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君に贈るエピローグ  作者: 美雨
22/27

旅立ちの時

年も暮れ、いよいよ新たな一年を迎えた。

二月になると純也は慶應の医学部を受験し、見事難関を突破した。輝と矢沢と笹井は、聖南大学を推薦で受験した。結果は三人とも合格。俺達は新たな進路へそれぞれ進もうとしていた。


俺達は二月下旬、高校生活最後の想い出に、一泊二日で箱根にある輝の親戚の別荘へと卒業旅行に出掛けた。

一日目は新宿に十時半に集合し、十一時十分発のはこね十七号で箱根湯本へと向かった。車内で出発前に買った弁当を広げ、ガイドブックに目を通した。十二時三十七分ちょうどに箱根湯本に到着すると、今度は隣のホームの登山電車に乗り換えた。終点の強羅で降りケーブルカーで早雲山まで出ると、目的地の大涌谷を目指しロープウェイに乗った。笹井と矢沢は大はしゃぎで、窓の外の景色を楽しんでいる。

「ねぇ、結衣とふたりで写真撮って!」

「オッケー、じゃあ撮るぞ」

俺はシャッターを切った。ファインダーの中に凛子の姿がない事が不思議だった。

「おい、輝!外の景色、最高にきれいだぞ!」

「俺、高所恐怖症なんだ」

「輝ったら、男のくせに何言ってるのよ!」

矢沢がちょこんと座っていた輝の腕を引っ張ると、窓際へと連れて行った。

「頼む、それだけは勘弁してくれ!」

「輝、あたしがいるから大丈夫だよ」

矢沢が後ろから輝をそっと抱き締めた。

俺はそんなふたりの姿を見て、父親と喧嘩をして家を飛び出した日の事を思い出した。凛子は涙を流しながら話に耳を傾け、傷付いていた俺をそっと抱き締めてくれた。あの頃のふたりはいつも一緒だった。窓外の景色を眺めながら、いつの間にか俺は凛子と紡いだ多くの想い出に優しく包まれていた。


大涌谷に着くと頂上まで緩やかな階段を登り、名物の黒たまごを食べた。

「これをひとつ食うと、七年も寿命が伸びるんだってさ」

輝はそんな事を言って、黒たまごを立て続けに三つも頬張った。再びロープウェイに乗ると、大涌谷から姥子を経由して桃源台へ向かった。桃源台からは海賊船に乗り、芦ノ湖の景色を楽しんだ。

俺と純也は船のデッキへと上がり、まだまだ冷たい外気に当たりながら話をした。

「何だかさぁ、修学旅行の函館湾のクルージングを思い出すな」

「懐かしいな。あの時、偶然にもイルカが見られたんだよな」

俺は遠くの景色を眺めながら、凛子の事を考えていた。

「なぁ、明彦、実際のところどうなんだよ?」

「何が?」

「小川さんの事。お前、ずっと忘れられないんでいるんだろう」

「ああ、凛子の事を忘れた事なんて、一日だってないさ」

「お前、そのままでいいのか?そのままイギリスまで、その気持ちを持って行くつもりなのか?」

「実はさ、俺、修学旅行の時、凛子にプロポーズしたんだ」

「プロポーズ…?」

純也は驚いた様子で、掛けていた眼鏡を外した。

「それで、小川さんは何て言ったんだ?」

「俺がイギリスへ行っても、何年でも待ってるわ、って言ったよ」

「そうか」

「だから俺、何年掛かっても凛子との約束を守りたいんだ。どんなに離れていても、俺達は心と心で繋がっている、そう信じてるんだ」


二日目はバスを利用して彫刻の森美術館まで足を伸ばした。ここには広大な敷地の広場に、数多くの現代彫刻家の作品が並ぶ。マイヨールやブルーデルを始め、様々な彫刻家達の作品を見て回り、五人で敷地内にある足湯に浸かった。輝がまるで子供のように足をバタつかせながら、無邪気に湯を足で蹴っている。

