に空中からダイブしていく。

 戦場である孤島に降り立ち、武器を現地調達し、最期の1人になるまで他のプレイヤーと戦い抜くアクションシューティングだ。

 既にフォースナイトはサービスが終了している。だから目の前にあるのは別のゲームだということはわかっていた。にも関わらず強烈な懐かしさがあった。

 波鳥はヘッドフォンをつけて黙々とプレイしていた。

 端的に言って非常に上手かった。無駄な動きをしないし、危うい場面になっても声一つ発しない。感情的にならず、テクニカルな動きに徹している。

 近接用のショットガン、中距離のアサルトライフル、遠距離を狙うスナイパーライフルの3つを場面ごとに使い分け、次々に他のプレイヤーを撃破していく。

 画面の端には二桁の数字が表示されていた。フォースナイトをやっていた俺にはそれが何であるかすぐにわかった。残りプレイヤーの数だ。

 数字はどんどん減っていき、やがて10を切った。つまり終盤戦ということだ。

 波鳥の操るキャラクターの後方から紫色の領域が迫ってきた。

 これもまたフォースナイトに同様のシステムがあった。

 マッチが進むとペナルティエリアが拡大して行動範囲が狭まってくる。

 そうすることでプレイヤー同士が出会いやすくなっているのだ。まあ、バトルロイヤル系のゲームにおいてはほぼ共通のルールだ。

 最終決戦は波鳥を含む3人の撃ち合いになった。

 動きが良いのは圧倒的に波鳥だったが、乱戦になると実力だけではどうにもならない時がある。

 波鳥は他の2人に挟まれて絶体絶命になった。

 ここまでかと思いきや、波鳥の操るキャラクターが無重力になったみたいに宙を飛んだ。

 意表を突かれたが、そういえばフォースナイトにも似たようなアイテムが稀に出現していた。

(後に知ることになったが、これは『バウンサー』という反重力を操る補助アイテムだった)

 空中を飛んで敵から距離を取った波鳥は1人をスナイパーライフル、もう1人をアサルトライフルで撃破した。

 画面がスローモーションになりながら「ビクトリーファイナル」の文字が出現した。マッチ終了。優勝だ。

 ふう、と俺は息をついた。いつの間にか呼吸を止めていたようだ。酸素を急いで取り込もうとするように心臓がやたらとバクバクしていた。

「いつまで立ったままでいるんですか?」

 ヘッドフォンを外した波鳥が呆れたように俺を眺めていた。

「き、気づいてたのかよ?」

「もちろんです」

「部室に入った時には反応がなかったから、集中してるんだと思ってた」

「集中してましたよ。だから振り返らなかったんです。ぼくは一度始めたゲームは中断しないようにしていますので。それにしてもすごく見てきましたよね」

「ふ、普通に見てただけだ」

「いいえ。モニタに穴でもあけそうなほどの凝視でしたよ。ほら、窓ガラスに映っているじゃないですか」

 ハッと正面の窓を見ると、呆けた顔の自分自身と目が合った。かなり鮮明に映り込んでいる。

「……き、気になったんだよ。フォースナイトにあまりにも似ているから。これってパクリにならないのか?」

「これは『フォースバウンス』というタイトルで、フォースナイトの元スタッフが開発協力をしています。だから似ていて当然ですし、バトロワゲーの正統な後継作品というのが世間の評価です。プレイ人口が指数関数的に増えていて、今、最も熱いゲームの一つと断言できますね」

