十一
二百人以上が頂点を競う王国軍四半期大会の日程は、きわめて過密だ。
トーナメント形式というのは、参加者の総数から一を引いた数が総試合数となる。したがって、この秋季大会の場合、急な欠場者が出たことによって不戦勝となった試合を除いても、二百五十近い。
そのため、十もある試合場を余すところなく活用し、並行して試合を消化する。
しかし、さすがに準決勝ともなれば、両方の試合を観たいという観客の要望も高まる。なので、準決勝は同時進行ではなく、一試合ずつ行われることになっている。
ヴァートとカレンの激闘が幕を閉じ、観客の熱もいまだ冷めやらぬ試合場。
準決勝第二試合を戦う二人の武術家が、その姿を現した。
ひとりは、クリフ・ノーランドという。中背ながら、広い肩幅と厚い胸板のがっちりとした身体つき。手にする得物は、ミネルヴァの扱うものよりひと回り小さめの両手剣である。
いまひとり――もはや、説明するまでもないだろう。エリオット・フラムスティードである。
闘志もむき出しにエリオットをにらみ付けるノーランドに対し、エリオットは飄々として掴みどころのない雰囲気を漂わせる。
審判の合図で、両者は開始線に分かれ、構えをとった。
試合場の端で、その様子を見守るヴァートだったが――不意に試合場に背を向けた。
「あれ、どうしたの? 試合観ないの?」
ファイナの問いに、ヴァートは頷いた。
「さっき少しだけあのエリオット・フラムスティードの試合を観て思ったんだけど――あの相手とは、できるだけまっさらな状態で戦ってみたい。そう思ったんだ」
相手の手の内を知らない状態で、余計な先入観を持たず、その力を堪能したい。ヴァートが言わんとしたのは、そんなところだろう。
無論、エリオットの試合を観戦し、少しでもその特徴を掴んだほうが有利なのは言うまでもない。しかし、勝利の確立を高めるよりも、戦いの妙を味わうことを優先したいというのは、勝負事に携わる人間ならば、大なり小なり誰しもが持っている心理であろう。
「うむ、それでよい」
自分以外の武術家を研究し、その長所短所を見極めることで自らの技の向上に繋げる。武術家にとっては、これも大切なことだ。しかし、いまのヴァートには、自分の剣を磨くことのほうが重要だとマーシャは考えている。
「しかしヴァートさん、まるでフラムスティード家のご子息が負けることなど考えていないような口ぶりですわね」
「うむ。あのノーランドなる剣士が勝ち上がってくるかもしれないでござる」
「いや、まあ……それはそうなんですけど」
しかしミネルヴァにしてもアイにしても、内心はエリオットが勝利することを疑っていない。
試合はまだ始まっておらず、エリオットとノーランドは構えをとっただけの段階だ。しかしノーランドは既に、エリオットに呑まれつつあった。
「とにかく、俺はあっちで休憩してますよ」
と、ヴァートは歩き出した。
「まあ、私も試合を観るのは止めておくか。そのほうが楽しめそうだ」
マーシャも身を翻し、試合場を離れる。ミネルヴァとアイも、それに続いた。
「ええっ、みんな行っちゃうんですか? ううん、でも……やっぱり私は観たい!」
一人取り残されるファイナであったが、愛好家としての欲求には抗えなかったようだ。そんなファイナを尻目に試合場から遠ざかるヴァートの背後で、試合開始のかけ声が響き渡った。
傾きかけた太陽が、西から順に空を茜に染め上げる。
まだ、試合に支障が出るほどの暗さではない。しかし秋の日が落ちるのは早い。試合場の周りには、既にいくつものかがり火が準備されている。
決勝戦は、練兵場内に造られた演舞場で行われる。小高く盛られた四角い卓状の土台に、石畳が敷き詰められた舞台だ。
一発の空砲が、秋空に響いた。
決勝の時間を知らせる合図だ。
試合場に詰めかけた観衆は、三千人以上にのぼった。大きな武術大会というのは、シーラント人にとっては祭りに等しい。観衆たちは、決勝戦への期待とともに、祭りが終わることへの一抹の寂しさを感じていることだろう。