「気持ちいいなぁー!」

「ちょっと、輝ったらお湯が顔に掛かるじゃない!」

純也と笹井は湯の中で足を絡ませたり、湯を掛け合ったりして遊んでいる。俺はそんな彼等の姿を携帯のカメラで撮った。俺達はしばし足湯で疲れを癒した後、登山電車で宮ノ下まで出た。

渡辺ベーカリーに寄って、名物の温泉シチューパンを店先の椅子に座って食べた。その足で歩いて直ぐの富士屋ホテルに向かい、ホテル内の庭園をゆっくり散策した。

「学園の庭も凄いけど、さすがにここには敵わないな。あっ、クロッカスが咲いてる」

俺は思わず叫んだ。

「これ、クロッカスっていうの?」

「うん、凛子が教えてくれたんだ」

「何だかさ、小川さんみたいな花だね」

純也が近付いてしゃがみ込みながら言った。

「凛子と山口君、良く朝、校庭を散策したりしていたんでしょ?」

純也の横で花を覗き込んでいた笹井が言った。

「ああ、凛子は良く草花や木の名前を教えてくれたよ」

「凛子とも一緒にきたかったな。ねぇ、輝」

「うん、凛子ちゃん今頃どうしてるかな?」

少し前を歩いていた矢沢と輝が、目の前の大木を眺めながら言った。

「ねぇ、この木、物凄く大きいけど、なんていう木なんだろ。凛子だったらさぁ、きっと知ってるよね」

「凛子ちゃんだったら、直ぐに答えてくれてるよ」

凛子がいなくなってからも、それぞれが心の何処かで彼女の事を思っている。


三月一日。

卒業式の朝を俺はひとりで、いつものように土手で迎えた。


凛子へ

その後、元気にしているか?今日はお互い卒業式だな。君は今、何を考えどんな未来を想像しているんだろう。俺は今、ひとり土手に寝転び、凛子と過ごした日々の事を思い出しています。俺達は毎日毎日、青い空を眺めては他愛もない事で良く笑ったな。そして雨の日には、教室で勉強を教え合ったり、お互い読んだ本について熱く語ったりもしたな。君と過ごした約半年、色々な事があった。その度毎に俺達はいつも互いを支え合って、どんな困難も乗り越えてきた。だが、あの日俺は君を守ってやれなかった。ごめんな、凛子。君にばかり辛い思いをさせて。凛子が俺達の前から姿を消した後も、俺もみんなも凛子の事を忘れた日など一日だってなかった。凛子と過ごした日々は俺にとっても大切な宝物だ。そのことだけは、忘れないで欲しい。君と再び出逢えていなかったら、俺は今も孤独の中をたったひとりで彷徨っていたことだろう。君は俺に沢山の事を教えてくれた。人は決して孤独ではない事、愛する事の喜び、切なさ。俺は卒業式が終わったらイギリスへと旅立つ。またいつか君に逢える日を楽しみにしているよ。凛子の未来に明るい太陽が降り注ぐ事をいつも俺は願っている。いつかまた再会できたら、君のその眩い笑顔を俺に見せてくれ。身体にはくれぐれも気を付けて。

では、また。

明彦


俺は卒業旅行の写真と共に、凛子にメールを送った。雲ひとつない青空を見上げ、ゆっくりと目を閉じた。


十時になると俺達三年生は胸に赤いバラの花を付け、講堂に入場した。校長からの祝辞の後、クラス毎に卒業証書の授与が行われた。在校生の送辞が終わると、純也が卒業生代表として答辞を読み上げた。その後、蛍の光を合唱すると、講堂のあちこちから啜り泣きが聞こえた。柴田先生も眼鏡を外し泣いている。特に俺達のクラスには思い入れがあったのかもしれない。式が終わると卒業証書を手に講堂を後にした。

