世界征服、お願いします
私はすっかり綺麗になった手をみつめた。
「ありがとうございます……、ロキ様、魔法が使えるのですね」
「魔王だからね」
それもそうか、と私は納得した。
私の国では魔法が使えるのはごく一部の方々だけだ。
それに、今ロキ様が使ったような人体修復魔法は異世界から来た巫女様である、アカネさんしか使う事が出来ない。
封印されているとはいえロキ様は魔王様なので色々な魔法が使えるのだろう。
凄い。これならきっと、すぐにでも世界征服できてしまうに違いない。
「それよりも、アンジュちゃん、駄目だよ。女の子なんだから、血の魔法陣なんて辛気臭いもの描いたら駄目。せっかく綺麗な肌なんだから、大事にしないと」
「ロキ様は魔王様なのに優しいんですね」
「小さい子供は大切にしないと」
「私は小さくありません、大人です」
「アンジュちゃん、いくつって言ったっけ」
「十七歳ですわ」
「僕、五百歳。はっきり覚えてるわけじゃないけど、たぶんそれぐらいだと思う。つまりアンジュちゃんは子供、というか幼女。赤ちゃん」
「ロキ様は、五百歳……」
私は吃驚して、思わず自分の両手を眺めた。
指が十本ある。十本で十年。五百年というのは、――なんだか長すぎて、良く分からない。
「で、さっきの話に戻るけど、僕は世界征服なんて目論んでません。人間界を征服してやる、ふははは~、なんて高笑いしている魔王が出てくるのは、児童向け読本の中ぐらいだよ。そもそも、僕の世界の方がアンジュちゃんの住んでるスアレス帝国よりもずっと発展してるし」
ロキ様は幼い子供に言い聞かせるように、ゆっくりとした口調で言った。
「動く絵が、ありますものね。帝国には、こんな不思議なものはありませんでしたわ」
「それは、テレビ。テレビっていうのは、……アンジュちゃんのところに来た異世界の巫女に聞けば分かると思うけど、ここじゃない別の場所の映像をうつす機械のことだよ。僕はね、アンジュちゃん。この魔界村を、超魔界村にするべく、巫女たちの世界をのぞいて勉強したわけだよ」
「ちょうまかいむら」
「うん。メゾンド・魔界村がアパートの名前。だから当然、僕の国の名前は魔界村。覚えやすくて良いでしょ」
「ええ、そうですわね」
私には耳慣れない響きの言葉なのだけれど、きっとわかりやすいのだろう。
私が頷くと、ロキ様は嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
「はじめて褒められた……今まで誰に言ってもダサすぎるからやめろとしか言われなかったのに……! 良いよね、魔界村! アンジュちゃん、良い子!」
「なんだかわかりませんが、喜んでいただけて嬉しいですわ」
ロキ様が私の頭をぐりぐり撫でてくる。
愛玩動物になった気持ちだわ。
ロキ様にとって私は少女どころか幼女であり、さらに言えば赤ちゃんらしいので、この扱いも仕方ないのかもしれないけれど。
「そんなわけだから、僕の国の方がずっと発展しているし、僕はスアレス帝国とか興味ないんだよ。でも、異界から巫女が来ちゃったんでしょ? 巫女は、僕を封印するために定期的にやってくるみたいだから……仕方なくいつものように封印されたふりをして、満足してお帰り頂いたと言う訳です。わかった?」
「そんな……。ロキ様、私……世界征服をしていただきたくて……」
「うるうるしないで、お兄さん困っちゃうから。泣かない、泣かないの。ほら、今度はわんちゃんですよ~、可愛いねぇ、オルトロスの子犬だよ。大きくなると六畳一間には入りきらないから飼わないけど、犬は良いよねぇ」
「可愛いです……」
目尻ににじんだ涙を拭いながら、私は頷いた。
てれびというものにうつっているのは、黒い小さな犬だった。
あまり見たことはない犬だけれど、とても可愛い。蝶々を追いかけて草原を走っている映像がしばらく流れた。
「ロキ様……それでは、ロキ様は私の血は、いりませんの……?」
「そうだねぇ、血は要らないよね」
「私……私、ヴィオニス様とか、巫女様を、酷い目にあわせてあげようと思いましたのに……」
「随分と思いつめたんだね、可哀想に」
