第四話 未来は常に希望を抱くのか
帰宅した俺は、自室に入ると鞄を机に放り投げ、制服のままベッドで横になる。
夕方に起きた出来事が頭から離れない。茉夜を助けることはできた。それは俺にとって変え難い『願い』であったはずだ。だけど茉夜は……。
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茉夜は横たわる子猫に駆け寄り、優しく抱きかかえて戻ってきた。もはや息すらしていないソレの表情は、轢かれた時の激痛を言わずして物語っていた。
「茉夜……」
心なしか茉夜の肩が小さく震えている。何と声を掛けていいのか分からない。俺は、どうすれば良かったんだ?
「…………」
茉夜の頬に光の筋が通った。声を押し殺そうと、下唇を固く噛み締めている。本気でこの子猫を飼うつもりだったんだ。きっと、これからのことを思い浮かべていろんな想像をしていたことだろう。
「ごめん、茉夜。俺は……助けられなかった」
「いいの。よくよく考えたら、エサ代とかバカにならないし」
茉夜は思ったことすらないことを口にした。肩と同様、絞り出すように発した声は明らかに震えていた。
「とりあえず供養してあげよう。どこか埋めるところがあるか、学校に戻って探そう」
「……ええ。そうね」
俺と茉夜は人目につかない場所を選んで子猫を埋めてやる。両手を合わせ、祈りも捧げた。俺が子猫にしてやれるのはここまでだ。後は茉夜だけだ。
「茉夜。気負うなよ? 茉夜のせいじゃない」
「でも……だって、私が……」
泣き顔を見られたくないのか、背を向けてしまう茉夜。茉夜は自分がダンボールから連れ出したことが原因だと思っている。いくら俺がなだめても、気持ちの整理なんてすぐにできるはずがない。今日はもう、そっとしておいた方が良さそうだ。
「分かった。俺は先に帰るよ。茉夜も、気を付けて帰るんだぞ」
「ええ……ありがとう」
お礼を言われるなんて新鮮だ。俺はいたたまれない気持ちを胸に、その場を後にした。
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自室の天井をジッと見つめ始めてからどれくらい経っただろうか? もうとっくに日が暮れていて、電気を付けなければ暗くて見にくい。
「ああもう、くそ!」
どうしても考えてしまうのは茉夜の泣いている姿だ。俺は茉夜にあんな顔をしてほしくなかったから、この予知能力を手に入れたっていうのに。後悔の念だけが募っていく。
「ダメだなあ、俺……。とりあえず、着替えるか」
帰宅してからずっと制服のままだ。俺はなるべく考えることをやめ、普段着に着替えてからはいつもの夜を過ごした。
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……夢だ。また夢を見ている。もう慣れたものだが、昨日と同じく自分でも落ち着きがないのが分かる。
ここは……教室? 多分、俺が通っている教室だろう。俺以外に誰もいない教室に、一人でポツンと立っている。茉夜は近くにはいないようだ。
(探そう)
外は大雨が降っていて、とても出られる状況ではない。なら、ここの校舎のどこかにいるはずだ。急ぐ必要はあるが、焦ることはない。まずは他の教室を見ていこう。
打ち付ける雨音と、自分の足音だけが校舎に響く。妙な静けさだ。まるで世界から俺だけが取り残されたかのようだ。他の教室にも茉夜どころか人っ子一人おらず、夢の中と分かっていても急に寂しくなってくる。
(ううん……この階にはいないのかな?)
確かここは三階だ。上に四階と屋上があるが、まずは下へ行ってみよう。もしかするとこの雨で立ち往生してるかもしれないし。
階段を降りようとした時、下の踊り場に何かがあるのが見えた。その何かを中心に、赤い液体が少しずつ広がっていく。留まることなく流れ出る液体は、みるみるうちに踊り場を真っ赤に染め上げた。
(──)
一瞬で頭が沸騰する。思考を巡らせることなく、俺はすぐさま駆け寄った。なんてことだ……こんなことがあっていいはずがない。
(茉夜!)
倒れているのは茉夜だ。うつ伏せの状態で頭から血を流している。夢だというのに、鉄の臭いが鼻をつく。俺はなんとか茉夜の上体を起こし、顔を向けさせる。
(茉夜! しっかりし……)
茉夜の目を見た瞬間、息を呑む。虚ろなその瞳は、もう何も映してはいなかった。
(嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ!)
