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『人生はお菓子の箱のようなもの、食べてみるまでわからないものです』

「ずっと、ずっと好きでした」


彼女の耳にその声は、どこか遠くの音の様に聞こえた。

水に潜っているときに水面の上から呼ばれたような、馬車や人々が行き交う密集した向かい側の会話のような。何かを言っているのかも、誰に向かっているのかもわかるのに、何を言っているのかだけがわからない。

とても分厚い膜の向こう側の言葉だった。わからないのだ。認知が働いてくれないのだ。


彼女の瞳に映るのは、まだ少しばかりの幼さが残る少年。10年余りの時間をともにした相手のはずだ。


当然のように声の調子やちょっとした仕草、目線の運びからだけでも、感情や意図が何となく分かる。だからこそ。この声の調子で、この視線の運びで、この雰囲気で言っていることが理解したくなかった。


遥か遠くで群衆がざわめく声がする。今日特に話す予定のなかった『誰か』が、踊り場に現れて何かを言った様子だ。嗚呼、そうだ。彼女は今日それを見に来たことを思い出す。


本当は仲の良い同性の同好の士とともに、こっそりと眺めるつもりだった。その出来事がなんで起こるかは言えないけれど、良い予感がするとして周りを誘い出して。

そうして、その光景を目に焼き付けて、語り合って、自分のモチベーションにして。ソレを完成させたら、それを題材にまた趣味の合う人達と盛り上がる。


尊さにふらついて手元が狂い飲み物をこぼしても良い様に、最低限のドレスで。書き留めたくなったとき様にメモ用紙を胸元に忍ばせて。足腰が効かなくなって倒れないように、踵のない靴まで用意していた。

そんないつもの、非生産的な生産的行動を繰り返して、そんな毎日を送るための活力を得る1ページのつもりだった。


「初めて会って、その時かはわからないけれど。昔からずっと」


それをするだけの立場や家柄の準備はいままでずっとして生きてきた。文字も絵も漫画も長年の経験と、ここでは自身が開拓者となってしまったことで、このジャンルにおいてはある種の第一人者だ。

学生であることを差し引いても十分以上に、彼女がその創作活動を続けながら好きに生きていくだけの大義名分をもっている自負は有る。


その横に、彼が何時までいてくれるのか。そう考えた日はなかったわけではないけれど。それでも、只々漠然としていた。昨日と同じ今日が来て、今日と同じ明日へ迎える。そんなことを誰かが保証してくれているような。


「あっ……えっと……」


いざとなると言葉は何も出てこなかった。だって、こんな風に言われることを想像したことがないわけではない。それでもそれはもしもの可能性であって。

自分の胸の奥にしまってあるような、そんな妄想にも近いもしかしたらの願望。


忌避感や背徳感を甘い独占欲で煮詰めて、グズグズになるまで変質した自分のエゴ。それは彼女を慰めることもあり、縛り付けることもあり、なによりも突き動かすものだった。


「学園に入ってからなんでトリスがあんまり来るなって言うのか、わからなかった」


こちらを見つめる自分よりも少しだけ低い瞳が、彼女を見上げてくる。干し草と太陽の香りがする黒い髪、つぶらな瞳に反する様に意思の強そうな相貌。日に焼けて活発そうな印象を受ける肌も。全て彼女が良いと思っている『運が良かった』部分。


「でも、友達がたくさんできてわかったよ、学園って楽しい」


子犬がじゃれつくように、無邪気に甘える様。女性に優しくそれでいて照れ屋で若干奥手気味な所。ちょっとずれた感性だけど困っている人は放っておけないのに、そうでない人には厳しい所。贈り物のセンスが今ひとつな所。食や嗜好の好みが子供じみている所。寂しがりな所。


