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血の魔方陣と私の決意


 ロキ様は「泣かないの〜」と言いながら、私の顔に新しい薄い紙を押し付けた。

 ぐずぐず泣いている私の目の上をぽんぽん抑え拭きしてくれる。

 白い長い指の先の爪は艶々していて黒い。

 全体的に白っぽい人だけれど、爪だけは黒い。


「酷い男だね、そのヴィオニス様ってやつは。こんなにかわいーアンジュちゃんって恋人がいたのに、浮気して帰ってきたってことでしょ? 僕を封印する一年間で、子作りかぁ。最低な男だねぇ」


「ヴィオニス様は、誠実で優しくて、私のことを……あいしてるって、いつも言ってくださいましたわ……っ、最低には最低ですけれど、でもでも……っ」


 泣きながら私はロキ様に反論した。

 ロキ様は私の目の前にある布団の上にだらしなく座って、困ったように「うーん」と小さな声で唸った。


「朝っぱらから転移魔法陣で僕の部屋に不法侵入してきたことは、まぁ許すよ。アンジュちゃんの可愛さに免じて」


「可愛いなんて、そんな……」


 初対面のロキ様に容姿を褒められて、私は照れた。

 ヴィオニス様が私の事を「咲き誇る大輪の薔薇のように美しい私のアンジュ」と褒めて下さることは何度かあったけれど、「可愛い」と一言だけ言われるのが、こんなに気恥ずかしいなんて知らなかった。

 私はどちらかといえば大人びた容姿をしている。

 美しいとは言われたことがあるけれど、可愛い、という褒め言葉は、あまり経験が無い。


「うーん、素直」


 ロキ様は私の頭をぐりぐり撫でながら、小さく嘆息した。


「ロキ様、駄目ですわ。私、命を捧げに来ましたの……。褒められると、決心が鈍ってしまいます。さぁ、どうか私の血で、華麗なる復活を果たしてくださいませ、そしてどうぞ、世界征服を……!」


 私はこっそり隠し持っていた短剣を、この日の為に選んで身に纏っている黒いシスター服のスカートの中からごそごそと取り出した。

 太腿にベルトを巻き付けて、そこに短剣をさしてある。

 私が手慣れた女暗殺者であったならば、一瞬のうちに颯爽と短剣を出したりできるのだろう。

 けれど何せ私は刃物に触ったこともはじめてだったので、スカートをたくし上げてからかなり手間取ってしまった。


 膝の上まである絹靴下の更に上、かなり際どい部分までスカートを捲らないと短剣が出せずに、手惑いながらとても恥ずかしい思いをした。

 足を男性に見せる事はふしだらなこととされているけれど、背に腹はかえられない。


 ごそごそしながら短剣を引っ張り出す私を、ロキ様は胡乱な表情を浮かべながら何も言わずに待っていてくれた。


「できた、やっと取り出せましたわ……!」


 やっと短剣が取り出せた。

 短剣を手に入れるのが大変だったので、短剣というか調理場からこっそり盗んできた果物ナイフである。

 短剣が欲しいと傍付きメイドにお願いしたのだけれど「お嬢様が刃物に触れるなど、とんでもないことです」と怒られてしまった。

 ヴィオニス様とアカネさん、それからあと何人かの従者の方々は魔王封印の旅に出たと言うのに、短剣ひとつ触らせてもらえない私は、とても情けない。


「おぉ、良かったね。おめでとう」


 私の手に煌めく小振りの果物ナイフを眺めて、ロキ様はぱちぱちと拍手をしてくれた。


「はい! さぁ、ロキ様! 私の血を浴びて下さいまし!」


「ちょっと待った!」


 私はナイフが取り出せた喜びと興奮のまま、自分の首にそれを当てようとした。

 ロキ様の静止の声と共に、目にも止まらない早さでぽん、と手からナイフが叩き落される。

 私の手から落ちたナイフは、さっくりと畳の上に突き刺さった。


 ロキ様はそれを抜き取って、徐に私のスカートを捲りあげると、右側に嵌めていた太腿の皮ベルトをかちゃかちゃと外した。


「な、なにをなさいますの……駄目ですわ……っ」


 男性にそんな場所を触られたのははじめてなので、私は身を竦ませて頬を真っ赤に染める。

 やっぱり、血を捧げる前に体を捧げるべきなのかしら。

 でも清らかな乙女の血でなければいけないって、魔王復活の禁書には書いてあったので、身を捧げてしまったら私は清らかな乙女ではなくなってしまって。

 でも禁書が間違っているという可能性もあるのだし、分からないわ。


 ヴィオニス様に、全て捧げるつもりだったのに。

 白い婚礼の衣装を着て、結婚式を挙げてそれから――

 胸が痛い。おさまっていた涙がまた溢れてくる。


「うぅ、……ひっく……」


「アンジュちゃん、また泣くんだから……ほら、よしよし、良い子だね、泣かない泣かない。何にもしないよ、危ないからね、刃物。もう一本持っていたら嫌だから確認しただけだよ。アンジュちゃん、飴食べる? ブドウ味にしよう」


