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剣雄綺譚  作者: 田崎 将司
剣士マーシャと魔剣
83/138

 翌々日。

 雪のあとは、二日続けての晴天であった。この時期にしては気温も高く、降り注ぐ陽光は人々をうんざりさせていた雪をみるみる溶かしていく。

 夕刻になって、

「今日は出かけられそうだな」

 と、マーシャが向かったのは、実に六日日ぶりの「銀の角兜亭」であった。

 日陰にはまだ積雪が残っているものの、人の行き来の多い道の雪はすっかり溶け切っている。マーシャにとって誤算だったのは、そこかしこに雪解け水でできた大きな水溜りがあったことだ。おかげで、店に着くまでにマーシャの長靴はすっかり泥まみれになってしまった。

「先生、いらっしゃい!」

 給仕のデューイ少年が、威勢よくマーシャを迎える。

 店内は閑散としている。いつもならば、多くの酔客たちでにぎわっているはずの時間にもかかわらず、である。

 三日も雪が降り続けたせいで、王都の人やものの流れは滞ってしまっていた。多くの職業の人間は、その影響で溜まりに溜まった仕事をこなすのにおおわらわで、酒場に寄る余裕もないのだろう。

(今日は静かに、ゆっくりと酒を楽しむとしよう)

 そう考えるマーシャであったが、思惑通りにはいかないのが世の常というやつだ。

 夜もどっぷりと更け、マーシャが四杯目の酒を注文しようとしたときである。徐々に客の姿も増え始め、いつもほどではないにせよ酒場は活気を取り戻しつつあった。

 不意に、一人の男が乱暴にドアを開け、「銀の角兜亭」に駆け込んできた。この酒場の常連で、蹄鉄打ちのハリーという。

「たッ、大変だ! とんでもねぇ事件が起きたぜ! 殺しだ!」

 と、一気にまくし立てたのである。

「そいつは本当か、ハリー」

「殺しって……いったいどこの誰が殺されたってんだ」

「おい、早く話してくれよ」

 常連たちは、矢継ぎ早に質問を投げかける。が、ハリーはというと、ここまで駆けてきたものとみえ、すっかり息が上がってしまっていた。気を利かせたデューイが水を一杯運んでやると、ハリーはそれを一気に飲み干す。

「はぁ、はぁ……それが、バックスとバックスのかみさんなんだ、殺されたのは」

「バックス!? それは本当か」

 バックスとは、つい二日前に会ったばかりである。さしものマーシャも驚きを隠せない。

「本島だとも、先生。バックスの店の周りじゃ、野次馬が集まって大騒ぎだ」

「いつのことなのだ」

「ついさっき、って話だぜ」

「もっと詳しく聞かせてくれぬか」

「いや、俺もよくは知らねぇんだ。ただ、かなり酷い殺られ方をしたってことは確かだ。床を伝った血が、店の外まで流れ出して血だまり(・・・・)を作ってた、って近所の連中が話してたからな」

「なんと惨い……」

 押し込み強盗によるものであろうか。バックスの店は、構えこそ小さいものの、かなりの金を溜め込んでいるという噂だ。悪党に目をつけられていたとしてもおかしくはない。

 マーシャは、活力にあふれた在りし日のバックスの姿を思い出す。さほど親しい仲でもなかったが、知り合いの訃報を聞いて、マーシャはすっかり酒を飲む気をなくしてしまった。勘定を済ませて店を出る。

 一旦はバックスの店のほうに足が向向いたマーシャであったが、しばし悩んだすえ結局踵を返した。

 今頃、バックスの店では警備部による検分が行われているはずだ。野次馬が増えれば、警備部の邪魔になってしまう。

(それにしても、殺しとは……この界隈では、ダイアー殿のあの(・・)事件以来になるか)

 通り魔によってクレイグ・ダイアーが殺害されたのが、春のことだ。マーシャの暮らすこのロータス街では、それ以降殺人事件は起きていなかった。ほかの区域と比べ、殺人の発生率はかなり低いといえる。

 実のところこのロータス街では、物騒な事件というのはかなり少ない。レイ・コーネリアス率いる警備部第五分隊の努力もあるだろう。しかし、マーシャ・グレンヴィルという存在が、犯罪を抑止している面が大きい。

