6の話
前回までのあらすじ
追い詰められた少女が、同行を命じられた
私は、夜の飲み屋街の人だかりを右へ左へと進む、少年貴族と老人の後ろをよく分からないまま追従していた。この街をこんな堂々と歩くのは初めてで、まるで水中を進む潜水艦に乗っているように、左右を行く人々の流れがとても良く見える。
馴染んでいた場所の景色が、初めて訪れた場所のよう。
肉を美味しそうに焼いている良い匂い、きつい香水の匂いはいつものことながら、そちらに目をやってみると、その店の繁盛具合が良くわかる。
確かに匂いは良いけど、味はそこまででも無かった肉を食べた記憶はある。やはりそういう店というのは、客があまり来ていないようだ。
「二人はここで待ってろ」
よそ見していた視線を前に戻し、私は、シナはぶつかりそうだった自分の体を急いで制した。
目の前には老人、そしてその前に少年貴族。
「坊ちゃま、どちらへ?」
「すぐそこだから」
老人から止められると考えたのだろう、少年貴族はそれだけを残して一人で道沿いの店に向かっていった。
シナがその様子をぼーっと眺めていると、老人から声がかかる。
「ここでは通行人の邪魔になります。こちらへ」
老人はわざわざ、背の低いこちらに目を向けて言葉をくれた。それも前髪で隠れている目を見ながら。
それに対してほとんど放心状態であったシナは、特に反応は示さない。
しかし老人が歩みを進めると、それについていった。
道の端っこで、老人の隣に立ってぼーっと街の様子を眺める。
何もしなくていい時間が生まれる。
少年が戻ってくるまでの間シナは、出来た余裕で少しだけ思考を巡らせた。自分が何でこんなに落ち着いているのだろう、と。
これから先、自分を待っているのは強制労働の類。老人に先ほど言われた言葉から、自分はこれから犯した罪を贖うために、恐らく何らかの形で罰せられるのだろう。そしてそれは、奴隷。
シナは、自分がこれから奴隷になるだろう、と予想をつけていた。
この国において、奴隷は正式に存在する合法的な物。立派な商品だ。
法を犯した者は、牢屋に閉じ込められる代わりに奴隷となって社会に出て働く。売買される場合もあるが、年齢のいった男などの売れ残る奴隷は、刑期が満了するまで三食寝床保障のタダ働きとなる。それも永久に。
自由など、無い。
何よりも自由を求めていたシナにとって、それは苦痛以外の何物でも無かった。時折目にしていた、奴隷の象徴である首輪をつけている人間を見て、どれだけ気分を害したことか。
そして、それは数日以内に自分の首につく。
だからシナは落ち着いていた。
諦める、という形で。
もしかしたら善人に買われるという可能性も無くはないが、合法的商品とは言え奴隷は奴隷、裏社会の人間の醜い利害が渦巻く世界にその可能性を見出す期待値は低いだろう。
顔を下に落とし、舗道されている地面を見た。
「顔を御上げなさい」
そう言ったのは、隣にいる老人。シナが顔を落として、あと一歩で思い詰めるといったタイミングで声をかけてきた。
少し驚き、老人の方を見上げた。
「シナさん、気持ちの方は察します。これから先のことで、不安が募る一方でしょう」
老人はシナを見ず、前を向きながら話す。
「しかし、だからといって顔を下に向けてはなりません。それは、自分という存在を否定し得る行為でございます」
「?」
シナは、老人の言っていることの意味が上手く掴めず、少し困惑してしまった。
すると老人は、シナと同じ目線の高さまで腰を下ろした。
傍から見ればその様子はまるで、子供を諭す親のよう。
「では問題です。どうして人は、悩んだり、落ち込んだりするのでしょう?」
しかしその内容は諭すものではなく、子供のシナにとってよくわからないような質問であった。
「それは……悲しいことがあったから、ですか?」
その答えに、老人はにっこりと笑う。
「半分正解です。それよりもしっかりと答えられて、素晴らしいです」
「……もう半分は?」
意外なところを褒められて顔がにやけてしまいそうだったシナは、気が付かれまいとその先を促す。
「未来です。そういう人は皆、未来に対して怯えているのです。犯してしまった過ち、取り返しのつかない事柄……それに加え、彼らは無意識にこれからどうしよう、と先のことを考えてしまうのです」
「それは、いけないことなの?」
老人—フォードハムは、目の前にいる少女の無垢な瞳に映る、自分を見た。
「いけないことではない、と私は思っております。私にもそういう時期はありましたしね……しかし落ち込んだ状態で見据える未来など、終わりの無い暗闇も同然。考えれば考えるほど、ど壷はまってしまいます」