校庭で柴田先生を囲み、俺達五人は写真を撮った。これが高校生活最後の写真だ。俺は満面の笑顔で写真に写った。そして土手の上を一歩ずつ未来へ向けて歩き出した。


卒業式から二週間後、俺はイギリスへ旅立つ日の朝を迎えた。

何もないガランとした部屋の中を見回し、階下へと下りた。二日後は凛子の誕生日だった。俺は彼女にメールを打とうかどうか散々、迷ったが結局は打つのをやめた。

「明彦、準備は済んだの?」

「うん」

「本当に成田まで送らなくていいの?」

「母さんも心配性だな。何度も言ったろ、ひとりで大丈夫だって」

「だけど最後ぐらい、空港まで見送らせて欲しかった」

「ほら、母さん空港まできたら、絶対に泣くだろ。最後じゃないんだ、これからが始まりなんだよ。俺は兄さんとは違う。母さんを置いて何処かへ行ったりしなんかしない。毎年、夏休みには帰ってくるんだし、必ず今より成長して帰ってくるって約束する。だから、そんな悲しそうな顔をするなって」

「分かったわ、お母さんもしっかりしなくちゃね。明彦、身体にはくれぐれも気を付けるのよ」

「母さんもな、無理するなよ」

「有難う。明彦、元気で行ってらっしゃい」

「行ってきます」

俺はそう言い残し、普段通りに家を出た。


成田空港には四人が見送りにきてくれた。

「明彦、これ」

「何だよ」

「俺たちが修学旅行や卒業旅行、卒業式で撮った写真。まだ渡してなかったからさ」

そう言って、純也が焼き増ししてくれた写真の入った封筒を渡してくれた。

「本当に行っちゃうんだね」

笹井が涙ぐみながら言った。

「夏休みには帰ってくるし、またすぐに会えるさ」

「凛子にも最後に見送らせてあげたかった」

矢沢が号泣した。

「凛子ちゃん、心の中できっと祈ってるよ、明彦の成功をさ」

「そうだな。みんな今まで本当に有難う。これからもお互いに頑張ろうぜ」

「おう」

「うん」

俺達は夏休みに必ずまた再会する事を約束し、それぞれに握手を交わした。

俺はひとり第一ターミナルの北ウイングへと向かった。

「明彦、元気で頑張れよ!」

「山口君、行ってらっしゃーい!」

四人がこちらへ大きく手を振っている。俺も皆に両手を振り返した。


そして俺はイギリスロンドンヒースロー空港行きの飛行機に搭乗した。いよいよイギリスへと旅立つ時がきた。機体はゆっくり動き出すと、やがて勢い良く滑走路を滑り出した。ロンドンまでは約十二時間のフライトになる。暫くしてシートベルト着用のサインが消えると、俺は純也が渡してくれた写真を封筒から取り出し目を通した。写真の中の俺達は笑顔だった。写真の上に涙が零れ落ちた。


いつの間にか俺は深い眠りに誘われ、夢を見ていた。

俺と凛子は菜の花畑の中にいた。

菜の花のむせ返るような香り。凛子は真っ白いワンピースに麦藁帽子を被っている。

「明彦ー、早く!」

凛子はこちらを振り返り俺にそう叫ぶ。

「待ってくれよー、凛子!」

夢の中の彼女はとても足が速く、菜の花を両手に抱え、畑の奥へと走って行く。俺は息を切らせながら追い掛けるが、なかなか追い付く事ができない。そんな俺を置いて凛子はひとりでどんどん走って行く。その時、凛子の被っていた麦藁帽子が風に飛ばされ、俺の方へ飛んできた。俺は麦藁帽子が地面に落ちる寸前でキャッチした。

「凛子ー、帽子、落としたぞー!」

遠くで立ち止まった凛子が、俺を見て微笑んだ。

「今度あんまり待たせたら、何処か遠くへ行っちゃうから」

彼女は再び走り出すと、俺と麦藁帽子を残し何処かへと消えてしまった。菜の花畑の中で俺はひとりじっと、麦藁帽子を眺めていた。


目が覚めると俺の両頬は涙で濡れていた。悲しいのではない。俺の脳と心に焼き付いた凛子の笑顔があまりにも眩しすぎて、自然と涙が溢れ出してくるのだ。あとどれくらい俺はこんな涙を流すのだろう。

凛子、君は俺を待っていてくれるだろうか?

君に笑われるかもしれないが、俺達は永遠なのだと信じている。

俺は凛子に再び会いたくて、ゆっくりと目を閉じた。



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