 ヴァート・フェイロン少年を救ってからというもの、マーシャは飲み帰りに大きく遠回りして桜蓮荘に向かうようにしている。同じように救える命があるかもしれないと考えたからだ。

 マーシャの目の届く範囲で悪さをしようという人間は、ロータス街には存在しないと言っていい。そんなマーシャが夜回りをするのだから、犯罪も減るというものである。

(街のみんなも不安がるだろう。少しでも安心させることができればいいのだが)

 と、ロータス街をほとんど一周するようにして家路につくマーシャであった。


 続く三日間、街は殺人事件の話題で持ちきりであった。それは、「銀の角兜亭」でも同様だ。

 皆、出所の知れぬ怪しい噂話を持ち寄っては、ああでもない、こうでもないと事件の真相について議論を交わしている。

 マーシャとて、事件について興味を持っている。カウンターの指定席に腰掛けながら、遠巻きに喧々諤々の議論に耳を傾けていた。

 そんな中、一人の男が「銀の角兜亭」のドアを開いた。

「おっ、シェインの坊主じゃねぇか」

「いいところに来たな。なんか進展はあったかい」

 と、たちまち常連客たちに取り囲まれてしまった。

 男の名は、シェイン・アボットという。今年二十三歳になるというシェインは、警備部第五分隊所属の兵士である。ということは、バックス夫妻殺しの捜査にかかわっているということだ。彼はこのロータス街に生まれ育った人間で、酒場の常連たちもみな、幼いころからの顔見知りである。

「ちょっと、みんな落ち着いてくれ――今、話すから」

 常連たちに促されるようにテーブルのひとつについたシェインは、陶器のタンブラーに注がれたビールを半分ほど飲み干すと口を開いた。

「結論から言うと、今回の事件――無理心中ということで決着がつきそうだ」

「心中? そりゃあ本当か」

「ああ。厳密には心中って言葉は正しくないかもしれないが。警備部としては、バックスの旦那がかみさんを殺し、そのあと自殺した――これは、ほぼ間違いないとみてるぜ」

「シェイン、今日は随分口が軽いな。いつもは規則だなんだともったいぶって捜査のことは喋らないくせによ」

「捜査の情報をぺらぺら喋っちゃいけないって規則があるのは本当さ。しかし、うちの大将・・――コーネリアス隊長が、住民の皆さんが不安がっているだろう、と仰ってな。俺もおおっぴらに話せるってわけだ」

「しかしシェインの坊主、特にバックスのかみさんはそれは酷ぇ殺られかただった、って話じゃねぇか。なんでも、胴体がほとんど真っ二つにされてたってよ」

 そのことは、マーシャも聞き及んでいる。バックスの妻を殺めた刃は、左の二の腕あたりからバックスの妻の身体に食い込み、左腕もろとも胴体のほとんどを切断した。胴体は皮一枚で辛うじて繋がっているような状態だったとか。一方バックスは、首筋の急所にできた傷が死因だったという。

「ああ。あのバックスのおやじに、そんな真似が可能なのか」

「まったくだ。先生みてぇな剣の達人、ってなら話はわかるがなぁ」

 常連たちの疑問はもっともである。

(いや、私でも胴体の切断というのは難しいであろう……)

 マーシャが、心中でひとりごちた。秘密部隊「蜃気楼」で数多の人命を奪ったマーシャである。切り落とした腕や足は数知れないが、胴体の切断など挑戦したこともない。

 胴体の切断――これは、いくら技術があっても容易いことではない。得物の切れ味と、なにより刃を振るう者の膂力が必要となってくる。

 また、抵抗を試みる人間を斬るというのは、格段に難易度が上がる。死罪になった罪人の身体を使った試し斬りで胴体の切断に成功した武術家は多いけれども、その武術家が生きた人間を真っ二つにできるとは限らぬ。

