魔王は人間のフリをしたい
無事に試験を終えた俺はこの学院に編入することができるようだ。まだ教室には行っていないが、明日には学生としてここに通うことになる予定だそうだ。
試験場を後にした俺はエリーナに連れられて、学院の中を案内してもらっている。
この学院はどうやら魔法を主に勉強しているが、他の分野も勉強しているようだ。
その中でも”科学”という分野は俺にとって知らない知識だ。これは俺の学院で学ぶことになるだろう。
魔法に関しては極め続けてきたからな。学院程度など余裕だろう。
そうしていると、昼過ぎになり学院の鐘がなる。
「もうお昼ね。少し早いけど昼食にしよ」
エリーナは何か楽しそうにしている。
「楽しそうだな」
「ここの学院の料理は美味しいのよ」
どうやらエリーナは美味しい料理には目がないらしい。
確かに俺も美味しいものは好きだが、戦争時代にはそういった贅沢はできなかったからな。
長い間、美味しい料理というものを味わっていないな。
エリーナに連れられて、この学院の食堂に向かう。
「あ、この学院なんだけど。さっき紹介した場所が一般学院で、もう一つの建物が貴族学院。貴族学院は貴族階級の人しか入れないから今日は紹介できないの」
「同じ学院が二つに分かれている感じか」
「そんな感じね。でも、この食堂だけは一般も貴族学院も同じなの」
食堂はみんなの共有というものか。
「階級差別をできるだけ無くそうっていう目的で食堂から始めてるの」
「それ以外に問題があるのか?」
「例えば教育とか、貴族学院と一般学院とで格差があるの。同じ同級生でも貴族学院の方が先に進んでいるのよ」
「貴族の優遇だな」
「そう、本当はそれがいけないんだってわかってはいるんだけどね」
色々と複雑な事情があって解決が進まないといったところか。千七百年前にも似たような格差があったな。魔族の世界でも上級と下級で亀裂が起きていた。
「そういえばエビリスくんは一般になるのよね」
「そうなるな」
「ふーん。じゃあ、私の寮に来るわけだ」
エリーナは机に両肘をついて絡ませた手の上に顎を乗せる。その目は何かを企んでいる目、いや見定めている目か。まぁ年下をからかおうとしているだけだろうから気にするだけ無駄か。
「おそらくな」
「今日は特別に私の部屋に来てもらうから。あ、ミリアには内緒でね」
エリーナは自分の口元を指で押さえて、内密にと強調する。
「色々と聞きたいこともあるからな。そうしようか」
エリーナは何か嬉しそうだが、本心まではよくわからない。
そんなことをしているとミリア先生が食堂に現れた。
「エリーナ、試験はどうだった?」
「上出来過ぎでびっくりよ」
ミリア先生は安心したのか胸を撫で下ろして落ち着いた。
「よかった。この学院に通えるのね」
少し嬉しそうに話す。
「あ、魔力の測定で魔法水晶を壊したのよ」
「えぇ、そんな魔力持ってるの?」
ミリア先生は口を手で覆い驚いた。まさか俺にそんな魔力があるとは思ってもいなかったようだ。
「隊長クラスの魔力だよ」
「魔法部隊のことは言わないで」
ミリア先生は真剣な目でエリーナを見る。彼女がそのような目をするのは初めてだったため、俺も驚いてしまった。
「あ、ごめんね」
魔法部隊か。人間との戦争でも活躍していたな。
あの時は魔導具を使った戦いをしていたが、今はどのような戦い方に変化しているのだろうか。これほど人類が進化したんだ。魔族と大差ない戦いの仕方になっているやもしれん。
「エビリスくんがいくら強いとしてもまだ子供だから、ね」
「でも、もう大人よね?」
エリーナは悪戯顔で俺の方を見る。
俺はこの世界の常識をまだ知らない。だから答えようにも答えられない。
「どうだろうな」
何も答えないのも雰囲気を崩すと思い、俺はからかい返すようにそう答えを伏せた。
「こ、子供よ。そう、子供なのよ」
ミリア先生は何か自分に言い聞かせるように言っているようだった。
「もしかして、ミリア……恋したとか」
「そんなことないでしょ! まだ子供なんだし」
「でも十六歳だったら結婚できる歳だよ?」
どうやらこのユードレシアという領地では十六歳から大人として認められ、結婚できる歳のようだ。
以前の人間領であれば十二歳からだったようだが、これは変わったのだろう。
「エリーナもそんなこと言わないの」
