静かなる激情
亜紀にはっきりと突き放されてしまった蒼斗。
このままでは、いずれ六年前のようにドープスに単身乗り込んで行ってしまう。
力になりたいのに、頑なに協力を拒まれてしまえば為す術がない。
途方に暮れてしまった蒼斗は、肩を落としながらセントラルをとぼとぼとさ迷い歩いた。
「工藤さん?」
凛とした声が蒼斗の名を呼んだ。
振り返れば、院の服装ではなく袴姿の花園が首を傾げ立っていた。その細い腕には、買い物に行っていたのか食糧の入った茶色の紙袋が抱えられている。
――それから、視線を横にずらせば、彼女の隣には見慣れない少年の姿があった。
身長は蒼斗とそんなに変わらないだろうか。
白いTシャツにベージュのツナギを着て、トップス部分を腰に巻いていた。足元は黒のマウンテンブーツ様のものを履き、黒いキャップを後ろに被っていた。
一見、一匹狼のようなオーラを持ち合わせた少年だった。
蒼斗の姿を捉えると、少年はじとりと警戒心剥き出しで睨みつけた。
何か気に障ることでもしたか、と顔が思わず強張る蒼斗だったが、花園はそれに気づかず首を傾げた。
「こんなところでお会いするなんて、奇遇ですね」
「そうですね……花園さんは、買い出しですか?」
「えぇ、陛下から補助金をいただいたので。子どもたちは育ち盛りですし、今日はあの子たちの大好きなものを作ろうと思いまして」
「そうですか……きっと、あの子たちも喜ぶと思います」
「えぇ。……こらユキ、何睨んでいるの、ちゃんとご挨拶しなさい」
ユキと呼ばれた少年は、面倒くさそうに片手で後頭部を掻いた。
カールっぽい癖っ毛が揺れた。
「高須雪兎」
「へ、あっ、どうも……工藤蒼斗、です。よ、よろしくね……?」
「……腑抜けた面だな」
「なっ!?」
雪兎は品定めするかのように視線を上から下にサッと動かし、嘲笑うように目を細めた。
この初対面だというのに不躾な振る舞い――以前、瀬戸と初めて出会った時とそのまんまであったのを思い出した。
失礼だな、と思わず怒りかけたのを、ぐっと拳を握ることで何とか堪えた蒼斗は、相手は子どもだと己に言い聞かせ言葉を飲み込んだ。
真に受けてしまうのは、良くない……。
「ユキ、失礼なことを言うんじゃないの。工藤さんはね、APOCの捜査官で、亜紀さんと一緒に行動しているのよ」
「APOC……」
雪兎はそうぽつりと呟くと、一瞬だけ眉間に皺を寄せた。
基本的に、亜紀や蒼斗たちがAPOCの捜査官だということは教育上の関係で子どもたちには伏せられている。
だが雪兎の反応からして、APOCのことを知っているのは間違いない。
この歳でAPOCの存在を知っているとは思わなかった蒼斗は、過去にAPOCと関わりがあるのかと察した。
「……最近明るくなったと思ったら、そういうことかよ」
「え?」
聞こえるか聞こえないくらいの、本当に小さな吐露。
雪兎の口が動いたことで何か口にしたのは分かった。
だが、聞き返しても無視の一点張りで、これ以上詮索はできなかった。
それきりそっぽを向いてしまった少年――雪兎。
いつものことなのか花園は笑みを浮かべていた。
彼女には、雪兎のあの時零した言葉は届いていなかったようだった。
「せ、先日お邪魔した時、彼はいなかったですよね」
「えぇ。仕事に出ていたので」
「仕事……?」
「ユキももうこの春で十六歳です。院の中で最年長だけあって他の子どもたちから頼られていて、院を少しでも支えたいと言ってくれたんです」
「へぇ」
「本来であれば高校に通わせてあげるのが一番なのですけれど……」
「院長、それはもういいだろう」
黙っていた雪兎が花園の話を少々声荒く遮った。
「必要な教養はアンタが全部教えてくれた。そこらのガキよりも、オレは賢い。別に高校に行かなくったって十分だ。散々話し合っただろう」
「でも……っ、そう、ね」
「……」
これ以上話することはない、と口を閉ざしてしまった雪兎に、花園は眉尻を下げ小さく息を吐いた。
彼らも彼らで、抱えている問題はある様子だ。
「そういえば、亜紀さんは? いつも一緒に行動しているのでしょう?」
「あ、えっと……亜紀さんは……別件で、動いています」
拒絶されているだなんて、とても言えなかった。
雪兎もいる半面、情けないところはあまり見せたくなかった。
「……どうかなされましたか? 何処か、具合でも……?」
「いや……そういうわけでは、ないんですけれど……」
歯切れの悪い蒼斗の返答。花園は心配そうに眉を下げ、中々話そうとしない様子の蒼斗をじっと見つめた。
それから――。
「工藤さん、少しお時間ありますか?」
「え?」
花園は有無を言わさぬと言わんばかりの笑みを浮かべ、近くのカフェに蒼斗を誘った。
「ユキ、先に帰っていて」
「おい何いきなり……」
「私は工藤さんと大事な話があるの。大丈夫、すぐに帰るから」
「オレが別にいたっていいだろう」
「いいから、お願い」
「……ちっ」
花園は納得いかない彼を問答無用で押し切り、自分の荷物と一緒に呼び停めたタクシーに乗せてしまった。行動力は目を見張る程だった。
言い出したら聞かない花園の性格をよく理解しているのか、雪兎はわざとらしく大きなため息を漏らした後、親の仇のような目を蒼斗に鋭く向けてきた。
「この人に何かあってみろ、ただじゃ置かないからな」
「そんなこと分かっているよ」