「ヴァート・フェイロン、エリオット・フラムスティード――前へ!」
審判の声に、二人の若き武術家が進み出た。
舞台の東側からは、ヴァート・フェイロン。西側からは、エリオット・フラムスティード。
「あのとき偶然出会った君と、まさか決勝の場で戦うことになるとは。不思議な縁もあるものだねぇ」
特有ののんびりとした口調で、エリオットは言った。
「でも――なんとなくだけど、こうなるような気はしていたんだ」
「――それは、俺も同じさ」
ヴァートの言葉に、エリオットはわずかに口の端を上げる。
「二人とも、そろそろ私語は慎むように」
審判が、二人の会話を遮った。
「では、試合開始を前に、いくつか注意しておく。まず――」
審判が毎試合ごとに行うお決まりの説明ごとも、ヴァートの耳にはまるで入ってこない。ヴァートの精神は、すでに臨戦態勢にあった。そしてそれはエリオットも同じであった。口元には微笑を浮かべつつも、目線はヴァートから逸らさない。
「両者、開始線へ」
試合場に引かれた白線上で、二人は剣を構える。
奇しくも同じ、大上段。
一手目は、小細工なしの力勝負――図らずも、二人の思惑は完全に一致した。
「はじめッ!」
合図とともに、二人は同時に踏み込んだ。
試合場の真ん中で、二人の剣がぶつかった。同時に、割れんばかりの歓声が送られる。
(やはりこの男――強い!)
エリオットの剣から伝わる感触は、間違いなく強者のそれであった。ガスコイン、ギラン、そしてカレン。みな強敵であったが、このエリオットはさらにその上を行く。ヴァートは直感する。
瞬間、ヴァートの身体から闘志が吹き上がった。
「おおおおッ!!」
気合声を発し、一気にエリオットの剣を押し返す。エリオットが一歩下がったところにぴったりと追いすがると、瞬きほどの間に三度の斬撃を見舞う。
「ふッ!!」
エリオットは体裁きでふたつの斬撃を避け、三つ目はその剣の鍔で受け止める。手首を返してヴァートの剣を跳ね上げると、今度はエリオットが凄まじい速度の三段突きを放った。
「おうッ!!」
上体を捻って二撃目までをかわしたヴァートは、跳び退って三撃目を避けつつ、牽制の横薙ぎを放つ。
ここで、両者いったん距離をとった。観客たちから、大きなため息が漏れる。
「――やりますね。こう申し上げては失礼かもしれませぬが、想像以上でした」
「いや、それはこちらも同じこと。よくぞ、その若さであそこまで練り上げたものだ」
マーシャは、ヴィンス・リゲルと並んで試合を観戦していた。
二人の戦いは、まだほんの小手調べにすぎぬ。しかし、「二つ名持ち」の武術家ともなれば、この数合の打ち合いの中にも二人の有り余る才気を見て取ることができる。
「まさに、若かりしころのシーヴァー・ナイト殿そのものだ。二十年も前のあの戦いが、目の前で再現されているような感覚だよ」
リゲルは、感慨深げな声音で語る。
「さて――様子見の時間はもう終わりでしょうか」
試合場では、二人がふたたび構えをとったところであった。
ヴァートは剣をだらりと下段に、前傾して腰をやや落とす。エリオットは身体を開き、左手に持った剣を前に突き出す。
踏み込みの速度を重視したヴァートに対し、防御寄りの構えのエリオット。素人目にはそう映るだろう。
「エリオット様は、裏表のない、心根の真っ直ぐなお人。しかし、剣を手にしたときのエリオット様は、師匠である俺に似てかなりのひねくれ者だ。さあ、ヴァート・フェイロンのお手並み拝見といこう」
ヴァートは、じりじりと間合いを詰めつつ、踏み込みを試みようとしているところだ。
防御重視の構えをとる相手に対し、不用意に距離を詰めるのは愚策である。しかし、待ちに徹するのはヴァートの性に合わぬ。
一般に、呼吸の吐き終わりの瞬間が、人間の力が抜けるときだとされる。エリオットの肩、胸郭に注意を払い、エリオットの呼吸を計る。
いまだ――ヴァートが一歩目を踏み出そうとしたその瞬間である。エリオットの重心が、前方に移動したのをヴァートは感じた。
(不味い!?)
