僕の心をかき乱した、この恋の責任をとって
◇◇彼女side◇◇
天羽律音くんが好き。愛しているといっても過言ではない。
クールすぎて無表情なところも、友達付き合いが苦手で一人でいるところも、真夏でもシャツの第一ボタンを外さない真面目さも、四角張った几帳面な字も、絵が上手なのも、重い前髪も、野暮ったい黒縁眼鏡も、なにもかもが私の心をくすぐる。
秘めた想いを爆発させたきっかけは、高校二年生の修学旅行で同じグループになったこと。
グループラインで、律音くんと連絡がとれるようになったのだ。
修学旅行が終わり、グループラインは解散になった。けれど私は想いを抑えることができずに、律音くんに朝の挨拶を送る。
『おはよう。今日は寒いね。風邪を引かないよう、気をつけて』
『おはよう。今日はテストだね。頑張ろうね!』
『おはよう。今日は雨予報だよ。傘を忘れずにね』
返信は一度もないけれど、既読がつく。それが嬉しくて、私は毎朝のメッセージに勤しんだ。
けれどそれだけじゃ足りなくなって、夜も送るようになった。
『おやすみなさい。今日もお疲れさま』
『おやすみなさい。今日は寒いね。風邪引かないように気をつけてね』
『おやすみなさい。明日の試験も頑張ろうね』
欲望は満足することを知らない。律音くんともっともっと仲良くなりたくて、文化祭でコスプレ喫茶を提案した。
文化祭当日。律音くんの好きなアニメキャラである、アイドル戦士もどかちゃんのコスプレをした。
(もどかちゃんに似ているね。僕の彼女になる?)
そんな台詞を妄想してはしゃいでいると、律音くんに空き教室に呼び出された。
もしかして告白される? ドキドキして心臓が破裂しそう。
「もどかちゃんのコスプレをするな! 三次元の女がどんなに頑張っても、二次元の女にはなれないから!!」
告白ではなく、クレームだった……。
律音くんの笑顔が見たかった。喜んでほしかった。彼女になりたかった。
けれど――想いは玉砕した。
号泣する私に、友達は諦めるよう説得してくる。
「天羽のどこがいいのか全然わからない。陰気なアニメオタクじゃん」
「美雨はさ、恋に恋してるだけなんだよ。目を覚ましなよ。陰キャと付き合ったって、会話にならないって!」
だけど、律音くんへの想いは薄れない。陰気なアニメオタクだろうが、なんの問題も、障害もない。
律音くんのことをもっと知りたくて、学校帰りの彼の後をつけた。
律音くんは公園の前で立ち止まると、振り返った。彼の視界に入れたことに、私の胸はキュンとときめく。
「これ以上ついてきたら、ライン完全無視する」
「……ごめんなさい。後つけないから、これからも読んで……」
「…………」
律音くんは無言で立ち去った。
その夜、謝罪のメッセージを送った。いつものように既読がついて、泣くほど嬉しかった。
嫌われていない。そう思ったのだけれど、この話をしたら、友達も友達の彼氏もドン引きした。
「美雨のやっていることって、ストーカーだからね! そのうち、訴えられるよ!!」
「友達として忠告する。望みなし。諦めろ」
「マジ引くわー。美雨ちゃんは良い子だし、カワイイけどさ。絶対に彼女にしたくないタイプ。怖っ!」
律音くんへの恋心は、一方通行なうえに迷走している。まったく理性的じゃない。けれど、この後に及んでも好きな気持ちに終止符を打てない。
一方的にラインを送り続ける毎日。返事がなくても、既読がつくだけで幸せだった。
三月になり、高校を卒業した。私は地元の大学に、律音くんは隣の県の大学に進学した。
学校に行けば、顔を合わせられた日々が貴重だったことを知る。
律音くんに会えない寂しさが高まって、朝晩の挨拶の他に日中もメッセージを送るようになった。
『天気がいいね』
『空が綺麗だよ』
『たんぽぽの綿毛が飛んでいるよ』
『季節限定のマンゴードリンクが売切れで買えなかった。残念』
綺麗な夕焼け空や道端の花を見つけては、写真を撮って送る。
一日平均五通。ひどいときには二十通送ることもある。完全なるストーカーの出来あがりである。律音くんはさぞや呆れているだろう。
そんな重度の恋愛中毒に終止符を打つ日がやってきた。
大学で仲良くなった友達に、ストーカー事件が起こったのだ。ゴミ捨て場からゴミ袋を持ち去ろうとする男に、友達の彼氏が声をかけた。同じサークルの男子だったからだ。その男子が持ち去ろうとしていたのは、友達が出したゴミ袋。友達に片想いをしていた男子は、家に持ち帰って中身を漁っていたらしい。
人間として最低だと怒る友達からその話を聞いたとき、私は体の震えを止められなかった。
――律音くんのゴミ袋、私も欲しい。律音くんの生活を知りたい。
