3話
街が近くに見えてくると徐々に速度を落としていく。そこでようやく男性から少し離れることが出来た。その頃には灯もヘルホースの独特な揺れに慣れてきて、舌を噛む回数はかなり減らすことが出来た。街の入り口には槍と盾を持った人が1人ずつ門の端に立っていた。
門はとても大きく、2mを超えるヘルホースが頭を下げずに入ることが出来るぐらいであった。もしかしたらもっと大きな生き物もいるのかもしれない。門兵に軽く会釈をして入るが、やはり灯の存在は異質なのだろう。驚いたような顔をして見送られてしまう。
くぐったそのすぐ裏にはたくさんの細長い支柱が立っており、下りてからそこにヘルホースを二頭とも繋ぐ。他にもたくさんのヘルホースがいたが、サイズや大きさは様々であった。色は黒しかおらず、灯たちが乗っていたのはかなり大きめのものだったようだ。
「わ、可愛い」
隣に繋いであったのは、ポニーのようなサイズのオレンジの毛色の生き物であった。人が乗れるような仕様になっているため馬のような部類なのだろうが、それにしてはかなり重たそうな飾りが付いていた。頭、背中、尾、足先に飾り付けられたそれらはギラギラと光っていて、吸い寄せられるように手を伸ばしかける。
「何をしている。こっちだ」
「へ?あ、すみません」
男性が灯の腕を取って街の中へ入っていく。背後で少し唸り声のようなものが聞こえたが、気にせずに進みながら少し怒ったように言った。
「勝手に所有物以外を触るんじゃない。どうなっても保障出来ないぞ」
「・・すみませんでした」
「アンジェホースは自分が決めた奴以外に触れられるのを極端に嫌う。腕ごと飲み込まれるぞ」
あの口の中に吸い込まれていく自分の腕を想像して、ブルリと悪寒が走った。そうこうしている間に街の門に着き、何か名刺のようなものを見せてから入っていく。それに続いて入ろうとしたところで首元に何かを突き付けられる。
「証明書はどうした」
「俺たちの召喚物だ、下してくれ」
「・・会長は今審査の場所に居る、すぐに伝えるように」
すぐに引っ込められたそれは、最初に女性に突き付けられたものと同様のものであった。長さは違ったが多分何かの仕掛けがあるのだろう。恐る恐る顔を向けると、すでに素知らぬ顔をして通る人を検閲していた。これが職務なのだから仕方がないのだろうが、日本では考えられないことである。
少し会釈をしてから通り過ぎると、再び腕をグイと掴まれる。余計な干渉をするな、と言われたような気がして少し悲しくなる。だがそれもすぐに吹き飛んでしまった。通路を抜けた先には広場のような場所があり、天井は無く陽の光がこれでもかと降り注いでいる。
そこには肌の色、髪の毛の色が様々な人や、人とも獣ともつかぬ者、獣そのもの、大きい者、小さい者、とても多種多様の者で溢れていた。威勢のいい大声も飛び交っており、出店があるのも見える。思わず足を止めるがすぐに背後に周っていた女性に背中を押される。
「止まらないで。アンタにはしてもらわないといけない手続きがあるんだから」
「す、すみません」
そのまま真っ直ぐ左へ進んでいくと、徐々に人通りが少なくなってくる。そのまま構わず進むと大きなテントが見えてきた。まるでサーカスが行われるような巨大なテントからはあまり音がしておらず、入り口には1人警備が立っているだけであった。
女性がその人に直接耳打ちをすると灯を一瞥し、すぐに中へ入れてくれる。二人の後に続いてテントに入ると、そこは大小様々な品物が所狭しと並べられていた。灯にとって見覚えのあるものもいくつかある。その中心には円が書かれており、昔漫画で読んだような魔法陣のようなものであった。
何人かその円の周りに居るうちの一人に女性が声をかけると、慌てたようにしてその人がこちらへ向かってくる。その男性は二人よりもかなり年を取っているようで、目元と口元に刻まれた皺はくっきりと濃かった。そして灯よりも少し身長が低く、垂れた犬の耳のようなものを頭につけている。今更特に驚く事ではないのかもしれないが、いわゆる獣人が目の前に居るという事実に頭に少しだけ残っていた「夢かもしれない」という気持ちが薄れていくのが分かった。
「この子?なんでコレ被ってるんだ?どしたん?脱いでみ?」