先手を取って前に出て、ヴァートの動作の起こりを潰そうという、エリオットの動き――いけないと思いつつも、ヴァートの身体はもう止まらぬ。
しかしエリオットは、その場から動いていない。
踏み込んだはいいものの、エリオットが前に出てくるものと思い込んでしまったヴァートの動きは、いかにも中途半端なものになってしまった。
無論、そのようなヴァートの体勢では、エリオットの剣の餌食になることは明白だ。
「くッ!!」
ヴァートは、とっさに前方に身を投げ出し、地面を転がった。ヴァートの首筋を狙ったエリオットの剣が、空を切る。
転がりつつも、ヴァートはエリオットの足元を薙ぐ。それをエリオットが跳んで避けた隙に、ヴァートは立ち上がって体勢を整えた。
(くそッ、よく考えればあのエリオットの体勢から、まともに踏み込めるはずなんてなかったのに――)
エリオットが重心を移したように見えた動き――それは、ヴァートの踏み込みを封じるための幻惑だったのだ。
ヴァートが内省したとおり、防御重視の構えから、ヴァートの行動の起こりを潰すことなど不可能だ。相手が、アイのごとき人間離れした身体能力を持っているならば話は別だが。
ともあれ、エリオットが見せた重心移動、それがあまりに自然にさりげなく行われたため、ヴァートはエリオットが前に出てくるものと確信してしまったのだ。
「幻影之剣」ヴィンス・リゲル――ありとあらゆる幻惑術を使いこなし、その代名詞となる『幻影』を遣わずとも、一挙手一投足がすなわち幻惑となるとまで言われた剣士である。ヴァートをもまんまと騙してのけたエリオットは、確かにその技術を引き継いでいるといえよう。
(やっぱり、一筋縄ではいかない相手――)
ヴァートは、己の血液が沸き立つのを感じた。
「おおッ!!」
気合声を発し、ヴァートが打ちかかる。
袈裟懸けから胴への横薙ぎ、そこから手首を返して右肩を狙う突き――エリオットはこれをすべて回避するが、ヴァートの本当の狙いはその次の一手である。
「はあッ!」
ヴァートの左足が、鋭く振り抜かれた。エリオットのふくらはぎあたりを狙った下段蹴りである。上半身に立て続けの連撃を浴びせたあとに放たれる下段攻撃は、回避が難しい。
「むッ!?」
しかしエリオットもさるもの。ヴァートの蹴り足がそのふくらはぎに迫ろうというとき、エリオットは下がって回避を試みるのではなく、逆にヴァートとの距離を詰めた。ヴァートの蹴りは、遠心力を利用してはじめて十分な威力が出る。距離が近すぎれば、威力は半減されてしまうのだ。
二人は、互いの息がかかる距離にまで肉薄している。この近さでは、剣で相手を攻撃することはできない。ヴァートとエリオットは、示し合わせたかのように互いの肩をぶつけ合った。
「ッ、凄い蹴りだね。威力は殺したはずなのに、足が痺れているよ」
「格闘術に関しては、どこよりも厳しい師匠がいるもんでね――はッ!!」
密着した状態から、ヴァートは腰を回転させる。ギランを吹き飛ばした、「肩当身」の構え――しかし、手ごたえは軽い。危険を察知したエリオットは、自ら後ろに跳んで「肩当身」をいなしたのだ。
すかさず追撃にかかるヴァート。しかし踏み込みの途中、なにかに弾かれるように大きく右に回避行動をとった。
しかしエリオットは反撃するどころか、大きな動きすら見せていない。
(今度は、「目線」に騙された……!)
