第十三話 side M ─now only just a little─
何故神社に居るのか分からない。どうしてここから動こうとしないのか分からない。俺は誰かに会うために来たはずなのに、誰も居ない。
「…………」
誰だっけ……。顔も名前も分からない。いや、思い出せない。確かに覚えていたはずなのに、大切な人だったはずなのに。
「神様なら知ってるのかな……」
一度だけ、声だけ聞いた神様と出会った場所。俺は少しばかりの念を送ってみる。だけどそんなことで神様に伝わるとは思えない。
「やっぱりここに居た」
背後から声がした。振り向くと、二人分の鞄を持った茉夜がちょうど鳥居をくぐっているところだった。
「茉夜……どうしてここに?」
「それはこっちが聞きたいわ。なんだかよく分からないけど、多分あなたはここに行ったんだろうと思って、荷物を届けにきたの」
そう言うと茉夜は片方の鞄を俺に放り投げてきた。綺麗な放物線を描き、俺は難なくキャッチできた。
「ありがとう。でもまだ授業中なんじゃないか?」
「抜け出してきてやったわ。急に原因不明の焦燥感に襲われたのよ。今はもうなくなってるけど」
茉夜は退屈そうに溜め息を吐いた。その表情はどこかしら柔らかく見える。
茉夜といえば、訊いておきたいことがあったんだ。いつ、どのように知ったのかは分からないが、茉夜について新しい情報がある。それを確かめたい。
「なあ茉夜。ちょうど誰もいないから正直に答えてくれ」
「ええ。何かしら?」
「茉夜ってさ……ここの神社で『願い事』をしたか?」
「…………」
茉夜は考える素振りを見せ、一度頷いてから答えた。
「そうね。『願い事』はしたわ。あなたになら話しても良さそうだから、話しておくわ。ちょっと長くなるわよ?」
「ああ。聞かせてくれ」
茉夜は少しだけ笑顔を浮かべ、昔のことを思い出すように目を閉じて話し始めた。
──────────
私は十六夜茉夜。人と関わることが嫌いな私は、幼稚園の頃はずっと一人で遊んでいた。本を読むのもいい。砂場でどれだけ高く砂の山を築けるのか試すのもいい。とにかく一人で居る方が気楽だった。
そんな私に付き纏う人物が居た。とてもしつこくて、それでいて情熱的なやつ。勿論最初は鬱陶しかった。何度も何度も追い返した。それでも挫折することなく私に愛の言葉を囁く。
「もう! ついてこないでよ!」
「いやだ! おれはきみのことがすきなんだから、あきらめてやるもんか!」
次第に私の心は溶けていった。自分でもあり得るとは思っていなかった。私から他人に近付くなんて、一生ないと思っていた。私はいつの間にか、彼のひたむきさに惹かれていたのだ。
一緒に遊ぶようになってから、彼は時々言う。
「おれ、おおきくなったらまやをおよめさんにする!」
これほど嬉しく感じる言葉はない。今も彼が覚えているかは分からない。でも確かに、私はこう言ったのだ。
「うん。ぜったいだよ!」
初めて自覚した恋心。幼かった私に羞恥心などなく、心の赴くままに合意した。
数日が経ったある日。私と彼はいつものように遊んでいた。だけど私の不注意で、道路に飛び出してトラックに轢かれかけた。彼がすんでのところで私を押し飛ばし、私は大事には至らなかった。代わりに彼が大ケガを負ってしまい、入院する事態となった。
私は自分にできることをしてあげたかった。だから私は、子供の願いが叶うと言われる神社に足を運んだのだ。私は精一杯の祈りを捧げ、居るかどうかも分からない神様に願った。
「かみさま……どうかあのこをたすけてください」
祈りは通じた。その直後、私の頭の中で声が響いたのだ。
『いいよぉ』
「はわ!?」
変な声が出た。覚えていなくていいのに、そんな恥ずかしいことはよく思い出せる。
『君の願いは純粋たるものだ。だから叶えてあげられる。さあ、選んでくれ。君が失ってもいいと思うものを』
「うしなってもいいもの……?」
『そうさ。失くなってもいいもの、と言えばいいかな? それを糧に願い事を成就させる。慎重に選びたまえ。なんせ、これを間違えると願いは望んだ形にはならない』
