4話:非常食作り
お米は2kg袋の半分程度しか残っていなかったが、滝山が、
「独身時代が長いから、貧乏食は、任せておけと、笑いながら言うと
、頼もしいわ」と智子が喜んだ。
その後、滝山が、
「冷凍室に、挽肉と豚スライス、鶏もも肉が入っている
のを見つけ、この肉で、たくさんの餃子が作れる」と言った。
智子が、昨年の、お歳暮でもらった、うどんの乾麺がいっぱいあると
言い、パスタも好きなので在庫はたっぷりよと言った。
そこで滝山がお湯を沸かして小麦粉をこねて餃子の皮を50枚ほど器用に
伸ばしてビニール袋にいれて冷蔵庫に入れた。その後、キャベツやチューブの
ニンニク、ネギをみじん切りにして混ぜて、餃子の具を混ぜ合わせて、
ボールに入れて冷蔵庫にしまった。
夕方6時に、滝山が「今晩は、水餃子と、うどんにしようと」言うと、
「寒いから、最高じゃん」と智子が言った。
「なつかしい、じゃんと、思わず叫び」大笑いした。
料理は俺に任せろと言って鍋に湯を沸かし、もう一つの鍋でも湯を沸かた。
一つの鍋に具を包んだ餃子を12個いれた。もう一つの鍋も湯が沸いたので
、そちらに、乾麺を2輪いれて、茹でて、ザルにとる頃、智子が、残っていた
ネギをみじん切りにして、餃子の入った鍋に入れ、最後にコンソメで味を
調えた。
そして水餃子の汁にうどんを入れて食べて、水餃子も食べ、すっかり、
身体も温まった。そうして3月12日が過ぎていった。テレビを見ても、
東日本大震災のニュースばかりだった。今晩も、お互い、身体を暖め合って
、ベッドをともにした。
翌日の3月13日に、再び、東京電力福島第一原子力発電所3号機で
原子炉冷却用ポンプが電源喪失のため作動せず、炉心溶融が起こり、
既に3月13日午前5時半頃から、3号機の炉心溶融が始まり、3月14日
7時頃には、燃料の大部分が圧力容器の底を突き破って格納容器へ溶け落ちた
とみられる。
11時1分、原子炉建屋のオペレーションフロアから上が、1号機と
同じように水素爆発し大破した。一瞬の透明な爆発の直後、燃料プール付近
で一瞬の赤い炎が発生し爆発煙が上がった。大量の瓦礫が高度数100mまで
巻き上げられ7人が負傷し、復旧作業も中断した。
と言う事で、東京電力福島第一原子力発電所は1,2、3、4、5、6号機
のうち、5号機・6号機は、1〜4号機と立地が異なりやや離れた高所にあり、
津波被害がやや軽微だった。つまり、原子炉1,2、3、4号機が、全て、
炉心溶融、水蒸気爆発を起こしたと考えられ、大きな被害となり、近隣の町
、村の放射能が急上昇に、人が住めない状況となり、避難を余儀なくされて、
その後、数年間経っても、避難指示により、自分の家にさえ帰れない悲劇が
長期間続いている。
東日本大震災から5日目の3月15日金曜日に、首都圏の鉄道が再開されて
、滝山は、M物産・橫浜営業所に出勤して営業所のみんなに挨拶して回った。
橫浜営業所の首藤真一所長が当分の間、こちらで勤務してもらうと言い、
翻訳業務に当たってくれと言われ、了解した。