「私どうしたら良いのでしょう……。もう帰る場所も無くて、帝国を裏切ってロキ様の元にきてしまって、私のお部屋には血の魔法陣が残っておりますから、私が何をしようとしているのか、皆には知られてしまいましたわ、きっと。帝国に戻ったら、悪女として処断されますわね……。私には、似合いの最後かもしれません」
「ちょっと待って、アンジュちゃん! そんなにすぐに生きるのを諦めるのはやめなさい、まだ十七歳なのに」
ふらふらとロキ様の足の上から立ち上がろうとした私の手を、ロキ様が掴んだ。
それからもう一度抱っこされる。
大型犬を抱きしめる勢いで抱きしめられたので、少し苦しかった。
「ロキ様、でも私……不要、なのですよね。……大人しく、帰りますわ。帰って、ちゃんとヴィオニス様と巫女様を祝福して……それで、しかるべき処罰をうけますわ」
「良い子の上に健気……。一体誰なんだ、こんなに可愛くて良い子が恋人にいるのに、浮気した男は……! ヴィオニスだっけ? どの人? 僕のところにきたひとたち何人か居たし、ちゃんと話きいてなかったから分からなかったなぁ」
「ヴィオニス様は、金髪で、髪が腰ぐらいで、縛っていて、背の高い方です」
「あいつか!」
ロキ様はヴィオニス様の姿を思い出したらしく、てれびというものを指さした。
そこにはヴィオニス様の姿が映っていた。
ヴィオニス様は私の部屋にいるようだ。部屋の床には血の魔法陣が残っていて、部屋中の物が魔法陣を使った時の衝撃で床に散乱している。
「ヴィオニス様……。怒っておりますわね、私は帝国を裏切ったのですから、当然ですわね……」
「うん。分かった」
ぱちん、とヴィオニス様の姿が消えて、てれびはただの黒い四角い物体へと戻ってしまった。
できればもう少し見ていたかった。
私は伺うようにロキ様の顔を見上げる。
「もう少しだけ……駄目ですの?」
「駄目だよ。浮気男を眺めてても良い事ないよね。アンジュちゃんの事情は大体分かったし、帝国に帰したらきっと悲しい思いをするんでしょう? 僕は子供は大切にするタイプのお兄さんだから、アンジュちゃんのことを助けてあげます。せっかく来てくれたんだし、それが良いよね、うん」
「……世界征服をしてくださるということですの?」
「違うよ。しばらく居候として飼ってあげるよ。僕の魔界村に住んでる魔族には、見栄えが良いのが多いし、そのうち良い人がみつかるんじゃないかな」
「良い人なんていりませんわ。私、ヴィオニス様を愛しておりましたのよ……」
「たった十七歳の赤ちゃんなんだから、もっと生きてみないとわからないでしょう? 世の中には沢山の生き物がいるんだから。それに、絶対帝国よりもこっちの暮らしの方が楽しいし」
ロキ様は、そう言って納得したようにうんうんと頷いた。
私はヴィオニス様に仕返しをするためにロキ様のところに来て、世界征服をして頂くつもりだったのに。
このままでは、ロキ様のお部屋の居候になってしまう。
そこで私はふと考え直した。
ロキ様の居候として一緒に生活をしながら、それとなくロキ様に世界征服をすすめれば良いのではないかしら、と。
ロキ様は良く分からないけれど多分きっととても強い魔王様なのだ。
だから気が変わったら、世界征服をしてくれるかもしれない。
私を裏切ったヴィオニス様と巫女様のいる帝国を支配してくださるかもしれない。
良くない考えだとは理解しているけれど――それでも、私は。
でもロキ様は優しいし、ただで居候をするのは、申し訳ないわね。
「ロキ様、……私、ロキ様のメイドになりますわ。魔王様なのに、一人で住んでいるなんて不自由だと思いますので、……せめてそれぐらい、役に立ちたいのです」
「えー……。良いよ、アンジュちゃん。自由に暮らして。僕、困ってないし」
「駄目ですの?」
私はうるうるしてみた。
ロキ様は泣く幼女に弱い。けれど私は幼女じゃないので、涙の力を使うのである。
「……どうしてもって言うんなら、仕方ないから、良いけど」
「不束者ですが、よろしくお願いしますわ」
私はロキ様の足の上から降りると、狭い部屋の畳の上で正座をして頭を下げた。
――そうして、私は魔王様と二人暮らしをすることになったのである。