目線に攻撃の意思を込め、相手の動きを制する――これも、幻惑術の一種だ。
視線に誘導されて無駄な行動をとってしまったヴァートに、エリオットの剣が襲い掛かる。
速く鋭くはあるが、何の変哲もない基本どおりの連撃――ほとんどの観衆は、そう感じたことだろう。
しかしその認識は間違いだ。
傍からは気がつかぬほど細かい重心や視線の動き、肩や腕の筋肉の小さな脈動――一撃と一撃の間に、エリオットは絶え間なくヴァートを惑わす幻惑術を挟み込んでいる。
幻惑術に長ける相手であろうことはヴァートもわかっていたが、実際に体験するエリオットの技は、ヴァートの想像のはるか上を行く。
一瞬でも集中を切らせば、エリオットの術中にはまってしまうだろう。
ヴァートが常日頃手合わせをしている桜蓮荘の面々のうち、アイ、ミネルヴァは、ともに幻惑術の類をあまり使わない戦い方を好む。また、マーシャはその気になれば高度な幻惑術を繰り出すことができるけれども、現在のヴァートの実力では、マーシャに幻惑術を使う気にさせるまでには至らない。
これほど神経をすり減らす戦いは、あのマット・ブロウズとの真剣勝負以来であった。
(この幻惑術を封じるためには――攻めるしかない!)
一気呵成、ヴァートは攻勢に出た。息つく暇もなく攻撃を浴びせ続ければ、さしものエリオットも幻惑術を差し挟む余裕はなくなるはずだ。
「おおおおぉぉッ!!」
持てるあらゆる技術を総動員した、ヴァートの猛攻。ミネルヴァやアイ、そしてローウェル道場での出稽古で目にしたさまざまな他流の武術家――オーハラ流以外の武術の技も貪欲に吸収してきた。数度に及ぶ真剣での勝負を生き抜いてきたこともある。ヴァートの年齢で、これほどの経験を積んだ武術家はそうはいまい。
エリオットも、経験という点ではヴァートに劣るのだろう。ヴァートの繰り出す変幻自在の連撃に対し、防戦一方となった。
有効打こそまだないが、エリオットは後退を余儀なくされている。
(冷静に、冷静に――勝負どころを見誤ってはいけない――)
自分に言い聞かせながら、エリオットに攻撃を加え続ける。
と、ヴァートの強烈な上段斬りを受け止めたエリオットの顔が、わずかに歪む。そして、その右手の剣の握りが緩まるのをヴァートは見逃さない。残撃の衝撃で、手首を痛めたか――
「ここだッ!!」
ヴァートは、エリオットの左小手を狙い、鋭く斬り上げた。エリオットはとっさに左手を剣から離し、それをかわす。
「はあッ!!」
間髪入れず、横一文字に剣を振るった。右手一本で防御を試みるエリオットだったが、痛めた手首ではその衝撃に耐え切れなかったか――エリオットの剣は、大きく跳ね上げられた。
エリオットの胴ががら空きになる。ヴァートにとって、絶対の好機である。
あとはいかに冷静にエリオットを仕留めるか、ヴァートはそのことだけを考えていた。
しかしその思考は、耳に響く刃風によって遮られる。
エリオットの剣を、ヴァートは大きく弾いたはずだ。負傷した右手では、即座にヴァートに反撃することは不可能だったはず。
なのに、ヴァートの眼前にはエリオットの剣が迫っていた。
「なにッ!?」
ヴァートはとっさに身をよじる。
しかし遅い。エリオットの剣の先端が、ヴァートの右腕の付け根を捉えた。
「待て!!」
審判がいったん試合を止めた。試合場脇に控える副審判となにごとか囁き合うと、右手をヴァートに向けて
「あと百五十!!」
そう宣告したのだった。