それらは、少しずつだけ彼女が干渉した結果の部分。


彼という少年が、一人の女性へと出会ったことで伸ばして来た、成長してきた証そのものだ。タップ一つで変えることができない二人の足跡だ。


「トリスは、優しいから。ずっと教えてくれてたんだよね?」


遠くのざわめきがより大きな声となり、女性の黄色い声や男性の歓声まで聞こえる。それらはまるで聞き取れず、今目の前の少年だった彼から発せられた言葉に上書きされて行く。


「あっ……それ、ちがっ……ッ!! くない……の」


「うん、だから、俺はトリスが好きだった……大好きだったよ」


それがどんな意味なのか、本当はわかっていた。長い付き合いだから当たり前なのだ。どういう解釈をするべきかなんて、彼の目を見るまでもなくわかっていた。ああ、なんてきれいな光だ。


「トリスが他の男の、アルベルト殿下とかの話をしているのはずっと辛かった。だから色々やってみたんだ。そうしたらわかったよ」


少年はいつの間にか、初恋を『知った』。 物事を知るということは、それはつまり一つの区切りをつける必要がある。成就でも頓挫でも。彼はそう、この書物に栞を挟めるところまで、読み進めたから一度本を閉じて立ち上がったのだ。


「俺、トリスが誰か他の人のこと見ると寂しいんだって。でも、その寂しさは消えないけれど友達とか、アレラーノとかと一緒にいると小さくなるんだって」


「あ、あぁ……!! あっ……!! それは、良い……ことねっ」


夜なのに、晴れやかな太陽のような。それでも少しばかりの影がさすような。そんな『無垢な少年では浮かべられない様な』表情で彼は彼女へと微笑んでいた。


「すっごい、悩んだよ。でも、こうするのが一番何だって、トリスがきっとそう言いたいんだと俺は思ったから、だからさ」


もう、彼女は声を出すこともできなかった。まるで定められた筋書きに従うしかない役者のように。只々彼のその横顔を、遠くを見つめこちらを見てないその顔を見つめるだけだ。

この演目のきっと、クライマックスなのだ。彼女はその瞳に反射する光の像を心で感じ取り続ける、この一瞬を逃さないために。


「一人で、少しだけ頑張ってみるよ」


彼は遠くのある一点を眺めながらそう告げていく。彼女には今此処に至ってもなお、それでも何かできることはないかと、彼の視線の先を追う。


「自分の気持ちが何なのか、わからないから。俺が本当に誰が『好き』なのか、大切なのか、将来何をしたいのか。全部まだわからない。だから一回ここまでにしようと思うんだ」


遠く、遙か先にいたのは銀色の光。小柄で彼女よりも随分幼く見える少女が自信有りげに踊り場へと躍り出る所。


「また会うべき時に会いに行きますね、ブラックモア先輩」


「ッ! ……まっ! あっ!! あぁ!! 」


遠くの群衆では、更に何かが盛り上がっている。不思議と冷静な部分で彼女は、これから始まる、学園の中心人物達から起因する一斉婚約解消の狼煙なんだと、理解して。


────王子殿下!! なぜそのような小娘とっ!! 家の家格も持参金も立場も何もかもないのにっ!!


狂乱した女性の、遠くで響くそんな声が、耳を通り抜けていく中。そして、彼女は何拍か遅れて、これもまたそうなんだと実感した。してしまった。


「だから、一度、解消しましょう、お互いの為に」


そして、彼女は急速な充実感と達成感と喪失感と絶望感に包み込まれて、すとんと、膝をつく。目の前の手すりに乗せたままの手がするりと滑り落ちて膝へと叩きつけられるが、そんな些細なことが気にならない。それほどまでに彼女は自失していた。


────恋愛は損得ではない、そうでしょう?


