病室
<登場人物>
クレメンス・・・15歳。初級魔術師。
ニコラス・・・13歳。初級魔術師。王弟。ゼルストラン公。
レクラス・・・64歳。師範魔術師。クレメンスの師匠。
レイラ・・・71歳。師範魔術師。ニコラスの師匠。レクラスの姉。
部屋の中はしんと静まりかえっていた。
鎮静効果のある香のかおりが漂っている。
レイラが帳をあけると、ベッドに横たわるニコラスの姿が見えた。
ニコラスの顔は青白く、目はくぼみ、頬は落ち込んでいた。
赤々とした唇も、今は青黒くカサカサだ。
あまりの変わりように、クレメンスは息がとまりそうになった。
「公子。お気に入りのクレメンスが来てくれたぞえ」
レイラはニコラスの肩を軽く叩きながら、優しく声をかける。
ニコラスはゆっくりと目を開けると視線を動かし、クレメンスの顔を見つけると、ふっと嬉しそうに口元を緩めたが、すぐに何かに気がついたように顔がこわばった。
「クレちゃん。試験は?」
ニコラスは浅い息で喘ぎながら、かすれた声を出した。
「終わった」
クレメンは視線を落とし、つぶやくように言う。
ニコラスはホッとしたように表情を緩めた。
「結果は?」
ニコラスの問いにクレメンスは無言で視線を逸らす。
「教えて……」
「元気になれば、すぐ分かるだろ?」
クレメンスはそう言うと笑った。
「余は、もう長くはない」
ニコラスはまつ毛を揺らし、ポツリと呟いた。
「なに言ってんだ」
クレメンスは力づけるように、ニコラスの手をギュッとにぎる。
「もう、ダメなのだ」
ニコラスは力なく息を吐く。
「なにがダメなんだよ。もうとっくに病は癒えてるはずだって、先生がおっしゃってたぞ。お前なら、その気になれば、こんな病気、吹き飛ばせるだろ? お前の一族は遺伝的に頑丈だって言ったのは、お前じゃないか」
クレメンスはそう言いながら、元気づけるようにニコラスの手を両手で握った。
ニコラスは、クレメンスのまなざしから逃れるように、視線を天井へと移した。
「存在してはならないのだ」
「はぁ?」
ニコラスの言葉に訳がわからず、クレメンスは首をかしげた。
「余は、生まれてきてはならなかったのだ」
ニコラスは顔をゆがめ、目を閉じた。
「なに言ってんだ。生まれてきちゃいけない人間なんて、居るわけがないだろ」
クレメンスの言葉に、ニコラスは目を開けたが、その瞳は何も映していないようにうつろだった。
「それは非現実的な理想論だ。単なる夢物語にすぎない」
浅く苦しそうな息をしながらも、ニコラスはポツリポツリと話し続ける。
「現実には、存在してはならない人間がいるのだ。それが、余だ。余は生まれてきてはならなかった。余は罪の子。母の犯した過ちの産物。この世に存在してはならない」
天井を見つめるニコラスの灰色の瞳が揺れた。
「ニコ。一体何があったんだ?」
クレメンスは問いかけたが、ニコラスは悲しそうに目を伏せただけだった。
「ニコ。話してはくれないのか。私はお前にっとってその程度の存在だったのか……」
クレメンスはニコラスの手をすっと離した。
「クレちゃん……」
ニコラスは驚いた様子でクレメンスの方に顔をむけた。
「私はお前を親友だと思っていた。しかし、どうやらそれは、私の勘違いだったようだ。残念だよ、ニコラス」
クレメンスは「フッ」と嗤って、ニコラスから顔を背けた。
「クレちゃん、違う……」
ニコラスは手を伸ばし、喘ぐように呟く。
「気休めの言葉など、必要ない。私は失うことに慣れている。友を失うことぐらい、なんてことはない」
クレメンスは自虐的な笑みを浮かべながら、拒絶するような口調で言った。
「嘘だ。それは本心ではないはずだ」
ニコラスは病に伏せっている者とは思えないくらい強い声をだす。
「本心ではない? 貴様に私の本心などわかるはずはない。全てを奪われた者の何がわかるというのだ? 貴様のような恵まれた者に、真の孤独が分かってたまるか」
クレメンスはニコラスを見下ろしながら、吐き捨てた。
「余は恵まれてなどいない。何も知らぬくせに偉そうな口をたたくでない」
ニコラスは負けじとクレメンスを睨みつける。
