魔王は気付く
『エビリスくん! 大丈夫?』
影からエリーナが心配してくれる声が聞こえる。
ふむ、まだ遊び程度の力でこの身体の限界が来るのか。
すると、気配がまた強くなる。先ほどいた残りの四体がこちらに向かっているのだろうか。
心拍が異常なまでに激しくなったことにより、逆に血流が悪化したようだ。全身の筋肉は酸欠状態で思うように動かない。
足の筋肉に力が入らなくなり、そのまま膝を突いてしまう。
視界が白く朦朧としているが、まだ思考する事はできる。
「心配しなくていい。まだ大丈夫だ」
『そうには見えないけれど……』
視界はぼやけて見えないため当てにならない。俺はエリーナに聞くことにした。
「残りの数は何体かわかるか」
『えっと、七体は見えるよ。本当に大丈夫?』
「問題ない」
四体ではなかったか。聞いてよかったな。
俺は右腕を地面に付いて巨大な魔法陣を展開する。もはや実験をしている場合ではないからな。ここはニヒルを消滅させる必要がある。
展開した歪な魔法陣は光り輝き始め、強烈な地響きとともに空間が歪み始める。
『なんて魔力なの……』
影の中でエリーナがそう呟く。まぁそうなるな。通常の人間では不可能な量の魔力だからな。
そして、周囲の気配が静まりかえり再び平穏な空気に満たされるのを感じると、俺はそのまま地面に倒れ込んだ。それとほぼ同時にエリーナが影から出て来て俺を抱え起こす。
特殊な装置を俺の指先に取り付けて、何かを計測しているようだ。
「ちょっとそのままにしていて、なんとかしてみるから」
「俺は……」
「これでも私は保健医よ。任せて」
起き上がろうとすると腕でそれを阻止する。全身の力がなくなっているため抗う事はできなさそうだ。
「うそ、心拍が三〇〇を超えている?」
平静時の三倍の心拍であれば誰でも驚くだろう。俺もこの経験は初めてだ。
普通なら生きている方がおかしいだろう。
「えっと、まずは心拍を下げるね」
そう言ってエリーナは両手を俺の胸に当てて、魔法をかける。
「俺一人でもなんとかできる」
「そう言わずに、頑張ったお礼よ」
「治療がお礼とはな」
心拍が安定して来たのか視界が先ほどよりも明瞭になってきた。そして、全身の筋肉も徐々に動かすことができる。
「こんな美人に治療されるなんて嬉しいでしょ」
確かにエリーナは美人である。場所や時間がよければ天使に見えるかもしれないな。
だが、そんなことよりもひとつ気になることがあった。
「……泣いているのか」
「め、目にゴミが入っただけよ」
先ほどまで砂埃が立っていたのだが、彼女はずっと影にいたはずだ。その言い訳は苦しい。まぁ感涙のようなものだろうから深くは追及しないでおこう。
「そうか、もう大丈夫だから治療はいい」
「本当に?」
頷いて見せるとエリーナは治療の魔法を止める。まだ心拍は早いが許容範囲内だ。そのうち正常に戻るだろう。
「そういえば、ここは魔族の森だな」
先ほどまであまり意識していなかったが、ここは町から少し離れた森だ。以前俺がここで保護されてからは一度も来ていなかったのだが、相変わらず不気味な雰囲気は残っている。
「そうね」
「なんとかここで食い止めることができたのはよかった」
そういうとエリーナも小さく頷いた。
「あの、エビリスくんっていったい何者なの」
「……」
言葉に詰まってしまう。いったい俺はなんなのか自分でもよくわからない。魔族の力を持っている人間など本当は存在しないのだからな。
「別に答えたくないならいいんだけど」
「正直自分でもよくわからない」
そういうとエレーナは口を閉ざした。
「それと俺のことは口外しないで欲しい」
「うん、それは約束するよ」
俺はその言葉を聞いて頷いた。
エレーナはミリア先生の同僚ということもあり、俺としても信頼できる相手だ。だからここに連れて来たのもある。
それに彼女はこの襲撃の件について何か知っているのかもしれないしな。
「ひとつ聞いていい?」
「なんだ」
「他に誰か知っている人はいるの?」
そのことか、秘密を守るには知っている人を把握する必要がある、か。
「フィーレなら少し知っている」
「知り合いになったんだ」
「いろいろあってな」
フィーレに関しては向こうからやって来たと言った方が正しいが、細かい事は置いておこう。
「そっか」
そうして、俺とエリーナは魔族の森を後にするのであった。帰り道はずっと彼女が俺の方を横目で見つめていたが、その辺りもさっきのことがあったから当然か。
普通であれば恐怖を抱いてもおかしくないのかもしれない。よくよく考えてみれば半分に切断したり、頭部を破裂させたりするのは普通じゃないからな。
それから俺は部屋に戻り、アイスとメライアに報告する。
「とりあえず、ニヒルが上級魔族を乗っ取っているのは確かだ。それに前よりも戦略的になっている」
