第十話 今に繋がる過去
──動けない。動かない。身体が一切の言うことを聞かない。俺の身体に何かとても重いものがのしかかっている。自力では出ることはできないようだ。
うっすらと開くまぶたを懸命に開けていく。見えたのは泣きながら俺に向かって何かを叫ぶ茉夜の姿だ。あーあ、また泣かせてしまったのか。本当に情けない奴だ、俺は。でもまあ、茉夜は生きている。それでいいじゃないか。
何を叫んでる? よく聞こえない。感覚が鈍くなっているみたいだ。聴覚だけではない、触覚や視覚も、徐々に俺から遠のいていく。なんだかとっても、眠たいや……。
──────────
『…………』
──────────
どこからかすすり泣く声が聴こえてくる。俺は多分、死んだんだ。誰かが俺のために泣いてくれている。ありがとう。でももういいんだ。俺は、最後まで茉夜を守ってやることはできなかったけど、それなりに満足している。だから……。
「……泣かないでくれ」
自分の声がはっきりと聞き取れた。まだ生きているような感覚だ。ゆっくりとだがまぶたも開いていく。横になっている俺の隣に誰か居る。
「あ……」
その人物と目が合った。俺の知っている人物だ。特徴的な銀色の髪の毛の、早百合だ。
「あ、ああ……理生くん……理生くんが目を覚ましたぁ……!」
涙で顔がボロボロになっている。早百合はそんな顔をさらにぐちゃぐちゃにする勢いで、再び泣き始めた。
早百合が居るってことは、俺はまだ死んではいないのか? それなら一刻も早く茉夜に会いたい。なんだかとても長い間会っていない気分だ。
「早百合、俺はまだ生きてるのか?」
「そ……そうだよぉ……まだ生きてるよぉ……ぐすっ」
鼻水まで垂らした顔のまま、俺に優しく抱きついてきた。おお、柔らかい……じゃなくて!
「ここはどこで、あれからどれくらいの時間が経った?」
「どれくらいって……今日の夕方の話だよ。覚えてるでしょ? 理生くんが茉夜ちゃんを庇って大ケガしたこと。あと、ここは病院だよ」
「あ、ああ……」
壁に掛けてある時計を見ると、時刻は夜中に差し掛かろうとしていた。そうか、まだそんなに時間が過ぎているわけではないんだな……。
「ん……でもあんまり痛いところはないな。結構ヤバかったと思うんだけど。大ケガしたって話、本当なのか?」
「ケガをしたのは本当だよ。私だって現場に居たんだからちゃんとこの目で見たよ。あんまり思い出したくはないなあ……」
「あ、ごめん」
まあ、それはそうか。俺だって死の淵に立っていたんだ。思い出さなくていいならそれが一番だ。
さて、自分の置かれている状況はなんとなく理解できた。俺はあの後病院に運ばれて、早百合が付き添ってくれていた。そして大ケガを負ったのにもかかわらず、俺はものの数時間で目を覚ました。さらに言えば負った傷もどこにも見当たらない。
「なあ早百合、もう一ついいか?」
「ん? なあに?」
「茉夜はどこに行った? あいつは無事なんだろう?」
「ああ、茉夜ちゃん、かあ……。茉夜ちゃん、理生くんが眠っている間ずっとそばに居たんだけど、理生くんの容態が良くなる頃、急に怒り出して出て行ったっきりだよ」
ふと頭に浮かんだ想像。俺の想像が正しければ、一度茉夜に会って話しておかなければならないことがある。
「俺、茉夜のところに行ってくる」
「だ、ダメだよ! もう夜だし、一応理生くんは入院ってことになってるんだから、勝手に抜け出したりなんかしたら怒られるよ?」
「むう……」
さすがに早百合の言う通りだ。日が沈んで間もない時刻に茉夜の元を訪れたとなれば、話をするどころではなくなるだろう。今日のところは大人しく病院で過ごす必要がある。
「それにね、理生くん。私、理生くんに言っておきたいことがあるんだ」
「それってあれか? 言おうとしたけど言えなかったことか?」
「うん。やっぱり言わなくちゃいけないと思う。ううん、本当はもっと早く言うべきだった。それに、手遅れになる前にちゃんと言っておかなくちゃ」
