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剣雄綺譚  作者: 田崎 将司
剣士マーシャと怪盗
93/138

 レン新市街の西側には、いまだ開発の手が入らぬ山林が残されている。

 いく筋かの細い道が走ってはいるが、それを利用する旅人は少ない。わずかな民家と申し訳程度の農地があるのみで、大部分は獣と鳥が支配する土地だ。

 地元の人間が猟や材木の切り出しのために分け入るほかは、この森に人が立ち入ることはほとんどない。

 時刻は夜半過ぎ。

 普段なら、この時間このあたりから聞こえてくる物音といえば、野犬の唸り声や梟のさえずり、そして風が木々を揺らすざわめきくらいのものである。しかし、この日に限っては、通常あり得ない異質な物音が間断なく響き渡っている。

 金属と金属がぶつかり合う音――それは、剣劇の声であった。

 地元の人間が木を切り出した跡にできた広場のような空間で、黒づくめの装束に身をまとった三人の男と、同じく黒装束に身を包んだ女性が、月明りの下対峙している。双方を隔てる距離は、十五歩ほどか。

 男たちは、互いに目配せしたかと思うと、ぱっと三方向に散った。


「しぃッ!!」


 男の一人が、右手を鋭く振りぬいた。指の間に挟んだ投げナイフを、合計三本。一瞬の早業で投擲されたナイフは、糸を引いたように女性の胸元に迫った。

 同時に、女性の足元に縄状の物体が蛇のように襲いかかる。先端に錘のついた鉄鎖――鎖分銅などと呼ばれる暗器の一種だ。

 上半身と下半身を同時に狙う連携攻撃。上下に注意が分散されるため、回避が難しい。加えて、暗夜である。


「……甘い」


 甲高い音を立てて、三本のナイフはすべて叩き落された。同時に、女性の右足は、鎖分銅の先端の錘を地面に踏みつけている。

 と、女性はくるりと反転した。振り向きざま、目にもとまらぬ速さで左足を振り上げる。女性の右足は、彼女の首筋めがけて飛んできた物体を、狙いたがわず蹴り飛ばした。三日月の形状をした薄手の刃――それは、三人目の男が投げ放ったものだ。

 前方から放たれる二人の攻撃に目を引かせ、弧の軌跡を描いて飛翔する刃で背後を衝く。二段構えの奇襲攻撃であったが、その女性――パメラ・オクリーヴには通用しなかった。


「ッ!」


 三人は、間髪入れず一気にパメラとの間合いを詰める。遠距離攻撃ではらちが明かぬと、近接戦に持ち込む腹なのだろう。

 しかし、そのうちの一人――パメラの正面から走り寄ろうとした男が、どうしたわけかもんどりうって地面を転がった。

 男が自らの右足を見やる。そこには、細手の縄が絡みついていた。


「縄!? いつの間に――」


 先ほどの攻防の間、パメラは回避の動作に紛れさせて、輪状に結んだ縄による罠を設置していたのである。男たちは、誰一人としてそのパメラの動きに気付いていなかった。

 残りの二人の足が、一瞬止まった。と同時に、周囲に白煙が立ち込める。煙は、あっという間に周囲を覆いつくした。


「煙幕!?」


 状況的に見て、その煙はパメラが煙玉などの道具を用いて巻き起こしたもののはずだ。しかし男たちはいつ、どうやってパメラがそれを用いたのか――その動作を見抜くことができなかった。

 動揺する男たちは、パメラの気配が掻き消えていることに気づくまで、数秒の時間を要した。慌てて周囲を探るが、時すでに遅し。


「ぅ……」


 一人目が、白目をむいて倒れ伏す。間をおかず、二人目。どちらも、背後に忍び寄ったパメラの気配を感じることすらできないままに昏倒させられてしまったのだ。

 それを認めた三人目は、とっさに太い木の幹を背にした。左右の手にナイフを構え、パメラの襲撃に備える。


(どこだ――どこへ行った)


 注意深く左右を見渡す男であったが、パメラの気配は依然知れぬままである。視界は煙幕によって塞がれ、どこから敵が襲いかかってくるかわからぬ状況――心理的重圧が、男にのしかかる。パメラが煙幕を焚いてから、わずか数秒しか経過していない。しかし、男にとっては、その時間が何十倍にも感じられただろう。

