6話
4人は隣国の境目にある街へ到着すると、そこで宿の手配をする。いささか揉め事も起きたが4人同室ということで落ち着いた。ベッドが2つしかないため2人は床で寝ることになったが、交代でベッドを回すことになった。
到着した夜はディアナとハルティアがベッドを使う事になり、それもう凄まじい気迫でジャンケンが行われたのだが明日からは順番である。長い間ヘルホースに乗り続けて痛めた腰とお尻には今日は床で我慢してもらうことにする。
ベッド組はすぐに眠りに落ちてしまうが、灯は床で中々眠ることが出来ずにゴロゴロと何度も寝返りを打っていた。それを見かねてかデュオルクの方から声がした。
「眠れないのか」
「う・・ごめんね、ゴロゴロうるさかった?」
「いや、別に。乗り慣れていないだろうから二人に代わってもらえば良かったのに」
最初は灯を優先させるような話も出ていたのだ。だが疲れているのは皆同じ、ここは平等にジャンケンをしようと言い出したのは灯であった。
「いいのいいの。疲れてるのは皆一緒だから、平等に決めた方が気持ちよくベッドも使えるでしょ」
「それはそうだが・・」
「それにこう見えて床で寝るのは慣れてるんだよ?幼稚園の頃は息子によく布団から追い出されて、床で寝てたんだから」
灯が可笑しそうにクスクスと笑うと、デュオルクは不思議そうな声で聞き返す。
「ヨウチエン?床で寝るのか?布団が無かったのか?」
「違う違う。忍は寝相がすごーく悪かったからさ、背中を蹴られて蹴られて、朝起きた時には床で寝てるの。それに比べて忍は私の布団で大の字で寝てるんだよ?ほんっと小学生になって一人部屋になってくれて良かったよ」
「・・そうか。シノブはアカリの息子の名前か」
「あ、うん。そうなの。今頃何してるのかなー・・ちゃんと小学校通えてるのかな」
毎日学校から帰って来てオヤツを食べると、すぐに鉄砲玉のように家から飛び出して遊びに行ってしまう。そして夕方に帰ってくると同時にご飯を要求し、寝る前になってから明日必要な持ち物を言い出す。今はそんな生活が恋しい、胸の奥がキュッとした。
微妙な変化が分かっているのか、デュオルクは相槌を打つだけでそれ以上深くは聞いてこなかった。
「ごめんね、こんなオバチャンのホームシックなんて、カッコ悪い」
「別に。カッコ悪いとは思わない。俺も故郷を離れて最初は、故郷を思って帰りたくなった事もある」
「・・うっそだぁ?デュオルクは結構平気な顔して何でもこなしてきてそう」
灯が初めてデュオルクの居る方へ顔を向けると、片腕で枕を作りながら灯の方を真剣に見ていた。その顔を見るとさっきの言葉に嘘が無いように思えた。だが「ククッ」と笑いをこぼして舌を出す。
「嘘だよ。当たり前だろ?外の世界は楽しくて仕方がない」
「ええ・・ちょっと信じたのに」
「20の男に騙されるようなヤツが結婚して子供も居るなんて思えねぇな」
「フフン。そこだけはデュオルクに勝ってるわ」
勝ち誇ったような顔をするが、それを鼻で笑うと灯に背中を向けた。そして「もう寝ろ」と言うとそれっきり言葉を返さなくなる。灯も「おやすみ」と同様に薄い布団にくるまると、そのまま眠りについた。
翌朝目を覚ますとすでにデュオルクとディアナはおらず、ハルティアが身だしなみを整えているところであった。
「おはよう、ハルティアさん」
「・・起きるのオッソーイ。もう皆トレーニング中なんですけどぉ?」
「あ、うん。そうみたいだね、二人とも毎朝身体鍛えてすごいよね」
灯が布団を直しながら言うとムスッとした顔をしたまま髪に櫛を通す。見た目つややかでふんわりとした髪だったが、とても手入れを丹念にした成果だったようだ。何もせずにあの髪の毛が手に入るとは思っていないが、何種類ものクリームを混ぜ合わせたものを髪に薄く塗っている。
何と無くそれを見ているとササッとクリームの本体を隠し、灯の視線から逃れるようにそっぽを向いて手入れの続きを始める。見てほしくないのだろうかと思い自分の支度を始めるが、そもそも櫛もメイク道具も持っておらず、服も2着しか持っていない。洗濯しながら交互に使っているためオシャレも何も無い。
簡単に服に着いたほこりだけを払うと、灯も部屋を出ようとする。その背中に声がかけられる。
「どこ行くわけぇ?」
「えっ?ちょっとトイレに行こうと思って」
「・・ふぅん。行けばぁ?」
「う、うん。行ってくるね」
口調はあまり変わらないが、どこか突っかかるような言い方をされて灯は困惑する。だがこの話し方は今までデュオルクと共に街へ繰り出した時に、女性の情報屋から受けた扱いそのものである。きっとそういうことなのだろうな、と思いあまり触れることなく外へ出た。