「じゃあ、どうすればいいの?」
フォードハムは自分の若かりし頃の姿を、今の少女の姿と重ね合わせる。
「そのことを頭に置いておくだけで十分ですよ。これから楽しくなる、不幸になる云々、未来の事は我々人間が知る由も無いのです。なのでシナさん、今は前向きになりなさい。何を悩んでも、訪れる未来はそう簡単に変わりはしない。疲れるだけですよ」
そう言うとフォードハムは立ち上がり、少年貴族の姿を探し始めた。
言われたことを、幼いなりに理解しようとするのはシナ。確かにこれから先のことを今考えたって、意味が無い。
少女は老人に倣い、また人行く道の方を見始める。今度は前を向きながら。
なんとなくシナは、これから先楽しい事があるよ、と老人が言っているような気がした。
本当にこの老人は何者なんだろう。シナはそう思わずにはいられない。
最初に感じた威圧感もそうだし、人の心を読めるエスパーチックなところさえもある。
「まぁ、坊ちゃまのお傍にいる以上、そんな無礼な態度は許しませんよ。ほっほっほ」
「……」
シナは改めて、この老人は掴めない人だと再認識した。
それと、どうやら外見というのを気にする面が多いな、というのがなんとなく分かった。やはり貴族、姿勢の細かいところまでも重視するのだろう。
内側に倒れこんでいる両肩を、外側へ追いやった。加え、言葉遣いも気を付けよう。また怒られたくはない。
少し心に出来た余裕で、このように色々な事を考えられた。
しかし、心に出来た余裕が一つの違和感を捉えたのだった。
(どうして、この人は……私が暴言を吐いたことを知っていたのだろう)
なんとなくで脳裏に蘇った先ほどの光景のワンシーンが、シナに致命的な時間のギャップを生んだ。
人の流れがゆっくりに見え始める。
(……この人は確か、私が怒った後に来たんじゃなかったっけ? あれ?)
シナは自分の記憶を覗く。それほど重要なことでは無いかもしれないが、少女は真剣に考え始めた。
しかし考えれば考えるほどお腹が空いてしまい、それどころでは無くなってしまった。
結局シナは自分の声が大きくて響いていたと結論づけ、お腹の音を鳴らして空気を抜いた。
そしてそのお腹の音は、本日の夜を凌ぐための食糧の未摂取を知らせた。
「ほら、これ。腹減ってんだろ」
「うぇ?」
狭まっていた視界がその言葉で途端に広がり、少年貴族の姿を目の前に捉える。シナは目の前に少年貴族が接近するまで、その存在に全く気が付かなかった。
突き放すように手渡そうとしてくるのは、こんがりきつね色に焼かれた、骨付きの肉。ゴミ箱に入っているどのものよりも食欲たぎる、至高の一品。
なんと少年貴族はシナと老人を残して、食料を買ってきていたのだ。
「……食べないのか?」
「……」
しかしシナは、ばつの悪そうな顔を浮かべてそっぽを向いた。
複雑な思いが渦巻き、どうしても素直に受け取れなかった。
「?」
少年はその姿に疑問を浮かべ、老人は静かにため息をつく。
そしてこの状況が続くと良くないといち早く察した者が、それとなく声を出した。
「シナさん、受け取りなさい。お腹を満たし、背筋を正すのが今のあなたの役目です」
相変わらず少年貴族の顔には疑問の文字が浮かんでいたが、その優しい声色の言葉を聞いた少女は、容易く行動を起こした。
ゆっくりと、決して無礼を起こさまい、といった魂胆を周囲に知らしめながら、両手でそれを受け取った。
「あ……ったか……」
感じるのは、紙ナプキン越しに伝わる熱。
熱量は少ないものの、思わずシナは声に出した。
そして、二人に見られていることを恥ずかしく思いつつも、かぶりついた。しかし恥じらいなど、一瞬で消え去った。
熱を帯びていることで肉汁があふれ出し、肉の香りが口いっぱいに広がる。咀嚼の度に引き出される旨味がシナの体に染み渡り、さらに食欲を増幅させる。
今まで無いくらいに歯を動かし、ひたすら無言で食べ続けた。
「さて坊ちゃま、そろそろお時間の方が」
「ん? あーもうこんな時間か。もう少し遊びたかったけど仕方ない、帰るか。シナ、そのままついてこい」
二人の会話をぼんやりと聞いていたシナは、歩き出す二人を見て、ぴったりと後ろを歩いた。
歩いている間も肉に集中し続け、めいっぱい食べ続けられるように一口のサイズを小さくし、その味を堪能し続けようとする。周囲の景色がどんどん豪華になって人気が少なくなっても、全く気が付かなかった。
そして食べ終わったところで初めて気が付いたのが、自分が緑と青を美しい庭をモチーフとした、立派なお屋敷の前にいることだった。
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