5話
宿屋に帰るとディアナが待ちくたびれていた。ぶーぶーと文句を言いながらも灯たちが買ってきた食材をお腹へ入れていく。この世界に「調理」という概念はあまりないらしく、素材そのままの味を実に豪快に食べるのが常であった。特別な日には「調理」をすることもあるらしいが、普段は調理せずに食べられるものを食べているらしい。
「単調な味に、飽きたりしないの?」
「んー別に。腹に入れば一緒じゃん」
「特に気にしたことは無い」
二人は本当にそう思っているらしく、いつも5分で平らげてしまうとそのままトレーニングを始める。それを見ながらゆっくりと食べる灯だったが、トレーニングを一緒に行わない事に関して何かを言われることはなかった。
「・・私の居たところではね、毎日母親が料理をするんだ。父親が料理するときもあったけど、大体は主婦が家の中の事を全部してたよ」
「ふーん・・シュフ、ねぇ・・」
「そう。私もそうやって毎日過ごしてたよ。朝家族を起こして、ご飯作って、片付けして、洗濯して、家の中掃除して・・そうしてると皆が帰ってくるから、またご飯作って」
今ではこうして毎日トレーニングをしている二人を眺めながら食事と言えないような食事をとり、街に繰り出しては何かの情報を得にウロウロとし、あまり掃除の行き届いているとは言えない宿屋に戻って眠る。
自分が誰なのかを忘れてしまいそうなぐらい何も無い日々に、灯の気持ちは沈んでいくばかりであった。
「ああやって毎日過ごすのって、すごく退屈だなって思ってたけど・・こうして別の世界に来ちゃうと、そんな生活にまた戻りたいって思うって不思議だね」
「・・アカリは、戻りたいのか?」
「そりゃあ夫も子供もいるし。それに二人だって、私が居たらここから移動することも出来ないでしょ?」
沈黙は肯定だ。二人が黙っているため、灯は再び話し出す。
「もし次に行くところがあるなら、私の事は気にしないで出発してもらって構わないよ。一人にはなるけど、ここに居ればあの犬耳の人が何か結論を届けてくれるんでしょう?」
「それはそうだけど」
「ね。だから気にしないで、二人がしなきゃいけないこと、してきなよ」
視線を上げると、いつの間にかトレーニングをやめて二人が灯を見ていた。灯は自分が食パンを5倍ぐらい硬くしたようなものを手にしたまま固まっている事に気付いた。手でほぐすようにグーパーとパンを柔らかくして、ちぎって口へ入れる。
パサパサで繊維質なそれは、口中の水分を吸い取るとほんの少し噛みやすくなる。噛みながら頬に何かが流れている事に気付いた。手で触ると、それが涙であることに気付いた。
「・・あれ、あれれ、あれれ!?」
「ハァー。アカリって本当に30?」
「えっ、うん、えっそうだけど?あれ?」
「世話が焼けるな・・ったく」
ディアナとデュオルクは二人で灯を挟むようにして両隣へ座る。そして灯の手を片方ずつ取ると、両手で包んで同時につぶやいた。
「「アカリの涙が止まりますように、アカリの涙が止まりますように」」
それから口元に持って行き、軽く口づけを落とす。驚いて二人の顔を交互に見ると、困ったような顔を向けられる。
「あたしたちの育ったところでは、こうすれば涙が止まるって教えられたんだ」
「俺たちは別にアンタが居て困るとか、そういうのは思ってない」
「だから泣くなって、あたしはアンタと会えて良かったって思ってるよ」
自分と一回りも離れたディアナの言葉に更に涙が溢れる。それをディアナが自身の服の裾で拭ってくれる。その仕草はぎこちないものであったが、心の中をとても温かくしてくれた。
「ありがとう、本当に、ありがとう・・」
