4話
ディアナとデュオルクと過ごして2日が経った。その間にこの世界の事をいくつか教えてもらうことができ、灯自身に備わっていた新しい特技が判明した。それは「相手の言葉が分かる」という至極単純なものだったが、この世界にとってはそれぞれの国が喉から手が出るほど重要なものであるらしい。
ディアナに分けてもらった服に着替えて、浴衣を麻袋に片づける。昨日は何度も好奇の目にさらされることになったが、今日は街を出歩いてもさほど視線が気にならなくなった。買い物を終えると宿屋の一室に集まり、今後についての会議と言う名の雑談を始める。
「この国は5つに分かれている。それぞれに言葉が発達して、それぞれに使う文字が違う。これを統一出来るような人物が居るわけでもないから、お互いの国に興味がある奴同士でやりとりしてきたんだ」
「なる・・ほど。ディアナさん、私昨日よりも理解出来るワードが増えてるみたいです。おおよその意味は伝わるようになりました」
2日前に灯をパーティに招いてくれた二人は、女性同士ということでディアナと一緒に寝室を使うことになった。デュオルクの方が言葉が通じるため良かったが、そこは異性と言う問題があったためディアナが同室なのは自然なことであった。
最初は一方的にディアナの言う事を聞いていた灯だったが、灯の言葉がディアナに通じることのないもどかしさに口数が減っていく。とても気まずい空気になったところでデュオルクが部屋に入ってきた。
「何でこんな暗いんだよこの部屋」
「あのね、言葉通じないならしゃべってても意味ねぇだろ?」
「何言ってんだ?」
首を傾げるデュオルクに二人が変な顔をしていると、どうやら隣の部屋で寛いでいたら途中で灯がディアナの言葉をしゃべっているのを聞いたのだという。言葉を教えているものだと思って部屋に来たと続けるが、その言葉を聞いてはいなかった。
「おいアカリ、なんか言ってみろ」
「え、ええと・・ディアナさん、聞こえていますか」
「・・ディアナ、は聞こえた。あとは分からん」
今度は灯が二人にすごい勢いで問い詰められる。異口同音で「どうやったのか」と聞かれたものの、灯にも良く分からなかった。どうしゃべっても灯には「同じ音」で、「日本語」にしか聞こえないのだ。
「しゃべればしゃべるほど、理解出来るワードが増えていく。不思議なこともあるもんだな」
「そう・・なの?私には違いがよく分からないけど」
「アカリには違いがあまり良く分かっていないらしい。しゃべっている言葉は全く違うのにな」
その日は就寝することになったが、そこからは少しずつ灯の言葉がディアナに通じるようになっていった。ディアナが聞けるようになってのではなく、灯がしゃべれるようになっていったのが不思議であったが、今日も今日とてディアナがこの世界についてのことを教えてくれていた。
「・・あっ本当だ、人間の耳と獣の耳の人がいる」
「だろう。そこが獣人と人間の境界線ってわけだ。んであそこのでかい獣いるだろ」
宿の窓からこっそりと指をさした先に居たのは、クマのように2mはある大きな生き物である。四つ這いで当然のように歩いており灯は肝を冷やした。元の世界でこういう光景に馴染みがあるわけもなく、街中に獣がいるという異質な状況にディアナを振り返ると、灯が考えていたことが分かったのか首を振る。
「あれが獣だ。ヘルホースやなんかと違って、言葉を話して理解し、行動することが出来る。人間よりもパワーもスタミナも繁殖力も桁違いにあるから、あっという間にこの国を飲み込んでいったって話だ」
「じゃあ元々はこの国は人間側が統治していたってこと?」
「・・さぁな。昔話にあるだけで、本当の事はどうだか分かんないんだ。だけどあたしは「アカリみたいな人間」がこっちに迷い込んで、「人間の方が」少しずつ増えていったんじゃねえかって思ってんだけどな」
昨日の昼間に話していたことを思い出す。灯みたいな人間が過去に居るのか、という質問に「いるにはいるが、数える程度だ」と言っていた。そしてそれは記録に残っているのがそれだけという事で、本当はもっとたくさんいるのかもしれない、という話であった。
元の世界に戻れる手立ては無くは無さそうであったが、いかんせん文献が古く誰もそれを全文解読出来ていないらしい。
「そうなんだ・・。じゃあなるべく獣系の人には近づかない方がいいってこと?」
「んーまぁ、獣はニンゲンとは違う。獣人はニンゲンが混じってるけど、本能で動く部分は大きい。獣は知能なんかは高いが所詮は獣でしかない、とあたしは思ってる。ただこの国にとって、ニンゲンは替えの利く都合のいい奴隷に等しい。あまり大きな騒動を起こさない方が身の為だ」
「分かった。ディアナって、すごく親切だよね。本当にありがたいなって思う」
灯の言葉に「バッ!!」と言うと顔を真っ赤にする。ここ数日一緒に居て分かったことは、この世界について少しと、ディアナがとても親切だということであった。そしてとても照れ屋で、それを隠すように乱暴な言葉が出ているようであった。