「へ、へえ。すごい喋るじゃんか」

「無関心を装おうとしていますが、ミナト先輩だって興味があることを隠しきれていませんよ? プレイしてみますか?」

 コントローラーを受け取りそうになったが、俺は身をひねってどうにか回避した。

「そ、そんなことより言いたいことがあったんだ。なんで俺が部長になっているんだよ!」

 あわてて話題をそらしたみたいになってしまったが、実際にこっちが本来の用件だったのだ。

「あれ、意外と早くバレてしまったんですね。顧問の田島先生ですか?」

「そうだよ。というか、悪びれないのか!」

「まあ、遅かれ早かれ気づくとは思ってましたので」

「どうやったんだ。俺が署名をした紙には部長なんて役職欄はなかったのに」

「それは簡単なトリックですよ。隣のパソコンルームで、先輩にサインしてもらった紙に上から役職欄をプリントしたんです。ただそれだけのことです」

「………………」

 あまりにも簡単で返す言葉もなかった。

「それで、田島先生は何か言ってましたか?」

「……部員集めは順調か、って」

 タジーから言われたのは、部活勧誘期間である来週末までに最低あと1人部員を入れておくようにということだった。

「やっぱりその件でしたか。想定内ですね」

「ってことは残り1人の当てはついてるのか?」

 波鳥は俺の質問に質問で返してきた。

「何のためにミナト先輩を部長に据えたと思っているんですか?」

「いや、意味がわからないんだけど」

「では、何のために田島先生を顧問にしたと思ってますか?」

「……正直、考えたくないな」

 関わりがない教師であれば、俺も特に悩む必要はなかったはずだ。

「担任かつ顧問の先生は裏切りたくないものですよね?」

 

   1-6

 

『七ツ森高校ゲーム部、部員募集中! #ゲーム部 #部員募集中 #新部活 #七ツ森高校』

 ゲーム部の隣にあるパソコンルームで、俺は昼休みに部員募集のチラシを制作していた。

 画像は『いらすとヤーさん』のものを使い、フォントやロゴもフリー素材サイトから拝借してきた。

「スマホアプリでも作れるのに、どうしてパソコンで?」

 回転椅子をぐるぐる回しながら相沢さんが訊ねてきた。

「スマホアプリでも作れるっちゃ作れるんだけど、細かいところまでは調整できないんだよ。あ、この文字は何色がいいと思う?」

「ふーん。こだわっているんだね。赤かな」

「ありがとう。じゃあこっちのイラストの位置は? ちょっと高すぎるかな」

「大丈夫だと思う。奏汰くんって意外と凝り性だよね。あと、なんだかんだと世話好きだよね」

 俺はマウスを握る手を止めて首をかしげた。

 果たしてそうだろうか。いや、たぶん違うと思う。

 実を言うとこのチラシ作りにはれっきとした打算があった。

 なし崩し的にゲーム部に入った俺だったが、どうして波鳥に粘着されているのかを一度ゆっくりと考えてみたのだ。

 言うまでもなく原因は俺の最期のゲーム配信にある。それは間違いない。

 しかし半年前のことを未だに引きずっているのは普通ではない。

 たぶん波鳥はぼっちだ。

 部室にはいつも俺より先に来ているし、校舎内で誰かと一緒にいるところを見たことがない。

 一緒にゲームをするリアルな友達がいなくて寂しいのだ。

 それに気づいた俺はやるべきことが見えてきた。

 ゲーム部に人を集めて波鳥に友達をつくらせる。そうすれば彼女は俺に粘着しなくなるに違いない。

 俺は本腰入れて部員集めをすることにした。

 何事もやらされるより自分からやる方が楽しい。

 とはいえ部活勧誘期間は既に折り返していたし、ゲーム部は立ち上げたばかりで知名度はほぼゼロ。既に大半の生徒は部活を決めた後だろう。今さらチラシ配りのような普通のやり方では周知できないはずだ。