止まらない流血が、俺自身をも赤色に塗っていく。俺は構うことなく力のない茉夜の身体を抱き締めた。
……軽い。軽すぎて強く握らなければどこかへ行ってしまいそうだ。お願いだ……お願いだから俺のそばを離れないでくれ……。
(──)
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目覚めはとても悪い。いいわけがない。あんな生々しくて悲しい夢、もう二度と見たくない。
「……はあ」
もはやトラウマものだ。気分が優れず吐き気もする。精神的に参ってるな、これ。本来なら学校を休みたいところだが、茉夜の身に起こることを考えるとなんてことはない。
「よし。とりあえず顔を洗ってさっぱりするか」
ベッドを降りてカーテンを開ける。青空の向こうにほんの少しだけ雨雲があるのが見えた。
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天気予報では曇りとは言っていたが、雨が降ることが分かっている俺は傘を持ってきた。折りたたみ傘になるが、茉夜の分もある。
教室に着くなり早百合がやってきた。
「おはよう理生くん!」
「ああ、おはよう」
元気がないのが丸わかりな返事だと、自分でも思う。当然のように早百合に気取られてしまう。
「どうしたの? なんか元気ないよ?」
「いや……なんでもない」
俺の予知夢のことなんて説明しても仕方がない。それよりも、茉夜はもう学校に来ているはずだ。早百合との会話を適当にしながら視界の端で茉夜の席を見やる。いつものように、頬杖をついて外の景色を眺めていた。良かった、さすがに朝からあんな出来事はあるわけないよな。
「そんなに茉夜ちゃんが気になる?」
不意に投げかけられた言葉に、意識が早百合に戻される。どうやらあからさまに茉夜を見すぎたようだ。
「ああ、まあな」
ぼんやりと答えると、早百合は何故か涙目になった。
「うん。やっぱり理生くんは理生くんだね」
「?」
わけが分からなかったが、それを訊く前に早百合は逃げるように教室を出てトイレへと入っていった。
「…………」
早百合のことは気になるが、今は茉夜に目を光らせておかないといけない。アレがいつ起こるのかが分かっていないからだ。思い返してみても、外が大雨のせいで大まかにすら時間を計ることができない。いつ起きてもいいよう、身構えておく必要がある。
「ふぅ」
今のところは茉夜が教室を出る素振りはない。一息吐いて、俺は自分の席に着くことにした。
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昼休みにもなると、外は豪雨で唸っていた。天気予報も所詮は予報でしかないということだ。最初は小雨程度だったが、次第に強くなっていき、気付けば空は暗雲に包まれている。
校内に設置されたスピーカーからお知らせが入った。内容は警報が出たため昼からは休校となる、ということだ。昼休みが終わり次第、帰りのホームルームは始めるらしい。まあ、帰ることすらままならないほど降っているから当然といえば当然だ。
「よっしゃあ!」
「早く帰ってゲームしようぜ!」
その知らせを聞いたクラスメイトたちが次々に歓喜の声を漏らす。
俺はそんなに喜ぶこともできず、自然と茉夜を見ていた。相変わらず無表情のまま、持ってきた弁当箱を開けてつついていた。珍しく教室で食べている。
「…………」
腹の虫が少しだけ主張してきた。だけど今は食欲がないし、なにより茉夜から目を離したくない。食堂には行かずに教室で茉夜を見守ろう。
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帰りのホームルームも終わり、クラスメイトたちは意気揚々と教室から出ていく。結局、茉夜は俺が来てからは一度も教室を出ていない。となればこの帰宅する時に何かしら起きることは明白だ。しかし……。
「ずっと外ばっか見てるな……」
茉夜はもう後は帰るだけとなっているにもかかわらず、自分の席から立とうとしない。朝に見た時と同じように、頬杖をついてジッとしている。
教室からほとんど人がいなくなって、不意に声を掛けられた。
「理生くんは帰らないの?」
早百合だ。早百合は既に帰り支度を済ませ、いつでも出られるようになっている。そして言われて気付く。俺もまた、頬杖をついて茉夜ばかり見ていた。支度なんて一切していない。
「いや、もうすぐ帰るよ。早百合も早く帰らないと、雨が強くなったら大変だぞ?」
「……うん、そうだね。理生くんも、あんまりボーッとしてたら帰れなくなっちゃうよ?」
「分かってるって。じゃあまたな」
「うん。また」
早百合は手を振って帰っていった。残っているのは俺と茉夜だけだ。
とりあえず数分間、様子を見てみる。が、一向に茉夜は動こうとしないので、こっちから話し掛ける。
「なあ茉夜、まだ帰らないのか?」
「……そうね。帰りたいのは山々だけど」
「だけど?」
「傘が、ないのよね。天気予報は晴れって言ってたから、油断したわ」
なんだ、そういうことか。なら俺が持ってきた折りたたみ傘が役に立つな。
「ちょうどいい。俺が予備の傘を貸してやるよ。それで帰れるだろ?」
「……いや、別にいいわ。あなたに恩を作ったら、後で何を要求されるか分かったものでもないし」
そう言うと茉夜はすっと立ち上がり、鞄を持ってそそくさと教室を出ていこうとする。俺は行かせまいと行く道を阻む。
「待てって。そんな要求したりなんかしないから!」
「いいってば。今の私は機嫌が悪いの。構わないでくれるかしら?」
茉夜は無理矢理に俺を押し退けて進んでいく。根負けした俺つい未知を開けてしまう。
──その時だ。あの強烈なデジャブを感じた。俺は急いで茉夜の後を追う。
「せめて俺を置いていかないでほしいんだけど!」
教室を出て茉夜の向かった方向を見やる。すると茉夜は既に十メートル程進んでいた。さっきまで教室にいたのに足早いな、おい。
俺は間に合わないかもしれないという気持ちから、焦って廊下を走る。しかしあろうことか足を滑らせて尻もちをついてしまった。
「どうわっ!?」
臀部への大ダメージ。雨による湿気で廊下が湿っているせいだ。俺は痛みに構うことなく再び茉夜を追い掛ける。
茉夜はもう下り階段に差し掛かっていた。
(間に合え……!)
俺は懸命に腕を伸ばし、茉夜を掴もうとする。そして──。