自分の中にある欲望に身の毛がよだつ。私は犯罪予備軍だ。このままでは律音くんを傷つけてしまう。
「迷惑をかけるのって、愛じゃないよね……」
ようやく気づいた。目が覚めた。
私がしてきたことは、愛という名の嫌がらせでしかなかった——。
律音くんの連絡先を消去した。それからスマホを解約し、違う電話番号に変えた。
真夏の抜けるような空の下。私は新しく購入したスマホを握り締めて、泣き崩れた。
律音くんの電話番号もアドレスもわからない。履歴もない。
すべてが終わった。同時に私の人生も終わった──。
心にポッカリと大きな穴が開いている。私の世界から、大切な宝物が失われてしまった。この穴が埋まることは永遠にないだろう。
スマホを新しくして一週間後。ぼーっとテレビを見ていたら、インターホンが鳴った。
玄関を開けると、律音くんが不機嫌な顔で立っていた。
「話がある」
警察にストーカー届けを出したんじゃ……と慌てたが、律音くんの後ろに警察はいない。
だけど謝罪の必要性を感じて、私は頭を下げた。
「ごめんなさい。今までしてきたこと、全部ごめんなさい」
「許さない! 絶対に許さない!!」
律音くんは本気で怒っている。当たり前だ。私のした行為で律音くんに嫌な思いをさせてしまった。
情けなくて、涙がポタポタと落ちる。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「許さないって言っているだろう!! 勝手すぎる! いきなり連絡を絶ってさっ!! 一言、僕に飽きたって言えばいいだろう! 他に好きなヤツができたってっ!! 僕の感情をかき乱して、突然消えるってズルいだろっ!!」
「飽きていないし……、他に好きな人もいない……」
「じゃあなんで、連絡切ったんだよ!!」
「だって私、ストーカーだもん。律音くんに迷惑かけているから……」
「はあ? 今さらそれ言うかよ。毎日しつこくラインしてきたくせに!!」
「もう二度と送らないから……ごめんなさい」
泣きじゃくる私に、律音くんは「許さない」と、低い声で告げた。
「僕の人生、めちゃくちゃなんですけど。迷惑をかけた責任をとって」
「どうやって……」
「もう一度、連絡先を交換しよう。今日からまたラインを送ってきて。毎日」
「えっ……?」
わけがわからないながらも、新しい電話番号を教えた。律音くんからラインが入る。
『よろしく』
キョトンとする私に律音くんは、
「まずは友達から始めよう」
と、真っ赤な顔をしたのだった。
◆◆彼side◆◆
館林美雨というクラスメートがいる。
彼女は清楚な容姿と、優しい性格をしている。聞き上手な彼女は、当然ながら友達が多い。
そんな彼女が毎日ラインを送ってくる。僕はその理由をわかっている。
(僕が陰気なアニメオタクだからって、仲間と悪ふざけをして遊んでいるんだ。僕が返信をしたら、SNSにそれをアップして、『キモいオタクが調子にのっていまーす!』って、全世界に晒す気なんだ)
陽キャは怖い。ヤツらは明るく振る舞っているが、一皮剥けば残忍だ。陰キャよりも闇が深い人がいる。
それを僕は、過去のいじめられた経験上、知っている。
だから、彼女からのラインを無視しようとした。けれどつい気になって、見てしまう。
彼女から毎日送られてくるメッセージは、天気と試験の話題が多い。
どうでもいい内容。陽キャは有り余るエネルギーを、実際の人間関係で消費するから困る。
僕は常々、思っていることがある。三次元の人間がコスプレを楽しみたい気持ちは理解できるが、どうやっても二次元のキャラには敵わない。キャラのイメージを壊さないでほしいと、切に願っている。
それなのに彼女は文化祭で、アイドル戦士もどかちゃんのコスプレをした。もどかちゃんとは、僕が世界一かわいいと思っているアニメの世界の女の子。
彼女は僕のもどかちゃんを汚した。正直、アイドル戦士のコスプレが似合っていて可愛いなとは思ったけれど、もどかちゃんとは別物である。
僕は初めて女の子を呼び出した。
「もどかちゃんのコスプレをするな! 三次元の女がどんなに頑張っても、二次元の女にはなれないから!!」
彼女は傷ついた顔をした。そのことに僕は深く……傷ついた。
(やっぱり三次元の女の子は苦手だ。どうやってコミュニケーションをとったらいいのか、わからない……)
二次元の女の子は安心できる。僕がどんなことをしても嫌いだと言わない。なによりも、二次元の女の子は最高にかわいい。
彼女は僕を嫌いになったと思った。
それなのになにを考えているのか、彼女は僕の後をつけてきたり、相変わらずこまめにラインを送ってくる。
僕は苛つき始めた。
——僕の世界に入ってくるな! 僕の感情をかき乱さないでくれ!!