 そんなわけで宣伝はSNSだけにしぼった。正確にはそれ以外は費用対効果が低いと思ってやらなかった。

 ところが意外とこれが届くところに届いてしまった。

 アップしたその日のうちに4件のメッセージが来た。1件はスパムだったけど、残り3件はれっきとした七ツ森高校の生徒からだった。

 放課後にそのことを波鳥に伝えると目を見開いて「ほう」と言った。

「流石は元ゲーム配信者ですね。ネットを使った告知の仕方が上手い。腐ってもイルミナイトといったところでしょうか」

「まあな」

 褒められてちょっといい気分になってしまったが、数秒後に我に返った。

「だから名前を出すなって!」

「部室の中だからいいじゃないですか」

「今後人が増えるかもしれないだろ。そんな時にうっかり口に出されたら困るんだよ」

「大丈夫ですよ。仮にそうなっても他人はそこまで人に興味を持ちませんから」

「まあ、それはそうかもしれないけど」

「それともミナト先輩は自分のことを人から注目されるに値する人物と思っているんですか?」

「思ってはいないけど、万が一でもバレたら嫌なんだよ」

「大丈夫です。ミナト先輩に粘着してるのは、ぼくくらいのものですから」

「それって喜んでいいことなのか?」

「自分の感情くらい自分で判断してください」

 何だそれは。結局なにが言いたいのかよくわからなかった。

 ともあれこのまま沈黙したら変なので、俺は連絡のあった入部希望者の話をすることにした。

「それでこの3人はどうする? 放課後に見学にでも来てもらおうか?」

「そうですね。まずは部室を見てもらいながら少し話をしてみますか」

「日時を決めてから連絡した方がいいよな?」

「あ、それなら連絡先を教えてもらっていいですか? 先輩には宣伝をがんばってもらったので、ここからはぼくがやりますよ」

「え、そう? それならお願いするよ」

 俺はラインで3人の連絡先を波鳥に送った。

 この時の俺は初めて波鳥と意思の疎通できて感動していた。

 翌日の放課後、俺はゲーム部を波鳥に任せて部活見学に行った。

 かけもちが可能で、2年生から入っても大丈夫そうなところ。期待するほど多くはなかったが、絶望するほど少なくもなかった。

 中には人が少ないからと強く勧誘された部もあった。世の中は可能性に満ちている。決めきれなかったけれども前向きな気持ちになれた。

 目ぼしい部活を回り切ると、ちょうどゲーム部のある通路に出た。

 そういえばこちらの見学はどうなっただろうか。

 気になったので立ち寄ってみることにした。もしかしたら気の合う仲間がもう入部をしていて、和気あいあいとゲームに興じているかもしれない。

 部室の前まで来た途端、荒々しくドアが開いて1年生らしき男子生徒が飛び出してきた。

「こんなところ二度と来るか!」

 男子はそう吐き捨てると、俺の横を足早に通り過ぎていった。

 何が起きたのだろうか。一緒にゲームをしたら夢中になりすぎて喧嘩になったとか?

 俺は半開きになったドアをノックしてから中に入った。

 中には波鳥が一人で座っていた。天井のシミでも眺めているみたいに宙を見上げている。

「……ああ、ミナト先輩ではありませんか」

「今、入部希望者らしき男子が出ていったけど、何かあった?」

「あった、というよりなかった、と言うべきかもしれませんね」

「……謎かけされてもよくわからないんだけど」

「ぼくは今日、3人の入部希望者と話をしました。さっきのは最後の1人です」

「それで?」

「ゲーム部の活動にふさわしい人かどうか見極めようと思ったんですが、全滅でした。3人が3人ともまるで話になりません。だから断ったんです」

「え、なんで?」

「1人目は無料のゲームしかやらないと言ってましたし、2人目は一見ゲームに詳しいようでいて、自分の知識を語りたいだけ。そしてさっきの3人目はゲームは自分でやるよりも、見た方が効率が良いなんて言い出す始末。全員、門前払いにしてやりました」

 波鳥は一見して淡々と語っているようだったが、よく見ると眉間にしわが寄っていて、かなりやさぐれているようだった。

 半年前の俺のゲーム配信に未だに粘着してくるくらいだから、ゲームに人一倍のこだわりがあるのはわかる。が、流石に黙っていられなかった。

「何やってんだよ?」

 俺だってがんばってチラシを作って人を呼び寄せたのだ。それなのに全員こちらから追い払うなんてどうかしている。

「勧誘期間まであと少しだろ。今は人を選んでいる場合かよ。それとも本当はゲーム部なんて作る気がないんじゃないのか?」

 波鳥の眉間のしわがよりいっそう深まった。

「妥協するには早すぎませんか? それとも嫌な人と無理やり一緒にゲームしろって言うんですか? ぼくが自分で作った部活なのに?」

「それにしたって早計すぎるよ。とりあえず入部してもらってから見極めたっていいじゃないか。スポーツの強豪チームでもないんだから」

「フォースバウンスはeスポーツの種目にもなっています。ある意味、スポーツの部活といっても差し支えはありません。志が異なる人を入れたくないのは当然ですよ」

「そんなこと言ったら俺をどうして巻き込んだんだよ。ファーストコンタクトは最悪だったし、ゲームはやらないって言っている。俺を入れた必要がまるでないじゃないか」

 急に波鳥の声のトーンが落ちた。

「……ファーストコンタクトは、悪くはありませんでした」

「え、何だって?」

 上手く聞き取れずに訊ね返したが、波鳥は答えてはくれなかった。

 鞄を持って立ち上がると、俺を押しのけて部室を出ていった。

「おい、まだ話は――」

 追いかけようとしたら部室の鍵が顔に向かって飛んできた。

 慌ててキャッチしようとしたが取り損ねて床に落としてしまった。

 しゃがんで拾い上げた時にはもう、波鳥は渡り廊下の角を曲がって見えなくなっていた。

 

