五
フォーサイス家が、古くから現王家・エインズワース家に仕えてきた譜代であることは、幾度となく述べられてきた。
その勇猛果敢な戦いぶりでもって、エインズワース家に数々の勝利をもたらしたフォーサイス家は、同じく武勇で知られるフラムスティード家とともに「エインズワースの両翼」と喩えられる。
太平の世の今もなお、フォーサイス家が武門の頂点に立つ存在として民に認識されているのも、歴史的にみてしごく自然なことであろう。
先王・フェリックスの改革により国軍が編成され、それと同時に「国軍省」が設立されたとき、その長たる大臣職に当時のフォーサイス家当主――ギルバートの父、クリストファーである――が推挙されたのもまた、必然の流れだったといえよう。
ギルバートがフォーサイス家当主の座に就いたとき、国軍大臣の職もほとんど自動的に彼に継承されることになった。これに異論を挟む者はいなかったし、当のギルバートもそのことについて深く考えたりはしなかったのだが――国軍省の内情を知るにつれ、世襲で大臣職を受け継いだことに疑問を感じるようになる。
軍隊というのは金食い虫だ。兵士たちに支払う俸給のほかに、装備・設備にかかる予算もばかにならぬ。また、有事の際に用いる糧食の備蓄は定期的に新しいものに取り換えなければならない。銃や大砲に使う炸薬にしても同様だ。
たとえば軍馬の飼葉の納入一つとっても、膨大な額の金が動く。そうなると、飼葉を取り扱う商人と軍との間を取り持って、うまい汁を吸おうとする者が必ず現れる。
「自分は国軍の高級官僚のなにがしと懇意にしている。自分に袖の下を渡せば、来期の飼葉納入業者を選定する際に口をきいてやる」
――こんなふうに商人に持ち掛け、金品を要求するのだ。
国軍省の官僚自身が直接関わる場合はさらに根が深い。帳簿を改ざんし、納入された物資の数量を水増しするというのもひとつの手口だ。本当は八十の分量しか納入されていないのに、書類上は百の分量が納入されたことにする。業者には八十ぶんの対価しか支払わぬため、二十ぶんの経費が宙に浮く。その差額を、業者と官僚が分け合う仕組みだ。
上に挙げたのはあくまでもほんの一例にすぎぬ。軍に費やされる国家予算に群がり、あらゆる手段を用いて少しでもそのおこぼれに預かろうとする――そんな人間は後を絶たない。
国軍大臣であった間、ギルバートは軍の利権がらみの汚職事件をいやというほど目にしてきた。そして、自身に汚職を持ち掛けられたことも数知れぬ――彼がそれを全て跳ね除け、相手を厳しく処断したのは言うを待たない。
膨大な予算を任される国軍大臣という職にかかる責任は重大である。そんな重大なお役目を、世襲というかたちで引き継いだのは正しかったのか――それが、ギルバートの感じた疑問である。
ギルバートが大臣に就任したとき、国軍省の内部にはすでに「フォーサイス派」とでも呼ぶべき派閥が形成されていた。権力あるフォーサイス家のもとに寄り集まろうとするのは、人として当然の性である。また、クリストファーが、フォーサイス家の剛毅な気風を受け継ぐ魅力的な人物であったということもあろう。
ギルバートにとって、このフォーサイス派の存在は好ましいものではなかった。フォーサイス家の権勢と信奉者の数を頼みに国軍省の採決を行うというのが、どうしても公正なこととは思えなかったのである。ゆえにギルバートは、大臣就任以来、少しでもフォーサイス派の国軍への影響力を減らそうと努力してきた。
しかし、それもあまり芳しい成果は得られなかった。一度出来上がってしまった派閥の力を削ぐというのは、公爵自身にとっても簡単なことではなかったのだ。また、彼が父同様――いや、それ以上に魅力あふれる人物であったのも災いした。大臣として正しく職務を全うしようとするだけで、自然と彼の周りに人が集まってくるのである。
そんなギルバート・フォーサイスであるから、大臣職を辞したのちも、ことあるごとに国軍省に呼び出され、意見を求められるという現在の状況もこころよく思ってはいない。
しかし、怪盗「影法師」の暗躍と、警備部の苦難を聞き及んでしまっては、そうも言ってはいられぬ。
この日公爵は、警備部の人員の増強を進言するため、王城内の国軍省本部に赴いている。
「警備部隊員たちの疲弊も著しいと聞く。このままでは王都の治安が悪化する恐れがある。本来、引退した身が口を挟むべきではないのだが――警備部の増員の件、早急に決めてもらいたいのだ」
