第五話 過去なき者に栄光はなく
……どうなったんだ? 視界が暗い。あ、目を閉じてるからか。おそるおそる目を開けてみる。それと同時に、身体の各所が痛みに襲われる。いや、それよりも……
「……ん?」
目の前には黒と白があった。黒は茉夜の履いているタイツだ。そして白はというと……おお、眼福眼福。
今一度、自分の置かれている状況を確認する。どうやら俺と茉夜は、階段から転げ落ちて夢で見たあの踊り場にいるようだ。そして二人とも仰向けに倒れていて、俺は地べたに、茉夜は俺の上で俺の顔を跨ぐような恰好になっている。
「ちょっと」
「え?」
茉夜の言葉で凝視していた白から目を離す。その瞬間、顔面にきつい蹴りを入れられた。
「あぁぁおわああぁぁ!!」
鼻の先がもげるかと思う程、力いっぱい蹴られた。各所の痛みなんて比べ物にならない。俺が踊り場でのたうち回っていると、茉夜はパタパタと制服についたホコリを払いながら立ち上がった。
「一応、助けてくれたみたいだから、これくらいで許してあげるわ」
茉夜はそれだけ言うと、その場から立ち去っていった。あれだけ元気なら、今日はもう心配はなさそうだ。
「うう……鼻血とか出てないよな……?」
茉夜を守れたのは良かったものの、俺自身は手痛いダメージを負った。蹴られたところもそうだが、立ち上がろうとすると足がガクガク震えて思わずふらつく。その拍子に壁に激突した。
「うへえ……。ちょっと保健室に寄っていこう」
俺は壁を伝って保健室に向かうことにした。まだ先生が居ればいいんだけど……。
──────────
痛いところ全てに湿布を貼ってもらって楽になったはいいが、おかげでなんだか全身から老人の様な臭いがする。これも茉夜のためだと思って我慢しよう。
「そういえば茉夜のやつ、結局傘なしで帰ったのかな?」
茉夜の渡すつもりだった折りたたみ傘を、鞄の中から手探りで出してみる……と、思ったが、いつの間にかなくなっている。きっと茉夜が黙って借りたんだろう。貸しを作りたくないって言ってたし。だとすれば別にいいか。俺は俺で自分の傘を持ってきてるから問題ない。
俺が帰る頃には少しずつではあるが雨が弱まってきた。今のうちにさっさと帰ってしまおう。
「っと。その前に……」
そうだ。久し振りにあの神社に行ってみよう。こうも何度も茉夜の命を救ったとなると、拝みたくもなるってものだ。道のり的には少しだけ遠回りになるが、どうせ早帰りなのだ。ちょっとくらい寄り道しても大丈夫だろう。
警報が出ていたこともあり、道中は誰にもすれ違うことなく神社に着いた。相も変わらずボロボロだ。見てくれは昔とほとんど変わっておらず、自分だけタイムスリップした気分になる。
「お?」
鳥居をくぐった先に珍しく先客がいた。こんなボロい神社に、俺以外にお参りにくる人物がいるとは思わなかった。しかも弱まっているとはいえ、まだ雨が降っている最中に、だ。さらに言えば、ウチの高校の制服を着ているから同じ学校に通う生徒でもある。誰だろう? 傘を差しているからこちらからは誰なのか分からない。
「こんにちは」
差し障りのない挨拶をして交流を図る。それに応じるため相手が振り向くと、俺の知っている人が笑顔を見せた。
「こんにちは、理生くん」
早百合だ。まだ制服姿のままの早百合がそこに立っている。
「なんだ早百合か。いつから居るんだ? もう帰ったと思ったんだが」
「えっとね、ついさっきだよ」
そうは言うが、早百合の服は肩の部分だけかなり濡れて透けて見える。傘だとどうしても少しずつ濡れてしまう部分だ。結構前からここに居たことを意味している。なんでそんな嘘なんか吐くんだろう?
「んー、まあいいや。早百合もお参りに来たのか?」
「うん、まあね。そういう理生くんもお参り?」
「……ああ」
早百合は笑ってはいるが、なんだか悲しげにも見えた。
「ねえ知ってる? この神社って、子供の願いを叶えてくれるって噂されてるんだよ」
突然切り出された話題に、一度だけ心臓が跳ねる。しかしすぐに落ち着きを取り戻し、平常心を持って答える。
「知ってるぞ。だけどそれはもう随分と前の話だな。今はもう本当に形だけの神社になってる。神主だっていないしな」
「あ、そうなんだ。私がいなくなってから、もうそんなに日が経ってるんだ……」
ふう、と小さな溜め息。何故急にそんな話を? と訊こうとしたが、先に早百合が口を開く。
「あーあ! 願い事が叶うなら私の願いも叶えてほしかったな!」
言いながら早百合は俺の横を通り過ぎていく。そして振り向き俺に向かって叫んだ。
「理生くん、また明日!」
「おう、また明日な」
結局、早百合が何しに来ていたのかは分からずじまい。ただお参りしに来ただけなら、あんなに濡れるほど居続ける理由にはならない。……まあ、早百合の雰囲気からして、本人には訊かない方がいいのかもしれないな。
「とりあえず、俺の目的を果たそう」
俺は早百合に会いに来たのではなく、お参りしに来たのだ。誰もいなくなったのならそれを済ませよう。えーと、お賽銭お賽銭……。
「あったあった」
ポケットから取り出したのは、ゲームセンターで取れた一枚のメダルだ。さすがに神主のいない神社に現金を投げ入れられる程、俺の財布は潤ってはいない。それに、俺の今の『願い事』はもうとっくに叶っているし。いや、叶え続けているといった方がいいのかな?
メダルを賽銭箱に投げ入れると、箱の底で跳ねるような金属音の代わりにカサッという音が聞こえた。不思議に思い中を覗くと、メダルと一緒に大量の落ち葉が入っていた。成程、神主がいないと賽銭箱すらこうも荒れ果てるのか。
「はは……流石はボロ神社」
とにかく、お賽銭はした。手を合わせて祈るだけ祈っておこう。出来る限りの感謝の気持ちを込めて。
(ありがとう神様。おかげで今日も茉夜は元気です)
ちょっとは期待していたが、あの時聞こえた声はもうしない。当然か。あの神様はきっと、子供でなければ認知できないのだ。だからこそ例の噂がある。そう考えれば辻褄は合う。
「よし、俺も帰ろう」
用事は済んだ。俺の我が儘に付き合ってくれた身体を早く安静にしてやりたい。俺は神社に背を向け、重い足取りで帰路に着いた。
──────────
……また夢を見ている。でも今度は普通の夢だ。変にはっきりしているわけではなく、ふわふわと浮いている感触がある。初めから夢と分かっているのに、身体は現実と思い込んで勝手に動く。
やたらと視線が低いな。それに、周りの人たちも背が低いような気もする。……ん? 違うな。俺、子供の頃の記憶を見ているんだ。よく見ると、俺は以前通っていた幼稚園にいる。
「りおくん! はやくおいでよ!」
名前を呼ばれて振り向く。少し遠いが、女の子が砂場で呼んでいた。夢だからだろうか? 顔には黒いモヤの様なものがかかって誰なのか分からない。ただ、かろうじて見える口元は確かに笑っている。
俺の意思とは無関係にほとんど自動的に動く身体が反応し、手を振りながら走り寄っていく。
「うん! いまいくよ──ちゃん!」
きちんと発音したはずなのに、自分でもうまく聞き取れなかった。誰だ? 一体誰なんだ? まるで俺の記憶から、その子の記憶だけ削り取られたような……。ああ、ダメだ。もう夢から醒めてしまう──。