「ローブを脱ぐんだ」
「ハ、ハイ」
言われた通りにすると、先ほどまで感じていなかったチクチクとした肌の痛みを感じた。陽射しを受けている訳ではないはずなのに不思議に思っていると、手を取られる。表と裏をじっくり見られた後で指を数えられ、更にグーパーするように指示をされる。されるがままにしていると、納得しように「ウン」と言ってから灯の目を見る。
「来ちゃったね」
「へ?」
「・・やっぱりか、しまったな。向こうの時間軸を誤ったのか?このあたしがか?」
「ウーン。そうじゃないかな。これは。むしろこの子が?望んだ?とか?」
じっと3人に視線を投げられるが、望むも何も無い。むしろどこをどう望めばこのような事態になるというのだろうか。
「私の望みは、元の場所へ帰ることです」
「困ったね。それは困ったね。でも言葉分かるんだ。あ、召喚物持ってきた?提出して?」
「遅くなりました、これです」
男性が布団一式を手渡すと、途端に目がキラキラと輝きだす。灯にはただの布団にしか見えないのだが、そんなに良いものなのだろうか。床に下ろすといそいそと整え始める。それを黙って見守る2人に倣って灯も見ていると「すんばらしっ!」と言ってバフンと布団に寝転がる。だが何故か掛布団の上に転がる姿を見て、首を傾げる。
枕はしっかりと頭の下に当てているところからすると、仕組みは分かっているようだ。ころころと布団の上を転がると、胸元から小さな手帳を取り出す。それに無心に何かを書き込むと起き上がった。
「ふぅ、これね、いいね。うん、いいよ。すごくいい。僕はこれ推すよ。これすごくいい」
「ありがとうございます」
「うん、いいよ、いい」
満足げにしている3人だったが、灯にはどういう意味化はさっぱり分からなかった。すると犬耳の男性は「ああ、そうだ、そうだった」と灯の方を向く。
「君、君ね。うん、君の処遇は追々考えるけど、戻るのは無理だよ」
「えっ」
「んじゃね。あ、君名前あるの?あるよね、ニンゲンっぽいし」
灯の方を指差して言う。どうやら人間と獣人は区別されているらしいが、どこで見分けているのかは定かではなかった。
「私は、灯と言います。あなたのお名前もお聞きしてもいいですか?」
「え、僕?僕の事知らないわけ?ああ、外の人だもんね。僕はアーシュリン」
「アーシュリンさんですね、よろしくお願いします」
頭を下げると驚いたように目を開いた。それまで一度も閉じられた所を見たことのない口が閉じ、しばらく灯の事を値踏みするように上から下まで眺める。最初よりも視線に嫌味が無かったが、緊張はしてしまう。
「アカリ、アカリね。分かった、結果は後日」
「夕方また来ます、失礼します」
アーシュリンに3人で一礼してからその場を去る。テントから出ると同時に女性が振り返り、不思議な顔をして灯を見た。
「アンタ、アーシュリンさん見て何も思わなかったわけ?」
「えーとそれは耳の事ですか?」
「見ただけで分かるだろ?半獣だ。よくあんな口が利けたもんだな」
女性の言葉を図りかねていると、男性がフォローするように言う。
「ここじゃ人間より獣人の方が位が高い。あの人は半獣だけど、それでも人間よりよっぽどマシな扱い受けてる」
「そうなんですか・・それじゃあ私から名前を聞いたのは、あまり好ましくなかったかもしれないですね」
「コイツ何て言ってる?・・ああ、そーいうこと。多分くそったれな結果にしかならないだろうけど、あっちが返事を出すのを待つしかない」
女性は諦めたような口ぶりであった。先ほどアーシュリンが言ったように、本当に戻るのが不可能とでも言うかのようでとても悲しくなる。こちらの方にもう用事は無いようで、先ほど賑わっていた場所へ戻り始める。
2人に懸命についていくが、灯は身長がそれほど高くない。それに比べて男性は190はあるような大きさで、女性も男性とさほど変わらない。ということは必然的に歩幅が違ってくるわけで、2人が早足で歩くスピードは灯にとっては小走りに近いものがあった。
人ごみをスルスルと抜けるように進んでいく後姿を懸命に追いかけたが、ついに見失ってしまった。
「・・どうしよう、ここで待った方がいいのかな」