「ああ、知らないよ。知る価値もない。母親に疎まれている? それが何だ。生きているだけで充分だ。たとえ嫌われていたとしても、会いたければ会うことができる。その姿を見、声をきくことができる。私は家族を、親しい者たちをすべて失った。もう二度と会うことはできない。姿を見ることすら叶わない」
クレメンスの頬を涙が伝う。
「いくら叫んでも届かない。いくら謝っても届かないんだ。なぜ私はだけ生きているんだ? なぜあの時一緒に死んでしまうことができなかったんだ? あの時死ぬことができたら、こんな苦しみは味わわなくてすんだはずだ」
両手をきつく握りしめ、クレメンスは歯を食いしばるようにして身体を震わせた。
ニコラスは、まるで言葉を忘れてしまったかのように、涙を流すクレメンスの姿をじっと見つめていた。
「余は……。余は、父上の息子ではない。不義の子なのだ」
しばらく経ってから、ニコラスは絞り出すような声を出した。
クレメンスはハッとしたように、ニコラスを見る。
「母上が、なぜ余を疎んじていたのか、やっと氷解した。余の姿を見ると、なぜあのようにご病気が悪化されるのか、ようやっと腑に落ちた。この髪も瞳も、父上のそれではない。実の父親のものなのだ。母上は余の姿を見るたびに、己が犯した罪を目の当たりにするのだ。疎まれて当然だ。余は生まれてきてはならなかった。この世に存在してはならぬのだ」
ニコラスは、浅く苦しい呼吸を繰り返しながらも、語り続けた。
「クレちゃん。そなたが友達になってくれて嬉しかった。親友。そう呼んでくれて、余は、余は……」
「ニコ……」
クレメンスは手を伸ばすニコラスの手を掴んだ。
ニコラスは弱々しく、クレメンスの手を握る。
「ありがとう、クレちゃん。そなたと会うことができて、余は幸せだった。余の分まで、生きてくれ。そなたなら、必ずや師範に……」
「止めろ、ニコ」
クレメンスはニコラスの言葉を遮るように叫んだ。
「そんなこと言うな。聞きたくない。認めない。お前が死ぬなんて、私は絶対に認めない」
「クレちゃん……」
「母の犯した過ちの産物? 不義の子だ? それがどうした。お前のせいじゃないだろ。お前の犯した罪じゃない。他人の罪のために、なんでお前が死ななければならないんだ。お前が誰の子であろうと、そんなことはどうでもいい。私はお前が王弟だから、ゼルストラン公だから友達になったわけじゃない。お前がどこの誰だろうと関係ない。お前がお前だからこそ、友達になったんだ。レイラ先生だってそうだ。先生は身分などお気になさる方ではないことは、お前自身が一番よくわかっているはずだ」
ニコラスの瞳をじっと見つめながら、クレメンスは力説したが、ニコラスは硬い表情を崩さなかった。
「なぁ、ニコ。これ以上私を悲しませないでくれ。もう二度とあんな苦しみを味わいたくないんだ。二度と親しい者を失いたくない。お願いだ、ニコ。私のために生きてくれ」
クレメンスはニコラスの手を力強く握る。
しかし、ニコラスは無言で、背けるように視線を天井に移した。
「ニコ。どっちが先に師範になるか競争だって言ったのは、お前じゃないか。競争相手がいなくなったら、私はどうすればいいんだ。他の奴じゃダメなんだ。お前以上のライバルはいないんだ」
ニコラスは身じろぎもせず、無言で天井を見つめているだけだった。
クレメンスは両手でニコラスの手を握り、懇願するように額をあてた。
「お願いだ、ニコ。死ぬなんて言わないでくれ。元気になるって、そう言ってくれ。お前がいないなんて、私は耐えられない」
ニコラスの目尻に涙が光る。
クレメンスは肩を震わせ、苦しそうに吐息を洩らした。
「ニコ。死ぬな。生きていてくれ。お前を苦しめてしまうのは分かっている。だが、どうしてもダメなんだ。お前がいないと、私はダメなんだ。どうにかなってしまいそうなんだ。お願いだ。私のために生きてくれ」
ニコラスは両の目から涙を溢れさせていたが、天井を見つめたまま、微動だにしなかった。
「クレメンス。ニコラス様はお疲れじゃ。そろそろお暇をしよう」
いつの間にかクレメンスの後ろに立っていたレクラスが、クレメンスの肩に手をおいた。
クレメンスは無言で深くうなずくと、傍らに佇んでいたレイラに軽く会釈した。
そして、もう一度ニコラスをみる。
変わらないニコラスの姿に、哀しそうにため息をつくと、レクラスに従って病室を出た。