第1話 皇女のお仕事
「お待たせして申し訳ありません、私は工房への仲介を担当しているベンノ・ジョンストンと申します。
アリア皇女殿下、本日はよくお越しくださいました。心より歓迎いたします」
応接室に通されてから、待つこと30分。
部屋の見事な意匠に気圧され、とうとう5杯目の紅茶に口をつけたアリアの前に、ようやくギルドの人間が現れた。
人の良さそうな恰幅のいい男性だ。
本当に済まなそうに眉根を寄せ、深々と頭を下げるところを見るに、この待ち時間は駆け引きなどではなく、多忙ゆえの想定外なのだろう。
確かに部屋に通される前、汗を飛び散らせながら、慌てふためく彼を遠目に見た様な気がする。
「お気になさらないで下さい。この部屋の意匠を眺めていれば、時間などすぐに過ぎてしまいます。
ランドハウゼン皇国第二皇女、アリア・リアナ・ランドハウゼンです。本日はお忙しい中お時間いただき、感謝致します」
こちらは優雅な皇族の礼。
普段ドレスを着ることのないアリアだが、その気になれば完璧な淑女を演じることはできる。
気分を害した様子のないアリアに安心したのか、男性はほっと息を吐きつつ額の汗を拭いた。
「お気遣い痛み入ります。皇族の方のご来訪とあれば、もっと余裕を持ってお迎えできれば良いのですが……」
そうもいかないくらい、忙しいということだろう。
確かに彼に限らず、ここの職員は皆忙しく駆け回っている。
この部屋に案内してくれた男性職員など、道端であったらゾンビと見まごうことだろう。
2人は席につき、商談を始める。
もっとも、発注書は予め送ってあるので、ここではそれを元にした細部の決定と、契約の判断だ。
注文のメインとなる羽根の加工は、予想通りマルクドゥ羽毛工房だ。
『魔王の羽根』など扱える職人は限られている。
質も生産数も安定した、マルクドゥ羽毛工房は最適な選択だ。
依頼料と仲介料も割と良心的に思える。
アルトの言った通り、交渉の必要はなさそうだ。
後は皮と外殻だが……。
「クリューブスター武具工房は、受け付けてもらえなかったのでしょうか?」
外殻の加工には、クリューブスター武具工房を希望していた。
主人のエドガー・クリューブスターは、『マスタースミス』の名声もさることながら、精力的に後進の育成に努め、工房にはエドガー以外にも、魔王素材を扱える職人がいるという。
他の職人も、最高難度になる素材からの精製こそできないが、金属化された以降の加工ならできるという。
外殻もそこそこに量がある。
早い、上手い――とても伝説の名工とは思えない売り文句だが――クリューブスター武具工房に、是非とも依頼したいところだった。
「申し訳ありません……エドガーのところには、先日大口の依頼が入りまして……」
そう言って、身を乗り出すベンノ氏。
「……ここだけの話ですが、噂の『銀の魔人』殿が――」
「『銀の魔人』っ!?」
その名は、最近のアリアにとっては特別な名前だった。
天空王の脅威に晒されたランドハウゼン皇国を守るため、協力を申し出た統合軍の若きエース。
天空王との戦いの最中に見せた、全身に銀色の魔力を纏った姿と、その凄まじい戦いが話題となり、
通り名に『銀』の冠を戴き、人類最強の一角に数えられるようになった、若干14歳の少年兵。
勇者の協力を得られなかった皇国は、この少年の奮闘がなければ、ほぼ間違いなく皇都を失っていたことだろう。
勇者セインとの確執の原因となったアリアにとって、その存在と戦果は、どれだけ救いとなったか。
アリアとて年頃の少女。
自身の心の靄を払ってくれた、この同い年の少年に対し、憧憬を抱いてしまうのも無理からぬこと。
『銀の魔人』グレン・グリフィス・アルザードは、アリアにとって、幼き日に、寝物語に聞いた英雄だった。
「……ですので、外殻に関しては、この二つの工房で受け持たせていただければと」
「ひゃいっ!? あ、え、え……と……っ」
だから、彼の名を聞いただけで舞い上がり、ベンノ氏の話が聞こえなくなるのもまた、無理からぬことであった。
「まったく……私も聞いておりましたが、どちらも名の知れた工房です。不足はないかと思われます」
「はははっ、姫殿下に救国の英雄の名は、刺激が強すぎましたかな?」
メロネの呆れたような視線が突き刺さる。
ベンノの機嫌が、寧ろ良くなっているのがせめてもの救いか。
「も、申し訳……ありません……」
肩を窄め、真っ赤になった顔を隠す様に紅茶を啜る。
商談はその後和やかに進んだが、アリアは結局、6杯の紅茶を飲み干すことになった。