まるで思春期の男児のような状態のディアナに、灯は元の世界の忍を思い出すことが多かった。懐かしさに思わず頬を緩ませると、気恥ずかしそうにツイとそっぽを向いてしまう。
「アカリは、母さんみたいな顔をするから少し困る」
「え?」
「あたしの母さんは、田舎の農村で細々と暮らしてる。2,3年に1回近くを通った時に帰るけど、その時と似てて、少し困る」
その言い方があまりにも子供らしくて、思わず涙が出てきてしまった。少し離れたところで聞いていたデュオルクも少し慌てたようにして声をかけてくる。二人とも灯がどうしてしまったのかと心配そうにしていたが、その行動すらも涙を流す原因になってしまう。
「ごめん、ごめんね・・。何でもないよ、何でもないから」
「本当か?母さんみたいって言ったのが悪かったのか?そんなに年食ってないもんな、ごめんアカリ」
「・・元の場所に、家族が居たのか」
デュオルクの言葉に一度頷くと、二人は納得したように声を漏らした。ディアナと同様にデュオルクも故郷に家族を残してきたのだろうか、灯が涙を拭いて視線を向けると気まずそうに横を向いた。
「私、元々いた場所に夫と子供が1人いたの。だからもう若くないよ、もう30のオバチャンだもん」
「・・30?ウソだろ、25だろ?」
「そんなに若く見えてた?ありがとう、ちょっと嬉しい」
二人は気まずそうな顔から一転して驚きの顔になる。元の場所では年相応に見られることが多かったが、ここでは若く見られていたようであった。そして愕然とした様子で頭に手を当てる。
「嘘だろ・・あたしよりも12も上かよ・・」
「俺より10も上か・・」
「ちょ、ちょっと待って、ディアナって18!?デュオルクは20!?」
二人の年齢を聞いて今度は灯が驚く番であった。どう見ても二人とも成人して数年は経っていそうな見た目であった。顔つきは幼さが全く残っておらず、体中の筋肉は逞しく鍛え上げられている。何よりもディアナの胸元は灯の2倍はありそうであった。
顎が外れるんじゃないかと思うぐらい驚いたところで、ディアナがクスクスと笑いだす。
「ックク、30だとは思わなかったけど、そんなリアクションされたらそうも見えなくはないな」
「そうだな。アカリは俺たちよりも年上か・・この国の教えの通りに、目上の者を敬わねばならんな」
「この国にはそういう決まりがあるの?」
灯の言葉に二人は頷いた。5つの国のうちこの国が一番目上の者に厳しい国らしく、それは年齢や見た目の鍛錬の度合いによって変わってくるようであった。だが鍛錬の度合いとは一体どういうことなのか、それを尋ねると「ああ、アカリは気にしなくていい」とそれだけを告げられる。
薄く笑われているのが気になるところだが、意識の端に留めるだけにする。そうしているうちに昼が近づき、灯はデュオルクと共に買い出しに行くことになった。ちなみに買い出しは二人で交代でしていたらしく、街の事を知るチャンスだと思い毎回灯はそれに同行していた。
最初は沈黙が多い買い出しだったが、灯が疑問に思うことを二人は嫌がらずに答えてくれる。そこから会話が少しずつ増え、ディアナとは言葉が通じるようになったこともありとても楽しく買い出しをしている。
「デュオルクは、この街に何度も来ているの?」
「ああ、まあ。ここは人も獣も往来が多いからな、情報を集めるには丁度いいんだ」
「ふうん・・情報って、そういう専門の人がいるの?」
「そうだな。情報屋もあるが店で噂を聞くこともある。詳しい奴がいる店を選んで行ってるからな」
そういえば割と寡黙だったデュオルクは、店の人に対してはかなりフレンドリーに接していた。それはその人から情報を得るためだったのかと納得する。たまに獣人の女性がべったりと尻尾をデュオルクに巻きつけながら話すこともあった。
その時は鋭い目で灯の事を睨みつけてくることもあり、最初はかなり困惑したが何度か訪れるうちに居ないものとして扱われるようになった。その時は店先の物を見ている事が多い。先ほど訪れた店でも日課のようにそれを行うと、今日並んでいたのはややグロテスクな魚のような顔だった。近くで喋っている人の会話に耳を傾けると煮つけにすると美味しいらしい。
「毎日聞きこんでるけど、そんなに情報ってすぐに集まるもの?」
「いや、普段から仲良くすることに意味があるからな。この街に居る間に有益な情報を知りたければ、情報屋と仲良くなるのが手っ取り早い。気に入ってもらえたら表に出しづらいネタも教えてくれるからな」
「なるほど。大変なんだね、情報を得るって」
灯の世界ではインターネットが普及していたため、分からないことはネットを繋げばすぐに検索することが出来た。この世界にはそういったシステムが無いのだろう、人と人とのコミュニティが大切なようであった。横の繋がりを大切にするなんて、いつぶりのことだろうか。