「どーいたしまして。ったくあたしたちの親みたいな年の癖して」
「弱虫だなアカリは」
思わずディアナに抱き着いたが、困ったような顔でそれを受け止めてくれる事が今はとてもありがたかった。デュオルクもそれを見る目は優しいものである。
涙が止まってきた頃、宿屋にノックの音が響いた。デュオルクが内側から声を掛けると「召喚大会の件です」という言葉だけが返ってくる。その言葉に違和感を覚えたのか、突然デュオルクが自身の剣の柄に手を添える。ディアナは灯に盾を持たせると、部屋に2つあるうちの1つの小さな窓際へ寄って外を見た。
「・・チッ、囲われてる」
「どうなってやがんだ、おい」
「召喚大会の件です」
相変わらず同じトーンで返ってくる言葉は、淀みない人間の言葉そのものであった。だが二人が警戒を解くことは無い。室内が徐々に緊迫した空気になってきたところで、外から大きな音が響いた。
パンッ
「デュオルクさまぁ!こちらへ!」
「ハルティア!?」
部屋の中に魔法陣が現れ、そこからハルティアの声が響いた。するとディアナは灯の手を取り、足から魔法陣の中へ入っていく。デュオルクはドアの前にベッドを移動させると、すぐにその後を追った。
どぷん、と何かに入り込む音がして、同時にずぶずぶと体が沈んでいく。それは数日前に感じたものと同じで、あまり気分のいいものではなかった。だがあの日に感じたほど長くは無く、5秒もすると流れから飛び出したのが分かった。
すぽんっと飛び出た先にはすでにディアナが剣を構えて立っており、その向かいに居たのはハルティアであった。
「・・ホントだったのねぇ」
「あぁ?何の話だ」
「別にぃ、こっちの話だよぉ。あぁん!デュオルクさまぁ!」
数秒遅れてデュオルクも出てくる。それと同時に魔法陣は口を閉じていった。辺りは鬱蒼とした森に囲まれており、とても周囲がよく見渡せるとは言い難い場所である。ディアナとデュオルクは逃げ場が確保出来ないかと辺りを見回したがやはり見つけることは出来なかった。
「どういうことだハルティア、こうなることを知っていたのか」
「そんなぁ、ハルはデュオルク様を助けたくってぇ・・」
「テメェいっつもそんな舐めた口利いてんのか?あ?どつき回すぞ?」
何が起こっているのかが把握できない苛立ちからか、ディアナはハルティアにかなり喧嘩腰になっている。それをデュオルクが抑えながらも、ハルティアと距離を取りながら対話する。
「わたしぃ、聞いちゃったんですぅ・・。たまたまなんですけどねっ?いつものワルゥーイお兄さんたちが・・デュオルク様をやっつけに行くってぇ・・」
「あぁ!?」
「やぁんっ、こわあい」
ディアナの言葉にわざとらしく耳を塞いでしゃがみこむハルティアだったが、デュオルクは距離を詰めずに話しかける。
「ハルティア、その情報はいつ仕入れたものなんだい?」
「ついさっきですよぉ。もぉそれを聞いたらハル、居ても立ってもいられなくなっちゃってぇ」
「・・君が召喚魔法を使えるってことは、聞いたことが無いんだけど」
デュオルクの言葉に「えへっ!」と笑顔でポーズを作ると、背中からロッドを取り出した。それはハルティアの背丈ほどもある長いもので、持ち手が7割を占めていた。所々節くれだったところがあり、残りの3割の部分は歪な丸が5つ重なったものがついていた。
そのうちの一つには小さい石のようなものがはめられており、歪な円形をしていた。鈍く輝くそれは偽物のガラスのようである。
「わたし、ずぅーっと・・ずぅーっとデュオルク様のお役に立ちたくってぇ・・魔法を練習してたんですっ!」
「なんだって?」
「初めてだったんでぇ、すっごく心配だったんです・・。でも、デュオルク様の助けになれたみたいで、ほんっとーに良かったですぅ」