「ロキ様ぁ……」


「ほら、子供用の教育番組もかけてあげようねぇ。可愛い犬とか、ウサギとか、見ようかアンジュちゃん」


 ロキ様は私の足から抜き取った皮ベルトに果物ナイフを差し込んで戻した。

 それから少し考えるように目を伏せると、片手を握りつぶす動作をする。

 ぶわっと黒い炎が立ちのぼり、私の皮ベルトは果物ナイフと共に塵のように消えてしまった。

 あっけにとられてその様子を見守る私の、間抜けに開いた口に紫色の宝石みたいな棒のついたものが突っ込まれる。ブドウの味がした。


「ほら、おいで~、怖くないよ。お兄さんが抱っこしてあげよう」


「私は、もう十七歳。大人ですわ。ごめんなさい、慣れないことで思わず泣いてしまって……。ロキ様がそうしたいというのなら、血を捧げる前に私を好きにしてくださいまし……」


「しないよ。僕、幼女に手を出す趣味とかないし」


「幼い子供ではありませんわ、大人です」


「アンジュちゃん、ほらみて、ウサギさんだよ。可愛いねぇ」


 ロキ様は私の体をよいしょ、と抱え上げて自分の足の上に座らせた。

 背中側から抱えられた私のお腹の前に、ロキ様の手が回っている。

 狭い部屋の角にある、長方形の薄いなにかに、ウサギの絵が唐突に映った。

 絵にしては随分と精巧な姿だった。

 それは絵なのに、四角い額縁の中でまるで生きているかのように動きまわった。


「ウサギちゃん、可愛い……ロキ様、絵が動いておりますわ……!」


「うん。絵じゃないからねぇ」


『耳垂れウサギはクルミを好んで食べます。ほら、見て下さい、美味しそうに食べているでしょう?』


 絵の中から落ち着いた女性の声がする。


「ロキ様、女性が、部屋に女性が居ますわ。ロキ様には奥方が居ましたのね……。それなのに私ったら、申し訳ないですわ……」


「アンジュちゃん、奥方はいないから大丈夫だよ。あれは、絵が喋ってる。僕はこの通り、六畳一間のアパートで一人ぐらしです。わんえるでぃーけー、風呂トイレ別。家賃は月々七万円」


「それは、呪文ですの……?」


「違うよ。因みに、アパートの名前は、メゾンド・ま……」


「それ以上言ったらいけない雰囲気を感じますわ」


「メゾンド・魔界村」


「あぁ、……なんだか分かりませんけれど、ぎりぎり、大丈夫な気がします」


 私はほっとした。

 何についてほっとしたのかよく分からないけれど、とにかくほっとした。

 部屋の隅の四角い額縁の中では、頭に角のあるウサギさんがクルミを歯で割って中身を出して食べている。

 もくもくと、頬が膨らむのが可愛らしい。

 口の中がいっぱいになって、顔の形が変わっている。


「良いですか、アンジュちゃん。アンジュちゃんは勘違いをしています。アンジュちゃんはそれはもう、死ぬぐらいの決意をして僕のところに、どうやって来たのかわかんないけど、来たんだろうけど。……僕は世界征服とか別に目論んでないんだよ?」


「だ、だって、ロキ様が世界征服をしようとしているから、ヴィオニス様と巫女様たちは、魔王討伐の旅にでましたのよ……?」


「うん。この間来たよね、そのひとたち。女の子は確か一人いたけど、子供がお腹にいたのかぁ……。気付かなかったなぁ」


「まだお腹も大きくなっていませんでしたわ。だから、分からなかったんだと思います」


「そっかー、それは悪い事をしちゃったなぁ……。一応様式美だと思って、少し戦ってあげたんだけど。……そのあと、封印されたふりをしてあげたんだけど」


 抱っこされているので、ロキ様の声が先ほどよりも近い。

 ロキ様の声は中低音で甘く、話し方のせいかどことなく軽薄な響きがある。

 このような軽々しい話し方をする男性を私は知らない。

 ヴィオニス様の話し方はもっと落ち着いていたし、従者の方々は私を未来の王妃として扱って下さっていたので、もっと丁寧だった。


「ロキ様を封印したと、ヴィオニス様はおっしゃっていましたわ。……だから私、王家の禁書を持ちだして……そこに書かれていた、血の魔法陣を描いて、ロキ様の元に来たのです」


「……血の魔法陣、描いたの?」


「はい。……痛かったけど、頑張りましたわ」


「どこを切ったの?」


「手のひらを……、少し。私、魔法も剣も使えませんけれど、血なら、ありますし……。禁書に書かれている通り、インク壷に血を垂らして、魔法陣を描きましたのよ。だから、私にはもうなにもありませんの。ロキ様、……私、私……もう、帰るところも、場所もなくて、……だから、世界征服を……」


「アンジュちゃん、手を見せてごらん」


 ロキ様が厳しい声で言うので、私は切った方の左手を差し出した。

 血が中々止まらなかったので、包帯を巻いたままだ。

 包帯を巻くのも上手にできないので、包帯はぐちゃぐちゃにほどけそうになっている。


「ごめんね、気づかなくて。寝起きだから、ぼんやりしてたみたい。包帯、巻いていたのにね」


 ロキ様は、私の手に大切そうに触れた。

 それだけで、内側から消滅するように包帯が消えていく。

 むき出しになった私の手のひらには、生々しい傷からじわりと血が滲んでいる。


「あぁ、もう、可哀想に……! なんでこんなことをするかなぁ……。女の子は肌に傷をつけたらいけないんだよ、アンジュちゃん。二度とやらない約束をしてね。ほら、なおしてあげるから」


 ロキ様が私の手を包み込むように握った。手のひらがあたたかくなる。

 痛みが消えていく。

 私の肌は、元通りのなめらかなものへと戻っていた。



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