 バックスという男は、確かに精力的ではあったけれども、体力的にはさほど優れてはいなかったはずだ。

「まあ、俺も疑問ではあるんだが……逆上した人間ってのは、とんでもない力を出すらしいからな」

「逆上? どういうこった」

「事件が起きた夜、バックスの旦那はおかみさんとかなり激しく言い争っていたらしいのさ。近所の人たちがみな証言してる」

「へえ、珍しいこともあるもんだな」

 バックスは、いわゆる恐妻家であった。妻と接するときのバックスは、商いをするときとうって変わって気弱な姿を見せていた。妻と口論するなど、普通では考えられぬことだ。

「バックスの旦那の交友関係を調べてみたんだが――あの旦那、レンダー街に愛人おんなを囲っていたんだと」

 一同が、意外そうな顔を見せた。

「しかし――あの口やかましいかみさんと暮らしていれば、愛人の一人くらい囲いたくなるって気持ちもわかるわな」

 一人の男が発した言葉に、一同は頷く。

「その愛人に話を聞いてみると、『浮気が妻にばれそうになったから、別れてくれ』とバックスに持ちかけられたということだ。愛人としちゃ面白くないだろうな。それで、かなりの額の手切れ金を吹っかけたと」

 このあたりで、酒場の常連たちもおおよそのところを察したらしい。

 要するに、愛人の存在をめぐって妻と激しい口論となったバックスは、逆上して刃を手に取った――そういうことだろう。

「なにしろ、バックスの店はしっかりと戸締りされていたし、外から誰かが侵入した形跡もない。金目のものも取られちゃいなかった。そして、犯行に使われた凶器も店の中から見つかっている」

「凶器?」

「売り物の剣さ。おおかた、店先に置いてあったんだろう」

「でもシェインよ、鍵をこじ開けて入ってきた奴がバックスたちを殺し、何かの仕掛けを使って外から鍵をかけた、って可能性はねぇのか? 少し前、シスル街でそんな手口の物盗りがあったって聞いたぜ」

「その可能性はまったくないとは言えないが――そこまで用心深い野郎が、部屋中を血で真っ赤にするような派手なやり口で殺しをするわけがないだろう。これは、うちの大将の推理だが」

 シェインは、客たちが次々と投げかける質問に答えていく。そして、その返答はいちいちもっともだ。

「さらに言えば、バックスの旦那は人に恨まれるような男でもなかったはずだ。愛人絡みを除いてな」

 確かにバックスはがめついところはあったものの、商売のやり方は至極真っ当であった。警備部は、バックスの主だった顧客にも聞き込みをしたが、商売絡みでいざこざがあった、などという証言は皆無であった。それどころか、バックスは客たちからかなり高い評価を受けていたという。

「――というわけで、状況的にみて、心中としか考えられないのさ」

「するとバックスは、かっとなって妻女を殺害してしまったものの、冷静さを取り戻して罪の呵責に苛まれ――自らの首をかき切ったということか」

 初めて、マーシャが口を挟んだ。

「そういうことになりますね、先生」

「なるほど……しかし、この短期間によく調べ上げたものだ」

 マーシャも感心する手際である。

「全部、うちの大将の指示ですよ」

 と、シェインはわがことのように胸を張る。隊長コーネリアスは、この若者からも大きな尊敬を受けているようだ。

「さあ、俺から話せることはこんなところだ。皆の衆、今夜からは安心して眠れるぞ」

 凶悪な殺人者が、いまも街のどこかに潜んでいるかも知れぬ――住民たちは、不安を抱いていたはずだ。事件が解決したとなれば、みな枕を高くして眠れるというものだ。

 酒場の常連たちは、ほっと胸をなでおろしつつそれぞれのテーブルへと戻っていった。

(これで一安心、といったところか。しかし――)

 マーシャの頭には、いまだ大きな疑問が残っている。

 果たして、バックスに胴体の切断などという行為が可能なのだろうか。そのことである。

 怒りにわれを忘れた人間が、とてつもない力を発揮する。これは、ありえないことではない。しかし、それを考慮してもなお、胴体の切断というのは尋常なことではないはずだ。

(しかし、コーネリアス殿の調べたことだ。手抜かりはあるまい)

 納得のいかないところはあるものの、状況はこの事件が心中であることを示している。

 マーシャもそれ以上追及することはせず、酒のお代わりを注文するのだった。


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