あんぱんの味
あれは、遠い記憶。
当時、甘いお菓子は希少だった。
そして、実家は決して裕福ではなかった。
だから、洋菓子は無論、和菓子も買えない程だ。
……のだが。
ある日、父は何種類かのパンが入った袋を持ってきた。
「近くのパン屋で、貰ってきた」
と、父は話した。
どうやらその日は、いつもより売れ残って店主が困っていたみたいで、たまたま通り掛かって事情を聞いた父が、貰ってきたとの事だ。
「まあ、そんなに売れ残っていたのですか」
母が台所から出てきて、そう言う。
「ああ。店主さんの家でも食いきれない、だそうだ」
「お金、払ったの?」
幼かった私がそう聞くと、父は首を横に振った。
「いんや、何かと世話になってるから、タダ当然であげると言っていてな。そりゃあ、父ちゃんも金を払わんと……と思ったがな。店主さんがうちんとこの事情を知っててか、そのまま渡してくれたんだ」
……今思い返しても、何だか申し訳ないと思うけれど、そのままパンを頂く事にしました。
「……あたし、あんぱん食べたい!」
そう、あんぱんを袋から取り出しました。
パンを割ると、餡子がぎっしり詰まっていました。
ひとくち頬張ると、餡の甘さが口の中に広がった。
「う~ん!あんまい!」
無我夢中で、私はあんぱんを食べました。
「こら、喉に詰まるわよ」
母が、お茶を差し出します。
「わかって、る」
お茶を飲みながら、あんぱんを食べきりました。
あの時の想い出があったから、なのか……
私はたまに、あんぱんを食べる事がありました。
▫▫▫
……それから、数十年。
遠くへ嫁いでしまったからか、なかなか行けなかった両親の墓参りに地元へ帰りました。
「千緒子、久しぶりじゃあ」
いとこが、駅に迎えにきました。
(両親のお墓は、いとこに頼んで管理をしてもらっていました)
「久しぶり」
いとこの軽トラに乗せてもらい、実家へ帰ります。
「あんまり、変わっとらんね」
私がふとそう言うと、いとこは苦笑いしました。
「だいぶ廃れてしまったんだがなぁ」
まあ確かに、空き家らしい家もたくさん見受けられる。
……いとこの言う通り、かもしれないな。
「あれ?」
もうすぐ実家に着くところで、ふと気になるお店がありました。
「あのパン屋、まだやっていたんだね」
そう、あの時のパン屋だ。
昔のまんまで、やっているようだ。
「ああ、今は息子が引き継いでいるよ」
いとこがそう言う。
……確か、あそこのパン屋さんといとこは同級生だったっけ。
「あとで、顔を見せるか」
いとこがそう言う。
「うん。そうするよ」
▫▫▫
荷物を実家へ置き、パン屋へ向かった。
ドアを開けると、パンの良い香りがする。
「いらっしゃい……ああ、箕嶋さんちの」
現店主が、そう言った。
どうやら、覚えていてくれたみたい。
「あの時のパン屋が、まだやっていて……その、懐かしくて」
私がそう言うと、店主は嬉しそうな顔をした。
「父さんの店を、どうしても引き継ぎたいって思いましてね。気がつけば、もう十年以上が経ちましたがな」
思い出話をしていると、私はあんぱんに目がいきました。
ふと、あの時の記憶が思い起こされます。
「あの、あんぱん一つ、くださいな」
「それじゃあ、お代は今回頂きません。久々にお顔を見れたので」
店主はそう言います。
「でも……」
私が財布を取り出そうとすると、店主は止めました。
「今回は、こちらの気遣いとして……貰っていってください」
「……あ、ありがとうございます」
▫▫▫
そして、実家に戻ってあんぱんを取り出しました。
まだ夕食までは時間はあるし、久々に食べようか。
パンを割ると、餡子がぎっしりと詰まっている。
あの時と、全然変わらない。
ひとくち、頬張ってみる。
(ああ、あの時と一緒)
全然変わらない味だ。
本当の『手作り』の味。
とても懐かしい味で美味しかった、と店主に言っておこう。
それほど、あの時の『あんぱん』は特別だったんだろうな―――
読んで頂き、ありがとうございました。