第6話 今更後悔してももう遅い
『後悔先に立たず』という言葉がある。
今の流行に乗って言えば、『もう遅い』だろうか。
後先考えずに行動することに対しての戒めの言葉であるが、実際に常にこの言葉を意識し、先を見据えて行動できる者は非常に少ない。
アリアもまた、過去の過ちを忘れ、先を見据えられなかった者の一人だ。
自身の軽率な行動により進退極まった彼女は、数時間前からの自分の行動を涙ながらに後悔していた。
『あんなに紅茶を飲まなければ』
『出発前に、もう一度トイレに行っていれば』
『休憩の後、すぐに帰ろうと言っていれば』
――あの時、覚悟を決めてトイレに駆け込んでいれば。
今となっては、まさに全てが『もう遅い』
積み重なった後悔は、37℃の液体となってアリアの下腹を埋め尽くしていた。
「はぁっ! はぁっ! くぅぅっ!? ……ふぅぅっ……!」
アリアも年頃の少女。
特に彼女にとって、トイレはとても繊細な問題である。
その羞恥心を思えば、『自業自得』と言ってしまうのは、あまりに酷だろう。
だが、だからといって現実は、手心など加えてはくれない。
「あぁぁっ……だめ……っ……だめ……っ! あぁっ!」
ミーアから離れて凡そ5分。
アリアの尿意は、とうとう限界に達しようとしていた。
メロネ達が現在地の確認を始めて程なく、アリアはこれまでにない大波に襲われた。
出せ出せと責め立てる膀胱からの要求を、歯を食いしばって押し戻したが、ほんの少しだけ、堪えきれずに出してしまったのだ。
――もう……ダメ……っ!
尿道が、小水を通す強烈な快感を思い出してしまった。
このままでは、本当に最悪の事態になってしまう。
波による凄まじい尿意と、僅かでも下着を濡らしてしまったという事実に、アリアの虚勢は一瞬で剥ぎ取られた。
『お漏らし』
ずっと考えるのを避けてきた4文字が、現実味を帯びる。
アリアにはもう、迎賓館どころか工房区を無事に出るイメージすらできなかった。
脳裏を過るのは、往来のど真ん中で水溜りを作る、自分の姿。
(だめっ! だめよっ! そんなことっ、絶対にっっ!!)
改めて周りを見渡す。メロネ達はまだ帰ってくる気配はない。
そばにいるのはミーア一人で、その彼女も、呑気に辺りの工房に目を向けている。
――今しかない。
3人と離れて、さっき見つけたトイレに駆け込む。
それが、尿意に支配されたアリアが思い描く、自身に残された最期の手段だ。
アリアは尿意にふらつく体を必死に動かし、ミーアに気付かれないようその場から逃げ出した。
そして今、必死の捜索も虚しくトイレは見つからず、アリアの我慢の糸は切れようとしていた。
(どうして……っ!? どうしてないの……っっ!!?)
アリアは知る由もなかったが、かなりの広さを持つ工房区に設置されたトイレは、僅か3箇所。
現地に疎い旅行者が、偶然見つけられるようなものではないのだ。
最初の一つは、本当に幸運が重なったに過ぎない。
そしてどうやら、二度目の幸運は訪れなかったらしい。
――ジュッ。
「うぁっっ!!?」
二度目の大波がアリアを襲い、また少し、下着の染みを大きくした。
溢れてしまった量は、先ほどよりも多い。
(もうダメ……っ……漏れる……っ! もうっ…私っ…あぁっ!)
少しキツめのホットパンツが、膀胱を締め上げる。
――気になる男の子に、自分を見てほしい。
そんな、年頃の少女としては当然な、だがアリアにしては奇跡的な思いで選んだ装いは、彼女を地獄へと誘う責め具と化していた。
まるで、柄にもなく色気付いた行動を取ったことを、何者かに咎められているように。
今にも溢れそうな小水を押しとどめる括約筋は、度重なる激闘に力尽きる寸前だ。
アリアはもう、いつ漏らしてもおかしくない状態まで追い詰められていた。
(嫌よ……っ……私っ、こんな所で……っ……あ、あ、あっ! 誰かっ……誰か、助けて……たす……け……)
「あの~、もしかしてお困りでしょうか?」
「っ!?」
その祈りは、如何なる神に通じたのだろうか。
なす術なく、この場で大失態を演じるしかなかった筈のアリアの耳に、聞き覚えのある声が飛び込んだ。
涙と涎と脂汗で、ドロドロになった顔を上げる。
そこには、先程ギルドでアリア達を案内した、ゾンビのような職員の姿があった。