Episode1--零の零
これは、ある一人の少年と少女の物語……
Prologue--心の写し身
濃い灰色の空を見た。
充満する雨の匂いの中、布から染み出た水滴が、器の水に波を立てる。
無冠貴砂は何も考えず地面に寝そべり、虚ろな瞳にその色を写す。
ーー俺たちは似ているな。
光が無く、泣き出したその空は、まるで自分の写し身のよう。
いや、少し違うか。空は泣くことを知っていた。
空の俺にはそんなものはない。
「はぁ、いつからこうなったんだろうな。俺は」
貴砂は十六の時に両親を亡くし、養子として引き取られた先では、『愛想がない』と追い出された。その後、散々彷徨った果てにたどり着いたのがこの場所だった。
ここは、家と呼ぶには開放的で、頭上には電車の走る橋が架かっていた。
けれど、他人の目には触れられない良い場所だ。
次第に激しさを増す雨に耳を澄ませた。
布からは無数の水滴が滴り、器の水面で軽やかに弾け去る。
「さて、そろそろ溜まったか」
布から染み出した水で満たされた器を横目で見ると、貴砂はその逆にある川に目を向けた。
川には鴨が三羽、腹を空かせて集まっていた。
ーーあいつでいいか。
貴砂はその中の一羽に狙いを定め、近くに置いておいた狩猟用の石を手に握る。そして肩を少し広げ、勢いに乗せ指先で押し出した。押し出された石は音を消し、一羽の鴨を目掛けて水面と並行に飛んで行く。
「グワァッ!!」
瞬間、一羽の鴨が苦痛の悲鳴を上げ、残りの二羽が川面を荒らして飛び去った。
「ごめんな」
投げつけた石はその鴨の首に突き刺さり、鴨は赤黒い血を川面に広げながら浮いていた。
Episode1--零の零
この世は非情だ。もっと言うなら残酷だ。
別に誰かを憎んでいるわけではないし、恨んでもいない。
強いて言うなら幸せだ。
人が争い合う中、俺は細々と生きて行く。
なんの事象もなく穏やかに、それだけで十分なのだ。
壁にもたれ掛かる貴砂は、川から引き上げた鴨をナイフで捌き火にかけた。
火に炙られる鴨は、その身から旨そうな脂を滴らせる。
「おや、良い物があるじゃないか」
鴨が焼ける匂いは空高く漂い、それに釣られて一人の少女が現れた。
少女の背中には、雨をも寄せつけない純白の翼が生えており、それを何度もばたつかせている。
「またお前か……」
翼をばたつかせる少女を見上げ、貴砂は渾身の嫌気顔を見せつけた。
「なんだその顔は!僕は女神なんだぞ」
貴砂の嫌気顔に少女は翼を激しくばたつかせた。
そして地面に降りると、貴砂の元まで歩み寄り、不服そうな顔を見せつけた。
「なんだよ?」
貴砂の態度に不満があるのか、少女は頬を膨らます。
頬を膨らます少女は、貴砂から目を離すと、火にかけられた鴨を指差した。
「それ、ちょうだい……」
火にかけられた鴨の表面には、いつの間にか薄っすらと焦げ目がついていた。
「早く……」
彼女は貴砂の顔を横目で見ながら、急かすように片手を突き出してくる。けれど、そっぽを向く少女の顔は真っ赤に染まっていた。
「はぁ……」
その顔にため息をこぼすと、貴砂は鴨を火から外し、軽く右手で握った。
ただ少しためらった。貴砂にとってこの一食は欠かせない、明日には食べられない可能性がある物だ。この川で、鴨という食料は滅多に現れない。
この機会を逃すわけにはいかなかった。
だが、やることなんて決まっていた。
貴砂は手に握った鴨を見つめると、彼女の元へと足を進めた。
少しためう顔をしながら、そっぽを向く少女に握った物をで手渡した。
「本当にくれるの、ありがと……」
しかし、少女に渡された物は鴨なんかじゃなかった。
彼女は手の中の物に目をやると、それを握り潰し、貴砂の前に突き出した。
「ねぇ、何これ?」
突き出された拳からは、ぽろぽろと土が落ちて行く。
貴砂を見つめる彼女の顔はまだ赤かったが、それでも怒りの眼光で睨んで来た。
「何って、雑草だけど」
貴砂の手には、まだ脂を垂らす鴨が握られていた。
「!……」
その時、どこからか気の抜けるような音が鳴り響いた。音が鳴った瞬間、さっきまで大人しかった翼がピクっと動くのを貴砂は見てしまった。
「な、腹が鳴って何が悪いの!だって、仕方ないじゃん。朝から何も食べてないんだから!!」
拳から見えた少女の顔は少し俯いており、背中に生えた翼がピクピクと震えていた。
「まだ何も言ってねぇよ」
慌てる少女に対し、冷静かつ見下す様に貴砂はそう告げた。
彼女がそれを聞くと、震えていた翼が一気に開き、真っ赤にした顔を上げた。
「な、…………!!」
桜が一気に開花したような翼は、ゆっくりと彼女の顔を覆い隠す。そして次の行動は知っていた。
「こっちを見るなーーーー!」
そう、紛うこと無き女神のビンタだ。
「オゥフ!!」
叩かれた貴砂の体は、空高く華麗に吹き飛んだ。
「今日はこれだけで勘弁してあげる」
微かに映る映像の中、ひらひらと舞い落ちる一枚の羽だけが目に止まった。だがその後の記憶はなく、この日の記憶はここで止まっていた。
☆☆☆
翌日。
貴砂が目を覚ますと、そこには何もなかった。あの少女が鴨を持って行ったのだとして、無くなった物はそれだけではなかった。
「……」
貴砂は昨夜までの生活を三年間続けて来た。その月日で作り上げた必需品は数多く、自作の釣竿や雨をろ過するための物など、どれもこれも、この厳しい環境を生き抜くために貴砂が試行錯誤を繰り返した物ばかりだった。
しかし、鴨以外に無くなった物は貴砂が作り上げた物全てだった。
分からない。
何故こうなったのかが分からない。
周囲の家からは人の気配など一切せず、見つかるはずが無いのに何故。
ーーあいつのせいか。
貴砂はぼやける記憶を頼りに思考を巡らせた。
思いつくのは昨夜の事。
あの少女が現れ大声を上げたせいで、この場所が数少ない住人に知られたのかもしれないと言う事だ。
「……」
水分も、衣服も、食料も、何も無い。ただ呆然とする貴砂の頭上を、超速で走る電車だけが過ぎて行く。
ーーなんでだよ……。
地面に手を付くと、貴砂はその目から輝きを失った。
三話までは一週間に一本で更新します。
その後は一か月更新となります