昨日居た街から北へ何キロ進んできたのだろうか。食事もヘルホースの上で摂りながら来たため正確な距離は分からないが、かなり早足で来たため相当な距離を進んできたはずだ。トイレを済ませてからヘルホースを繋いだところへ向かうとつまらなそうに足で地面を掻いていた。
「おはよう、昨日はたくさん走ったけどよく眠れましたか?遠くまで連れて来てくれてどうもありがとう、おかげで助かりました。・・あれ、首の傷が治ってますか?本当に自然治癒能力が高いんですね・・」
話しかけながら頭や首を触ると、気持ちよさそうに目を細めた。それを肯定しているような仕草に喉の下をコシコシとさすってやると鼻息が若干荒くなる。言葉を話すことは出来ないが、通じ合っているような気がして灯はヘルホースの首を抱きしめた。
すると首を絡めるようにして頭の上から脇の下へ顔を持ってくると、くすぐるように上下に動かす。思わず笑い声を上げると、嬉しそうに何度もそれを繰り返している。
「ちょっ、くすぐったっ!アハハッ、嬉しい?嬉しいのかな?私も嬉しいよ」
「楽しそうだな」
声の主を見ると、少し離れたところで腕組みをして柱にもたれかかるデュオルクがいた。灯は頭を撫でてからその場を離れるとデュオルクの近くへ行く。かなり汗をかいたのだろう、服が全体的にしっとりとしているのが見て取れた。
身体のラインがぴったりとした服で浮き上がり、とても逞しい体つきをしているのが分かった。
「昨日長距離走ったから、大丈夫かなって思って。首の傷も気になったし・・でももう治っててびっくりしたよ!すごいね、本当に自然治癒力が高いんだ」
「もう二度と獣の血を直接触ろうなんて思うなよ」
「気を付けます・・。もうトレーニングは終わったの?お疲れ様」
灯の言葉に頷くと「もういいのか」と聞く。何の事だか分からずにきょとんとしていると、デュオルクは灯の後ろを指差す。そこにはまだ撫でてほしそうにこちらをじっと見つめているヘルホースの姿があった。元居た世界で特別動物が好きなわけではなかったが、こうして好意を向けられるのは悪い気がしない。
もう少しだけ撫でて行こうと近づこうとすると、後ろから甘えるような声が聞こえてくる。
「デュオルクさまぁ~、どこですかぁ~?」
「・・俺はもう行く」
「私はもう少し撫でてから戻るね」
苦笑しながら声のする方向と反対側へ歩いて行った。どうやらハルティアに会いに行きたかったわけではなかったらしい。なんとなく気持ちを察して苦笑いを零すと、背中にコツンと何かがぶつかってくる。振り返ると器用に縄から抜け出し、灯の方へヘルホースが来ていた。
驚いたがそんなことはお構いなしにスリスリとすり寄られると、やはり悪い気がしない。眉尻を下げて促されるままに撫でてしまう灯であった。
「あ、こんなところに居たのかー。探したぞ」
「ディアナ。少し撫でるつもりだったんだけど・・思いのほかゆっくりし過ぎちゃった」
「にしても懐いてるな。完全服従ってこういうもんなんだな」
ディアナは灯の傍まで来ると、少し距離をあけてそれを眺める。デュオルクが立ち去ってから徐々に身体を密着させてきて、今は灯がヘルホースに膝枕をしているような状態になっている。もちろん顔すら満足に膝に乗せることは出来ていないが、うっとりと目を細めて気持ちよさそうにしている。
珍しそうに眺められ、灯はふいに疑問が出てくる。
「ねぇ、完全服従ってよくある事じゃないの?」
「そんなわけないだろ。服従はまぁあることだけど、完全ってことはあれだ。極端な話アカリが死んだらソイツも死ぬってことだよ」
「ええっ!?どういうこと!?」
「だからそういうことだって」
思わず大きな声を出すとヘルホースがうっすらと目を開けてディアナを睨みつける。まるで「邪魔をするな」とでも言うかのような表情に、ディアナはもう少し距離をとった。
「こんな表情出してるヘルホース見るのも初めてだしな。あたしらの師匠が服従させるのが得意だったけど、完全服従させたのは生涯2度きりって言ってた」
「へぇー・・。そんなにすごいことなんだ」
「あー師匠の方が詳しい事話せるんだけどなぁ。あたしらも今どこにいるか知らないんだよ」
懐かしそうに話す口ぶりはとても信頼しているのが伝わってくる。この国にある師弟関係は、人間も獣人も獣も同様のようであった。特に人間の師弟関係は自分の居た世界とあまり変わらないような関係性だと言われてホッとしていた。
「っていうかアカリ呼びに来たんだった。一旦街に出て情報収集するぞ、アカリはあたしと一緒にな」
「分かった。じゃあ、またねクロ」
