全ては彼のものだけが知る
剣崎千草。
ゼロ・トランスで家族を亡くし、親戚に預けられ育ち、六年前に土岐川大学に入学。
入学後、持って生まれた才能を見事開花させ、トップの成績で卒業後、APOCの捜査官となり、亜紀のもとについた。
六年前のルデラリス事件の捜査中、別行動をとっていたところ被疑者目黒の罠に嵌り、人質として囚われの身となり、被疑者逮捕の際、銃弾を受けて殉職。
――これが、蒼斗が探し出した、剣崎千草に関する資料だった。
六年前のルデラリス事件の書類のデータも読んだが、蒼斗の胸に残ったのは、「これだけ?」という言葉に尽きた。
学校時代の成績や写真、卒業後の取り扱った摘発報告書もあったが、情報があまりにも少なすぎた。
零号館三階にある、摘発捜査書類保管庫の一番奥。
建ち並ぶ無数の棚の間を抜けた窓際のテーブルに、蒼斗は落胆の息を漏らしながら書類を放った。
書類を読むに、亜紀があそこまでルデラリスやドープスに固執する理由は何処にも見当たらなかった。
単に、亜紀が剣崎に思い入れがあったからだろうか?
いや、亜紀に限ってそれはない。
――あっては……困る。
「こんなところにいたのね」
凛とした女の声。
蒼斗は、それが自身に向けられたものだと理解していた。
しかし、悲しみなのか怒りなのかよく分からない感情に胸を締め付けられ、打ちひしがれている今、まともに答える余裕もなく、気だるそうに顔だけ向けた。
そんな蒼斗の心情を分かってか、さして気にする様子もなく、腰に手を当て、呆れたように口をへの字にする女が立っていた。
蒼斗は彼女を見ても態度を改めることも無く、溜め息混じりに呼気を漏らした。
「何しにきたんだよ、辰宮」
辰宮星妃はチャームポイントである金色のツインテールを揺らし、腕を組みながら蒼斗を冷めた目で見下ろした。
「あら、随分な言い様ね。これでも心配して探したのよ。誰かさんが不貞腐れていると思
って」
「……別に不貞腐れてなんかいないだろ。今回の件に、僕は全く介入する余地がない。それだけのことだ」
「全身から恨み辛みの言葉が溢れ出てる癖に、何言っているんだか」
辰宮はつかつかと近づき、窓枠横のテーブルに行儀悪くも腰掛けた。
蒼斗とは近づき過ぎず、離れ過ぎず……ほどよい距離を保っていた。
テーブルに広げられた資料を一瞥し、外に視線を戻した蒼斗を見遣る。
「……辰宮は、ルデラリス事件のことを知っているのか?」
「少しだけ」
「剣崎さんについては……?」
――やはり、そこか。
案の定といったように、辰宮は表情を複雑そうに崩し、思わず天を仰いだ。
卯衣から、蒼斗の様子がおかしいとは事前に聞いていた。
その蒼斗が剣崎の名前を出した……つまりは、彼の存在を知ってしまったということ。
すぐに事態は思った以上に深刻だと悟った。
当事者でもない人間が、彼を語る資格はない。
されど、どう答えてあげることが蒼斗にとって正解なのか、返答に困った。
そんな辰宮に対し、蒼斗はそよそよと入り込む風に髪を預けながら、顔を見なくとも分かると言いたげに鼻で小さく笑った。
「この間、たまたま星霜院の花園さんに会ったんだ」
「花園……ボスが見つけて育てたっていう人ね」
「亜紀さんが?」
「彼女もそれなりの過去を持った人だって聞いているわ。その中でボスが拾い上げて、あの孤児院を任せられるよう教育したって」
なるほど。だからああいう親しい会話ができるということか。
もやり、と胸中に過ぎた黒い影に疑問が浮かんだ。
自分でも感情のコントロールが上手くいっていないのが滑稽なくらいに分かり、蒼斗はふと鼻で笑ってしまった。
こんなにも亜紀のことで振り回されるのが、苛立ちを通り越していっそ道化のようでおかしくなってしまう。
「なんで……どいつもこいつも、僕を除け者にするんだろうな」
「そんなこと……!」
「六年前のことだから――それだけの言葉で、誰も僕に話をしてくれない。調べても、何一つ出てこない。あんなふうに亜紀さんが取り乱す事件を、こんな紙ぺら数十枚で済むわけなない」
事実、卯衣や瀬戸、奈島や千葉にも事件の詳細を訊いても、蒼斗が欲しい答えは誰ひとりくれなかった。
「蒼斗君、みんなは……」
「分かっているさ」
「え?」
「……そんなこと、分かっているさ……っ」
――蒼斗は分かっていた。
彼らは、蒼斗が欲しいものを答えないのではなく、答えられないのだということを。
当時、亜紀は剣崎を救うために単身で探り当てた目黒のアジトに乗り込んだ。彼らが現場に到着したのは、だいぶ時間が経ってからだった。
現場は使用されていない倉庫街の一角。
辺りは火の海で、何の痕跡も得られなかった。
「今でも忘れられないよ」
亜紀の独走を食い止められなかった。
たった一人で適地に赴かせてしまった。
結果として、亜紀にAPOCの幹部として、同じ仲間として信頼されていなかったという事実が彼らに痛いくらいに突き付けられた。
不甲斐なさでいっぱいの表情を滲ませる彼らにそんな顔をさせてしまった。
自分のことで頭がいっぱいだった蒼斗は、自責の念に駆られた。
なんて身勝手なことをしてしまったのだろうか。
ルデラリス事件は、六年経った今でも、彼らを傷つけていた。
蒼斗は、千葉が剣崎の経歴書に視線を落としながら零した言葉を思い出し、強く歯噛みした。
――覚えているのは、燃え盛る炎と……胸が張り裂けんばかりの、亜紀の悲痛な叫び声だけだ。
当時を知るのは、亜紀ただ一人のみだったのだ。
◆
あれから三日が経とうとしているが、目黒の足取りは依然と掴めずにいた。
六年前と違い、慎重に動いているのだろうか。
なんせ、亜紀の射程圏内に少しでも入ってしまえば確実に捕らえられてしまう。それを相手はよく理解していた。
目的情報は、あるにはある。
しかし、すぐに行方を晦ましてしまう始末。
失尾したという報告は、亜紀の苛立ちを募らせるのには十分で、時折気が付けば一人外に出かけてしまっていることもあった。
「亜紀さん、今度は何処に行くんですか」
「俺に構うな。俺は俺で、奴を探す」
「どうしてそんなに一人になりたがるんですか! これはAPOC誰もが摘発したい事件じゃないですか!」
「……」
「少しはみんなを頼って……」
「頼りにしているから、ルデラリス入手経路と売人からのルートをお前たちに任せているだろう。俺には俺のやり方がある、それだけだ」
「そんな……! っ、じゃあ僕も……!」
「お前は来なくていい」
「っ!」
「後は頼んだぞ、千葉」
「あぁ」
「亜紀さん……っ」
――そんなに、剣崎さんが大事だったんですか……?
「っ、僕は何てことを……!」
亜紀はもう自分を見てくれない。
相棒として、傍においてくれなくなる。
蒼斗としての存在価値を誰もが否定し、理不尽にも命を切り捨てられそうになったところを、亜紀だけが掬ってくれた。
それが御影摘発……自分の使命を全うするためのツールとして使用するためだったとしても、蒼斗は何よりも嬉しかった。
存在していいと、力強く答えてくれたことが、幸せだった。
それが今はたった一人の故人と、独りの犯罪者が現れたことで見向きもされなくなってしまった。