ネットなどの一切を使えなかった学生以来のワクワク感に、気分が高揚するのが分かった。その顔を見てデュオルクは首を傾げる。
「アンタの世界じゃ違うのか?」
「私のいた場所では、インターネットっていってね。世界中で繋がれるシステムがあったの。それを使えば分からない事だって、誰かが答えてくれるって場所もあるし。こうして人と人との見える繋がりってすごく久しぶりで」
「世界中で繋がれる?そんなのがあればここもちったあいい場所になるんだろうか・・」
遠い目をして呟くデュオルクだったが、灯は残念そうに首を振った。
「んーそうでもないかも。こうして世界中と繋がれる世の中になっても、悪い事をする人は絶えなかったよ。どんなに便利な世の中になっても、どこかで誰かがイケない事を考えるみたい」
「そうか・・アンタはそういうの、上手く使いこなせ無さそうだな」
「えっ!?」
突然の言葉に驚いていると、いたずらっ子のような顔をしてデュオルクは腕組みをしている。
「アンタみたいなのは、有益そうな情報に騙されて下手こくタイプだ」
「そ・・そんなことないよ!ちょっと化粧品とかで口コミで評価が良かったからって買って失敗したこととかはあるけど!」
「ほらな。アンタはそういうタイプの人間だ」
可笑しそうに笑うデュオルクに、知らないはずの部分を鋭く突っ込まれて思わず顔が赤くなる。そんなに分かりやすい顔をしていたのだろうか、灯は自分の顔を隠すように手で覆った。指の隙間から遠くの方から走ってくる人影を見つける。
デュオルクの顔がめんどくさそうな顔になるが、近づくにつれて徐々に人の好い顔に変わっていく。そしてその相手は豊かな2つの山を思い切り当てるようにして腕を組むと、嬉しそうな笑顔でデュオルクを見上げた。その角度のあざとさは目を見張るものがあった。
「あぁっ!デュオルクさまあ!」
「・・やあ。ハルティアは元気そうだね」
「はいっ!あっ・・あのぅ、そのお方は・・?」
半分ほどデュオルクの身体に隠れるようにしてこちらを覗き見るその人物は、灯と似たような身長であった。だが体のつくりは全く違い、出るところがバンと出て閉まるところはキュッと締まっていた。更に髪の毛は漫画のように登頂で一束くるりと丸まっており、常に潤んでいる瞳と唇がとても可愛らしかった。
ついでに隠れるようにしながらも2つの山を押し当てるのは忘れていなかった。
「ああ・・こちらは少し事情があって、しばらく一緒に行動することになったアカリだ。アカリ、この子はいつも行く食品店の一人娘さんで、ハルティアというんだ」
「初めまして、灯です。よろしくお願いします」
「そうだったんですねぇ、わたしハルティアっていいますっ。よろしくお願いしますねっ!」
弾けるような笑顔を見せてくれ、灯はとても嬉しくなる。なぜなら今まで挨拶をしても無視されるか、あまり色よい返事をされたことがないのだ。皆がデュオルクの隣をキープし、灯の事を敵としてしか見ないのが当たり前だった。
それと違った反応されるのが嬉しくて、思わず笑顔になる。すると恥ずかしそうな素振りで再びデュオルクの後ろへ隠れてしまった。
「ハルティア、隠れてばかりいてはいけないよ」
「はぁい・・デュオ、素敵な人だね。ハル、アカリと仲良くできそぉ」
「それは良かった。ハルティア、新しく入った情報はないかい?」
「あっ!あのねっ、わたしが聞いたところではぁ・・」
そこからは二人で楽しそうに話に花が咲いた。灯はいつものように少し離れたところでそれを横目で見ながら、話が終わるのを待つのだ。だが今日はいつもよりその待ち時間が楽しく感じる。きっとハルティアと知り合えたことで、気持ちが高揚しているのだ。
話が終わるといつもはデュオルク一人で戻ってくるが、今日はハルティアが後ろからチョコチョコと付いてきている。それすらも可愛らしく見えてニコニコと笑顔で合流すると、ハルティアがモジモジとしている。デュオルクにそっと背中を押されて灯の元まで来ると、内緒話をするように両手を耳元に寄せてくる。
灯もそっとそれに耳を寄せると、とても可愛らしい声が聞こえた。
「あのねっ、あのねっ・・あたしのデュオルクにちょっかい出したらタダじゃすませねぇからな?」
初めの「あのね」はデュオルクにも聞こえるような声の大きさだったが、その後はまるで灯にしか聞かせていないような小声であった。それはあまりに可愛らしい天使のような声で、後に続いた言葉はきっと空耳に違いない、そう思い顔を見てみると恐ろしく冷たい笑顔が作られていた。勿論それは背後にいる人物には見えていない。
灯が「あ、これダメなパターンのやつだ」と頭の中で結論を導き出した時には、すでに初めの可愛らしい表情に戻ってデュオルクに話しかけていた。頭を優しく撫でられているハルティアの頬は赤く染まり、とても可愛らしかった。
やはりさっきのは幻聴だったのだろう、そう思って手を振るハルティアに手を振り返してその場を後にした。