そうは言うが、早百合の表情はいつになく曇っている。覚悟を決めた顔、というよりは後戻りできないところまできたから仕方なく、という感じだ。
「今はダメなのか?」
「うん。この話は茉夜ちゃんにも聞いておいてほしいから。でもまずは、理生くんが退院しなくちゃだよね!」
早百合にいつもの笑顔が戻った。しかし、なんだか見ていると痛々しく思えた。
「じゃあ私、一旦家に帰るね」
帰り支度を済ませた早百合は、去り際にヒラリと手を振った。
誰も居なくなった空間で、俺は再びベッドに身を任せる。眠気はなく、脳内で錯綜するのは茉夜のことや早百合の言葉の意味だ。うまく考えがまとまらず、目眩すら起こしそうになる。
「…………」
茉夜突然怒り出したと言っていた。俺の考えが正しければ、茉夜もきっと俺と同じなんだ。だとすれば、俺のことも伝えなければならないことがある。
それに早百合の言葉の意味。茉夜にも聞いてほしいということは、茉夜にも何か関係があるのは間違いない。けどそれって……。
「……ダメだ。これ以上頭が回らない」
色々なことが起こり過ぎて、どうしても脳が途中で考えることをやめてしまう。今日はもう寝てしまえってことか。まあ、そうするしかないよな。結局、茉夜や早百合がいなければ進展はないんだから。
「ふぅ……おやすみ」
俺は白い天井に向かって呟いてみた。
──────────
翌日。医者から一応の身体検査が行われた。どこにも異常はなく、その日の内に退院することができた。自分でも不思議なくらい無傷なのだ。
そしてその後に警察から事情聴取を受けた。これが結構な時間を食ってしまい、解放されたのは空が夕焼けに染まってからだった。
「さてと……」
昨日の制服を着てはいるが、とっくに授業は終わっているだろう。早百合に退院したことをスマホで報告したら、連絡があるまで家で待っているとしよう。
「お?」
さっき退院したという連絡を入れたばかりなのに、すぐに返信がきた。内容は『あの神社』に来てほしいとのことだった。茉夜もそこにいるらしい。
うーむ。なんか緊張してきたぞ。一回落ち着かせてから向かおう。
──────────
深呼吸。また深呼吸。鳥居が見えてきた頃には心臓が張り裂けそうなくらい鳴っている。いくら深呼吸しても意味がない。むしろ約束の場所に近付くにつれ、緊張感は増していくばかりだ。でも、だからって行かないわけにはいかない。早百合が勇気を振り絞って話をするんだ。その覚悟を無駄にすることは、俺にはできない。
階段を上がり、鳥居をくぐるとすぐに二人の姿が見えた。放課後、そのままの格好で来たのだろう。二人とも制服だった。
「よお。待たせたな」
いつもの軽い挨拶。しかし、茉夜はいつも見せていた無表情ではなく、眉間にシワを寄せた怒った顔をしている。茉夜らしくなくて、一瞬だけ茉夜だと認識するのが遅れてしまった。
早百合の方は一度だけ頷くと、はにかんで答えてくれた。
「待ってないよ。今来たとこ。ふふ……一回言ってみたかったんだー」
「……そうか」
「なんかこうやって三人で集まるのって、とても久し振りな気がするよ。理生くんもそう思わない?」
笑っている。でも、なぜだか不安になってくる。早百合は本題を後回しにしようと、わざと別の話題に触れようとしているんだ。ここは俺が強制的に入らせないと。
「早百合、話っていうのは何だ?」
「…………」
途端に早百合から笑顔が消える。罪悪感は少しくらいあったが、早百合の話は聞いておかなくちゃいけない。わざわざ俺と茉夜を呼び出してまで大事な話なら、なおさらちゃんと話してほしい。
「分かったよ、理生くん。ごめんね。私だけ覚悟が足りなかったみたい。じゃあ、話すよ? 私だけ知っているお話。茉夜ちゃんと理生くんに深く関係するお話。そして、これは私自身のお話」
早百合は紅色に染まっていく空を仰ぎ、ゆっくりと話し始めた。