会議室に集まった十人ほどの軍幹部たち相手に、公爵は警備部の窮状を訴えた。
居合わせた幹部たちのうち、数人はすぐに異論なしと公爵に賛同する。
しかし、ひとりの男が立ち上がって口を開いた。
「私は反対ですぞ、フォーサイス公」
男の名を、ウォルター・エヴァンスという。
年齢は五十過ぎ、禿頭に鷲鼻、神経質そうな細い目をした痩身の男だ。
ライサ島リンカムに所領を持つ伯爵であるエヴァンスは、現在療養中の大臣マードックの筆頭補佐の任に就いている。これは、国軍省内でも五指に入る地位である。
列席する幹部たちの何人かが、「また始まった」とでも言いたげに肩を竦めた。
エヴァンスが公爵の意見に噛みつくのは、恒例のことなのだ。
「エヴァンス殿、理由をお聞かせ願いたい」
会議の進行役が、エヴァンスに尋ねる。
「現在、大陸の諸国においても、わが国同様の警察機構を創設しようという動きがあるのはご存知ですかな、フォーサイス殿」
公爵が首肯する。
王都警備部の活躍によってレンの治安が向上したのは、諸外国の首脳も知るところだ。そこで、シーラントに倣い、警備部同様の組織を創ろうとしている国も少なくないらしい。
「しかし、その国々と比べても、わが警備部には破格ともいえる人員と予算が割り振られておるのです。たとえば、レンと同等の規模を持つ、ラダ国の都・グラバンナの場合、その人員はわが国のわずか三分の一であるとか。皆さん、これがどういうことかおわかりか」
エヴァンスはいったん言葉を切り、会議に列席している幹部たちを見回す。
「――此度の怪盗の暗躍を許しているのは、ひとえに警備部の怠慢にほかならぬ、そういうことです」
口調は沈着そのものであるが、エヴァンスの言葉には隠し切れぬ怒気がこもっている。
「しかしエヴァンス殿、怪盗は捕らえねばならぬし、かといってほかの犯罪者たちを見逃すというわけにもいくまい。現実問題として、現在わが国の王都警備部には人員が足りぬのだ」
公爵の言葉に、エヴァンスは即座に反論する。
「私はそうは思いませぬな。千人もの隊員を擁しながら、こそ泥ひとつ捕らえられぬことに問題がある。人員の増強よりも、捜査体制の見直しと組織運用の効率化が先決ではありませぬか」
エヴァンスは公爵を相手に、一歩も意見を譲らぬ。
エヴァンスは、公爵の大臣引退後急速に力を伸ばしつつある派閥の長である。エヴァンス派とでも呼ぶべきこの一派は、フォーサイス派への対抗姿勢を明確に打ち出しており、公爵およびフォーサイス派の幹部たちとはことあるごとに対立しているのだ。
「加えて申し上げるならば――現在わが国には、警備部に回せるだけの余剰な戦力はござりませぬ。それはご列席の皆さま方もご承知のはず」
現在シーラント王国軍では、とある演習が計画されている。それは、シーラム島に配備されている戦力のおよそ五分の一を動員する、きわめて大規模なものだ。
その演習の内容とは、王都レンからシーラム島の北の端までを走破する行軍訓練である。予定期間はひと月以上に及ぶ。
長距離行軍の過酷さを知らぬ兵士は、実戦では使い物にならぬと言われる。用兵で一番重要なのは、いかに速やかに兵を動せるかということだ。敵に先んじて布陣し、より有利な位置関係を作り出すことが肝要である。
装備と食料・水を背負い、風雨に晒されながら行軍する――それがいかに辛いことであるかは、実際に経験してみないとわからないだろう。日常的な訓練の中では、決して体験しえぬものだ。
なので王国軍では、兵士たちに定期的に実戦を想定した行軍訓練を課している。ただ、今回行われているものは、その中でも特に規模の大きなものだ。普段はばらばらに任務に就いている部隊が、いざ有事というときに烏合の衆とならぬためには、こうした大規模な合同演習で連携をとる必要があるのだ。
この演習の開始は三日後に迫っている。そのため、各地に駐屯する王国軍の守備隊には、現在必要最低限の人員しか残されていないのである。
長い期間と多大な予算を費やして準備されてきた演習であるから、これを今さら中止するというわけにもいかない。
「しかしエヴァンス殿、まさかいまどこかの国がシーラントに攻め入ろうということなど、万に一つもありますまい。百や二百、警備部に動かしても差しさわりはなかろう」
会議の列席者の一人がそう言った。フォーサイス派に属する男だ。
