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少年、罪過を喰む -弐ノ章-  作者: 藤崎湊
FILE1 青の鋼
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嵐の前の静けさ







「んーーーーーーーーーんんっ」




 ペンタグラムA地区。


 人が賑わう街の中心から少し外れた、郊外。

 街の賑やかさは次第に流れるように消え、風でさわさわと葉が音を鳴らす静寂に包まれた。

 綺麗に整備されたアスファルト道を上り、やがてひっそりと顔を出した日本家屋。

 かつてのオリエンスを思い出させるその家屋は、悠然と聳え立っていた。

 銅板葺きの丸みのある優雅な美しさを持った屋根と、庭に敷かれた砂利。

 数奇屋風の書院茶室様式になっているその周辺には、大きな桜の樹が植えられており、春を知らせる桜色の花弁を咲かせ、風情があると見る者を魅了した。


 ――この場所こそ、ペンタグラム第一皇帝が公務として使用している場所、翠影宮(すいえいきゅう)


 執務室では、座卓のある和室の雰囲気には似合わないタブレット端末を睨みつけている宮主が苦しそうに呻き声をあげていた。

 勿論、体調不良の類ではない。


「いくら唸っても誰も助けてくれませんよ」


 ペンタグラム第一皇帝、東崎亜紀は溜まりに溜まった執務に追われていた。

 縁側で素知らぬ顔で胡坐をかいた青年工藤蒼斗は、新聞の朝刊を開き目を通していく。


「んーーーー」

「無駄ですよ。ここには僕と亜紀さんしかいないんですから」

「……」

「睨みつけたって何も変わりません。ちゃんと仕事してください」

「ちっ」


 恨めしそうに蒼斗を一睨みした亜紀は、半ば八つ当たりのようにタブレットに触れ、物凄い速さで画面をスライドしていく。

 APOC総帥としての仕事は早いが、事務処理的なものは滅法亜紀は弱い。特に報告書を読んでサインをする作業を延々としていくのが精神的に堪えるそうだ。

 事務処理は嫌になる。だが、何もそれを疎かにするわけではない。

 皇帝として何がこの国のためになるのか、しっかりと考えている。



「っ、だあああああ終わんねぇぇぇええ!!」

「うるさいですってば、亜紀さん。身から出た錆ですよ」

「うるせぇな! んなこと知ってるわ!」


 ――やれやれ、困ったご主人だ。



 時は影暦二〇三五年。

 十年前、暴君御影が行った錬金術実験――『最期の審判計画』の代償として引き起きたゼロ・トランスで、オリエンスは二つの国に分かれた。

 オリエンス、そして悪魔に守護されたペンタグラム。

 後退するオリエンスに対し、ペンタグラムは核を先導者として置き、五つに分けた地区にそれぞれ五人の皇帝を与えた。

 瞬く間に情勢は好転し、人々は地獄のような現状を打破した彼らのことを讃え、『五賢帝』と呼んだ。


 だが、それはあくまで表の話。


 現実、ゼロ・トランスで発生した体内に取り込んだものを犯罪者――狂魔に変えてしまう生物兵器狂蟲の問題が起きていた。

 また、御影はペンタグラムへの侵略及び『最期の審判計画』を企んでいた。

 それを阻止するため、ペンタグラムとオリエンスの境界線――乖離点の番人及び狂蟲狂魔の摘発を目的として核が組織した組織が生まれた。

 それこそ、五賢帝を幹部としたアポカリプス――通称APOC。


 悲願の御影摘発を果たし、『最後の審判計画』を阻止した。

 オリエンスの残虐王政は終焉を迎えた。


 あれから半年が経ち、オリエンスでは新たな指導者――国を統べるものを全員で選ぼうという動きが始まっていた。

 反御影王政だった者たちが同じ過ちを繰り返さないよう、何が今のオリエンスにとって必要なのか考え始め、オリエンスに暮らす人々もその動きに答えようとしていた。

 ペンタグラム――APOCは、これまで通りオリエンスに干渉することはなく、(オーブ)の指揮のもと彼らの行く末を静観していた。

 あの目まぐるしい戦いは消え、APOCの通常業務に戻った。

 狂蟲に苦しむ人々、狂魔の手に怯える人々を助け守る――普段通りの生活が戻ってきた。


 死神の使命という名の呪縛から解放された葛城改め工藤蒼斗は、軍人でもなく、死神でもなく、ただの『APOCの一捜査官』としての生活に少しずつ適応できるようになってきていた。

