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剣雄綺譚  作者: 田崎 将司
剣士マーシャと怪盗
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「聞いたか、また出たってよ」

「出た、ってなんの話だい」

「あれだよ、あれ。怪盗さ」

「へぇ。この前は、ラング街の穀物商だったけな。今度はどこのどいつが狙われたんだい」

「そいつは俺も詳しくは知らねぇんだが……新市街にある、貴族のお屋敷らしい。溜め込んでた金貨やら宝石やらが、ごっそりと持っていかれたとか」

「もう八件目だったか?」

「いや、九件目さ」

「へえ。しかし、名の知れた金持ちばかりが狙われてるんだろう? その怪盗とやらは、どんだけ稼いだんだろうな」

「そりゃあ、俺たちが聞いたら腰を抜かすくらいの金額だろうぜ」

「羨ましいねぇ。少しは俺たちにも回してほしいもんだ」


 王都レンでは、依然厳しい寒さが続いている。

 マーシャ・グレンヴィルが、「魔剣」にまつわる事件を解決して四日ほどが経った晩のことである。

 港町であるレンの冬の味覚といえば、やはり魚だ。魚というのは、冬の低い水温から身を護るため、皮の下に脂を蓄えると言われる。この季節、レン近海で水揚げされた新鮮な魚は、塩をふって焼いただけでも大層なご馳走となる。

 マーシャ馴染みの酒場、「銀の角兜亭」でも、訪れる客たちの多くが魚料理を注文している。店内には魚の焼ける匂いが充満し、窓から漏れるその匂いに釣られて集まった近所の野良猫たちが、もの欲しそうな眼で店内を見つめていた。

 アイニッキ・ウェンライトと連れ立って「銀の角兜亭」を訪れたマーシャの目当ても、魚料理だ。この日の店主のお勧めは、半身の白身魚に香草をまぶし、豪快に炙り焼きにしたものだった。調理に若干の時間がかかるというので、マーシャとアイはピクルスや燻製肉を肴に、杯を傾けていた。

 聞くともなしにほかの常連客たちの会話を聞くふたりであったが、酔漢たちの話題を独占しているのは、最近王都を荒らしまわっているという「怪盗」の噂である。


「怪盗、にござるか。われわれとは縁のない話にござるが」


 亡師ケヴィンの墓参りから帰還したばかりのアイである。ミネルヴァ・フォーサイスとパメラ・オクリーヴはというと、フォーサイス家の所領からまだ帰っておらぬ。


「それはそうだな」


 マーシャも小金は溜め込んでいるけれども、その大半は両替商に預けてある。もっとも、自宅に金を保管していたとて、富豪ばかりを狙うという怪盗がわざわざ狙いをつけるほどの金額ではない。


「ただ、フォーサイス家のお屋敷が狙われる可能性はないとはいえないが……まあ、あそこに入ろうとする命知らずな泥棒などいないだろう」


 ミネルヴァの生家・フォーサイス家は、俗に「七大公爵家」と呼ばれる、シーラントでも有数の大貴族である。

 質素倹約を旨とし、領民の暮らしが第一と考えるフォーサイス家であるから、同格の貴族たちに比べてその資産は多いとはいえない。しかし、それでもフォーサイス家が大金持ちであることには違いない。

 ただ、フォーサイス家は武門の頂点に立つ存在であり、その家臣たちはみな武術の心得のある者ばかりだ。そして、貴族の屋敷に忍び入ったとなれば、その場で斬り捨てられたとて文句は言えぬ。フォーサイス家の財産を狙おうとするのなら、相応の覚悟が必要だろう。


「しかし先生、噂を聞く限り、その怪盗とやらは相当できる(・・・)連中のように思えるでござる。いかにフォーサイス家の家臣が精強とて、手に負えないかもしれぬ」


 綺麗な手口――あの「魔剣」騒動の折、警備部隊員シェイン・アボットは、この賊の手口をそう評した。

 件の怪盗は、まるで影のように音もなく狙いの家屋に忍び込み、金品を奪ったのちはまた音もなく去っていくという。家人にまったく気取られることなく犯行を終えたこともあり、賊が押し入ってから数日経って蔵を改めた際、ようやく盗みに気付いたという事件もあったらしい。

 また、警備の人間に見咎められそうになったこともあるのだが、その場合、警備の人間は声を上げて応援を呼ぶ暇もなく、昏倒させられているのだとか。

 盗賊としては、かなり高い手腕を持っていると言っていい。

 強引に目当ての家に押し入って、家人を皆殺しにしたうえで金品を奪うような盗賊も、シーラントには存在する。しかし、犯行の難易度という点でいえば、言うところの「綺麗な手口」のほうが格段に難しい。