   1-7

 

 朝の通学バスに乗り遅れてしまった。

 高校に通い慣れて一年以上たつのに初めてのことだった。

 仕方がないので次のバスが来るのを待って乗車した。幸いホームルームには間に合う時間だった。

「あれ? 奏汰くんじゃん。バス通学だったんだっけ?」

 途中のバス停で相沢さんが乗車してきて、俺の隣に座ってきた。

「いつもはもう一本早いやつに乗っていたんだけど」

「乗り遅れたんだね。珍しい。そういえば今日はちょっと元気がなさそうだね」

「そんなこと……いや、そうかもしれない」

「何か悩み事でもあるのかな。今なら無料相談受け付け中だよ」

 俺は昨日、波鳥と喧嘩したことを相沢さんに話した。

 本当はあらましだけを伝えるつもりだったのに、喋っているうちにどんどん詳しく語ってしまった。

 なんだか最近、相沢さんには何でも話してしまっている気もする。

 最終的に俺の黒歴史以外のことはだいたい打ち明けてしまった。

「おやおや。ずいぶんと破天荒な1年生に振り回されているみたいだね」

「そうなんだよ。おかげで自分の部活選びに集中できないんだ」

「奏汰くんにはもともと新しい部活は必要ないのかもね」

 相沢さんは特に口調を変えずにさらりと言った。

「え? ごめん。よく聞こえなかった」

「ううん。なんでもない。今のは妖精さんの囁きじゃないかな」

 聞き間違いだったのか。とりあえずそういうことにしておこう。

 気を取り直して俺は相沢さんに訊ねた。

「俺は今日も部室に行った方がいいと思う?」

「嫌だったら放っておけばいいんじゃないかな?」

 俺はポカンと口を開けながら相沢さんを見た。

「ん?」

 相沢さんは表情を変えずに首をかしげた。

「……いや、でも、いきなり放っておくってのはちょっと、白状かなって思う」

「でも、本当に嫌だったらやらなくてもいいんだよ? それがたとえどんなことでも」

 俺はしばらくバスに揺られながら考え込んだ。

 相沢さんの言うことは正しいのだけど、何かが自分の中に引っかかっている。

「……嫌かどうかはわからないんだけど」

「だけど?」

 俺はなぜか波鳥がフォースバウンスをやっている時のことを思い出していた。

「……波鳥が部室でゲームをやっている姿を見た時、なんだか初めてゲームをしていた時の自分を見たような気がしたんだ」

「その波鳥って一年生の女の子のこと?」

「うん。純粋に楽しんでるっていうか、これが人生において一番楽しいことなんだって確信しているみたいな感じが伝わってきたっていうか。……ごめん。何を言いたいかよくわからないよね?」

「奏汰くんはゲームはしないんだったっけ?」

「卒業したんだ。半年前に」

「なるほどね」

 何がなるほどなのだろうか。

 訊ねる前にバスは高校の正門前に到着した。周りと一緒に俺たちはバスを降りた。

 校舎の昇降口へと歩いていく途中、相沢さんが言った。

「ねえ、そのゲーム部ってかけもちしてもいいの?」

「いいんじゃないかな。現に俺も別の部活を探しているわけだし」

「ううん。奏汰くんじゃなくてさ」

「じゃあ誰が?」

「あたしがゲーム部に入ってあげるってどうかな?」

 

   1-8

 