「・・クロ?もしかして名前か?」
「え、ダメだった?黒いし、いいかなって思って」
その後他の2人と合流するまでの間、ディアナは懇々と灯にネーミングセンスの無さを説いた。
二手に分かれて情報収集することになったが、その日はあまり有益な情報は得ることが出来なかった。いつもよりも疲れたような顔で帰ってくるデュオルクだったが、反対にハルティアは艶々と満面の笑みでいる。色々あったのだろう、とそっとしていると食事を摂ってからすぐに眠ってしまう。
「デュオルク様ってぇ、ほんとーっにかっこいぃのぉ!わたし以外のオンナにもすぅーっごく優しいのはぁ、ちょっとサミシーけど・・。でもそんなところもすっごくいいなぁって思ってるの」
「へ、へー。そうなんだね」
「あぁ、でもアカリさんにはぁ?ちょっと年が離れすぎててわかんない感覚ってゆーの?」
瞬間隣に座るディアナから殺気が放たれたが、灯は「まぁまぁ」とそれを制する。10代と20代の中でたった一人30歳なのだ。その中で若い子の扱いをされても困るには困るが、ここまであからさまに言われると流石に何と返して良いのかを悩んでしまう。
「そんなことはないよ。デュオルクってハタチと思えないぐらい逞しい身体してるのってすごいなーって思うよ。モテるんだろうなって」
「・・まさかとは思うけどぉ、アカリさん狙ってないよねぇ?」
「狙う?って、デュオルクを?」
ジト目で見てくるハルティアを目の端に捉えた瞬間にディアナは柄に手を伸ばしていた。再びそれを制しながらもう一度訪ねるが、やはりそういう意味の事を言われていたようであった。
「そんなわけないよ。私こう見えて向こうでは結婚もしてて、子供もいるんだよ?今は独りぼっちだけど、帰る場所がちゃんとあるんだから」
「ふぅーん。それだってホントかどーか分かんないけどね」
「ハルティア。お前自分が部外者だってこと忘れんなよ」
ディアナの事をきつめに睨み返していたが、その目は自身が劣勢であることが分かっているように揺れていた。すぐに視線を逸らすと「あーぁ、トイレでもいってこよぉーっと」と言って部屋を出て行ってしまう。灯がホッとしたように胸を撫で下ろすと同時に目の前のテーブルにガンッと両足が乗せられる。ディアナが背もたれに大きく身体を預けて椅子をゆらゆらとさせながら大声で言う。
「だってよーデュオルクさん。狸寝入り決め込みやがってバカヤロウ、さっさと10発ぐらい殴り飛ばせ!」
「・・ここで俺が口を出してもしょうがないだろ」
「だけどアカリの立場はどうなんだよ?バカにされてんだぞ、あんなきっしょくわるい話し方のガキによ。目上を敬えって教えはどうなってんだ?バカかアイツはほんとに」
怒りが収まらないのか、ゆらゆら揺れているだけだった椅子が今ではグラグラと危なげに揺らされている。どうしたものかと思っていると、デュオルクは布団からノソノソと出てくる。そしてめんどくさそうな顔をしながらもベッドの端に腰かける。
「ああ見えてもかなり有益な情報をいつも提供してくれてるんだ。収集能力を侮るわけにはいかない。今の俺たちにはアイツの情報が命綱のようなものだ。今はこのままのペースでいるしかないだろ」
「私は大丈夫だよ。ディアナも気にしないで・・っていうのは無理かもしれないけど、傷ついてるとかそういうのはあんまりないから」
「アカリはそういうところが鈍いっつーの。アイツの顔見たか?どうやったらあんなエグイ顔が出来るんだよ」
実際よりも遥かに顔をひしゃげさせてディアナが憤る。灯がクスクスと笑うと恥ずかしそうにしているが、確かに少しだけ通じる部分はあったかもしれないと思った。女の嫉妬している顔は自分が思っているよりも醜いと話によく聞く。ハルティアは元が可愛い分、余計に邪悪に見えやすいのかもしれない。
「ハルティアさんも、きっと悪気があるわけじゃないと思うし。私にはもう過ぎた感覚だけど、好きな人に自分だけ見てほしいって誰でも思う事だよ。そういう素直なところってすごくいいと思う」
「・・別にぃ。わたしはぁ、アカリさんに褒めてもらいたかったわけじゃないんだけどねぇ」
「盗み聞きか、まぁ聞かれて困る話なんかしてねぇけど」
「今はぁ、まだデュオルク様の都合のいい情報屋かもしれないけどぉ・・でもでもっ、わたしは本気なんだからねぇっ?」
ハルティアは「キャッ」と言いながら赤くなった顔を隠して可愛くポーズをとった。あの出て行き方だとしばらく戻ってこないだろうと思っていたが、思っていたよりも早く戻ってきた。本当にトイレに行ってきたのかもしれない。
どこまで本気なのかは分からないが、デュオルクも笑顔で「ありがとう」とだけ返した。