夢魔族のプリンス・シルベールさん
ロキ様の言ったとおり、道に引かれたおうだんほどうという白い線の上を歩いて少し進むと、大きな建物が現れた。
おうだんほどう、としんごうきの仕組みについて説明を受けていると、あっという間だった。
お城のようでいてお城とはまるで違う聳え立つ建物の上の方に、大きな文字で『一番町百貨店』と書いてある。大きな赤い文字だった。とても分かりやすい。
「でぱぁとというのは、でぱぁとという名前ではありませんのね。いちばんちょうひゃっかてん。覚えましたわ。もし道に迷ってしまったら、いちばんちょうひゃっかてんまでの道を教えて貰えば良いのですわね」
「アンジュちゃん、一人で外に出たら駄目だからね。まして人に道を尋ねるなんてもっての他だよ?」
「何故ですの? 魔族の皆様は人間に優しいのではないのです?」
「優しいよ。優しいし、人族は可愛いなぁって思ってる者が大半だよ。だから、アンジュちゃんみたいな可愛い幼女が一人で歩いていて、道をお尋ねしたいのですが~、なんて話しかけてきたら、喜んで自分の家に連れて帰ろうとするからね?」
「誘拐ですわ」
「誘拐だよ。幼女誘拐監禁事件だよ」
「連れて帰ってどうしますの? やっぱり食べますの?」
「相手によるけど……。まぁ、基本的にはペットとして甘やかすだろうねぇ」
「ロキ様と一緒ですわ」
「僕はそんな変態じゃないから! 良いお兄さんとして、アンジュちゃんを可愛がってるだけだからね!」
ロキ様は必死に弁明した。
私は「そうですわね」と頷いてあげた。吃驚するほど必死だったからだ。
どうやらロキ様の中では幼女である私に手を出すことは禁忌になっているらしい。私は幼女じゃない。
私たちはでぱぁとの中に入った。
硝子でできているように見える透明な扉の前に立つと、扉が勝手に開いた。
何かの魔法だろうか。とてもよくできている。
扉を開けるというだけなのに魔法を使うとか、魔族の方々は豪勢な魔法の使い方をするのだわ。
魔力のない私にとっては羨ましい限りだ。
魔力さえあれば、私も戦うことができたとしたら、ヴィオニス様のそばにいられたのに。
一緒に魔王討伐の(討伐してないけど)旅に出て、ヴィオニス様の浮気をとめられたかもしれないのに。悲しいわ。
落ち込んだ気持ちは、でぱぁとの中を歩き始めるとすぐに消えていった。
でぱぁとの中は街みたいになっていた。
靴や、服や、鞄や、見たこともない雑貨を売っているお店が、いくつかの区画に分けられてたくさん並んでいる。
どれもこれも綺麗に商品が並べられえいて、可愛らしいものばかりだ。
私はお買い物に出たことはなくて、ドレスや靴は自宅に来る仕立て屋さんが仕立ててくれたものだし、装飾品の類なんかはヴィオニス様が贈ってくれた。
素晴らしく美しいものばかりだと思っていたのだけれど、それ以上にでぱぁとの中は色々な物に溢れていて、目にするだけで圧倒された。目が回るぐらいだった。
「まずは洋服かなぁ……。あとは、靴と、日用品と……」
「旦那様、下着も買ってくださいませ」
「アンジュちゃん。旦那様は駄目だよ、犯罪者っぽくなっちゃうから。僕を呼ぶときはロキおにーさんにしてね。あの子供向け教育番組で、歌を歌ってる感じのお兄さんの呼び方。あれがいいなぁ」
「嫌ですわ。私幼女じゃありませんもの。旦那様かロキ様。巧みに使い分けて差し上げますわ」
私はロキ様に大人だと認めて欲しいので、ロキ様の提案を拒否して、ふん、と横を向いた。
ロキ様は態度の悪い私に怒るかしらと思ったのだけれど、特に怒った様子もなく「幼いなぁ、可愛い」とにこにこしながら言った。
五百年も生きていると、十七歳の私が何をしようと可愛く見えてしまうのかもしれない。