 不意に、男の前方の茂みがざわついた。


「ッ!!」


 反射的に、男の身体が反応した。右のナイフを鋭く投げ放つ。しかし、ナイフは茂みを揺らすのみ。


「――終わりです。降参しなさい」


 男の頭上から、冷たい声が響く。そして、男の首には鋭い切れ味を持つ鋼糸が巻き付いていた。

 男が背にした立ち木、その樹上にパメラが潜んでいたことなど、男は最後の最後まで気づけなかったのであった。


「ま、参った……」


 男が負けを認めると、パメラは鋼糸を緩めた。木の枝から音もなく地面に降り立つと、昏倒させた二人に活を入れる。二人はうめき声を上げつつ、息を吹き返した。


「あ、ありがとうございました、パメラ様」


 そう言って、三人の男は片膝をついてパメラにこうべを垂れた。

 実のところこの三人の男、オクリーヴ家に連なる家系に育った若者たちである。

 オクリーヴの一族郎党は、普段はフォーサイス家の所領・エージルの山間にある、トーガという村で暮らしている。オクリーヴの者たちは、フォーサイス家に仕える密偵となるべく、この山村で日々厳しい修行を積んでいるのだ。

 オクリーヴの人間は、男女を問わず幼少時から密偵としての技能を仕込まれる。そして、十九歳までに一定の技量を身に着けることができた者が、晴れて密偵としてフォーサイス家に取り立てられることになる。途中で落伍してしまった者は、農夫や牛飼いなどの生産職に就き、ただの村人として残りの人生を歩むことになるのだ。

 今夜パメラと戦ったのは、この年新たに密偵として認められ、レンのフォーサイス邸に配属された者たちである。

 経験に乏しい彼らを鍛えるため、先達の密偵たちを相手とする実践訓練が定期的に行われているのだが――この夜の相手がパメラだったというわけだ。


「ゴードン、あなたの投げナイフは狙いこそ正確ですが、ただ正確なだけの投擲は一定以上の技量を持つ者には通じません。複数のナイフを同時に投げる場合、一本一本の速度を微妙に変えるなどの工夫が必要です」


 膝をつく三人に対し、パメラはその戦い方の欠点を指摘していく。


「トマス、武器を放つときに大きく息を吸い込むのは悪い癖です」


 行動を起こさんとするとき、人は自然と呼吸が大きくなる。しかし、それは戦闘者として直さねばならないことなのだ。


「鍛えられた武術家ともなれば、相手の呼吸からその動きを読むことができます。ことを起こす際に呼吸が乱れれば、今から攻撃を仕掛けますと相手に教えているも同じ」


 普段は口数少ないパメラではあるが、この時ばかりはずばずばと若者たちに指摘を行う。


「はっ……肝に銘じます」

「アーノルド――いえ、三人全員に言えることですが――暗器というものは、相手にその存在を気取られた時点で役に立たぬと思いなさい。奇襲には有効ですが、武器自体の威力、汎用性でいえば、武術家たちが用いる剣や槍などには到底敵わないのが暗器というものです。正面切って戦った場合、あなたたち程度の暗器遣いが鍛えこまれた武術家に勝てる可能性は極めて低いと心得なさい。動作をいかに隠すか、相手をいかに騙すか、日ごろの訓練――いや、日々の暮らしにおいてもそれを意識することが肝要です」


 トーガの村での修行を耐え抜いてきただけあって、この三人の実力は決して低くない。生半な武術家ならば、複数人を敵に回しても引けは取らないとパメラは見ている。しかし、相手はまだ若輩であるから、増長せぬようパメラも厳しい言葉を選ぶ。


「そして、最後になりますが――戦いの最中においても、周囲への警戒は怠らぬよう」


 そう言うと、パメラは視線も動かさず自らの右方に向かってナイフを投げ放った。こんもりとした茂みを貫いたナイフは、甲高い音を立てて弾かれ、宙を舞った。ということは、何者かが茂みに隠れ潜んでいるということだ。


「何者ぞ!」


 三人が腰を浮かせ、臨戦態勢に入る。しかしパメラは右手を挙げ、三人を制した。


「落ち着きなさい、三人とも――お戻りでしたか、父上」


 果たして、茂みをかき分け姿を現したのは、オクリーヴ家頭領・サディアスであった。


「頭領!? いつからそこに――」

「そうだな、アーノルドが縄に足を取られたあたりからか。気づいていたのはパメラだけのようであったが」


 パメラが小さく頷く。


「父上にその気があったなら、あなたたちをそれぞれ三回ずつは殺す機会があったでしょう」

「その通りだ。いかに戦闘中といえど、全方向に注意を払えるようにならねば要人の警護は務まらぬぞ」


 これには、三人も返す言葉がない。自信を喪失したようで、みな一様にがっくりと肩を落としてしまった。しかし、相手は一族の頭であるサディアスと、一族始まって以来の天才と言われるパメラであるから、若輩の三人にとっては相手が悪かったと言わなくてはなるまい。


