最終話 The future when we wished
数日、数ヶ月、数年が過ぎた。俺と茉夜は相変わらず一緒に居る。茉夜は苗字が俺と同じになり、一つ屋根の下で暮らしている。
茉夜とは笑い合ったり喧嘩したり、悲しい時に慰めてもらったり、楽しいことを分け合ったりしたこともある。何をしていても、茉夜と一緒なら嫌だなんて思ったことは一度もない。
そんなある日、俺は病院に行くことになった。茉夜が入院しているのだ。病気や怪我ではなく、茉夜のお腹の中に新しい命が宿っているからだ。何度か茉夜の見舞いに訪れた産婦人科だが、今日だけは違って見える。
「…………」
受付を済ませ、俺は一つの扉の前に立っている。扉の向こうに茉夜が居るのは分かっているのだが、どうしてもその扉を開ける勇気がない。
茉夜が産気づいたのだ。ちょうど仕事が終わったところに連絡が入って、俺は帰宅せずにそのまま直行した。
状況は今まさに生まれようとしているらしい。よく聞き取れないが、担当の医者や助産師の人たちが慌ただしくしているのだけは分かる。茉夜も苦しいのか悲痛のような声を上げながらも耐えているのだろう。
「んー……んー……」
俺は扉の前で行ったり来たりを繰り返した。茉夜が頑張っているのなら、俺はそばに居てやりたい。そうは思っていても、いざ現場に踏み込むとなるとその一歩を躊躇してしまう。初めてのことなので、専門知識もない俺が行っても足手まといになる可能性が高い。
「……! ……!」
また誰かが叫んだ。内容は分からない。けど、それが聞こえる度に焦る気持ちが募っていく。俺が悩んでる間にも茉夜は必死になって生もうとしているのに、俺は何もしてやれないのか……? いいや、そんなことはない。そうだ、茉夜の心の支えにくらいにはなれるはずだ。よし、乗り込むぞ!
「うおっと!?」
「すみません!」
扉を開けようとした瞬間、向こう側から開いて看護師の人が慌てて出てきた。すれ違いざまに間髪のところで避けることができてよかった。看護師は俺を見ると同時に迫る勢いで質問してきた。
「あ、もしかして旦那さまですか!?」
「はい、そうですけど……」
「もう少しで生まれますよ! 立ち会いますか?」
「え……」
言われてさっきの決心はどこへやら。すぐに返事をすることができず、口ごもっているうちに看護師が言い放った。
「すみません。急いでいるので失礼します」
看護師は忙しそうに走り去っていき、俺はまた一人で突っ立っている。と、とりあえず『頑張れ!』って念を飛ばしてみよう。届くかどうかは分からないけど。
待つこと数分後。赤ちゃんの産声が、扉越しでもはっきりと聞こえてきた。思ったよりも感動し、つい涙が零れる。いかんいかん。こんな顔じゃあ茉夜に笑われる。崩壊する涙腺を止めながら涙を拭いていると、扉が少しだけ開いて看護師が顔を出してきた。
「旦那さま! もう少しお待ちください!」
それだけ言うとバタりと閉められた。言われなければ行くところだったぞ……まだ何かあるのかな? 赤ちゃんが無事に生まれたことは確かなようなので不安はなくなった。それ故に、今度は茉夜に会いたくてうずうずしてきた。
さらに待つこと数分後。ようやく許可が下りたので入室する。入って少し奥にあるベッドで、疲れからかぐったりとした茉夜が横になっている。
「茉夜! 大丈夫か!?」
「ええ……私は大丈夫よ。理生が応援してくれたおかげで頑張れたわ」
そう言って茉夜は力なく笑った。ちゃんと念が届いていたようだ。その言葉で俺は胸を撫で下ろすことができた。
「私よりもほら、この子が理生と私の赤ちゃんよ」
茉夜の手元には布で包まれた小さな命があった。気持ち良さそうにぐっすりと眠っている。やばい……見てたらまた涙が出てきそうだ。
「理生も抱いてあげて?」
「お、おう……」
茉夜から赤ちゃんを受け取る。想像以上に軽く、抱きつけば潰れてしまいそうなほど小さな命。この上なく繊細で、俺たちが守るべき愛しい存在。
「そ、そうだ。名前、名前を付けないと」
ふと我に返り、震える声で今まで考えもしなかったことを口にした。いきなり何言ってんだ俺は。
「名前……そういえば私、この子の名前はずっと前から決まっていた気がするの」
茉夜はそっと俺から赤ちゃんを受け取り、まだ開くことのない眼を見つめた。そう言われると、俺もそんな気がしてきた。少し頭をひねってみる。
「「……あ」」
俺と茉夜は同時に思い出した。そうだ、そうだった。俺たち三人で付ける名前なら、もうとっくに決まっていたじゃないか。俺たちはまた会えたんだから。
「なあ茉夜」
「何かしら? 理生」
茉夜は優しく微笑んできた。この笑顔はいつ見ても『好き』という感情が止まらない。本当に、茉夜を好きになって良かった。
「多分、俺と茉夜が思い浮かべてる名前、同じだと思うんだ。だからさ……」
「ええ分かってるわ。一緒に、でしょ?」
「…………」
うう……また涙腺が崩壊しそうだ……。茉夜は何でもお見通しだなあ。
「ああ……ああ! 一緒に!」
茉夜につられて俺も笑顔になっていた。いや、嬉しくてたまらないのだ。だからこそ俺は、泣いたっていいんだ。
「この子の名前は……」
そして俺たちは、ずっと前から知っている名前を同時に言う。
「「真里」」
難しく考える必要はない。だって俺たちの願い事は、銀色に輝いているのだから。
Fin…