目下のところ、シーラントと諸外国との関係はおおむね良好だ。加えて、大陸とシーラントとを隔てるラージェス海は冬場時化やすいため、攻め入るには不向きな時期である。
「その油断が命取りになることもありますぞ――その万分の一以下の可能性に備えることこそが、常備軍の役目。これは、フォーサイス公が常々仰っていることでもありますな」
エヴァンスの言に、列席する者たちは反論するすべを持たなかった。
公爵は眉根を寄せて考える。
エヴァンスの主張も、あながち間違っているとはいえない。
そして、豊富な予算を割り振られているいことで、警備部に対するやっかみが軍内部に生まれているという事実もある。
ここで公爵が無理にエヴァンスを説得したのなら、警備部の軍における立場が悪くなることも考えられる。
「……わかった。卿の言うことももっともだ」
と、公爵はこの場ではいったん折れることにした。エヴァンスの口の端が、わずかに上がる。
「しかし、警備部の隊員たちは日夜身を粉にして働いてくれている。そのことだけは覚えておいてもらいたい」
言い置くと公爵は席を立ち、会議室を辞した。
派閥の長としての力を振るい、採決を強行することは不可能ではない。しかし、それは公爵の本意とするところではなかった。
議論というものは、様々な立場の人間が様々な視点から意見を出し合うことで意味を持ってくる。エヴァンス派が勢力を伸長させつつある現状は、フォーサイス派一強だったころに比べれば、いくぶんか健全な状況であるといえるだろう。
(政治というのはつくづく難しいものだ。先王陛下のような才覚が、わしにもあったならばなぁ)
大きく嘆息するギルバートであった。
警備部長ジェフ・アークランドは、王城内の執務室で渋面を浮かべつつ書類とにらめっこをしているところであった。
その書類とは、れいの「影法師」に関して各分隊から上げられた報告書である。内容はほとんどが「進展なし」だ。アークランドの眉間の皺が、より一層深くなる。
と、執務室の扉が叩かれる。
「何か」
「はっ……それが、部長殿に面会者と申しますか……」
扉の外の副官の声には、明らかな困惑の色が混じる。
どうせ、いけすかない上司が「影法師」の捜査の進捗について、嫌味を言いに来たのだろう――そう考えたアークランドは、ぶっきらぼうに入室を許可した。
しかし、扉を開いて入ってきた人物を認めるや、アークランドは弾かれたように椅子から立ち上がり、直立不動の姿勢をとった。
「ふ、フォーサイス閣下⁉ こ、これは、大変なご無礼を……」
「いや、そうかしこまるな。わしは今や隠居同然の身だ。どうか楽にしてくれ」
公爵が、アークランドに着席を促す。しかし、アークランドはその姿勢を崩さぬ。公爵は、その髭面に苦笑を浮かべつつ、アークランドに歩み寄る。
「此度の怪盗騒ぎで警備部の者たちが大変な思いをしていること、わしも聞き及んでおる。警備部の臨時増員について、直談判しにきたのだが……どうにもうまくいかなかった。済まぬ」
「いえ、もったいないお言葉にございます。すべてはこの私めの力不足が招いたこと。部下に責はございませぬ。まさか、閣下のお手を煩わせることになろうとは……痛恨の極みにございます」
アークランドは、部下と接するときとは打って変わったような殊勝な態度を示す。しかし公爵は、こちらがアークランドの本当の姿であることを知っている。
そもそも、アークランドを警備部長の席に据えたのがこのギルバート・フォーサイスなのだ。
都市の治安を守る警備部の重要性は、公爵も十分に承知するところであった。そのため、アークランドの前任者が退任する際は、当時大臣であった公爵自ら後任の人材選定に加わっていたのである。過去の実績のみならず、その人格まで詳しく精査したうえで選ばれたのがこのアークランドだった。
(この男のことだ……自ら嫌われ者となって、部下たちの不満を和らげているのだろう)
考える公爵であったが、あえてそれを口に出すような野暮はしない。
「わかった。しかし、わしにもできる限りのことはさせてもらう。よいな」
公爵はアークランドの肩を強く叩くと、執務室を辞した。
翌日。王都警備分の各分隊の詰め所に、アークランド名義による豪勢な食料の差し入れが届けられた。しかしその差し入れの出所がギルバート・フォーサイスであるという事実は、アークランドと公爵しか預かり知らぬことであった。