失ってもいいもの。失くなってもいいもの。そんなもの、彼に比べればなんだっていい。私は空に向かって叫ぶ。
「わたしを! わたしをあげるから! だからあのこをたすけて!」
『ほう。君自身、か。つまり君は『今』を捧げるということだね?』
「なんでもいいの! はやくしないとあのこが!」
『分かった分かった。だがそうなると少し事情が変わってくる。故にこうしよう。君が今持っている『感情』をもらうとしよう』
「かんじょう……?」
それが何なのかは理解できなかった。でも神様は説明もなしに話を進める。
『人間の感情はとても大事なものだ。だから君の感情を『喜』『怒』『哀』『楽』に分けて四度の願いを叶えてあげられるようにできる。一つ叶える度に一つの感情を失うことになり、願い事はその子のためにしか使えない。いいね?』
「う、うん……」
神様の言っていることの半分も分からず、私はとりあえず了承するしかなかった。彼が助かるならそれでいい。
『よしよし。これで君の願いは叶った。あとは君次第だよ』
そう言われても実感はない。だけど、翌日には彼が傷一つない身体で退院したことで、私の願い事が叶ったことは確かになった。
それからの私は『楽しい』と思うことがなくなった。神様の言う通り、感情とは大事なものだ。大好きなゲームをやっていても、いつの間にか『楽しい』ではなく『どのように効率化するか』と考えるようになっていた。これ以上感情を失うことが怖くなり、本当に叶えたい願い以外は我慢するようにした。
人間というのは欲深い生き物だ。時間が経つにつれ、そんな決意は薄らいでいく。彼が私と同じ高校に通いたいと言った時、私は心が揺らいだ。私が受験する高校は、受かるのが難しいと言われているのだ。私は自分で言うのも何だけど頭が良い方だったので問題はない。だけど確実に彼を合格させるには願うしかなかった。
「その時だけでいい。彼を秀才にしてください」
その願いは叶った。また彼と同じ学校に通うことができる。嬉しいはずなのに、そんな感情は代償として失っていた。
──────────
「ふう。長く喋ると疲れるわね」
茉夜は話し終えたとばかりに賽銭箱に腰を掛けた。見たことあるような光景だ。
「後はあなたが知っている通りよ。看板が落ちてあなたが入院した時、私はもう一度願ったの。『助けてほしい』って」
「……なるほどな。その時に失った感情が『哀』ってことか。残ったのが『怒』だけだったからずっと怒ってたんだな」
「そういうこと」
茉夜は楽しそうに笑った。失ったはずの感情が、茉夜に戻っている。誰かは分からないけど、茉夜のために何かしてくれたような気がする。
「ところで、話に出てた『彼』って人は誰なんだ? 名前が出てこなかったんだけど」
「……いいわ。教えてあげる。心して聞きなさい」
「お、おう」
ん? ちょっと怒ったか? 俺、なんか言っちゃいけないことでも言ったか?
茉夜はこれまでになく透き通るような声質で、俺の耳に届けた。
「理生、私はあなたが大好き」
「…………」
なんとなく分かっていた。いや、知っていたというのか。俺は返答に困ることなく、決まっていた台詞を言う。
「俺も大好きだ」
「……そう」
茉夜はとくに反応するわけでもなく、空を仰ぐ。青い空は忘れ物をしたみたいにちぎれ雲を漂わせていた。
「俺さ、実は会いたい人が居たんだ」
「あら奇遇ね。私もよ」
俺と茉夜は二人して自分のスマホ取り出した。そこに貼ってある一つのプリクラ。俺と茉夜が映っているが、その間は奇妙に空いている。
「なら俺たちで願ってみようぜ。ちょうどここは神社だし」
「それは名案ね。実績もあるし、やってみる価値はあるわ」
茉夜が俺の隣にやってきて、並んで神社を見上げる。誰に会いたかったんだろう? もはやそれすら不明なのに、俺は祈りたくて仕方なかった。きっと茉夜も同じ気持ちだ。
『会いたかった人に会えますように』
俺たちは同じ『願い事』をした。いつか叶うと信じて 。