そうしていると、さっきまで閉まっていた窓が開いて料理のいい匂いが食堂に流れ込む。
「エビリスくん、こっちよ」
エリーナが俺の手を引っ張って食堂の方に向かう。
「そんなに仲良くなったんだ……」
俺の後ろから付いてくるミリア先生はボソッとそう呟いた。
カウンターに着くと、エリーナは胸元から何かを取り出して料理人に見せる。
「三人分ね」
そういって先に進むと三人分の料理が並んでいた。
俺はそれを持って先ほど座っていた席に向かう。
香ばしい匂いが俺の食欲をそそる。肉を使った料理だが、何の肉かは見た目では判断できない。俺の知らない料理法で作られているようだ。
「今日は唐揚げか。美味しそう」
「からあげ、と言うのはなんだ?」
「高温の油で揚げた料理、もしかして知らない?」
「初めて聞く」
その唐揚げを口に運ぶと肉汁が溢れ出す。外側はカリッとしているが、中はふわりと柔らかい。そしてほのかに柚子の香りが口の中に広がる。
「美味しい?」
「ああ。下味もしっかりとしている」
「でしょ? ここの料理は美味しいの」
ミリア先生もここの料理が好きそうだ。
「ねぇ、ミリア。エビリスくんのことだけど」
エリーナがふと思い出したように言う。
「うん、何?」
「私の学生寮に住むわけでしょ? だから、午後からは寮の方に案内するんだけど」
「そうね。その方がいいかも」
「じゃあ、後でエビリスくんを連れて行くね」
ミリア先生が食べるのをやめ、ジトっとした目でエリーナの方を向く。
「別にいいけど、今後そういうことは先に私に断りを入れてからね」
「エビリスくんが取られるのが嫌なの?」
それを聞いたミリア先生の顔はひどく赤面し、コップで顔を隠す。しかし、すぐにコップを置き、エリーナの方を向いた。
「そんなんじゃないって、エリーナのことだから変なことエビリスくんに教え込んだら迷惑だと思ったの」
「変なことって、例えばこういうの?」
エリーナは俺の肩にもたれかかり、まるで恋人のように振る舞った。
それを見たミリア先生はまたひどく赤面する。
「そ、それがダメだって言ってるの!」
エリーナは体勢を戻し、ミリア先生に軽く微笑む。
「大丈夫よ。学生寮のルールを教えるだけだし」
「そ、それならいいけど」
ミリア先生はエリーナから目をそらし、コップの水を飲みきる。
エリーナは身を乗り出し、俺に話しかける。
「逆にミリアの部屋に行かせる方が危険よね? エビリスくん?」
「いや、少なくとも昨晩は何もなかった」
まぁミリア先生のためにも風呂に一緒に入ったと言うことは伏せておこうか。
「あら、そうなのね。てっきりお風呂にでも入ったものかと」
「な、何で……」
そこで動揺してはいけないだろ。
ミリア先生が置いたコップがカランと音を立てて机の上を軽く跳ねる。明らかに動揺しているのが誰の目から見てもわかる。
「やっぱりそんなことしてたんだぁ。でもエビリスくんは何とも思っていなかったようだけど?」
ミリア先生は少しムッとした表情で顔を逸らす。
「エビリスくんはまだ子供だからわからないのよ」
「いくら俺でもミリア先生の魅力には気付く」
これ以上は厳しいと思い、ここは訂正しておくことにした。
「だって、ミリア?」
「もう、エリーナがからかうから!」
ミリア先生はご飯を食べきり、立ち上がる。
「もう行くの?」
「授業の準備、エリーナはエビリスくんを寮に案内しするんでしょ」
ミリア先生は食器を調理場に持っていき、食堂から出て行く。
「私たちも行こっか。これから生徒も多くなるし」
エリーナに連れられて、俺とエリーナも食堂を出ることにした。
学生寮に向かう途中でエリーナと商店街を通る。その商店街で俺の服を選んでくれるそうだ。
日常使いできるカジュアルな服が並んでいる店に入る。
「こんな服とかどう?」
エリーナは服を俺の身体に当てて選んでくれている。
はっきり言ってこの時代の服装は以俺の時代の服装とだいぶ違う。デザインも派手なものが多くある。少し動きにくそうな服もあるが、どれも生地は触ったことのないものだった。
ここまで綺麗な生地にムラのない染色はなかなか上品なものだ。いや、この時代なら普通なのか。
「任せる。俺には流行りがわからない……」
「じゃ、私が決めるね」
エリーナはいくつか服を選んだ後、会計を済ませた。会計までエリーナに任せてしまったが、今の俺にはこの時代の通貨がない。