「お前らはいつだってそうやって答える。そうやって、当たり障りのないように返事をして、平気で裏切るんだ」
「……どういう意味だい?」
「アンタはアイツによく似ている。むかつくくらいな」
「アイツ?」
「亜紀に連れられてやって来て、あっという間に院のガキどもを手懐けて、恥ずかしいくらいにこの国の平和について語っていた偽善者だ」
それはきっと、剣崎のことだろう。
すぐに蒼斗は悟った。
だが、何故彼が剣崎に対してここまで嫌悪感を剥き出しにするのか、分からなかった。
調べた限り、剣崎は他人にそんな負の感情を向けられるような人柄ではなかった。
「アイツは自分の理想の為だけに生きて、人に希望だけ持たせて……あっさり裏切った。アイツは……っ」
「ユキッ!!」
パンッと乾いた音が響いた。
スローモーションのように雪兎の身体は傾き、タクシーのボディに寄りかかった。
蒼斗はただ茫然と見ていることしかできなかった。
それがあまりにも唐突で、予期しない出来事だったからだ。
険しい表情の花園が雪兎の頬を引っ叩いただなんて……二度しか会っていないが、手を挙げるような性格には見えなかった。
叩かれた左頬に手を添え睨みつける雪兎に対し、目を見開き、その顔に自分のしたことへの激しい後悔の念を陰らした花園は、やがて目元を赤くし、負けじと睨み返した。
「あの人を……悪く言わないで」
「……」
「あの人は、いつだってこの国の為に何が出来るか考えていた。あなたの言う理想――そして目の当たりにした現実との板挟みにあいながら」
「……」
「このどうしようもない善と悪が逆転した世界の中で、あの人がどんな気持ちでいたかなんて……っ、それを一番知っているのは……あなたも同じでしょう、ユキ?」
「……っ」
「ユキ!」
雪兎のアメジストの瞳が揺らいだ……気がした。
開きかけた口を閉ざし、唇を噛んだ雪兎はそのままタクシーに乗り込み、立ち去ってしまった。
小さくなっていくタクシーを、花園はただ黙って見つめていた。
「花園、さん……」
「っ、ごめんなさい、みっともないところをお見せしてしまって」
「いえ僕は……それより、いいんですか? 雪兎君、今にも……」
「いいんです。年頃ですし、これくらい言わないと」
――そう思うのであれば、何故こちらをちゃんと見て言わないのだろう。
ちっともいいわけがないのに、言い聞かせるように堪える花園の表情は、苦しげだった。
「……さぁ、工藤さん、行きましょう」
「でも……」
「こんな状況になってしまいましたし、少しでいいので私の我が儘に付き合ってくれませんか?」
そう言われてしまえば頷かないわけにはいかず、蒼斗は多少の気まずさを残しながら花園の後に続いた。
あまり外をうろつくなと亜紀に言われたばかりだというのに、花園はお気に入りのカフェを見つけると颯爽と歩く速度を上げた。
店内に入り、席に案内されるや否や、手慣れたようにコーヒーとカフェラテをウェイターにさっさと注文し、腰を落ち着かせてしまった。
APOC関係者は、本当に人の話を聞かない人間が多い。
花園は飲み物が来るまでの間、窓の外を眺めていた。
時折子連れの家族を見かけると表情が柔らかくなっており、本当に子どもが好きなんだなと思った。
形容しがたい居たたまれなさに蒼斗は次第に喉が渇き、目の前のグラスに入った水をちびちびと飲んでその場の空気をやりすごそうと努めた。
「お待たせいたしました」
待ち焦がれた飲み物が運ばれた。
しかしコーヒーは蒼斗、カフェオレは花園の前にそれぞれ置かれ、蒼斗はカップの中で静かに揺れる黒い液体を目に固まってしまった。
ブラックは苦手だ。
だがここでカップを入れ替えるなんて恥ずかしい真似なんて、とてもできない。
普段亜紀と一緒に喫茶店に入った時には「コイツはお子ちゃまだから、カフェオレで」なんて注文前にしれっと言ってのけていたから、すっかり油断をしていた。
うんうん唸っていると……花園は我慢していたのか、小さく息を吐き出し、口元に手を当て笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。そのつもりで頼みましたから」
ウェイターが下がるのを見送り、向き直った花園は流れるようにカップの位置を入れ替えた。
悪戯が成功したかのように楽しそうに笑うものだから、蒼斗は、彼女が自分が甘党だということを知っていての仕業だと分かると口をへの字に曲げた。
全く、人が悪い。
花園は気が済むまで笑ったのか、「ごめんなさいね」なんて思ってもないくせに謝辞を述べた。
「それで……APOCのお仕事――いえ、亜紀さんとは上手くいっていないみたいですね」
「ぶっ!」
綺麗な所作でカップを持ち、口をつける前に投下された爆弾。
からかわれたのが悔しくて、ぐっとカフェオレを一口喉に流したところで、盛大に噎せた。
咳き込みながら花園を見遣れば、やっぱりか、と顔に書いてあるかのように分かりやすかった。
「亜紀さんは昔からそうでした。何でも一人でできてしまう器用さを持っている分、誰かに頼ろうとしない」
「……よくご存じなんですね、亜紀さんのこと」
「APOCの幹部の方ほどではありませんが、もう七年の付き合いになりますから」
「七年……長いですね、亜紀さんにしては」
「今でも出会った頃のことを覚えています」
「亜紀さんとは、何処で?」
「あれは七年前の……今にも雨が降り出しそうな、丁度、こんな天気のことでした」