「やっぱり進化するのね」
メライアはそう深く考え込んだ。
「千年以上もすれば進化するのかもしれませんね」
すると、アイスはそう呟いた。事実進化しているのだろう。あのような戦略的な集団攻撃は見たことがなかったからな。
「それと俺の体のことなんだが、やはり本来の力に耐えられないようだな」
以前、水晶を使った時は魔力を放出するだけだったが、今回は実戦と言った複雑な魔法陣や戦闘を行いながらでは体に相当負荷がかかるのかもしれない。
「例えばどのようなことですか」
俺のその言葉に真っ先に反応したのはアイスの方であった。彼女は俺を人間の体にした張本人であるため心配して当然だろう。ただ、彼女にはそこまで心配しなくてもいい話だ。
「すぐに心拍が上がったりしたな」
「危険ですね」
はっきり言って危険な状況であったのは間違いないのだが、まだ耐えられるものでもある。しかし、これが頻繁に続くようであれば今後は少し考える必要がありそうだ。
「トレーニングしないといけないね」
「訓練などでどうにかなるものなのか」
すると、メライアは得意げな顔をして口を開く。
「以前にもあったじゃん。魔王の力を手に入れる時だよ」
あまり覚えていないが、できないわけではなさそうだな。それよりもなぜメライアが胸を張ってまるで自慢をするかのように言うのかは理解できない。
「いったいどう言った訓練なのか、想像がつかない」
「それはね、この私と訓練するんだよ」
ここぞとばかりにドヤ顔を決めてくるメライアは楽しそうであった。魔王になった直後もこのようなことで一緒に訓練をしたものだ。彼女にとっても懐かしいものなのだろうな。
「つまり徐々に体を馴染ませていくと言うことか」
「そうそう、アイスちゃんがいくら頑張ったとしてもそれは魂の情報だけだからね」
魂の情報だけでは力を発揮できない。本当に力を発揮するにはそれを扱えるだけの肉体が必要なのだ。なかなか難しい訓練になるのは覚悟した方が良さそうだ。
それにしてもなぜこの時期にニヒルの活動が活発になったのだろうか。これもおそらくはエーデンとやらが関連しているのか、そんな嫌な予感が頭を過るのであった。
その日の夜はメライアと少し訓練をすることにした。訓練とは言っても室内でできる簡単なものだが、それでも十分に効果があるものであった。具体的な訓練内容とは防御系統の魔法であった。
その魔法は魔力を全身に纏わせることで攻撃を防ぐものだ。魔法障壁よりも便利ではあるが、魔力の消費が激しい。ものを壊す危険性がない魔法のため室内でもできるのだが、これがまたかなり苦しいものだ。
以前であれば三日間はずっと纏い続けることができていたのだが、今となっては数分で体が限界を訴えかけてくる。
「そろそろ限界だよね」
そうメライアが俺に声をかける。
「まさかここまでとはな」
学院で習う魔法であれば問題ないのだが、こうして全盛期の頃の出力ではさすがに厳しいのだろう。
「この前フィーレと戦った時があったと言っていましたね。あの時はこのような症状はなかったのですか」
アイスがそう質問する。確かにあの時も本気で戦っていたのだが、出力に関してはかなり抑えていた。一瞬出力を上げることも考えていたが、あの会場を破壊することになってしまうから自制したのだ。
「ああ、こんな感じにはならなかったな」
「力を抑えていたんだもんね」
メライアはそう付け加える。
「それでしたら、やはり私の改変がうまくいっていなかったのですか」
「アイスちゃんが気に病むことはないよ。大魔王様が強過ぎるだけだから」
確かに俺の本来の力は人間には荷が重すぎるのかもしれない。
とは言っても、今の体は人間の中でも最強に近い能力を持っているのは間違いない。俺が要求する最低レベルの力は兼ね備えていると見ていい。
今まで最低限の力で過ごしてきたが、そこまで違和感なく魔法を扱えていたからな。この改変にアイスは相当苦労したことだろうな。
「そうでしょうか」
アイスはその言葉に疑念を抱いているようだ。俺の体をうまく改変できなかった自分が悪いとそう思い込んでしまっている。
「メライアの言う通りだ。俺の力は強大過ぎる」
「それでも私は大妖精です……」
「いいか、これは俺の問題だ。アイスは何も気にする必要はない」
「そうだよ」
俺とメライアの言葉で少しは落ち着いたようではあったが、少し罪悪感があるのは拭えなかった。アイスのためにもここは早いうちに力を取り戻していく必要がありそうだな。
こんにちは、結坂有です。
今まで人間の最高レベルでの力しか出していなかった魔王ですが、これからは魔族の力をさらに使わなければいけないようです。
ですが、その反動で人間の体に異常を来してしまうのもまた事実。これから魔王エビリスはどのようにして戦い抜くつもりなのでしょうか。
それでは次回もお楽しみに。