周りにはすっかり人や獣人が溢れていて、しかもそのほとんどは身長が高かった。この世界には身長の低い人たちは存在しないような気がしてくるが、先ほどのアーシュリンは灯よりも身長が低かった。きっと高い人たちが目立っているだけで、低い人も居るはずだと考えていると突然腕を掴まれる。
「俺の店の前で何してやがるコイツ、さっさとどきな」
「えっ、はい、ごめんなさいすぐどきます」
「ったくニンゲンのくせによ・・」
ブツブツと文句を言いながら、全身毛皮に覆われた獣人に乱暴に人ごみの中へ突っ込まれると、そのまま腕を離される。必然的に流れに飲み込まれることになったのだが、チラリと振り返ると灯を掴んでいた手をまるで汚い者でも触ったかのようにタオルで拭いていた。
自分が居た世界にもあったように、種の差別というものがここにもあるらしい。どこの世界にもあるものだ、などと考えていると再び腕を掴まれた。今度は掴んだ相手が灯を手元へ引き寄せる。
「どこに居たんだ、はぐれるな!」
「ご、ごめんなさい。皆さん大きい方ばかりなので、走ったんですけど間に合わなくて」
「・・気をつけろ。ディアナが向こうで待ってる、行くぞ」
どうやら男性は灯の事を探してくれていたようである。顔には焦ったような表情が浮かんでいて、少し考えてから灯の手を繋いで歩き出した。今度こそはぐれないように意気込み、歩幅を合わせてついていくがやはり途中で小刻みになっていき早足になった。
すると途中で男性が振り返り、自分と灯の足元を交互に見やる。それでようやく気付いたらしい。
「そうか、気が付かなかった」
「大丈夫です。私こう見えて持久走とか頑張れる派ですから」
「・・持久走?どうでもいいから今度こそはぐれるな」
先ほどよりもややゆったりとした歩きで10分ほど歩くと、そこにディアナが待っていた。壁に背を預けて苛々したように片足をタンタンと小刻みに動かしている。艶やかな青色のロングヘアーが胸元を隠しているが、隠しきれない2つの山がとても魅力的に揺れている。
思わず自分の胸元を確認してしまうが、あそこまで魅力的には見えなかった。灯たちに気付くと「遅い!!」と言いながらズカズカと近づいてくる。
「何してたんだよ」
「いえ、特に何をしていたとかってわけじゃないんですけど・・」
「あーうるさいな、言い訳してんじゃねえよ!」
言葉が通じない分、言い訳に聞こえてしまったのだろう。苛々したように頭を掻くと、綺麗な髪が乱暴に踊った。
「ごめんなさい・・」
「悪かったって言ってる。ディアナ、結果が出るまでどうするつもりだ」
「・・どうするつもりなんだろうな。このまま人屋に売ってもいいけど」
「えっ売られるんですか!?」
思わず身体を強張らせる。だがディアナは言葉に反して顔がにやついており「びびってやがんな」と嬉しそうにしていた。
「ディアナ。この先2人分の宿しか取れてない」
「いいじゃねーか、お前とコイツが一緒に寝れば」
「・・ディアナ」
低く唸るような声で名前を呼ばれ「ハイハイ堅物だなー」と言いながらも、目が泳いでいた。
「あの、出来ればご一緒したいです。結果が出るまでで構わないので、出来れば・・お願いします」
どうやら風向きがあまりよく無さそうなことに気付き、頭を下げる。すると2人は顔を見合わせると「はぁー」とため息をついてから灯の頭をグイと上に向かせる。
「あたしはディアナ。コイツはデュオルク」
「結果はすぐ出るだろうが、それまではディアナに教わるといい」
「・・は?何言ってんだよ」
どうやら灯の残留が決定したらしい。この世界でも人にモノを頼むときには、頭を下げるのが鉄板なようである。二人は今後の宿などについて口論を繰り返しているが、灯は「頼ってもいい」と言われたような安心感でいっぱいであった。
宿へ戻ると、早速ディアナが自身の服の予備を渡してくる。受け取りを躊躇っていると、無理やり手の上に置かれる。
「アンタの服、こっちじゃ浮きまくりだから。後でサイズ合うやつ探すから、今はそれで我慢しな」
「ありがとうございます」
頭を下げると気まずそうに顔を背ける。頭を下げられることに慣れていない様子であったが、どうやら言葉は通じなくても思っていることは伝わっているようだ。