『判別如何で、自由闊歩の法則』・・・『詩の群れ』から
『判別如何で、自由闊歩の法則』・・・『詩の群れ』から
㈠
自己の、自己判別というものは、実に明快だな、だろうだ。
だろう、言葉が意識を敷衍して、何処かへと遠く遠く、連なっていくのと、同じだろうからね。
そうだな、それこそ、判別如何で、自由じゃないか、だろうだ。
だろうだ、自由なことは、人生において、必要だからね、だろうだ。
㈡
遠回りも、近回りも、人生には、重要なものさ、だろうだ。
だな、其処に自由があれば、我々は自由闊歩出来るだろうだ。
そうなんだよ、そういった次元まで行きつくこと、一種の涅槃の状態さ。
成程な、我々は何故か、涅槃を求めると云った、一種の法則だろ、え?
㈢
だろうだろうだ、つまり、判別如何で、自由闊歩の法則ってことで、意味の含蓄さ、だろうだ。
だろうな、世界の敷衍は、自由の実行思想だからね、だろうだ。