いつもならば、駆け寄って起こしてくれる彼が、何故か既にいない事を認識できぬまま、彼女の意識は白く濁っていた。




































春、よく晴れたある日のこと。

人々はとある一つの建物に集まっていた。


そこは我々を見捨てた神々ではなく、今も見守り続けてくださる精霊様の前で、永遠を誓う場所。


今日はその場で新たな一組の男女が新たな門出を迎えていた。


「おめでとー」


「幸せにしろよー!」


「羨ましいぞー! この野郎!!」


小さな湖の畔に達建物の前で、数名の男女に囲まれた二人は、幸せそうな笑顔を周囲に振りまいている。今日の主役だ。


少しばかり男性のやっかみの声が聞こえるのも仕方があるまい。


その男女はあまり釣り合いが取れているとは言えなかった。

才気煥発、才色兼備の天才肌の魔女。若手宮廷魔術師の双璧の片翼であり、少女のような愛くるしい外見が見るものを虜にする、智も美も兼ね備えている女性であり。


もう片方は、その彼女と並べて背丈だけは釣り合うようなやや小柄な男性だった。


それでも男性側の参列者は、彼が全く悪い奴でないことをよく知っている。誰かのために本気で動ける人間だと身を持って知っている。だからこその親愛の野次が飛ぶのだ。


半場形骸化すらしている精霊への宣誓も済まし、オープンテラスに広げられた食事の数々を皆で囲う中、思い思いに新郎新婦への思い出話を前に出て披露していく。

和やかで微笑ましい、そんな幸せを形にしたような光景。中には新婦へと未練タラタラに告白する者もいるが、断られて笑いが起こるまでが一つのショーとなっている様だ。10年後も笑いながら思い出せるであろう、素敵なハレの日だ。


そして、ついに一人の美しい女性がそっと前に出る。彼女の人柄そのものをよく知らない人はいても、彼女が元来はどういった関係性の人間かを知らない人物は、この場に誰もいない。

この場の人間は自然と無意識にワイワイ騒がしかったのに、徐々に彼女を目にした人物より順に口を閉ざして静かになっていく。


そんな聴衆と化した周囲へと軽く礼をしてから、彼女はよく通る声で語りだす。


「結婚、おめでとう────いつか貴方が立派に大人になって、素敵な女性を連れてきてくれる日が来るのだと、私は幼い頃から夢に見ていたわ。寂しがりやで素直で甘えん坊だった貴方が、恋をして決断して、そして誰かを幸せにしたいって思える優しい子に、いえ優しい男性になれたことを誇りに思うわ」


彼女は晴れやかな表情で、慈愛の笑みを浮かべながらそうスラスラと話す。聴衆はその彼女の言葉に不思議と嘘がない様に感じた。未練も後悔も悲しみもなく、まるで大団円の演劇の最後のシーンのような。そんな趣だったのだから。


「貴女も、結婚おめでとう。最初に彼と一緒に居るのを見た瞬間から、実は貴女ならば。なんて思ってたのよ? だって貴女は人の寂しさを知っているはずの人だったから。そばにいてくれるだけで満たされる幸せというものを、いずれ理解してくれそうな人だったから」


嫉妬も憐憫も陶酔もないその言葉が会場を駆け抜ける。新婦はもしかしたら事前に聞いていたのかも知れない。自信満々な笑みで、当然だと言わんばかりに話し手の彼女の方を見つめているのだから。


「長い人生、二人で一緒に歩いていくのよ? 喧嘩することもあればもう顔を見たくないということも有るでしょう。彼はプレゼントのセンスがないし、彼女は時々堪え性がないからね、きっと色々あるわ、断言してあげる」


クスクスと小さな笑いまで起こる。人生の先輩が、大事な後輩二人へと丁寧に語る激励と祝福の言葉。そう周囲は心で受け止めたのだ。


「でもきっと、二人で協力すれば平気よ。喧嘩して相手の顔を見たくないってなったら、二人のどちらでも我が家にいらっしゃいな? 愚痴くらいなら聞いてあげるわよ。料金は格安。その次に来る時は二人で手を繋いでお土産を手に来ることよ」