不本意だわ。
「ともかく、ロキ様。下着も買ってくださいましね」
私は怒るのをやめて、念のためにもう一度お願いしておくことにした。
「したぎ……。そうだよね、下着かぁ……」
ロキ様が必要なものについて呟いているので、私は付け足した。
私は命を捧げるつもりでロキ様の元に来たので、ロキ様が消し炭にしてしまった果物ナイフ以外は何も持ってこなかった。
持ち物と言えば、今着ている黒いシスター服だけである。
やはり生贄なので、神聖な衣装の方が良いだろうと思い側付きメイドに買ってきてもらった。「シスター服は、ヴィオニス様のご趣味ですか?」などと嬉しそうに言われた。
意味がよくわからなかったし、ヴィオニス様は浮気をしているので当たり前だけれどヴィオニス様の趣味とかではない。
とはいえ、アカネさんの懐妊と、私が側妃になることはまだ大々的に公表されていなかったので、侍女は知らなかったのだから仕方ない。
下着と言われてロキ様はやや困っているようだった。
やはり女性の下着を買うのは、魔王であるロキ様といえども敷居が高いのかもしれない。
「とりあえず、洋服からみようか。アンジュちゃんはどんな服が好き? やっぱりドレスが良い?」
「ロキ様、私はロキ様のメイドなので、メイド服が良いですわ」
「……駄目だよ。メイド服を着たアンジュちゃんと一緒に歩いてたら、僕はどう考えても犯罪者になっちゃうじゃない」
「魔王様なのですから、人間の女性のメイドの一人や二人侍らせても何ら問題はないのではないでしょうか」
「そんなひどいことはしませんよ」
「ともかく、メイド服を買ってくださいまし。制服があれば着る物には困りませんわ」
私は折れるつもりはないので、困り果てた顔をしたロキ様を見上げて言い張った。
ロキ様はなんだかんだ幼女に甘い。
私を幼女だと思っている限り、ロキ様は私には勝てないのだと、短い付き合いだけれど私は確信した。
同じ男性だけれど、ロキ様はヴィオニス様とはまるで違うわね。
ヴィオニス様はもっと、なんていうか強引というか――あまり、私の意見を聞きいれてくださるような方ではなかった。
ヴィオニス様は私よりも年上で、先にスアレス高等貴族学園を卒業されていた。
お忙しい中時間を割いて、学園に通う私に週に一度は会いにきてくださっていた。
会うたびに愛していると言ってくださったから、魔王討伐の旅で一年間離れ離れになったとしても、お怪我は心配だったし寂しかったけれど、愛を疑ったことなんてなかったのに。
私は小さく溜息をついた。
ふとした瞬間考えてしまうし、無性に悲しい気持ちになってしまう。
「……アンジュちゃん。好きなメイド服を何枚でも買ってあげるから、泣かないでね。ごめんね、メイド服は駄目とか言ってごめん」
静かになった私を心配したのか、ロキ様が若干焦ったように言う。
「ロキ様はどのようなメイド服が好みですの? 一緒に選んでくださいましね」
「うん。そうだね……」
ロキ様は私から視線を逸らして頷いた。
何か含みがある返事のような気がしたけれど、気にしないことにした。
メイド服とは別にいかがわしいものではない。私の側付きメイドもメイド服を毎日着ている。
あれはただの制服である。
えすかれぇたぁという自動で動く魔法の階段を上がって、私たちは二回のフロアへとやってきた。
女性のお洋服がたくさん売っている。
私がいつも着ているようなドレスはあまりないようだった。どちらかといえば平民の方々が着ているようなお洋服が多いけれど、色は鮮やかで、様々な模様や刺繍が施されているものが多い。
スアレス帝国では女性は足首から上を夫以外に見せるのははしたないこととされているので、売られているワンピースやスカートの丈が私の知るものよりは随分と短いことに驚いた。