デュオルクに向ける言葉に異様にハートを飛ばしながら、くねくね、モジモジとロッドを手でいじっている。初めて、しかもあの短時間にしては出来過ぎなぐらいの魔法陣に違和感を覚えるが、あの危機的状況を脱出出来たのはハルティアのおかげである。本人がどこまで3人の味方なのかは分からないが、とにかく今は距離を取って様子を見ることにした。
「ハルティア、ここはどこなんだい?」
「あっ、ここはぁ・・わたしの秘密の場所ですぅっ!」
「・・あー殴りたい、100発ぐらい殴っても文句言われないと思う」
「やぁーんもぉ、こわぁい」
大げさに怖がって見せるハルティアにディアナの顔に一瞬にして般若の形相になる。灯はそれを「まぁまぁ」となだめるが、睨みつけるのはやめようとはしなかった。
「なんであたしらの座標が分かったんだ」
「デュオルク様の事ならなんだって知ってますよぅ」
「そう。でも助かった、ありがとうハルティア」
若干引いたような顔をしながらもデュオルクが感謝すると、ぱああっと表情を明るくさせて再びくねくねとし始める。灯の隣で殺気立つディアナが恐ろしかったが、ハルティアがそれに気付く様子は無かった。灯は咄嗟にディアナの視界を遮るようにしてハルティアに話しかけた。
「あ、あの、さっき言ってた「本当だったのね」ってどういう意味なんですか?」
「んーとぉ。3日ぐらい前に門番から「転生者」の情報が入ってたのぉ。でもぉ、その人新人だったから全然信用されなくってぇ」
「なるほどな。それであたしらのこと張ってたってわけ?」
苛立たしげにそう言うと、腕組みをしてハルティアを睨んだ。「ホントこわぁい」と言いながらデュオルクをチラリと上目づかいで見上げるが、あまり良い顔をしていないのを見てくねくねするのをやめる。そこからは割と真面目な顔をして話し出す。
「そういうわけじゃないんだけどぉ・・。デュオルク様にもしものことがあったらぁ、ハル絶対嫌だなって思ってぇ・・」
「僕にその情報を教えてくれなかったのは、何か理由があってのことか?」
「デュオルク様たちのことって気付いたのは昨日なんですよぅ!本当ですよぉっ!信じてくださぁい」
目じりに涙を浮かべながらロッドを体の前で抱きしめる。どうしたものかとデュオルクを見てみると、困ったように眉を寄せて何かを考えているようであった。ハルティアの言葉の真意を考えているのだろうか、その表情は見方を変えれば憂いを帯びていてとてもカッコよく見える。
灯にそう見えるということはハルティアにはとてつもない大打撃だったに違いない、その目はハートになっていてすでにウットリとした表情をしている。そのタイミングを狙ってかデュオルクがハルティアに近づいた。
「ハルティア・・お願いだ、僕には本当の事を教えてくれないか」
「・・絶対内緒ですよぉ?あのぅ、元締めに「獣限定で教える事」って言われたんですぅ」
「獣限定だと?嘘くせぇな」
ディアナが呟くと一瞬ハルティアの顔が固まるが、大事な情報を教えてくれるかもしれない状況に灯は思わずその口を手でふさいだ。恨めしそうに灯に視線を向けてくるが、子供を諭すように小声で「だーめ」と言うとシュンとしたように肩を落とした。
「だとすると、今までに何人ぐらいの獣にその情報は教えられたんだい?」
「んー、20人にも言ってないですよぅ。私もこの情報に自信なかったからぁ・・」
「そうか。他には隠していることはないかい?」
「えっ・・?えっとぉ、それってぇ・・私のデュオルク様への気持ちとかって事ですかぁ・・?」