彼女はどこまでもきれいな笑みで、この場で求められている最大の役割を果たした。なにせ彼女は事実上の仲人だったのだから。どうして彼女がそうなったかを知る1年度からの友人は誰しも口を閉ざしていたが。


「改めて、結婚おめでとう!! お幸せにね!」


万雷の拍手を受けた彼女、幸せそうに一度顔を見合わせた新郎新婦に向けて一礼をして席へと戻っていった。


それはもう軽やかな足取りで、すれ違った人はふわりとクリサンセマムの香りをかいだ気がしたのだった。























その日の夜、彼女は昼間に許容量を超えて摂取してしまったアルコールのためか、それとも特別な場ゆえか、余り食事を取れなかったが為の空腹感を覚え自室にて寝台に腰掛けていた。

夜食を頼むほどではなく、さりとて眠るのに気にならない程度でない空腹だったからだ。


さて、どうしたものかと、思考を続けるべく新たな議題を脳内に投じた所で、ふと目にとまるものがあった。

寝室からつながる開けっ放しのドアをくぐり、視界の端に捉えた箱へと向かう。帰宅した際に書斎の休憩用のテーブルの上に無造作に置かれたそれは、本日の戦利品。パーティーフェイバー、彼女の脳内の言葉に直せば引き出物だ。


昔、ずっと昔にこういったときには何を送るべきか、どこかの可愛い無邪気な誰かと話したような気がする。アルコールで鈍った頭がゆっくりと思い出そうとしたら、日に焼けた肌がちらつき、鈍い痛みがわいてきたので、中断してソファへともたれかかる。


そう、縁起の良い菓子でもあげておけば問題ないわよ、木の年輪みたいなの。そんな風に半ば投げやりに答えた記憶がある。


まあ、小腹を満たすのにちょうど良いかと思い箱に手をかける。フォークもハンカチーフもないことに気がつくが、一人深夜の間食に何を気にするかとばかりに。

こんな日の夜に、懐かしい甘ったるいケーキの口になっていく自分に苦笑しながら包装をとき、丁寧に箱を開ける。



「……あぁ、素敵ね」



そこには、思っていた年輪のような縁起物のケーキはなかった。色とりどりのフルーツを砂糖で固めたであろう、宝石のような菓子が。

チョコレートで作られた切り株のような台座の上に、所狭しと鎮座している。

その周りをこれまた色彩豊かな季節の花を模した、可愛らしい飾り菓子で囲まれている。


お菓子の国の、森の奥にある開けた場所で。小さな妖精たちが楽しく語り合っているような。そんな、もし恋を夢見る少女がこれを受け取れば、素敵な結婚を夢見れるような。そんな只々綺麗で素敵なお菓子だった。






────とても、彼女の知る彼が選べるような物ではない、美しい贈り物だった。








「本当に、綺麗で、素敵な、贈り物じゃないの」


化粧を落としてから寝台に腰掛ける程度に、自身がしっかりとした女性で有ることを、彼女は感謝した。甘い菓子のはずなのに、これだけ苦くドロドロと辛いのだから。



一つ綺麗な宝石をつまめば、彼と語った黄昏時の高原の景色。

一つ花を摘めば、彼に送られた花を。

台座のチョコレートまで手を伸ばすこともなく。



「あぁ、美味しいわ、ね。本当にッ!」



もう、上がってこないように、体の奥底に彼女は思い出を詰めていく。


既に、空腹は感じない、感じる物がもうないのだから。



ただただ、酷い飢えが苛んでいるが、それは彼女が打ち立てた渇望が満たされたからだ。





一人、夜の部屋で、彼女はただただ菓子を口に運び続けた。




ああ、今宵も彼からの贈り物はキラキラと、婚約者だった彼女とともに輝いて見えるのだから。








~Baumkuchen ENDE~




ハーメルン投稿時に、大好評を頂戴したバウムクーヘンエンドです。

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