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Episode2--醜い歯車

全てを失ってから五日という時が過ぎた。そんな貴砂にはある変化が起きていた。

 Prologueーー堕落品(きえゆくもの)



 何もかもを失ってから、五日という時が経過した。この数日間、何かが変わるかと思っていたが、そうでもなかった。

 変わって行くのは、貴砂という存在だけ。

 男はたった五日でやせ細り、歩くことですら精一杯になった。


 ーー変わって行くのは俺だけか……。ちがう、俺だけじゃなはずだ。


 そう、確かに変わっていた。貴砂という存在が知り得る世界では、見えずとも日々少しずつ変化していた。

 貴砂がこうしている間も、どこかの誰かが何かをしている。それは結果として、この世界を動かしているのだから。

 だが、たった一つだけ変わらないものがあった。


 ーーあぁ、やっぱりお前だけは変わらないな……。

 見上げた空の色。それだけが以前と変わらぬ濃い灰色を見せていた。


「俺はいつまで生きてるんだろうな……」

 空を見上げた貴砂は震える手を持ち上げながら、掠れた声でそう呟いた。それが誰かに届かなくてとも、誰かに問いかけるように。


 しかし、その声は消えていく……誰にも届かず消えていく。

 耳に残るものは静寂のみ。普段と変わらぬ静かさだけ……。


 ーー少しは寝てもいいよな……。



 Episode2--みにくい歯車



 ある夢を見た。見た夢は明るく、けれどどこか暗い。夢の形は社会、この世界の摂理を示していた。

 目の前では、無数の歯車が噛み合い、その中心にはあるべき物が存在した。


 ーーまるでこれが社会の縮図とでも言いたいようだな。


 あるべき物、それは数ある巨大な歯車を意味していた。

 その歯車は、周囲を無数の小さな歯車でおおわれており、絶え間無く歯車達が集まって来た。


 ーー確かに。縮図といえば間違いないかもな……。

 ただその中で、当然のように弾かれていく歯車が存在した。

 弾かれた歯車は、薄暗い底へと落ちて行き、その穴を埋めるように新たな歯車が重なった。そしてその光景は何度も繰り返され、落ちて行く歯車も重なる歯車も、絶えることはなかった。


 一見、この仕組みは上手く回っているように見えるだろう。欠けた部分を新たなもので埋め、また欠けたら埋めるの繰り返し。決して綻びを見せないその仕組みは、確かにうまく回っているように見える。

 けれどそれは違う。

 新たにみ合う歯車があるという事は、それと同じだけ落ちて行く歯車も存在するという事だ。それが、この噛み合った社会で何万という歯車達が埋もれていく証拠だ。


「はぁ……なら俺はあっち側か」

 少しため息をこぼした貴砂は、何かを考えるように落ちて行く歯車に目を向けた。落ちて行く歯車は、いくら見ても落ち続けて行く。終わりのない、底なしの穴へと。

 だが、その歯車にも行き着く場所はあった。


 そこは決して良い場所とは呼べない。むしろ酷く残酷ざんこくな場所だった。その歯車が行き着く場所。それは、これよりも前に落ちて行った歯車達が作り出した残骸ざんがいの山だった。その山に積もる歯車達は皆、一部が欠けていたりびているものばかり。

 そして、ながめていた歯車がそこに落ちると共に、甲高(かんだか)い金属の衝突音(しょうげきおん)を立てながら見えなくなって行った。


「なんかな……」


 今の気分は複雑だった。 無冠貴砂(むかんきずな)という人間は、今まで『生きていられればそれでい』と考えていた。それは両親を失った三年前からの変わらない考えだった。しかし、そんな考えに今、小さくも大きなヒビが入った。

 心でどう思っていようが、実際に現実を見せつけられると胸が酷く痛む。目を背け続けていた事を、逸らさずに見るという事は誰しも辛い。


 それなのに彼は今、下を見下ろし苦笑していた。右手で顔を抑え、何かに取り憑かれたように高笑いをした。


「ははは」


 ただ、その笑いは落ちて行った歯車にではなく、それを見ている自分にだった。


「変わっちまったな、俺も」


 それから少し時間を空け、貴砂は抑えていた右手を顔から離した。離した顔は少し赤く、目も少しうるんでいた。

 そしてその顔を、輝きを放ち集まる前方の歯車達に向けた。



 ☆☆☆



 …………。

「ここは……」


 無冠貴砂は、息を吹き返すようにそっと目を開けた。ただ、視界がぼやけているせいで、今の自分の居場所がわからない。

 歪む視界の中、薄っすらと映るのは、コンクリートで固められた地面と、広大な川だけ。

 その他、匂いを嗅いでみると、そばからは鶏の焼けた香ばしい匂いがした。


「誰かそこに居るのか」


 ぼやけた視界で辺りを見回し、腹に力を入れて呼びかけた。

 けれど、いくら呼びかけてもその声に返事はなく、頭上を高速で電車が通過し、その声はき消されてしまった。


「誰もいないっか。まぁ、居るわけもないよな。こんな何もないとこに……」

 いくら呼びかけても返事がない事にさとり、貴砂は叫ぶのをやめた。

 そして弱々《よわよわ》しく一歩を踏み出し、ゆっくりと前の川へと歩き始めた。


 貴砂の向かう先には、先の見えない広大な川が見えた。昨日の大雨で氾濫はんらんが起きたのか、向こう岸は見えなくなっていた。


 ーー寝てる間に何があったんだ……。


 ただ、貴砂の足取りはたどたどしく、その証拠として貴砂は何度も左右に揺れていた。

 ーー足に力が入らねえ……。

 けれど、まだ動ける。手も足もまだ動く。

 無冠貴砂は、その身に残る気力を振り絞りながら、覚束おぼつかない足取りで足を進めた。


「ぁっ……」


 だが引きずっていた右足の力が抜け、貴砂は糸が切れるかの様に倒れこんだ。川はすぐそこに見えた。


 ーーあぁ、やっぱりか。

 予想はしていた。残された自分の力では、あの川にたどり着くことさえ出来ないと。

 ぼやけた視界は元に戻らず、ただその中で、あらがう自分を目にした。

 見苦しくも生きようとするその姿を。生きたいと願う貪欲どんよくな意思を。


 ーー俺は本当は……。


 貴砂にとって、川に行く事など本当はどうでもよかった。

 ただ動いて、生きているという事を実感するための行動だったのだから。


 ーー俺はここで終わるのか……それはいやだ、でもしかたがないのか……。


 無冠貴砂という人間の人生が終わる。その時まであと少し。

 貴砂は込められていたほんの少しの力が全身から抜け落ち、自分の死を悟った。


 ーーだけど、一度でもいいから……何か人の為なることがやりたかった……。


 心の中で呟く貴砂の視界からは、さっきまであったぼやけが無くなり、その体は水中でただよっていた。


 だがもう、貴砂は息をすることすら出来なかった。

 沈んでいく感覚を感じながら、貴砂かれは静かに目を閉じた。


「まだ終わらないよ……君も、その願いも。まだ終わらない。僕が君を救ってみせるから」


 その時、頭の中で聞き覚えのある声が聞こえた気がした。

 聞こえたその声は少し高めの声で、つい最近聞いたような、違うような。目が開かず姿までは見えなかったが、貴砂は自分の体が何か羽の様なもので優しく包まれているのをうっすらと感じた。


「あぁ、なら頼んだ……俺の願いを」

ご愛読ありがとうございます。次の話までは一週間以内に更新します。

まだ始まったばかりの小説ですが、お気軽に評価などをお願いします。

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