一人の世界は孤独だけれど、気楽。誰も傷つけない。自分を傷つける者は自分だけ。
僕は否定されるのも、人を傷つけるのも怖い。
大学に入り、彼女と離れ離れになった。
安心していいはずなのに、僕は一日中彼女のことを考える。『たんぽぽの綿毛が飛んでいるよ』なんてどうでもいい写真付きメッセージさえ、何回も読み返す。
彼女からの日々の連絡はまるで、この世界に僕が存在してもいいのだと受容してくれているようで。彼女が住む明るい場所の端っこに僕がいることを許可してくれているようで、泣きたくなる。
彼女は僕をおかしくさせる。けれど僕は、そのおかしな気分に名前をつけることはしなかった。素知らぬふりをした。
夏休み直前。彼女からの連絡が途絶えた。心配になって、勇気を振り絞って電話をかけてみた。繋がらなかった。メッセージも届かない。
「そうか……。僕に飽きたんだ。彼氏ができたんだろうな……」
最初からわかっていた。からかわれていただけ。暇つぶしの相手だっただけ。
それなのに僕は、彼女の家に行ってしまった。
彼女の我儘に振り回された被害者なのだから、怒る権利があると、自分に言い聞かせて。
彼女は何度も謝ったが、僕は「許さない」と怒鳴った。
僕をおかしな気分にさせた罪は重い。生まれて初めて、生身の女の子と仲良くなりたいと思ってしまったのだから。
彼女と繋がりたくて、新しい連絡先を手に入れた。彼女のラインに、『よろしく』と送る。なにがよろしくなのかは、自分にもわからない。
「まずは友達から始めよう」
そう言った僕に、彼女はとびっきりキュートな笑顔を見せた。
「うん! 嬉しい!!」
降伏するしかない。認めるしかない。
彼女は……二次元の女の子と同レベルに、可愛い——。
僕たちは友達付き合いを始めた。毎日ラインを送り合って、休みを合わせて映画を観に行って、花火大会では迷子にならないように手を繋いで。
これが、友達の範囲なのかはわからない。
彼女は優しくて、可愛い。だからこそ僕は、彼女と親密になりたくない。僕はアニメオタク。部屋にはアニメグッズが山のように置いてある。
彼女にハマりたくない僕は、適度な付き合いを心がけた。
それなのにあるとき。僕は風邪を引き、一人暮らしのアパートに彼女がお見舞いにやってきた。
僕は、覚悟した。ついに、友達関係が終焉を迎える日がやってきたのだ──。
際どい服装の女の子のポスターや、胸の大きな女戦士のフィギュアに、彼女はドン引きするだろう。虫ケラを見るような冷たい目で、僕を見ることだろう。
「律音くん。なに食べたい?」
「……お粥がいい。卵入りの」
「わかった。冷蔵庫を見てもいい?」
「うん」
「出来るまで、寝て待っていてね」
「うん」
彼女の赤くてふっくらとした唇が僕の名前を呼ぶ。
僕は苗字でしか呼ばれたことがなかったし、女子の下の名前なんて呼んだら睨まれるものだと怯えていた。
下の名前で呼び合う関係って、いいなって思う。でもそれも、今日で終わり。
僕は自分の手で、幸せを壊すことにした。
「美雨ちゃん」
「なに?」
「僕はアニメとゲームが生きがいだからやめるつもりはないし、グッズとフィギュア集めも続ける。これからも僕は、オタクの道をいく。そういうのって……嫌いだよね……」
「嫌いじゃないよ」
「どうして⁉︎」
彼女は冷蔵庫の扉を閉めると立ち上がり、棚の上のフィギュアに視線を向けた。
「だって、好きなんだよね? 私にはわからない世界だけれど……。律音くんが大切にしているものだから、否定したくない。応援するね。オタクの道、頑張って」
僕は頭からすっぽりと布団をかぶった。声を押し殺して泣くのが大変だった。
三次元の女性は決して、二次元の女の子が持つ可愛さを表現できない。それは、譲ることのできない真実。
だけど同時に、二次元の女の子は僕が病に倒れてもお見舞いに来てくれないし、お粥も作ってくれない。
館林美雨ちゃんは、僕が大切にしているものに理解を示してくれた。
僕を受け入れてくれた彼女を僕は許し、そして——世界一大好きだって、叫びたい。
お読みいただき、ありがとうございました。