プロローグ 勇者の天命とその成れの果て
初投稿です。よろしくお願いします。
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酷く、血の匂いが漂う。
深く、絶望が染み渡る。
濃く、赤が身を染める。
そこには、灰色の景観が延々と広がっていた。
暗く、闇に囚われた世界の果ての果てで、その『勇者は』は血の色で塗りたくられた銀色の剣を手に握る。
強く、強く決意を固めるために。
この一年、使い続けた鎧は既に半壊状態で、右肩は下界に露出してしまっている。
ボロボロに成り果てていた。
ボロボロに成り果てていた。
額から流れる血は頬を伝って、伝った跡を涙痕のように頬に残し、涙のように戦場の地に落ちた。
赤い、紅い、涙。涙のような血。血のような涙。
悲しい血。
『勇者』はそれを拭う。
絶望を跳ね除ける。
確固たる意志で波動を突き進む。
そして、
その地に剣を突き立てた。
戦場に音は反響する。
地にのめり込む刃の音と、反動で口からこぼれ落ちた血の音。
2つが共鳴しあって、この空間に木霊する。
しんどい。痛い。泣きたい。逃げたい。
それでも、と。柄を握る力を強める。
剣に柄に刃に、その液体は例外なく流れ落ちる。順に刃を辿っていきやがて、液体は地上に領土を広げた。
赤が血を侵略していく。ドロドロとした液体は戦場の惨たらしい色に変えようとしていた。
その他を縫って、希望を壊す絶望の王が君臨した。
負を感じる。死を感じる。
そんな何かを感じ取ってしまう姿見が写り始めた。
足音が聞こえる。
絶望の音色だ。
あるいは世界破滅のメロディーだ。
死を運ぶ、死神の曲譜だ。
恐怖を司る、闇の戯曲だ。
それを聞いただけで。
身がすくむ。
足が震える。
膝が笑う。
手が凍る。
笑顔が、自然と浮かばれる。
逃げたい。逃げたい。全てを投げ出した、今すぐこの恐怖から、逃げ出したい。理性はそう吠える。
本能もそう告げる。逃げたい、と。
だって、目の前にはたくさんの死が広がっていたから。
なんの誇張もなく、ただありふれた死が広がっていたから。
死屍累々。
そう言うんだろうか。
この状況は。この現状は。
目の前の化け物は笑う。この状況を嘲笑う。
まるで、人を玩具か何かのように扱っているようで。
人には到底、見えなかった。
いや、実際、人ではないのだ。
そいつは化け物だ。人間には手のおえない化け物だ。
王国が走らせた軍勢を壊滅に追い込む化け物。
一騎当千の猛者達の集団を全滅させる化け物。
その手で、瞳で、存在で、何万人という人を殺した化け物。
目の前の化け物はそういう『化け物』だ。
「ハハハハハハハハハハハハハハハ」「ハハハハハハハハハ」「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」「ハハハハハハハハハハハ」
そいつは嘲笑う。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
『勇者』を見て、嘲笑う。
狂ったように、乱れる。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
そして、ただ笑う。
その声は、異様。
その形は、異常。
その姿は、異形。
そんな化け物がこちらを向いて、笑顔に隠れた牙を剥いて、大いに高らかに笑う。
近づいてくる。一歩、一歩と。確かにその地を踏みしめて。ザクザクと、音が反響する。それが鼓膜を叩く度に思い出される。遠い、そして近しい記憶。
痛みを思い出す。恐れを思い出す。血の味を思い出す。かつての負を思い出す。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
でも……。
「ウァァァァァァアアアァァァァアアアアアァァァッ!」
『勇者』は迷いなく駆け出す。無茶とわかっていても。まるで贖罪か何かのように足はその動きを止めない。
恐怖の裏腹に、脳裏には懐かしい情景が過ぎる。もはや叶わぬ願いをその眼に写す。
その末に『勇者』は無謀な戦いに命を賭ける。何を賭してでも、彼女との約束を叶える為に。
その決心が決意が、勇者に力を与えていた。
「ハアァァァァァァァァァァァッ!」
大地を激しく蹴る。そして、右手に握った剣を構え、その異様な速度で空中を切って進む。
「ァァァァァァアアアアアッ!」
その雄叫びは戦場に、世界に轟いた。剣は、右手に持った聖なる剣は空中を滑るように綺麗に進む。
「ァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」
やがて両者の間合いは詰まる。刻々とその姿見は大きく視界に写る。その瞬間、握る手の力が強まり、時は一瞬にして膨大な量を駆けた。
剣を振りかぶり、残り数秒。写った異形にさらに近づく。そして見えた影、すれ違いざまに一閃。
空中には鮮血が舞った。それは綺麗なほどに空中というキャンバスを彩った。
そして、『勇者』はついに化け物を殺-----
したかのように思えた。
「ハハハハハハハハハハァァァァハハハ、ハァァッ!」
化け物は紙一重で身を翻し、その刃を潜り抜ける。銀の一閃は化け物の上で踊った。
そして、『勇者』の剣の振り終わり、無防備になったその鎧越しの背中に……………己が手刀を無残に振り下ろした。
「グアッ!」
……………そして、鮮血は舞った。それは綺麗なほどに。『勇者』の肩から腹にかけて、非情に切り開いていた。
背中に開いた大きな傷は、『勇者』の肉を垣間見せた。そこから、絶え間なく赤い紅い鮮血が流れている。
足の感覚が迷走し、視界に淀みが現れ、その直後に激しい吐き気に襲われ、急激に血の気が引くのを感じた。
そして、体を前方からの衝撃が襲う。
今度こそ、『勇者』は地に真っ直ぐに伏した。ドロドロとした絶望が地の上をぴちゃんと跳ね上がったり、流れたりして、事の終わりを告げようとしていた。
「今度こそ、オシマイ、だな」
化け物は酷にそう告げる。
ゆっくりと終わりに近づいていた。
余命と、世界と。彼女と。
終わり?これで?