文化の違いというものなのだろう。
フロアの一番奥にあるお洋服屋さんへとロキ様は向かった。
天井の方に掲げられているお洋服屋さんの看板には、『こすぷれ・パーティ用衣装』と書かれていた。
「ロキ様、パーティは分かりますけれど、こすぷれとは何ですの?」
「……あのね、アンジュちゃん。僕の国では、メイド服を着たメイドさんなんてものは、もうとっくに廃れていてね、古の産物なんだよ。使用人を使っている金持ちの魔族はいるだろうけど、それでもごく一部なんじゃないかな」
「まぁ、そうなのですね。でも、メイド服は売っておりますわ」
お洋服屋さんには、様々な種類のお洋服が売っているようだった。
メイド服も様々な種類があるし、見たこともないようなドレスのようなものも売っている。
「うん。なんていうか、それがコスプレ、というやつでね……」
ロキ様はとても言いにくそうにしながら言った。
こすぷれとはあまり口にはできない言葉なのかしら。
「誰かと思ったら、ロキ様。珍しいですね。ロキ様もコスプレ、するんですか?」
お店の前で話し合っている私たちの前に、お店の奥から出てきた店員さんと思しき人が声をかけた。
店員さんは背の高いそれはもうとてつもなく麗しい男性だった。
私は見目麗しい男性はヴィオニス様で見慣れているけれど、その男性は私が今まで見た誰よりも美しくて退廃的な色香を漂わせていた。
私の家にいる執事のような衣服を身に纏っていて、長くまっすぐな黒い髪を首元で一つに縛っている。
深い赤い色の瞳と、白い肌。化粧をしているかのような長い睫毛の男性だ。
女性的というわけではないけれど、女性よりもずっと美しい。
どことなく甘い響きのある声で、男性はロキ様の名前を呼んだ。
「久しぶりだねぇ、シルベール。夢魔族のプリンスのくせに、相変わらずこんな店で働いてるんだね。元気だった?」
ロキ様は男性のことを知っているのだろう。
魔族の方々のことはきちんと把握しているのかもしれない。だらしなく見えるけれど、ロキ様はやっぱり魔王様なのだわ。
シルベールと呼ばれた男性はロキ様に微笑んだ後に、私をじっと見つめた。
「魔族の王のくせに、狭いアパートに引きこもっているロキ様に言われたくありません。はい。ご覧の通りとても元気ですよ。ところでロキ様、……この可憐な方は一体どなたです?」
とてつもなく見目麗しい男性が、私の手を取ってさも当たり前のように手の甲に口付ける。
そのような挨拶をされることはたまにあるのだけれど、年頃になってからはヴィオニス様以外に触れていただくことのないように気をつけていたので、久しぶりだった。
嫌な感じはしないのだけれど、緊張してしまう。
見た目が綺麗だからという理由だけで好きになる程私は恋愛体質ではないし、貴族女性として自分を弁えているのでそんなはしたないことはしないのだけれど、なにせシルベールさんは異様に見栄えが良いのだ。
つい、ドキドキしてしまう。頬が紅潮するのが自分でもわかるぐらいだ。
「シルベール、なんてことを、まだ幼いアンジュちゃんになんてことを……!」
「ロキ様、見たところ、アンジュちゃんという可憐な方は人間であり、女性として成熟しているように見受けられます。私たち夢魔にとっては、すでに食料になる成熟した女性です。何ら問題ありませんね」
「問題あるよ……! だからシルベールの店には来たくなかったんだよ、僕は」
ロキ様は私を抱きしめるようにしてシルベールさんから引き剥がした。
そしてどういうわけか若干涙目になりながら「可哀想に、アンジュちゃん。性犯罪者に襲われて、可哀想に」と繰り返した。
私はロキ様のことをはじめて、ちょっとめんどくさいな、と思った。