 アイが心配するのも、無理からぬことである。


「その心配は無用だよ、アイ。あそこには普通の家臣たちのほかに、オクリーヴの郎党が常に目を光らせているからな」


 オクリーヴ家は、代々フォーサイス家に仕える密偵の家系だ。一族に生まれた者はみな、幼少時から厳しい訓練を積んでおり、優れた隠形の術と高い戦闘力とを併せ持つ。

 密偵とは言っても、その役割は時代の変化によって変わりつつある。かつての戦乱期には、暗殺などの汚れ仕事にも手を染めたというオクリーヴ家だが、天下泰平の世ではその手の荒事を行う機会は減った。代わりに与えられた任務の一つが、フォーサイス家の人間の身辺警護である。


「オクリーヴ家――やはり、みなパメラのごときつわものなのでござろうか」

「オクリーヴ家の中でもパメラは特別だよ。サディアス殿――パメラの父でオクリーヴ家の頭領だ――いわく、一族始まって以来の天才なのだとか。しかし、オクリーヴ家の人間が、とびきりの腕利き揃いなのは確かだ」

「なるほど。ならば安心にござるな」

「うむ。ただ、心配なのはコーネリアス殿と、警備部の隊員たちだな」


 「魔剣」に操られた際、左手を骨折したコーネリアスだが、一日休んだだけですぐに現場に復帰したとか。

 暗躍する怪盗に対し、警備部は、レン全域を対象として各分隊合同での捜査網を敷いているという。

 から早急に怪盗を逮捕するようせっつかれ、隊員たちはみなほとんど休みも取らずに捜査に当たっている――マーシャは、道端で出くわしたシェインにそう聞いている。元気者であるシェインも、このときは顔色悪く、声にも張りがなかった。

 上層部からは、怪盗の捕縛を最優先にと命令されてはいるが、かといって他に取り締まるべき犯罪者を見逃していいというわけではない。怪盗の探索に加え、通常の業務もこなさなければならないのだから、いまの警備部はまさに激務というよりほかない。


「コーネリアス殿……それがしがファーガス・ドレイク殺しのかどで捕縛されたとき、尽力いただいたお方にござるな。早いことその怪盗とやらが捕まればよいのでござるが」

「ああ。いまのところ証拠らしい証拠は残していないとの話だが、いかんせん人間のやることだ。これ以上犯行を重ねるなら、どこかでぼろ(・・)を出すはずだ。あとは隊員の働きに期待するしかないな」


 と、そこで給仕のデューイ・カミン少年が、大皿に盛られた魚の炙り焼きを運んできた。


「先生、お待ちどうさまです!」


 魚の皮が焦げる香ばしい香りに、アイが思わず腹を鳴らす。

 怪盗の話題はそこで終わり、二人は取り留めない会話をしつつ、酒食を楽しむのだった。




 それから十日ほども経ったころのことだ。

 舞台はレン新市街にある、とある豪邸に移る。この家の持ち主はランドルフといって、シーラント有数の豪商として知られる。

 ランドルフの本業は陶磁器の卸売りであるが、その財産のほとんどは金、銀の相場で築いたものであるという。

 「怪盗」が王都を騒がせている最中である。レンに暮らす多くの富豪たち同様、このランドルフの邸宅でも私兵が雇い入れられ、邸内の警戒に当たっているところであった。その数二十名に及ぶ。みな腕自慢で鳴らす者たちだ。

 草木も眠る真夜中。

 足音も立てずこの屋敷に忍び寄る、複数の人影があった。

 屋敷の塀に沿って巡回する番兵たちの死角を突き、塀にロープをかけると、驚くべき身の軽さでひとり、またひとりと、高い塀を乗り越えていく。

 誰にも気取られず、屋敷の庭に侵入した者たちの数は、十名。全員が男である。黒装束に覆面――この男たちが件の「怪盗」であることは、言うを待たぬ。手信号・・・で無言のうちに意思疎通を行いつつ、屋敷に近づいた。

 と、一人の両腕が閃いた。眼にも留まらぬ早業で、二本の投げナイフを放ったのだ。どさり、と何かが倒れる音がふたつ。男の投擲したナイフは、庭に放されていた二匹の番犬の眉間に、それぞれ命中した。番犬は、唸り声一つ上げることなく絶命している。

 そこへ、ランプを手にした二人組みの足音が近づく。庭を警邏する傭兵だ。

 賊たちは素早く目配せすると、気配を絶った。闇に溶け込むような黒装束も相まって、男たちの「存在感」は完全に消えた。

 二人の傭兵が男たちの側を通り過ぎるが、その存在に気付いた様子はまるでない。しかしそのとき、不意に強い風が傭兵たちの真正面から吹き付けた。思わず顔を背けた傭兵の片割れの目線が、ちょうど賊のひとりに合わさった。