世界が?
そんなことは。
そんなことは!
そんなことはッ!絶対に!させないッ!
何度倒れても、何度倒されても、この身に俺の魂が宿っている限り、俺は、『勇者』はッ!
指先が微かに動く。が、まるで力が入らない。このまま死に絶えた方がマシかもしれない。
諦めろ、と。誰かが言う。化け物か、あるいは『勇 者』の心の中かもしれない。その言葉通り、今、思考の中は諦念で埋まりきっていた。
千差万別の感情がひしめき合って、頭の中は錯乱とするように悲鳴をあげていた。
諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ、と。
お前には無理だ、と。告げる。誰かが告げる。
でもッ!
『勇者』膝をついて立ち上がる。
でもッッ!
空虚な妄想のために立ち上がる。
たとえッ!
盲目な未来のために立ち上がる。
そうだとしてもッ!
絵空事の夢のために立ち上がる。
俺はッ!
架空の平和のために立ち上がる。
不純物が混ざった血が流れ落ちる。
その液体は大量に地上へと舞い落ちる。
体を流れる血のほとんどが下界へと垂れ落ちる。
それでも、その男は、『勇者』はしっかりと二本の足で戦場の地面に立っていた。
俺はッ!戦うって。
誓ったんだッ!
約束したんだッ!
この手で世界を、みんなを守るって、君と笑い合ったんだッ!
まだッ!まだッッ!
「終わらせて、たまるものかァァァァァァァッ!」
勇者は聖剣を握りしめる。
そして、かつて銀色に輝いていた、今は穢れてしまった剣を持って。
戦場を駆けた。一直線に、その化け物に向かって。
雄叫びをあげながら。
「ウオォォォッ!」
そこに理性なんて。
もう、無かった。
地を強く、さらに強く踏み締める。血管から噴水みたいに血が舞い散った。
それが戦場を染める。
進め。進め。進めッ!
意識が遠退く。血の量がまるで足りていないのだろう。剣を持つ腕の節々から血が当たり前のように抜け落ちる。
それが戦場を染め上げる。
走っている感覚すらあやふやで、しかしそれでも勇者は歩を止めない。
ただ狂ったように足掻くだけだった。
もちろん、化け物はこちらの動きに気づいている。
魔法陣を描く。血の付いた指先で虚空をなぞる。すると、その指先が起点となり不思議な紋様が空中に浮かび上がった。
そして、それは眩いほどの光を解き放つ。
しかし、その光は黒色。どす黒く染まり濁った。暗黒の光だった。
魔力が溜まる。溜まる。漆黒の雷電が魔法陣の中に写り込む。
そして、溜まる。
力は強まっていく一方だ。
そして、勇者は間合いを詰めていく。着実に、そして俊敏に。
微かな魔力を注ぎ込み、聖剣はその姿の片鱗を顕す。
そして、物語は最終局面に。
黒々とした雷電。蒼白く濁ったように光る聖剣。
その二つが交わり、ぶつかり、お互いを壊し始める。
閃光が迸る。
鮮紅が迸る。
地に巨大な亀裂が走る。
地脈が唸る。
水平線が割れる。
天空が荒れる。
天変地異が起こる。
津々浦々で巻き起こる。
大規模の爆炎が、硝煙が、狂乱が、騒然が、悲劇が、悪心が、虚空が、苦痛が、絶望が、世界を覆う。
そんな中で、そんな歯車が狂い始めた世界で。
人は嘆く。
人は酔う。
人は祈る。
人は喚く。
人は滞る。
人は泣く。
人は鳴く。
人は啼く。
人は哭く。
人は笑う。
人は嗤う。
人は咲う。
人は突く。
人は憑く。
人は吐く。
人は衝く。
人は撞く。
人は附く。
人は浸く。
人は依る。
人は因る。
人は寄る。
人は拠る。
人は選る。
人は縒る。
人は撚る。
人は恨む。
人は怨む。
人は憎む。
人は歌う。
人は唄う。
人は謳う。
人は謡う。
人は詠う。
人は唱う。
人は犯す。
人は喘ぐ。
人は悶える。
人は怯える。
人は恐れる。
人は畏れる。
人は怯れる。
人は懼れる。
人は悲しむ。
人は哀しむ。
人は苦しむ。
人は絶える。
人は憐れむ。
人は溺れる。
人は食べる。
人は漏らす。
人は洩らす。
人は戯れる。
人は、そんな風にみんながみんな壊れ始めていた。
狂い始めていた。
あらゆる方向に手が向かっていた。
あらゆる手段で自己を翻弄していた。
それでも。
世界は破滅への道を着実に進んでいた。
どれほど、戦っただろうか。
どれほど、経っただろうか。
もう、光りさえ無くなってしまった。
化け物は依然としてその存在を主張している。しかし、かなり疲弊しているようだ。
腕は溶け、片方の目はポロリと落ちてしまっている。
あと、もう一撃。一撃だけ。
しかし、その一撃どころか、体さえ全く動かない。
だけれども。
化け物は起き上がる。
勇者は起き上がる。
何のために?
