穢れた華
目黒の怒声に部下たちは一斉に亜紀に発砲した。
銃弾が一点に向かう。
その中で、銃の扱いが誰よりも勝る亜紀は、弾道を一つ逃がさず捉えるといとも簡単にかわして見せた。
遅い、遅い、遅い……! まるで止まっているように見える。
「――来い、バチカル!」
両手に短剣を携えるとそれを逆手に持ち、狂魔の懐に攻め込むと遠心力を使って喉を掻き斬っていく。
身体にまとう赤い血は、既に敵のものか自分のものかも区別がつかない。
降り注ぐ雨が水溜まりを作り、亜紀から滴る赤が染め上げていく。
身体中に走る痛みに耐え、亜紀は息を切らした。
どれだけ敵を斬り、斬られただろうか?
――そんなものは忘れた。
取り囲む狂魔はいくら倒しても終わりが見えず、ただ亜紀の体力が奪われ、命が削られていく。
――殺す。殺す。殺す……!
――そうでなければ、俺は……。
嵐のような豪雨。
部下の狂魔は粗方蹴散らした。
しかし目黒は動揺する素振りはない。
狂魔を次々息の根を止めていく亜紀はまるで戦場を舞う戦乙女のように美しかった。
目黒はそれを見て恍惚とした顔をしていた。
その一方、雪兎は返り血を浴び、修羅同様の動きで敵を倒していく様が怖くて堪らず、全身が震え切ってしまっていた。
亜紀の目にもとまらぬ速さで男から解放されたというのに、その場から動くことが出来なかった。
「やはりお前は美しいな、東崎。剥製にしてオレの傍に置いておきたいくらいだ」
「けっ、テメェの剥製の置物にされるくらいなら、狂魔の餌になった方が遥かにマシだ」
「減らず口を。――そろそろ、頃合いか」
「?」
時計を一瞥し、不敵に笑った目黒。
この圧倒的亜紀の優勢状況にあっても、余裕を保てられるなんて。
訝しげに見据える亜紀に対し、目黒は高らかに笑った。
「素直に負けを認められないか」
「はっ! 愚かだな、東崎! オレがお前を相手に何の余興も用意していないとでも思ったか?」
「余興……?」
「六年前はまだ試作段階だった。だが今回は特別ゲストをお前に用意してやったぞ!」
全身の血の気が失せていくのが分かった。
ぞわり、毛が逆立っていく。
どうして人間は、不穏な予感がすると――それが的中してしまうのだろうか。
――コツリ。コツ、リ……。
静かに聞こえるヒールを鳴らす音。
その足取りは何処か、覚束ないように思えた。
――ゴゥッ!
風を切る音と共に察知した強烈な殺気。
咄嗟に短剣をクロスして上に構えれば、鈍色に輝く一太刀が重く落ちてきた。
ぐっ、と衝撃のあまり息が漏れた。
――これは、薙刀……?
「はな、ぞ…の……?」
蒼斗の義兄、桐島祥吾が変わり果てた姿になった時、きっと今のような心境だったに違いない。
腐敗臭を伴い、ただれた肌が痛々しい。
目は据わり、確かな殺意を持って亜紀に刃を向けていた。
――ただ、桐島祥吾の時と少し違う点がいくつかあった。
花園は一撃を受けとめられたことに獣のように呻くのではなく、あっさり亜紀から距離をとった。
凶暴性は通常の狂魔とは違い表に出ず、自分の手を見つめ感触を確かめるように手を開閉させたり、身体のことをよく理解している様子が伺えた。
猪突猛進に突っ込んでくれていた方が、遥かに戦いやすかった。
これが進化したルデラリスの効果なのだろう。
水魔鏡越しに花園を視れば、残酷なくらい境界線は見当たらない。――助け、られない。
関わらせないよう極力避けていたのに、危険な目に遭わせてしまった。
元々狂蟲の浸蝕度が高かった彼女を人でなくさせてしまった。
「……すまない、花園」
不条理な世界の中で、為す術なく生かされてきた彼女。
どんな苦しくても、どれだけ悔しい思いをしても、生きることを諦めない彼女の強い瞳に、彼女の意思と真価を見た。
勝手な大人の事情で虐げられてきた人たちを救う――その思いで亜紀は彼女に手を差し伸べた。
勿論、花園でなくても、亜紀は誰にでも手を差し伸べていた。
だが、こうして同じことを繰り返してしまったことを考えると、考えざるを得なくなってしまった。
――自分に関わらなければ、巻き込むことはなかったのではないか?
――理不尽で、汚い生活よりも、誰かに利用され巻き添えを食って怖い思いをしてしまう方がずっと辛いのではなかったか?
孤児院を託さなければ、狙われることもなかった。
『可哀想』な彼女を助ける――なんて、身勝手なエゴを押し付けなければ、もっと彼女にとっての幸せがあったのかもしれない。
亜紀はただ、ただ後悔した。
起きてしまったことは、どうにもできない。ならば……。
「千草のようにはさせない」
きっと、突破口が見つかるはず。いつだって、そうだった。
ルデラリスはまだ完成していない。なら、その効果にきっと綻びがあるはず。それを信じるしか今の亜紀に選択肢はなかった。
――貴様は弱い。
「もう、俺が弱いだなんて、言わせない」
花園は亜紀に拾われてから、亜紀の指導のもと小さい頃にかじる程度習っていた薙刀を本格的に教え込まれていた。
自分だけでなく、子供たちの身を護れるようにと。
おかげでその実力は亜紀の折り紙付き。
今になり、亜紀は当時の花園の強くなりたいという『力』への執着心の深さを恐ろしく思った。
戦闘は瞬く間に始まり、灰色の景色に刃が交じる火花が弾けた。
亜紀が教えなくなっても、鍛錬は怠っていなかったようで、非常に戦いにくかった。
少し考え事をするだけでも隙を逃さず確実な一振りを打ち込んでくる。
「花園……っ、待っていろ。必ず、お前を元に戻す方法を……!」
今は無力化することができればいい。
最優先すべきは、目黒の摘発。その後になら……。
「東崎、つまらないことを考えていると――死ぬぞ?」
「何……っ、ぐ……!」
刃を交わす度に花園の運動能力が飛躍的に上昇し、速さが増していく。
薙刀は長さがある分、戦いにくい。
気が付けば足元を狙ってくる攻撃の速さについていくのがやっとで、次第に亜紀を追い詰めていく。
「どうした東崎? 御影の息がかかったものは全て始末するんだろぉ?」
「ちっ……!」
「ルデラリスを打たれたその女の悲鳴は良かったぞ! 恐怖と怒りでどうにかなっちまいそうってなぁあ!」
「こ、の……っ、下衆野郎があああああ!!」
「ははははは!! ほぉら、その女は苦しんでいるぞ? いっそのこと楽にしてやったらどうだよ――あの時のガキみたいになあ?」
「――っ!」
亜紀は六年前の、千草と対峙した時をふと思い出した。