「むっ、なんだ――」

 傭兵の言葉は、そこで途切れる。素早く傭兵の背後をとった賊のひとりが、その首筋を打って昏倒せしめたのである。いまひとりの傭兵も同様に、なすすべなくその場に倒れ付す。

 賊の一団は、屋敷の蔵の手前までにたどり着く。蔵の前には篝火が焚かれ、そこでも二人の傭兵が不寝番をしている。

 賊のうちのふたりが、筒状のものを取り出した。筒の端を口に当てると、ふたりほぼ同時にふっと鋭く呼気を送り込む。蔵の番人たちは首筋を抑えたかと思うと、その場に膝から崩れ落ちた。眠り薬か痺れ薬か――即効性の薬物を塗りつけた、吹き矢によるものだ。

 賊のひとりが、蔵の錠前に取り付く。懐中から鉤状に折れ曲がった数本の針金を取り出すと、慣れた手つきで錠前に差し込む。程なくして、蔵の扉は開錠された。

 賊たちが、蔵に忍び込もうとしたそのときである。闇を切り裂いて飛来した一本の剣が、蔵の扉に突き刺さった。


「出あえ! 曲者ぞ!」


 屋敷から走り出た男が、大音声で叫ぶ。

 ランドルフ邸のなかに、賊の気配に気付いた人間がいたのだ。抜き身の剣を手に現れたその男は、長身痩躯。細い眼から放たれる眼光は、尋常の者のそれではない。

 名を、ギネス・バイロンという。

 かつて、真剣での賭け試合に出たマーシャと対戦した男である。そのバイロンが、賊の前に立ちふさがった。


「なかなかの手並みだ。しかし、俺が雇われた屋敷に押し入るとは不運だったな」


 バイロンが、悠然と歩を進める。

 邸内からは、蔵に向かって殺到する傭兵たちの足音が響く。


「おとなしく縛につくか――さもなくば、ここで俺の剣の錆となるか。好きなほうを選ぶがいい」


 眉一つ動かさず、バイロンが言い放った。

 賊たちの選択は素早かった。すなわち、バイロンに背を向けると、一斉に走り出したのである。


「逃がさぬ!」


 追いすがろうとするバイロン――が、賊のひとりが足を止めて反転し、バイロンと対峙した。


「いい度胸だ」


 バイロンが、にやりと笑った。


 ――おそらくは、こやつが頭目格か。


 その賊が身に纏う空気から、バイロンが推測する。ここでバイロンを足止めし、仲間が逃げる時間を稼ぐつもりなのだろう。

 賊の両手が、素早く振りぬかれた。投げナイフによる奇襲――心臓、頚部を正確に狙ったナイフは、バイロンの剣によってあっさりと打ち落とされる。

 と、不意にバイロンが、何もないように見える空間を剣で切り払った。ごく細い糸状のものが、はらりと地面に落ちる。


「鋼糸――面白い。暗器遣いとやる(・・)のは、久方ぶりよ」


 賊が放ったナイフは囮。ナイフに注意をひきつけておいてからの、鋭い切れ味を持つ鋼糸による攻撃が、賊の本命であった。しかしそれは、バイロンによって看破された。


 ――だが、この男、思った以上に遣える(・・・)。残りの者どもを追うのは難しかもしれぬ。


 バイロンは、己と対峙する賊の実力を高く評した。いかなバイロンとて、一息に勝負をつけられる相手ではないようだ。

 じりじりと前進するバイロンに対し、賊は同じだけ後退する。そうしている間にも、賊の仲間たちは屋敷の塀を乗り越え、夜の闇へ消えようとしている。

 ようやく、邸内から傭兵たちが駆けつけてきた。傭兵の一人が手にしたランプによって、賊の姿が照らし出される。

 覆面をしているため、詳しい面体は判別できない。しかし一つだけ、きわめて特徴的な部分がバイロンの目に映る。その左目が、酷い傷跡によって完全にふさがれているのだ。男は隻眼であった。


「ちッ!!」


 賊は、完全に包囲されつつあった。舌打ちし、賊は懐中から拳ほどの大きさの球状の物体を取り出す。上手投げで、バイロンの顔面目がけて鋭く投げつけた。


「むッ!」


 バイロンは剣を薙ぎ、球を切り払った。途端、辺りが灰色の煙に包まれる。


「煙幕かッ!!」


 さしものバイロンも、一瞬の怯みをみせる。その隙に、賊はバイロンの視界から掻き消えていた。

 気配を探ろうと試みるバイロンだが、煙に巻かれて混乱する傭兵たちが大騒ぎするせいで、それもままならぬ。


「逃がした、か――まあ、金蔵は護ったのだから、依頼人も文句はなかろう」


 大きく嘆息し、バイロンは剣を納めるのだった。


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