「しかし父上、いつお戻りになったのですか」

「つい先ほど――夕刻あたりか。珍しくパメラが訓練の相手を務めていると聞いて、見物しに来たのだ」


 ここ十数日いうもの、サディアスはほとんどフォーサイス邸を留守にしていた。なにかの調査のため方々を飛び回っているらしいということはパメラも承知していたが、その目的については詳しく知らされていない。

 ミネルヴァ専属の護衛であるパメラと違い、サディアスは四六時中ギルバートに付き従っているわけではない。情報収集こそが密偵本来の任務であるから、主の命に従ってシーラント国内津々浦々へ、時には大陸の国にまで足を延ばすこともある。

 しかし、前年にギルバートが大臣職を辞してからは、サディアスが情報収集に出る機会は減った。十日以上もの時間を費やして調査をするというのは、ここ一年なかったことである。

 サディアスがなんの調査をしているのか、パメラとしてもまったく気にならないわけではなかったが、父の任務は父の任務、自分の任務は自分の任務だ。サディアスのほうから明かされぬかぎり、それは自分には関係ないこととしてミネルヴァの護衛任務に務めるのみ。そうパメラは考える。


「さて、私は先に屋敷に戻ります」


 パメラとしては、本来ひと時たりともミネルヴァの傍を離れたくないのだ。しかし、後進の育成というのもオクリーヴ家の人間としての義務であることも承知している。訓練が終わったのだから、一刻も早くミネルヴァのもとに帰らせてくれと言いうのが本音だろう。

 パメラの気持ちは、その足取りに現れていた。風のような速さで、その場を走り去ってしまった。


「……お嬢さんは凄まじいな。あれだけ急いでいる様子なのに、足音一つ聞こえやしない」


 半ば呆れた表情で、トマスが溢した。


「お前たちも、自らの未熟さが身に染みたであろう。しかし――パメラの奴は、あれでもまだまだ本気を出しておらぬぞ」

「頭領、それは本当ですか」


 サディアスが首肯する。

 パメラが本気を出せば、罠や煙幕などの搦め手を用いずとも、三人を圧倒することができたはずなのだ。わざわざ小細工を用いたのは、「敵に悟られずに隠し武器や仕掛けを用いる」ということの手本を見せるためであった。


「三人とも、精進することだ。我々のような非才の身が天才に近づくには、努力を重ねるしかない」


 アーノルドの肩を叩きつつ、サディアスが諭す。


「それにしても、あれほどの力を持ちながら、ただの護衛に留まっているとは――いえ、過ぎた発言でした」


 護衛も確かに重要な仕事であるが、パメラがその力を存分に発揮すれば、フォーサイス家にとってより多くの利益をもたらす働きができるはず――ゴードンが言わんとしたのはそんなところだろう。しかしそれは、若輩者が口を挟むべきことではない。ゴードンが、サディアスに自らの失言を詫びた。


「構わぬよ。そう考えるのも当然のことだからな。実を言えば、私を含む一族の多くの者も同じことを考えている。しかし、パメラ本人がミネルヴァ様の護衛役を頑として譲らぬし、なによりギルバート様も本人に無理強いするなと仰っているからな」


 家柄や血筋に囚われず、自らの生きる道は自らの意志で決めるべきだ――ギルバートはかつて、サディアスにそう語っている。

 シーラント貴族としては、かなり風変わりな考えである。ギルバートがこのような考えを持つに至ったのも、若かりし頃先王フェリックスから受けた薫陶の賜物なのだが――このことは、また別の機会に語られよう。

 オクリーヴ家の人間にとって、フォーサイス家当主ギルバートの言葉は絶対である。なので、パメラはミネルヴァ専属の立場を貫くことができるのだ。

 しかし、サディアスにも疑問に思うことはある。なぜパメラがそこまでミネルヴァの護衛役に固執するのか、ということだ。

 たしかにミネルヴァは忠義を捧げるにふさわしい人物だ。立派な志と高潔な精神を持つ、フォーサイス家の名に恥じぬ娘である。

 ただ、それを考慮に入れても、パメラのミネルヴァに対する思い入れは異常であるように思えるのだ。

 主に忠義を尽くすことは、無論咎められることではない。なのでサディアスも、無理に娘の本心を聞き出そうとは思わない。しかしひとつだけ、任務に入れ込むあまり、縁談を持ち掛けてもまったく興味を示さないというのが父親としては心配なところだ。


(すでに、行き遅れと呼ばれても仕方のない歳になってしまったのだがなぁ……)


 サディアスは嘆息するのだった。

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