きゅるんと目を潤ませると、恥ずかしそうに目を伏せながらもじもじとロッドの先を触る。チラチラと上目遣いでデュオルクを見つめるが、何も言わず柔和な笑顔でそれに応える。10秒もしないうちに「キャッ、ハル恥ずかしぃっ!」と言って顔を隠すとそのままブンブンと左右に振る。
最早どうリアクションして良いものかと考えていると、不意にカサカサという音が響く。3人が辺りを警戒して見回していると、蹄のような音と共に木々の間から黒い塊が飛び出してきた。反射的にディアナは灯を庇うようにして前に出て剣を構え、デュオルクがそれをフォローできるような位置へ移動するとそこに居たのは街へ乗せて来てくれたヘルホースであった。
「ヘルホース?なんでここが・・」
「飛ばされてからおおよそ10分ぐらいか。ヘルホースの足でそれぐらいということは・・そう遠くには来ていないということになるな」
「むぅー。ねぇ、なんでヘルホースがここにいるわけぇ?」
「・・まさか。アカリの?」
その言葉に同意するかのように鼻を鳴らす。2m程の大きさの全身真っ黒のヘルホースは真っ直ぐに灯の傍に来ると服従の姿勢を見せる。
「えっ、でも綱に繋いであったはずじゃ」
首元を見てみると引きちぎられた綱がそこにはあった。その際に首元を傷つけたのか、若干出血が見られ思わず灯はそこへ手を伸ばす。ディアナが声を出すよりも先に血液に触れた瞬間、ジュッと嫌な音を立てて皮膚を火傷したようになってしまった。
「いたっ」
「アカリ、獣の血は触ってはいけない。ニンゲンには強すぎるんだ」
「でも首が・・」
「いいから、こいつらは自然治癒もニンゲンの何倍も速い。今はここに来てくれたことを感謝するだけで十分なんだ」
再び灯が首元に手を伸ばそうとするが、今度はヘルホースからそれを拒絶する。ツイと首を隠すようにして手元に顔を寄せる。頭を何度か撫でてやると満足げに鼻を鳴らした。
「うそぉ・・アカリに完全服従なのぉ・・?」
「最初の挨拶で、だ」
「うそだぁ・・!?」
信じられないものを見ているように目をパチクリとさせるハルティアに、ディアナはとても誇らしげに話す。そして灯が頭を撫でながら「ありがとう、本当に来てくれてありがとう」と声をかけるのを聞いて、今度は首を傾げた。
「・・今の言葉」
「え?」
「いえっ、なんでもないですぅ。それよりその子に乗ってもう少し遠くまで移動しませんかぁ?追手が来ても結界なんて高等呪文はまだ無理なんですけどぉ・・」
ディアナはすぐに灯を立たせると、ヘルホースの背中へ乗せる。続いて自分たちも乗れるように指示するよう言い、ディアナとデュオルクは灯の前後にまたがった。そして出発しようと綱を持った瞬間下の方でキャイキャイと何かを言われる。
「・・ハルティア、定員オーバーなんだが」
「私も乗せてくださいよおぅっ!助けてあげたんですからぁ、私のことも連れて行ってくださいよぉ!」
「あぁ?テメエは自分の魔法があるじゃねえか」
「3人も移動させたんですよぉ!?もう空っぽですってばぁ!アカリさぁ~ん、おねがぁ~い!」
ウルウルと目を潤ませて両手を組まれたら、断りようがなかった。灯は「もう一人、お願いしてもいいですか・・?」とヘルホースへ頼むと、勿論と言うかのように前足の膝を折る。そそくさと背中に乗り込むと、デュオルクの後ろへちゃっかりと座る。そして腰回りに手を回し「しゅっぱーつ!」と元気よく号令をかける。
「ハルティアさんは元気ですね」
「ったく、うるせぇだけだろコイツは」
「やぁん!デュオルクさまぁ、揺れがこわいですぅ」
「とりあえず隣の国の境目まで行こう。そこで今後の事を考えることにしようか」
こうして4人パーティとなって隣国の境目の街まで行くことになった。