目の前の敵を殺すために?
もうなんでもいい。
戦え。戦え。戦え。
争え。争え。争え。
憎め。
奴を。
目の前の奴を。
怨めッ!
世界を賭けた戦い。
その最終章の狼煙が。
今、上がった。
互いに動き始める。最後の力をそれに込めて。
剣が化け物の首を狙うが、化け物はそれを指で弾き返し、勇者の溝に拳を叩き込もうとする。
これを打たれれば終わり。
これを打てれば終わり。
しかし、戦士の感が働いた。寸前で身を捩り、化け物の拳は宙を激しくたゆたいた。
勇者は回避に成功したのだ。
化け物は避けられた拳に揺さぶられ、足元が崩れてしまった。一瞬の隙ができてしまった。
好機だ。チャンスだ。勝利への切符だ。
これを、剣で斬れればお終い。この戦いにピリオドを打てる。
だが、
無作法に、一心不乱に、力任せに。
勇者は剣を振り下ろすだけだった。
勇者は剣を振りかざすだけだった。
勇者は剣で斬り殺そうとするだけだった。
繰り返すように。
化け物は腕を振るうだけだった。
化け物は拳を突くだけだった。
化け物は足を横薙ぎにするだけだった。
そう。そうなのだ。
もう、戦術も、技術も、体術も。何もかも関係がなかった。
斬る、叩く、殴る、蹴る、吠える。
そんな光景が風景にポツリと佇んでいる。
斬る。肉が裂けた。血が飛び散る。
斬る。背を開いた。血が飛び出る。
斬る。頬を指した。血が飛び交う。
殴る。臓が破れる。血が飛び散る。
殴る。骨が砕ける。血が飛び出る。
殴る。腹が曲がる。血が飛び交う。
受けて、叩いて、受けて、叩いて。
それがループしていく。
終わらない。いつまでも、ずっと。
ゴキッ!バキッ!グサッ!
争い続ける。剣と、拳で。
双方が交わる度に空気に亀裂が走るかのように空間に波動が走り、大地が絶叫するかのように爆音が轟く。
振るわれた拳を剣は胸の前で弾き返し。
突かれた切っ先を拳は横一閃で逸らし。
空気を薙いで進んだ剣は弧を描きながら虚しく空をを切って。
真っ直ぐに突き出された拳は宙空を激しく殴るだけで。
ただ、戦闘は続いた。
素早く、力強く。
しかし、終焉はやはり迎える。
勇者は化け物が奮った拳を、剣の腹で滑るように受け流し、足がふらついた化け物の懐に即座に飛び込んだ。
横に振り切った剣が腹を裂き、吹き出した鮮血がべっとりと頬につく。
生暖かい、奇妙な、しかし慣れてしまった液体が身にかかった。
しかし、関係ない。変わらずその剣を振るう。
「ウオォォォォォォォォァァァァァァアアアアッ!」
そして、終わりは迎えられた。
終曲が鳴り響いた。
肉が裂かれる音と、骨が粉々に砕ける音、大量の血が地面に溢れる音、化け物の断末魔の叫び、天空の雷鳴の轟き、耳を劈く雨音、剣が地面に落ちる音、人類の咆哮。
様々な音が群れを成して、ハーモニーを響かせ、思い思いに奏でていた。
ある者は『魔王』討伐の名の下に。
ある者は『勇者』伝説の名の下に。
化け物は倒れた。人を脅かした化け物は今、倒された。そして、人類に明るい光が灯された。
未来への、希望への架け橋が現れた。
だけど、思うのだ。
気づいてしまったのだ。
誰もそんなことは疑問に思わなかったのに。
誰も彼もそんなことは言わないのに。
彼は、彼ゆえに気づいてしまったのだ。
彼だから気づいてしまったのだ。
それは酷く残酷で。
そして、変えられない現実で。
それは。
人類を絶滅させかねない生き物。
そんな化け物を一人で殺してしまった自分は一体何者なのだろう、ということだった。