 予知夢も視ることもなくなり、人としての生き方を噛みしめていた。


「はぁ……奈島さんでさえもきっちり仕事しているっていうのにこの体たらく……」

「それ以上言ったら簀巻きにしてD地区に捨てる」

「こ、皇帝の仕事も大変ですよねぇ! お茶でも入れます?」

「いらねぇよ!」


 猫の手も借りたいくらいだ。

 背後にバチカルの顔が出てきて漸く身の危険を感じ、蒼斗は肩を竦め朝刊に顔を戻した。

 ついに集中力が切れたのか、亜紀はタブレットの近くに置いておいた煙草に手を伸ばし、火をつけて深く深く吸い込んだ。

 煙が肺にゆっくり、ゆっくり沁み込んでいく感覚が身体を満たす。

 数時間ぶりの煙草に頭まで染み渡るような心地よさを感じたのち、唇を離して煙を吐き出した。


 業務的にもこれといって大きな事件はない。

 オリエンスも生まれ変わる片鱗を見せた。

 まさに、平和と言っても過言ではなかった。

 これが、本来のペンタグラムに暮らす人間の生活なのだ。良いことこの上ない。



「……ん?」


 蒼斗の視線が朝刊の一面記事で留まった。


 『各地区で発生する通り魔事件。犯人は未だ逃走中』


「この記事……」

「どうした、蒼斗」

「いえ、また通り魔が出たみたいです。今度はC地区か……」


 昨今、ペンタグラムでは通り魔事件が騒がれていた。

 被害者は二十代から六十代の男女で幅広く、一人の時だけでなく第三者の人間が近くにいた時などにも狙われ、鋭利な刃物様の凶器で斬りつけられている。

 周辺に防犯カメラの設置はなく、目撃証言も発生事件によって被疑者の特徴はばらばらだった。


 すれ違った時にぶつかったのか、それが気に入らなくてポケットからナイフを取り出していた。

 独り言を繰り返していたが、通りがかった被害者が目に留まり、突然折り畳み式ナイフをポケットから出して斬りつけていた。自分も巻き込まれるかと思った。

 感情の起伏状態から狂魔になっている可能性は高い。

 事件の発生時、当然APOCも狂魔が関係しているのではないかと考え、現場に臨場した。

 けれど、現場検証で狂蟲レベルを確認するが、不思議と通常数値と変わらない。狂蟲が出現した気配が何処にもなかった。

 指揮権はSTRPに委ねられ、APOCは待機ということになった。



「亜紀さん、この通り魔についてどう思います?」

「狂魔の仕業なのは確かだ。……だが、どうにも解せない」

「と言いますと?」

「本来、狂魔は一度変化すると元の人間には戻れない。だから犯行を及べば必ずAPOCの捜索で見つかる。勿論、死神のお前にもな。――だが、あれだけ張った包囲網ですらも、お前の目ですらも掻い潜った」


 被疑者は未だに捕まっていない。

 狂蟲の浸蝕度が現場付近で上がっていたのは間違いないが、その後の足取りが全くつかめなかったのだ。

 亜紀に言われて、初めて狂蟲及び狂魔の特性というものを認識させられた。

 確かに、狂魔状態の人間が逃げ切るなど、出来るわけがない。


「それに……」

「まだ、何か……?」

「……」


 窺うように新聞から目を離せば、亜紀はタブレットに視線を向けたままペンを滑らせていた。その表情は硬い。


「亜紀さ……?」


 完全に仕事から意識が離れてしまっていた亜紀の様子に、蒼斗は訝し気に声を掛けようとしたところで、亜紀の端末が鳴った。


「――東崎だ。……どうした、卯衣?」


 電話の相手は亜紀の妹の卯衣だった。

 だが卯衣だと分かってもその表情は依然と変わらず、端末越しに漏れる卯衣の声は焦燥しており、悲鳴のようにも聞こえた。


「……通り魔が出ただと?」

「!?」


 亜紀の表情が狩人のそれに一変した。

 通り魔という言葉に、蒼斗もまた背筋に緊張が走り、固唾を飲んだ。

 電話が終わるやいなや、亜紀は「出掛けるぞ」と一言告げ、壁に掛けてあったAPOCの上着を羽織った。


「また出たんですか」

「あぁ。今度はセントラルの街のど真ん中だ。三人組の男がナイフを振り回して通行人に襲い掛かっているってな」

「ナイフ!?」

「たまたまいた卯衣が対応している――が、相手は三人だ。大至急応援に向かうぞ」

「っ、はい!」


 板張りの廊下を慌ただしく音を立てながら、亜紀を追った。

 あんな人混みの中で凶器を持って襲い掛かられたら大パニックを起こしかねない。きっと今も、現場は大変なことになっているに違いない。

 

 形容しがたい不安は、まだ杞憂に終わることはなさそうだった。



 ――思えば、これが全ての始まりだったのかもしれない。





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