ここは仕方なく甘えることにしよう。
学生寮に着いた後、エリーナの部屋に向かう。
学生寮でのルールやマナーなどを教え込まれた後、一緒にくつろいでいた。
「今日の夕食はどうするの?」
「まだ考えていない」
「じゃ、私の家で食べる?」
エリーナは今思いついたようにそう言った。確かに今のまま部屋に戻ったとしても食料は家にはない。
「迷惑でないならそうしたいところだ」
「全然迷惑じゃないよ。男の子と一緒に食べるの久しぶりだし」
エリーナは嬉しそうに、そして楽しそうにそう言った。
「そうか……」
「七時にここに来てね。作って待ってるから」
それから学院のことを少し話した後、俺は一旦エリーナの部屋から出ることにした。
そして、俺はエリーナに割り当てられた寮の部屋に帰ることにした。
「時間は、ちょうど五時を過ぎたあたりか」
エリーナから時計の見方を教わった。このように時間を計る道具はあったが、ここまで細かく正確に刻むものは初めてみた。
七時にはエリーナの部屋で夕食を食べることになっている。
とりあえず、俺はエリーナからもらった服に着替えることにした。他の衣類はタンスにしまい、部屋が散らからないようにする。
俺の部屋は物が少ないため、スッキリし過ぎている。これから日用品などを揃える必要がありそうだ。
七時まで時間がまだある。余った時間はアイスに会うことにした。
あの洞窟から出られない以上、まだあそこにいるのだろう。
そう思い、新しい服に身を包んで洞窟に向かう。
洞窟の周りには人気がなく、侵入するには容易かった。
「アイス、いるか?」
すると洞窟の暗闇が明るくなり、妖精アイスの姿が現れる。
碧眼の美少女は洞窟の中でも美しく輝いていた。
「よかったです。一日も帰ってこないから心配しました」
「すまないな。唐突だが、俺はこれから学生として人間界に住むことになった。魔族の文明は崩壊していたからな。こればかりは仕方ない」
「あの、そのことですけど」
アイスは申し訳なさそうに俯いて、ゆっくりと口を開いた。
「どうした?」
「人間の体にしたのは、私です」
「そうだろうな」
魔族の体を人間に完璧に変えた時点で妖精の仕業だと気付いていた。
だが、俺はそれを責めることはしない。これはアイスの最善の選択だからだ。
「本当にごめんなさい。でも、そうするしかなくて」
「だいたい予想できる。ここまで完璧に人間にできるのは妖精ぐらいしかいないからな」
「怨んでますよね……」
別に怨んでなどいない。その時々で最善を尽くしたとしても後悔することもある。それに根本的な原因はアイスではないだろう。
おそらく”ニヒル”が魔族の文明を完全に崩壊させ、上級魔族を絶滅させたのだろうな。
「怨んでなどいない。魔族があの状態ではいくら魔王の俺でも再建は難しいからな。俺に生きる場所をアイスはよく考えて確保してくれたと感謝している」
実は千七百年前のあの時、魔族は人間に蹂躙されていてもおかしくなかった。主に魔族の知能レベルの低下が原因だ。
俺が眠りについた時点で、”ニヒル”が現れなくても文明の崩壊は時間の問題だっただろう。
「いえ、私のせいで魔王様が千七百年も眠りについてしまいました。こうなるとは想像できてなくて」
「百年だろうが、千年だろうが時代の差異は覚悟していたことだ。気にする事はない。それにできる限りのことはしたみたいだしな」
この人間の体でも魔力量は魔王時代とほとんど遜色ない状態だ。人間の体に魔王の力を馴染ませるのは相当時間がかかるはずだ。逆によく千七百年でここまで完成させられたと思う。
「俺はこれから人間として生きて行く理由を見つける。かつて敵対していた種族だが、もうそれも千七百年前のことだ」
「……本当に気にしていないのですか?」
「大丈夫だ。今まで通りに付き合ってくれ」
アイスは深く頭を下げた。自分が原因で望んだ結果にならなかったことに少しばかり罪悪感があるのだろう。彼女は昔からそういう性格だからな。
「ところで、その服はどうしたのですか?」
夕食の時間までアイスに今までの出来事を話した。
妖精である彼女はこの場所から離れることはできない。これからたまに顔を出すことにするとしよう。
こんにちは、結坂有です。
無事に編入試験を終えた魔王エビリスですが、本当に人間として生活できるのでしょうか。
次回もお楽しみに。