 放課後、渡り廊下を躊躇なく進んでいく相沢さんを俺は必死に追いかけた。

「やっぱりやめておいた方がいい。たぶん誰も幸せにならない」

「それは試してみないとわからないんじゃない?」

 相沢さんは足取りを止めない。その向かう先はゲーム部の部室だった。

「そもそも相沢さんはゲームはする人だったっけ?」

「大丈夫。中学の時に猫を集めるやつはコンプリートしたから。プロだよ、プロ」

 相沢さんは両手でガッツポーズをつくって見せた。

 つまりほとんどやらない、ということだ。

「それだと波鳥は絶対にヘソを曲げるよ。下手したらひどいことを言われるかねない。年上だからって遠慮するような人間じゃないんだ」

「言われたら言われたでその時だよ」

 俺としては相沢さんが協力してくれるのは嬉しかった。反面、彼女に嫌な気持ちになってもらいたくなかった。実際、そうなる可能性はかなり高いのだ。

 俺の制止を振り切って相沢さんは部室の前に到着した。

「たーのーもー」

 相沢さんはまるで道場破りのような声を上げてドアノブに手をかけた。

 ここまできたらもうどうにでもなれ。と思いきやドアは開かなかった。

 そういえば昨日は波鳥が先に帰ったので部室の鍵は俺が持ち帰っていたのだ。

「もしかしたら今日は来ないのかもしれない。とりあえず出直そう」

 そう言って相沢さんをあきらめさせようとしたのだけれど遅かった。

「おはようございます。鍵、まだ開けてないんですか?」

 いつの間にか波鳥が背後にやってきていた。

 出会ってしまったからには仕方がない。俺はあきらめて部室の鍵を開けた。

「こちらの方は?」

 波鳥は一緒にいる相沢さんを見て言った。

「あたしは奏汰くんと同じクラスの相沢硝子(しょうこ)って言うんだ。よろしくね」

 俺が紹介する前に相沢さんは自分から自己紹介をした。

「はい。よろしくお願いします」

「実はあたし、入部希望者なんだ」

 その言葉を聞くなり波鳥の目が光った。

 しばらく黙ったまま相沢さんの顔を見ていたが、やがて納得したようにうなずいた。

「今、思い出しました。教室でミナト先輩の隣によくいた人ですね」

「すごい。よく見てるんだね。覚えててくれたんだ」

 なぜか相沢さんは嬉しそうにはしゃいでいた。

 一方、波鳥は冷ややかに俺を見ていた。わずかに姿勢をズラし、俺にだけ聞こえるように小さな声で言った。

「ぼくが手に負えないものだから、知り合いに協力を仰いだというわけですね」

「そういうわけじゃ――」

 と言いかけたところ、相沢さんが俺と波鳥の間にするりと割り込んできた。

「奏汰くんは関係なくて、あたしはあたしの好奇心でここに来たんだよ」

 聞かれているとは思っていなかったようで、波鳥はわずかに動じた表情になった。というか俺もまさか聞こえているとは思わなかった。

 地獄耳の相沢さんは立て続けに言った。

「ねえ、ゲームってそんなに面白いの?」

「え?」

 出し抜けに訊かれて波鳥は目を丸くしていた。

 根本的すぎる質問は往々にして答えに窮してしまうものだ。

 仮に俺も同じ質問をされたら困っていただろう。小一時間考えてしまうかもしれない。

 ……あ、いや、訂正。俺はゲームなんてやるだけ意味がないとすぐに断言するけれども。

「と、とりあえず中に入って話しましょう。簡潔に答えられるものではありませんので」

 波鳥はそう言って相沢さんを部室に招き入れた。

 行く末を見守ろうと俺も中に入ろうとしたが、波鳥に両手で押し返された。

「ミナト先輩はご遠慮ください。適当にその辺で時間を潰しててください。とりあえずグラウンド十周とかいいんじゃないですか?」

「適当って言う割に具体的じゃないか! あと過酷!」

「邪魔しないでくださいね。部室の案内はぼくが担当するって決めたことなので」

 俺は相沢さんに目をやった。

 ここで彼女が「奏汰くんも一緒に」と言ってくれれば状況は少し改善されたかもしれない。ところが彼女はなぜか俺を見送るように手を振っただけだった。

 目の前でピシャリと部室のドアが閉じられた。

 こうなってはもう手は出せない。

 廊下で立って待っているのも罰を受けているみたいで嫌なので、俺は校舎の中をぶらつくことにした。

 言うまでもないがグラウンド十周はしない。運動部でもない俺がそんなことをやったら寿命の前に死ぬだろう。

 あてもなく廊下を歩いていたら10分とたたずにスマホが震えた。相沢さんからのメッセージだった。

 やっぱり3人の入部希望者の時のように決裂してしまったのか。それにしても早すぎないか。目を通す前から頭が痛くなりそうだった。

 届いていたのは文字ではなくスタンプだった。ファンシーなうさぎがダブルピースしている。

 既読がついたことに向こうが気づいたのか、たたみかけるように「やったー」「サクセス!」「グッ!」のスタンプが連投されてきた。

『入部できたの?』

 俺は混乱しながらメッセージを送った。

 ところがそれ以降、既読は一向につかないまま返事は途絶えた。

 いったい何が起きているんだろう。俺は足早に部室へと引き返した。

 ゲーム部に到着してドアをノックする。中から騒がしい音が聞こえている。

 ゲームの音の他に、相沢さんの甲高い声が響いた。まさか殴り合いの喧嘩とか?

 俺は返事を待たずに中に踏み入った。

 相沢さんがスナッチのコントローラを握ってモニタに向かっていた。

「えー、何これ。あ、誰か来た! これ誰? 敵? ど、どうするの、これ。いい? 殺していい?」

「いいです。速やかに殺してください。躊躇しているとこちらが殺されます。殺られる前に殺ってください。それがセオリーです」

 テンパっている相沢さんの隣では、波鳥が的確なアドバイスを与えている。

「あッ? あ、あーーッ! 死、死、死ィイイ!」

 モニタの中では相沢さんのキャラクターが今まさにやられるところだった。いかにも今始めたばかりというぎこちなさで、正直に言って下手の極みだった。

 しかし相沢さんはとても楽しそうだった。

 波鳥は普段と変わらぬ面持ちだったが、よく見ると微笑んでいるようにも見えた。

「あれ? 奏汰くん、来てたんだ」

 リマッチの待機時間中に相沢さんが思い出したように振り返った。どうやら本当に忘れられていた可能性がある。

「……えっと、入部の話ってどうなったんだろう?」

「あ、それね。入れてもらったよ」

 いつの話をしているんだ、とばかりに相沢さんはさらっと言った。

「え? 本当に? 相沢さんゲームほとんどやらないのに?」

「やらないけどやってみたいって言ったら歓迎してくれたよ。全然知らないって言ったらこれを勧められたんだけど、うん、難しいけどわちゃわちゃしててなんか楽しいね。これはハマるわけだ。っていうわけで奏汰くんもこれからよろしく。あたしも今日から晴れてゲーム部員です」

 俺は呆気に取られながら波鳥を見た。

「何か問題でもありますか?」

「……いや、ない」

 画面の中ではマッチングが完了してゲームが再スタートになった。

 モニタに向かっている二人を見ながら、どうして波鳥は相沢さんを受け入れたのだろうと考えた。

 ほとんどゲームをやってきていないはずなのに。いや、むしろゲームをやっていないからか?

 結局、考えてもよくわからなかった。いや、そもそもわかるはずがないのだ。出会ってから今まで波鳥をまともに理解できた試しはない。

 何はともあれ最低限の部員が確保できたことは喜んでもいいだろう。

 そして波鳥は一緒にゲームを楽しむ相手ができた。

 結果論とはいえ、俺の計画通りだ。

 俺は生暖かい目で二人を眺めた。主に相沢さんがプレイし、時おり波鳥がお手本を示すために代わっている。とても楽しそうだ。

「………………」

 しかしなぜだろうか。次第にウズウズしてきた。不公平さを感じる。

 この感覚には覚えがあった。

 例えるのなら遊園地のアトラクションで順番が回ってこない時の不満のような。

 

 ――ちょっと俺にもやらせてくれないか。

 

 危うく喉からそんな言葉が出かかって、俺は慌てて口を押さえた。

 いや、違う。今のは何かの間違いだ。気の迷いだ。断じて本心ではない。

 俺は目を閉じて自分に問うた。

 ゲームなんてやっても意味ないだろう?

 そうだ、その通りだ。だから俺はもう引退したんだ。絶対にやらない。やりたくない。やるべきではない。

 ――良し。

 俺は気持ちを新たにして目を開いた。

 顔を上げると窓ガラス越しに波鳥と目が合った。

 波鳥は八重歯を覗かせてニヤリと笑った。

 どうやら俺はずっと彼女の手のひらの上で踊らされているのかもしれない。


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